始まり
目が覚めると、そこは知らないところだった。見たことのない花が咲き誇り、見たことの無い鳥が空を飛びまわっている。
「なんでこんなところにいるんだ?」
起きたばかりのぼんやりとした頭で、眠りにつく前の記憶を探る。
確か俺は、朝早くから推しの声優からバレンタインチョコを頂くために、イベントの列に並んでいた。
そこで、時間を潰すものを何も持っていなかった俺は、俺の前に並んでいた、トラックと名乗る男とアニメについて色々と語り合った。
好きなジャンルのアニメも似ていて思いのほか会話は盛り上がり、楽しい話ができたお礼にと、別れ際にトラックから『異世界行 片道』と大きく書かれた謎のカードを渡された。
家に帰り、渡されたカードの裏側を見てみると、そこには名前【】能力名【】という二つの空欄があった。
ちょっとしたジョークグッズの類いだとはすぐに分かったものの、せっかく頂いたものを空欄のままにしておくのもどうかと思ったので、ネトゲでいつも使っているハンドルネーム【カプチーノ】と、あったらいいなあとなんとなく思った能力【あらゆる女をウインク一つで落とす能力】を書き――
それ以降の記憶は無い。
まさかあれはジョークグッズなんかじゃなく、本当に異世界に行く力を持っていたのか?
とても信じられることではないが、そうとしか考えられない。目を何度擦っても、依然として知らない花も知らない鳥もそこにある。
そうか、俺は異世界に来たのか。
別に元の世界に未練など無いし、今すぐ戻りたいといった感情は湧かない。それよりも、ここがどんなところなのか知りたいという欲求が沸々と湧き上がる。
それに、あれが本物だったということは――今俺は、あらゆる女をウインク一つで落とすことができるということになる。
試さなければ!!!
二十五歳にもなってまだキスすらしたことのない童貞にとって、その力はあまりにも魅惑的だ。
今起こっている衝動は、俺自身ですらもう止めることはできない。
周りを見渡す限り、ここには人がいる様子は無い。 だが、少し遠くにぼんやりと街が見える。
あそこなら、可愛い女の子の一人や二人多分いるはず。
☆
街に着くと、エルフやドワーフ、天使までもが当たり前のように存在していた。もう疑う必要もあるまい。ここは本当に異世界だ。
色々と興味を惹きつける建物がそこら中にあり、探究心を掻きたてる。
が、とりあえず今はそれらは後回し。まずは何より、力の確認だ。
さて、どんな子から落とそうか。
記念すべき俺の初彼女だ。慎重に選びたい。
あ、あの子にしよう!
俺の視線の先に、まるでアイドルのような可愛い女の子がいた。あのレベルの子なんて、今までの俺じゃあ到底手の届く相手では無かった。
けれど、今なら。
「あ、あ、あの、ちょ、ちょっといいですか?」
可愛い女の子に話しかけることなんて今まで無かったので、少しキョドってしまった。
早くも逃げ出したくなって来たが、なんとか踏みとどまる。
「私、ですか?」
容姿だけでなく声も可愛い。まるで声優さんのような声だ。
ここから会話を続けて少しずつ仲良くなっていく、というのが本来の女の子の落とし方なのかもしれないが、俺にはそんな会話スキルは無い。
なので、早速だけど――やらせていただく!
女の子の目を見て、可愛いことを再確認すると、左目でウインクを決めた。
えーと、これだけでいいのか?
何かが変わった様子は特にない。
もうこの子は俺に惚れているのか?
「あの」
確かめるため、話しかけてみることにする。
「ひゃ、ひゃい!」
ん? 俺への態度が、初めて話しかけた時と明らかに変わっている。
顔を真っ赤にして、『ひゃい!』なんていう返事。これではまるで――好きな男に対する反応ではないか。
「えーと、君、好きな人とか、いるの?」
しまった。いくらなんでもこれでは直球すぎたか?
「はい、います」
だが、律儀に質問に答えてくれた。
もじもじとしながら、女の子はこくりと頷く。
「その好きな人っていうのは?」
もう答えは明白だ。どんな鈍感野郎でも一目でわかる。
だがそれでも、直接言葉として確かめるまでは確証してはならない。
俺は緊張しながら、答えを待つ。
そして。
少し間を置いて、女の子は俺の方へ、ゆっくりと指を指し、呟いた。
「あなた、です」
これからよろしくお願いします。