感情の解放
ナミミは、叫びながら掃除機を俺に向け続けていた。
そんなこと、いくらやったって無駄なのに。ここまで強く縛ってしまえば、まず取れることは無い。
「おいナミミ、お前感情無いんじゃなかったのか? 感情ダダ漏れだぞ?」
誰がどう見てもナミミは怒っている。怒りという感情が、爆発している。
「そうか、なら礼を言っておこうか。私が求めていたものが手に入ったのだから」
俺の言葉を聞くと、ナミミはそう言ってようやく掃除機を止めた。やっと諦めてくれたか。
「で、どうだ? 感情ってもんを分かった感想は」
「我ながら情けないよ。こんなもの、あったところで何の得も無いのだな。無かった方がいいくらいだ」
「そうかよ。そいつは残念だ。皆の感情を取り戻そうとしている俺からしたら、無かった方がいいだなんて口が裂けても言えやしないんだけどな」
少なくとも俺は、感情が無い生活なんてもう二度と送りたくない。
感情を失っていた一週間、俺は何にも楽しくなかった。というか、そもそも楽しいという感情がどんなものなのか分からなくなっていた。あんなの、生きているとは呼べない。
「にしても、怒りというものは一度湧き出すとなかなかどうして全然止められぬものなのだな。今私は、どうしようもなく貴様が憎いよ」
叫ぶことこそ止めているものの、ナミミの目はずっと怒りでギラギラとしている。
「そうかよ。俺もあんたが憎いさ。俺の大事な女達の感情を奪われてしまったんだからな」
彼女達は、感情があってこそ輝いて見えていた。感情を失った彼女達のことも、決して嫌いでは無いけれど、感情があった時の方が何百倍も好きだ。あいつらの一番の魅力ってのは、あの眩しい笑顔だからな。
だからこそ俺は、絶対に感情を取り戻さなければならない。もう一度、あの笑顔を見るために。
「機械、壊すのか?」
「当たり前だろ。その機械は危険だ」
「そうか、なら、最後まで抵抗させていただく!!」
そう言って、ナミミは掃除機を持って全力で走って研究所を飛び出した。どうやら俺から逃げるつもりらしい。
まったく、そんなことしたって無駄なのによ。
一生懸命走っているナミミに、俺は一瞬で息を切らすことなく追いついた。ステータスカンストは伊達じゃない。
ナミミを狭い路地裏に追い込む。ナミミは俺がいくら近くてもひたすら走り続けていたが、やがて行き止まりに差し掛かり、否応なく足を止めた。
「くっ! 絶対に壊させない! この世界の感情は全て消さねばならんのだ!!」
ナミミは掃除機を俺から守るために、掃除機を自らの背後に置いて、両手で俺の行く手を塞いだ。
「なんでだ? 感情、お前にもあったじゃん。お前、感情が無いのを共有したかったんだろ? でも、感情があるとなると」
「感情を知ったからこそ、だ。怒りとは、とても苦しいものだった。こんな感情は無い方がいい。私は皆を救うため、感情を消すのだ!」
「なーにアホなこと言ってるのやら」
感情が消されて救われる人間も、確かにいる。悲しいことを悲しく感じたくない人なんて、それほど珍しくないはずだ。だけど、それでも、感情は絶対に消してはいけない。だって、悲しいことを悲しく感じなくなるなんてのは、結局逃げているだけだ。逃げていては人は成長できない。悲しいことはいっぱい悲しんで、それを乗り越えてこそ人は成長するんだ。
「さて、そろそろ終わりにするかね」
いつまでも俺はこんなところで立ち止まっているわけにはいかない。萌衣の復活は、もうすぐそこまで迫っているんだ。
腰から剣を抜き、ナミミに向けて構える。
殺すか? 殺さなければ、またこの男は何か良からぬことをやるかもしれない。殺すという選択肢が、おそらく一番正しいのだろう。
「おっりゃぁあああああああ!!」
握っていた剣を、俺は感情を込めて勢いよく振り下ろした。
「……」
終わったな。
俺の前には、破壊された掃除機と、壊れた掃除機を見て佇むナミミの姿があった。
「ちっ」
殺せなかった。殺そうと思った。けれど、殺せなかった。だって、結局俺もこいつと同じだから。俺も、感情を自分勝手に操っている自己中野郎だ。俺は俺のことを全く興味無い女の恋愛感情を、勝手に俺に向けている。
俺に、こいつを殺す資格は無い……。
情けないな、俺。俺は俺、こいつはこいつなのに。
まあでも、これで良かったんだと思う。ここでこの男を殺していたら、きっと俺は萌衣に顔向けできなかった。理由は分からないけど、なんとなくそう思えた。
「おいナミミ、皆の感情はどうやったら戻る?」
茫然としていたナミミに、俺は問いかけた。
「もう戻っている。これが壊れた瞬間にな」
「そうか」
ということは、ミステとカリバはもう無感情じゃないってわけか。久々にあいつらの感情豊かな表情が見れるのか。
「ナミミ、もう感情盗む機械なんて作るなよ。今度作ったら、どうなるか分かってるよな?」
俺の言葉に、ナミミは何も答えない。だが、俺の言葉はきちんと聞こえていたはずだ。
「カプチーノ!」
やり終えた俺の元に、シュカが遠くから走ってきた。
「どうやらあれを壊したら感情が戻るってのはマジみたいだな」
シュカは笑顔だ。こんな表情、感情が無ければできるはずがない。
「あのさあカプチーノ。それ」
労いの言葉をかけてくれるのだと思っていたら、全然そんなことはなく、シュカは俺のすぐ近くまでくると笑顔をやめ、頭の上をビシッと指差した。
「それって?」
「頭に被ってるやつ!!」
「ああ、これか? これは、萌衣の下着だ」
「そう、下着! そんなのいつまで被ってるのさこの変態! 今すぐとって!」
「それは無理だな。だってこれ、キツく縛りすぎて全然外れそうにないんだ」
「な、何それ! あーもう、そんなの切っちゃえばいいでしょ! チョキーって」
「いやまあそうなんだけどさ、なんかもったいないなーって」
「別に切ったっていいじゃん! どんだけ妹のパンツが大事なのさ!」
「なんせ、俺を勝たせてくれた切り札だからな」
これが無かったら、俺は感情を失っていたわけだし。
「はぁ……。まさかこんな勝ち方だったとはねえ……」
呆れたようにシュカは言った。いやだって、それしか思いつかなかったんだからしょうがないだろ。
「ただまあ、勝ちは勝ちだもんね。ありがとね、私達の感情を取り戻してくれて」
「おう」
色々言いつつも、シュカの最後に言ったお礼の言葉には、いっぱいの感情がこもっていた。
やっぱ、感情があるっていいな。感情がある方が、俺は幸せだ。




