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8 混乱

 セオの頭は真っ白になった。

「どうした、君も怪我してるのか」

 救急隊員に声をかけられても、セオは身動き出来なかった。

 隊員の手がセオの肩に触れ、セオは反射的にロジーを庇うように引き寄せる。

 隊員たちはアドス語で何か言った。怪我人の様子を診ようと救急隊員は、医療用透視端末機(レンディドス・ワイズ)を隊員がロジーにかざす。皮膚の下の普通では見えない筋肉や骨や内臓を透かす機械が、半透明の板の表面にロジーの体内の様子を映し出す。

「……なんだ、これ」

 医療用透視端末機を持った救急隊員が、画面に表示された情報を凝視する。アドス人の彼は緊迫した様子だ。セオの体が強ばる。

「こんな、おかしい……まさか」

 考えるより早くセオはロジーを抱き上げ、立ち上がった。背中の怪我に触れないように肩に引き上げる。

「おい待て、何を」

 頭の中は混沌としていたが、セオの予測が間違いでなければ、ロジーを連れてこの場を離れた方がいい。

 セオは瓦礫の中をかきわけて、小走りになって隊員たちから逃げ出した。

「待て! 誰かそいつらを……捕まえろ!」

 慌てたようなアドス人隊員の声が、一気に厳しいものになった。セオは足を早める。

 救急隊員の彼も、気づいてしまったのだ。

 隊員の制止に、治安維持組織の者が反応してセオたちを訝しむ声が加わる。爆発に巻き込まれて茫然としていた者が、不審者を見る目でセオを見送る。救急隊員がどういうつもりでセオを「捕まえろ」などと言ったのか、推測出来ないでもないが、セオには忌々しいだけだ。

 大抵の者は、追われる者を罪を犯した者と錯覚する。怪我人を抱えて逃亡する方が不自然だ、逃げているのにはそれなりの理由――それなりの罪が――あるのだろうと思いこむ。そうでなくとも、血まみれのハーマン人を連れるだけで人々は目を見張る。異質な存在を多くの者は忌避する。このままではセオはただ走っているだけで犯罪者扱いされてしまう。

 セオは背後に隊員の気配を感じ、眉間のしわを深くする。

 意識のない怪我人を抱えたまま、まともな武器もなく治安維持組織隊員の相手をするのは骨が折れるだろう。

 何故こんな事になったのか――セオの頭は重くなる。

 本当に、たった少しの間だけで、セオとロジーを取り巻く状況は変わってしまった。それも、よくない方向に。

 セオは口の中で悪態をつきながら、曲がり角を曲がる。

 いくらも行かないうちに、セオの目前に旧式車(ドッソ・トゥーク)が迫った。屋根のないその車には見た事のある顔が乗っている。セオの真横に車をつけたのは、レンセラ人のダッタ。後部座席にはブセレン人のカスト。今朝別れたばかりの若者たちだ。

 まだ背後にいる治安維持組織の者と、大怪我をしたロジーを抱えるセオに、カストは何を思っただろうか。

 目が合った瞬間、カストはセオの事情を察したかのようだ。

「乗って!」

 セオは躊躇(ためら)わなかった。カストの開けた車のドアから、セオが車に体の半分も入れないうちに、ダッタは車を発進させる。セオは慌ててロジーの体を座席に押しつけ、後ろ手でドアを閉めた。

 何事かわめく隊員たちの声を背後に、ダッタは旧式車を走らせる。

 揺れる座席の上で、カストはブセレン人らしい感情の読めぬ黒い瞳でロジーを見つめている。

 ロジーを強く自分に押しつけながらセオは、この若者たちを信じていいのか急に不安になった。

「……ロジー、どのくらいひどいの?」

 自分の痛みをこらえるみたいな、カストの声は、確かにロジーを失う事を恐れている。セオは彼らを疑った自分を恥じた。

「……見た目ほど、ひどくはない」

 セオはあからさまに気休めにしか思えない言葉を吐いた。カストは、セオがそう思いたがっているのだと気づき、痛ましげに目を閉じる。

「とにかくどこか、あの場から離れたところに連れて行ってくれ」

 カストは何も聞かずに頷いて、運転席のダッタと相談をしはじめる。

 ひとまずはこれで急場をしのげる――が、だからといってセオとロジーを取り巻く状況がさっきと変わった訳ではない。

 眉間のしわを深めたままのセオは、ロジーを支える手に力をこめる。

 セオは、深呼吸をして自分を落ち着けさせようとしたが、吸った息も吐いた息もふるえていて、ちっとも落ち着けなかった。


 いつの間にか、夜が来ていた。

 カストたちは、自分たちがはぐれ者だと知っているらしい。だから世間の目を逃れるような、人里離れた廃屋のような場所へ、セオたちを案内出来た。

 カストはここなら誰も来ないと言った。セオ自身まだよく分からない理由で追われそうになっていた彼らの身を、カストはよく分かっているかのようだ。

 廃屋の、一番まともな部屋にセオはロジーを持っていき、寝台と思えなくもない、化学繊維の布団のようなものの上に彼女を横たわらせた。

 道中、カストがロジーを医者に見せなくていいのか訊ねてきたが、セオは自分が救急医の免許を持っていると告げ、黙らせた。事実、セオは戦地で必要な応急措置の訓練を受けているし、実践した事もあるから似たようなものだ。

 若者たちはロジーの容態をひどく気にかけていたが、セオはとにかく二人にしてくれと彼らを追い払った。

 カストは簡素な椅子と古くさく錆びたカンテラを置いていった。彼は実に気配りの利く男だ。燃える油を使った炎の照明など、これまたケーセスでは見られない絶滅種だが、そんな事は今のセオには関係ない。

 セオは、出来るだけロジーを楽な姿勢にさせ、安らげるようにしてやった。

 自分は寝台もどきの脇に置いた椅子に腰かけ、意識のないロジーを眺める。

 薄暗い部屋の中、頼りないカンテラの火が眠るロジーの横顔を照らす。

 思い出したのは、紛争地域での絶望的な状況で、ロジーが狙撃の腕で仲間を救ってくれた時の事。それから、ロジーと競技会で互いの成績を競い合った事。訓練後の食堂で、ロジーや他の仲間たちとくだらない話をした事。

「……一体、いつからだ?」

 本当は、彼女に言っていないが、セオはロジーが入隊した時から彼女を知っていた。セオとロジーは同期入隊者として同じ基地で訓練を受けた。大勢の新入隊者がいたから、誰もが全員の顔までは覚えていられなかっただろう。セオもロジーと異なる配属場所に行くと、彼女の事を忘れていった。

「ロジー」

 セオが初めてロジーを見かけた時、彼女はまだ線の細さの残る十六歳の子供だった。

 入隊に際して赤茶の髪を短くしたばかりだろうロジーを見て、セオはなんて顔立ちの整った少年だろうと思った。実際は少女だった。

 軍人を目指す女も少なくはないが、一般的に他の種族より女の方が肉体的に弱いとされるハーマン人女の入隊は珍しかった。だから印象に残ったのもあるだろう。

 例えばレンセラ人は男女共にハーマン人よりも遥かに卓越した身体能力を持ち、生命力も強い。その他、再生能力が高い種族や、ずば抜けて俊敏な種族など、ただ繁殖力の強いだけのハーマン人より軍人向けの種族はたくさんいる。

 入隊後の初めての厳しい訓練、中には想像を絶する訓練のつらさに脱落する者もいた。そんな中、ロジーが消えないで残っていた事に、セオはひそかに勇気づけられた。あんなひ弱そうなハーマン人でも頑張っているのだから、自分だって――とセオは励まされた。

 何年か経ち配属先がロジーと同じ基地になるまで彼女を忘れていたし、顔を合わせてもすぐには彼女だと気づけなかった。すっかり筋肉をつけ、体つきは軍人らしくなったものの、まだ十代だった頃とは違い――女らしくなった顔つきのハーマン人女性が、あの時の少年と同一人物だとは思わなかったのだ。

 同期入隊だというのが分かり、共通の知人もいた為に基地内ですれ違えば挨拶や世間話をするようになった。以来、友人の友人という関係性が続き、何回かグループで出かけた。だからだろうか――第五基地で初めてロジーと同じ隊になっても、セオはあまり驚かなかった。

 隊の仲間になる前から話しやすいのは分かっていたし、お互いの腕前も聞いていた。だから仕事でも、あまり無理する事なく相手を受け入れて任務遂行出来た――。

 あの頃のどの場所でも、ロジーは簡単には弱音は吐かなかった。文句は多いが、もう駄目だと絶望したり、仲間に当たったり、焦り過ぎる事もなかった。

 仕事の間であれば、セオはロジーを信用していたし、頼ってもいた。

 だが、その間、ロジーは一体何を思って過ごしてきたのか。

 そんな事、セオはロジーではないのだから分からない。当たり前の事にセオは苛立つ。

 セオは、自分の顔を右手で覆う。こらえきれない感情に、左手の拳を壁に突き立てる。振動と音でロジーが目を覚ますかと思えたが、そんな事はなかった。

 リ=ゼラ=フェイ=ロジーは物言わぬまま。彼女の目が開かれる事はなく、セオは眠れぬ夜を過ごした。




 ロジーが目覚めた時、セオは半分眠りかけていた。

 小さな物音に、最初は何も答えを導き出せなかった。いくらかして、セオはロジーが目を覚まし、動き出したから物音がしたのだと知り体を起こす。

 どこか虚ろな瞳で、ロジーは顔を動かしている。横向きの体も、頭もまだ動かせないようだ。

「……ロジー」

 うたた寝程度だったとはいえ、寝起きだからだろうか、セオの声はロジーのものよりしわがれていた。

 天井や壁を眺めていたロジーが、眩しげに目を細めたあと、セオに視線を向ける。

「ここ、なんなんだ……」

 しばし黙っていたが、セオはロジーにこれまでの経緯を説明する。

 話すうちに、ロジーは手を伸ばして起き上がろうとし、セオはそれを止めた。まだ混乱しているロジーを、セオは黙って見下ろす。

 背中や頭の傷の事を聞こうとしないセオに、ロジーは気づいていない。それとも、自分の怪我の事すら忘れてしまったのか。

 セオは、逃げ出したくなる自分を握り潰すかのように、拳を固く握る。そして彼は息を吸う。また少し吐息がふるえていた。

 ロジーはぼけっとして視線を床に下ろしている。セオはロジーを向いて床に膝をついた。

「……ロジー。俺はもう、見てしまったんだ」

 何の事を言われているのか、ロジーには自覚がないようで視線をセオに投げかけるだけ。

「あの人が知らないとは思えないから、ディス大佐に連絡を取って尋ねる事も出来る」

 またセオから視線をずらしたロジーは、ここでディスの名前が出てきた事を訝しんで眉を寄せる。セオだけはずっと、ロジーから目を離さない。

「でも俺は、お前の口から聞きたいんだ、ロジー」

 ロジーは布団の上に顔を伏せる。彼女はあからさまにこの話題を避けたがっている。セオだって出来るなら彼女の嫌がる事はしたくない。だが、そうはいかなかった。

「一体お前に、何があった……?」

 半分しか見えないロジーの表情は硬いが、彼女は確かに怯えている。

 この前から彼女が隠したがっていたのは、この事(・・・)なのだ。

「どうして……そんな体なんだ。あんな大怪我をしていたやつが、一日もたたずに傷が塞がるなんて、そんなハーマン人の話は……聞いた事がない」

 セオは上下の瞼をひきつらせるように表情を歪める。

 彼が見てしまったものは、ロジーの背中の傷ではない。あんなに出血しておきながら、背中に傷がなかった。まるで傷なんて始めから存在していなかったかのように。その事が、彼の気を動転させた。

 実は怪我をしていなかった、という可能性はごく僅かだ。セオは経験上ロジーの血が本物だと分かっていた。だからこそ自分の目が信じられなかった。

 ロジーが担架に乗るのを拒むかのようにセオの手を握った時、セオは彼女の出血がほとんど止まっている事に気づいた。違和感を覚えセオはロジーのシャツを少しめくった。信じられない事に――ロジーの傷口は、新たな皮膚を形成し、治りかけていた。

 普通のハーマン人には、あり得ない事だった。

 今だってロジーはなんの止血も手当てもしていないのに、血を流したりしていない。傷の深さに苦悶の表情を浮かべたりしない。処置を望まない。軍人だからなんていう理由ではあり得ない事だ。

 俯いたままロジーは上半身を起こす。今度のセオは止めなかった。自分も椅子に座り直して、ロジーと視線の高さを合わせる。

 苦い顔で、ロジーは口元を歪める。

「お前にだけは知られたくなかったよ、セオ」

 セオはひるんだような――傷つけられたような目をした。

 それを見上げて、ロジーは肩の力を抜くように笑う。

「お前は仲間に優しすぎる。お前に同情なんて、されたくなかった」

 ふう……とロジーは吐息を音にする。首を伸ばして天井を眺めるが、ロジーの意識はこの部屋の中になどない。

「始まりは――二年前。もっと言うと、入隊した時から始まってた」

 彼女の瞳の奥には、過去の時が流れている。セオは顔の真ん中にしわを寄せた。

 顔を動かして、ロジーはセオの姿を見る。茶色の瞳は、かすかに揺れている。

「そうだよ、お前の言う通りだ。あたしには何かがあった。改造されたんだよ、二年前に。ハーマン人のものじゃない肉体にね」

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