涙
レジスタンスに戻ってきても、俺の心は虚ろのままだった。
視界は掠れ、音は聞こえない。俺は今、何も受け入れることができなかった。
何かを受け入れここを現実と認めてしまえば、今日ドルーワが言っていたことも、現実だと認めなくてはならなくなる。
そもそも命というのは一度消えたら再び存在することなんてできないのが普通だ。そんなことは分かっている。ワードルの存在は本来あり得ることでは無く、この世の誰もが、死んでしまえば世界とは切り離される。
どんなに大切な人でも、死んだら二度と会えないのが世界の理なのだ。だから、カリバが蘇らないのは当たり前のこと。むしろ萌衣が今生きていることこそが異端なのだ。
だが、分かっているからといって納得できるものではない。カリバがいない世界なんて、俺は生きられない。生き返りがあり得ないとかあり得るとかそういう問題じゃない。カリバがいないと嫌だという純粋な想いが、根本にある。
いっそ死んでしまおうか。その方が楽になるかもしれない。そうだ、きっと楽になる。
もう俺は疲れた。十分頑張ったじゃないか。あの世に行って、カリバに会おう。
のろのろと、俺はどこを目指すでもなく歩き始めた。相変わらず視界は何も捉えていない。
「ちょっと!」
肩を掴まれた。気にせず歩き出そうと思ったが足が前に進まない。強い力で肩を抑えられている。
「どこに行くつもり?」
背後から聞こえたシュカの声に、振り返らずに俺は答える。
「カリバのとこ」
「カリバ? それは場所? 人?」
「人だ。俺の大切な女」
「ひょっとしてだけどその大切な人って、さっき生き返らせるとかなんとか言ってた」
「そうだ」
「どうやって会うつもりなのさ。その人、死んでるんでしょ?」
聞かれて、俺は黙って指を天に指した。
「ま、まさか死ぬつもり!?」
こくり。虚ろな目をしたまま俺は頷く。
「何馬鹿なこと考えてるのさ! あんたはこれからこの世界を変えるんでしょ!」
「だって、生きていてもカリバに会えないから」
「死んでも会えないっての! もしかして天国とかそういうのを信じてるタイプ? ならはっきりと現実を教えてあげる。死後は無よ!何にもなくて、死んだらもう生まれる前と同じ。誰にも会わないの!」
死んだら、無。
「そんなの分かってる!!」
声を荒げて、俺は叫んだ。
「分かってるならどうして!」
「耐えられないんだよ。あいつがいないのが! お前には何も分からないかもしれないけど、俺にとってあいつは――ん!?」
突如、シュカが俺の顔を抱きかかえた。
「な、なにを!」
「大丈夫」
優しくそう呟いて、シュカは俺の頭を撫でた。
「君にとって彼女がどれだけ大切な人だったのか、私には分からない。ただ、私にも分かることがあるよ」
「分かる、こと?」
「厳しい事を言うようだけど、君が落ち込んでいたところで、何も生まれない。誰も得しない」
「……」
「それにもう一つ。あなたの彼女は、そうやって落ち込んでしまうようなあなたのことが好きだったの?」
「違う。あいつは」
「どんな女の子だってね。好きな人を落ち込ませたくはないんだよ。たとえ自分が死んじゃったとしてもね」
頭を撫でつつ、優しい声音でシュカは続けた。
「あなたがまだその人のことを好きでいるのなら、たとえその気持ちが届くことが無いとしても、それでも彼女の好きだったあなたでいるべきだと私は思うな。彼女が好きだったあなたは、一体どんなあなただった?」
「そんなの、分からない。そもそも俺は、あいつに本当に好かれていたかどうかすら分からないんだ」
あいつの気持ちは、ウインクによって作られた気持ち。もしウインクが無ければ、彼女は俺のことなど全く気にしていなかっただろう。
「あのねえ。好かれてないわけないでしょ。自分のことを大切に想ってくれている男のことを、好きじゃないわけないよ」
「でも」
誰が好きとか誰が嫌いとか、そういうものは必ずしもお互いの気持ちではなく、一方的であることも多い。
「まだ恋愛経験の無い私が言うのもおかしな話だけどさ。結局女の子が男に惚れる理由ってのは、顔でも性格でもなく、自分を想ってくれる気持ちの強さなんじゃないかな。もしあなたが彼女に対して想う気持ちが私に向けられていたら、私はとっても嬉しいもん」
「気持ちの強さ……」
「そ。まあ全員が全員そうってわけじゃないかもだけどさ。少なくとも私はそう思うよ。で、改めて聞くけど、彼女が好きだったあなたは、一体どんなあなただった?」
「それは――」
分からない、と言おうとして口を止めた。今求められている答えはそうじゃない。そうじゃなくて――
「いつも頑張っていた」
一番最初に浮かんだ言葉を、迷わずそのまま伝えた。
「なんで、そう思ったの?」
「俺があいつのことを好きな理由も、そうだったから」
俺は、様々な場面で頑張っていたカリバの姿を見て、カリバに惚れた。あらゆることに一生懸命なカリバを見ていると、俺は自然と笑顔になっていた。
この数年間、俺もカリバも頑張り続けた。俺がカリバの頑張る姿に惹かれていたように、カリバも同じように、俺の頑張る姿に惹かれてくれていたのだとしたら、俺は嬉しい。これはただの願望だ。俺がそうであってほしいというだけであって、質問の答えにはなっていない。だが、今はこれが正しい。この答え以外に、俺の中に正解は無い。
「なるほどね。さて、じゃあもうあなたがやるべきことは分かってるよね?」
「あいつの為に、頑張る」
「よくできました。というわけで、愛する女の子のために頑張りましょう! たーだ、その前に」
俺を撫でる手を止め、シュカは続けた。
「人はそんな簡単に割り切れるものじゃないから、今は、いっぱい泣いちゃおうよ。私は、あなたが流す涙を笑わないからさ」
その日俺は、平行世界に来て初めて涙を流した。きっとこの涙を、俺は忘れることは無いだろう。




