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7 急変

 あのキスが演技だというのは、セオにもよく分かっていた。

 でもちょっと、悪くなかった(・・・・・・)

 などと、セオは考えてしまうので脳みそを投げ捨てたくなった。とにかく、偽物の夫婦の嘘っぱちのキスの事は考えてはいけない。あれはパスポートを偽名で偽るのと同じ事。学者だと偽の職業について話すのと同様。隣人と偽夫婦として食事会をするのとまったく変わらない事。任務に必要があればセオだってあれくらいの事はしただろう。

 セオは今更になって端末(ワイズ)でアドス語を勉強しはじめて気をまぎらわせた。もちろんアドス語の単語が頭に残る事などないくらいに集中出来ていなかったが。

 紆余曲折を経て現地の若者と交友を深めたその夜、明け方になってから若者と別れ、セオとロジーはホテルに戻った。

 少々寝不足だったため、お互いに大した話もせずに眠りについた。相変わらずセオの寝る場所は床だった。


 少し遅い朝に起きてから、セオとロジーの間には、食事に行くまで会話らしい会話はなかった。だがお互い、前日の昼間の様な刺のある態度ではなくなっていた。

 とはいえ、まだぎこちないままの食事が進む。交わす言葉は必要最低限。見た事もない食材の使われた料理が出てきても相手に何が入っているか訊ねもしない。

 視線が交わる事はない二人だが、相手が他所を向いている時を狙って様子を伺っているのが、自分だけじゃないと、知らなかった。

 セオはいっそ、このままでもいいと思っていた。昨日の騒動前までの殺伐とした空気はもうない。キスの事はさて置き――これまでの仕事中の態度や友人同士の会話が戻らなくても、必要な会話が出来るのなら任務も続けられるはずだ。要は、昨晩からあれこれ悩んだ末に、セオは考えるのをやめた。

 窓の外の風景を特に意味もなく眺めていたセオは、今日も暑い一日になりそうだとぼんやり思った。

「……なあ、セオ」

 意外な事にロジーが呼びかけてくるが、セオはすぐには反応を示さなかった。

「昨日……いや、一昨日か」

 何の話をしようとしているのか、分かってきたセオは目線をロジーに向ける。

「あの時、お前に言った事、本心じゃねーから。ただあの時はお前を黙らせたくて、怒らせるつもりで口を利いた」

 やっとセオは相手を正面から見つめる。ロジーは両手を机について、視線を下に落としている。彼女はまるで、説教をされている最中の小さな子供みたいな顔をしている。気まずげで、少し反省していて、つまらなそうな表情だ。

「だから、なんつーかその、……ごめん」

 顔を上げないまま、ロジーは謝った。よく見ると長いロジーのまつげが、茶色の瞳を隠す。

 彼女は、これまでの自分の態度の悪さを認めたのだ。セオは目をしばたかせた。

「お前、謝罪とか出来るやつだったのか」

 わざと、セオはもってまわった堅い声を出した。むっとした顔でロジーがセオを見据える。仲間内でふざけた事を言い合っている時の顔だ。

「テメー殴るぞ」

 まるで予想外の事を言われたかのように、セオは両方の眉を持ち上げる。

「あたしをどんだけ暴君だと思ってんだよ」

「お前が暴君じゃなかったら、俺はきっと聖人だな」

 セオが言うと、ロジーは片方だけの口の端を上げる。お互いに、相手に冗談を言える間柄に戻れたと知ったのだ。くだらない掛け合いを許せるくらいに。

 それから、急激に会話が弾むような事はなかったが、気詰まりな沈黙はなくなった。

 セオはそれでも、先日のロジーがどうして仕事仲間をわざわざ怒らせようとしたのか、知る事は出来なかった。その事が少し、セオの表情に影を作っていた。ロジーはそれに気づいていないのか、見ないフリをしているのか、何か言及する事はなかった。


 この日の行動は昼下がりになってからだった。食事を済ませた後でも、二人はホテルに戻る事はなく、図書館にも入れず、市場をうろついていた。

 途中で喧騒に疲れた二人は軽食の出る店で水分補給をする事にした。テラス席で人混みを眺めながら、彼らはケーセスには存在しないような飲み物をすすった。

「考えたんだが、国の重要な組織である地下研究所の出入り口が一般市民の立ち入りが可能な場所にある、っていうのもおかしくないか」

 元々、任務の詳細を聞いた時からセオは気になっていたのだ。

「まあなあ……情報が古いか諜報部のミスじゃねぇか?」

「もしくは囮か」

「怪しさ満点だな」

 技術後進惑星であるラフタハの地下研究所にどこまで最新の技術が使われているかは分かっていないが、簡単に誰でも入っていけるような場所に出入り口があるのはおかしい。

「つーかなんでその話もっと早くしなかったんだよ」

 ロジーが横目で聞いて、セオは彼女の視線を避けた。

「お前が俺を怒らせるからだろ」

「…………あ、そーっすね」

 わざとらしい棒読みのロジーは、まだ少しは気まずいらしく、そのまま黙りこむ。セオとしては別に当てつけのつもりはなかったから、咳払いをして仕切り直す。

「とにかく、このまま俺たち二人だけで先に進んでいいものかどうか……。ラーマーティにいるケーセスの諜報員に連絡をとってみるのも、一つの手だ」

 自分のグラスに手を伸ばしたロジーは、中身が空なのに気づく。

「あん? そんなのがいるのか」

 グラスを片手に、もう一杯頼もうか迷っている顔でロジーはグラスを見続けた。

「お前はどれだけ予習を怠っているんだよ……。緊急時に備えてバックアップは必要だろ」

 呆れた声を出すセオに、ロジーはグラスから手を放して肩をすくめた。

「まーそーかもね」

 セオはラフタハに来る前からこの任務の事を調べまくったし、移動中だって新情報がないかチェックを続けた。一方でロジーは何も調査をしなかったのだろう。いっそ担当範囲の住み分けが出来ていてよいとでも思えばいいのか。セオはひそかにため息をつく。

「でも別に、誰かの手を借りる必要はねえだろ」

 決然とした声に、セオは顔を上げる。

 セオを向き、ロジーは強い意志を燃やす瞳を見せつける。

「あたしたち二人でやれる」

 それは経験に基づく事実をただ告げているようにも、若者が己を奮い立たせようと言い聞かせているかのようにも思えた。

 いつものセオならロジーの言葉を信頼して、そっくりそのまま受け入れただろう。だが、セオは眉を寄せようとする自分を、抑えなければならなかった。

 この任務に対して、ロジーはやけに積極的だ。事前の調べものこそやっていないものの、気分が悪くなった時にも大丈夫だからと任務を続けたがった。もちろん、仕事なのだから多少の無理は必要だが、それにしてもロジーの熱心さは普段あまりない事だ。仕事だからと割り切るタイプのロジーは、ある程度客観的に自分の体調も割り切れるはずなのだ。

 ロジーにとって、今回の任務はこれまでのものとは違うようだと、セオは気づきはじめた。

 であれば、ロジーはまだ何か隠している――。

 同じ難局を何度も共に切り抜けた仲間を、気の合う友人を、セオは信じたい。だが、今はそれが難しい事であると分かった。隠し事をされて感傷的になっているというのではない。

 この任務、何かがおかしい。

 セオは、机に下に隠れてロジーには見えない己の拳を、強く握った。


 協力者との連絡をとる事は最終手段として、まずは前回その存在を確認すら出来なかった、空き家の地下入り口を再度訪れる事にした。

 二人は騒がしい市場を横切って、狭い道を歩く。

 セオはロジーから目を離さない事に決めた。ロジーが何を隠しているにせよ、よく見張っていればセオもすぐに対処出来るはずだ。つまり、これまでとさほど変わらない。ロジーが何かしでかす前にセオが止める。ただそれだけだ。昨日の旧式車を急停車させた時のように、セオの対処が間に合わなかった例もあるが――とにかく。セオは決めたのだ。

「なあにさっきからこっち見てんだよ」

 自分の後頭部に注がれる視線にロジーが気づくのに時間は要らなかった。セオはまさか、お前がまた何かやばい事しそうで監視してるとは言えなくて、一度視線を逸らし、話も別のものにしようと話題を探す。

「もしかして、昨日のキスでその気になっちゃった? これだから童貞は~」

 セオの前に一歩進み出て、ロジーがにやにや笑いを披露してくる。セオは顔面からロジーをはっ倒したくなる。

「誰がなるか。誰が童貞だ。ふざけんなお前」

「あれはお前の“夫婦お芝居”に付き合ってやっただけだっつうの」

 分かりきっている事をわざわざ説かれても楽しくもありがたくもない。セオの顔はひきつる一方だ。

「言っておくが俺はお前の事なんか同僚で友人としか思ってないからな。あんなキス、妹か母親としたみたいなもんだ」

 恋人とのキスとは違う、という意味合いをもってセオは家族を引き合いに出した。

 ロジーはもう相手をからかう顔をしていなかったが、両手を頭の後ろで組んで、眉を持ち上げた。

「お前妹いねぇだろ」

「いる。養い親の娘だから、血のつながりはないが」

「妹じゃねーじゃん」

 結局はセオには血縁者などいないから説得力がなかった。

「まーなんでもいいけど、お前って」

 突如、ロジーの言葉が爆音にかき消され、大地が揺れた。

 耳を聾する大音響。セオとロジーは反射的に頭を庇い地面に伏せた。

 粉塵に視力を封じられ、耳鳴りがしたが、セオの鼻は煙のにおいをかぎとっていた。

 しばらくすると、世界に音が戻ってくる。何かの崩れる音と、大勢の悲鳴だ。

 目を開けると、セオたちが向かおうとしてい方向の建物が爆破されて黒煙を上げていた。セオたちとの距離はそう遠くない。先に進むのが早ければ爆発に完全に巻き込まれていただろう。

「……あれって、例の空き家のある方角じゃねえか?」

 険しい顔で呟くロジーが、思わず歩き出しているのを、セオは止めなかった。彼もつい、足が動くままに爆発のした方向へ向かってしまったのだ。

 ラフタハでは爆破テロが時々起こっていると聞いていた。時代錯誤な車や武器がある以外は、ラフタハもケーセスとそう変わらないとセオが感じる事もあったのに、この事件だ。

 逃げ惑う人々に逆らって歩くのは難しく、セオはやっと自分たちもこの場から離れるべきではないかと気づく。

「ロジー、待……」

 セオが手を伸ばすより早く、二度目の爆音が響いた。今度はさっきよりも近く、セオはとっさに自分を庇う事も出来なかった。

 ガラガラと建物の壁が崩壊していく音と、治安維持組織の車のサイレンらしき音が聞こえた。当然、悲鳴もだ。

 埃まみれになりながらセオは頭を振る。怪我はないが、粉塵で視界が悪くロジーの姿が見つからない。

 セオが相棒の名前を呼ぶと、

「大丈夫だ」

 と返事が聞こえた。視界が晴れてきた頃、意外にも近くにロジーの姿が見えた。

 彼女は何かに気づいて駆け出した。

「危ねえっ!」

 ロジーの焦った声。セオがそのブセレン人の少女の姿を見つけたのは、ロジーが少女に覆い被さった時だった。

 目を見張ったセオは、爆発で崩れた大きな壁がロジーの上に落ちるのを目撃した。

「ロジー!」

 その声は、壁が地面に衝突する音に遮られた。




 確かにその時、セオの心臓は停止した。

 何もかもが、あまりにも突然だった。ついさっきまで、セオはロジーとくだらない軽口を叩いていたのに、あまりにも呆気なくそれは奪い取られた。

 実地に送られた時から軍人であるセオは同僚の死が避けられない事を思い知った。だがそれは、いつになっても慣れる事が出来ないもの。

 いつだって、その予感に直面するとセオは息も出来なくなる。

 セオはひきつる呼吸器官を伴ってロジーのいた場所に駆けた。

 瓦礫を無理矢理どかすが、重い壁はびくともしない。なんとか一枚壁を剥がしてみても、そこには誰もいなかった。セオはまた違う場所を漁る。

 誰かに、間違いだと言ってほしかった。ロジーがセオの目の前で巨大な壁の下敷きになったのは、目の錯覚と教えてほしかった。セオはロジーの名を呼び、瓦礫を力の限りどかし続ける。

 瓦礫の隙間から見える地面に血だまりを見つけ、セオは思わず手を引っ込めそうになった。

 また息が上手く出来なくなる。セオはそれでも、ロジーを押し潰している壁をなんとか持ち上げようとする。

 常に鍛えている軍人の筋肉をもってしても、壁は僅かしか浮かなかった。

「くそ……っ!」

 セオは何度も汚い言葉を使った。

 煤けた全身と、自らの両手も瓦礫で傷を作り血で濡れたセオを、ラーマーティの治安維持組織の隊員が見つけた。一人がセオに近づいてきて声をかける。

「危険だからこの場から離れなさい」

 ラフタハでは珍しいハーマン人を見てすぐに旅行者と気づいたのだろう、トペレンサ語だった。

「この壁の下に、妻がいるんです」

 人手があればなんとかなる、とセオは隊員にロジー救出を頼み込む。制服を着た治安維持組織の隊員は、頷くと仲間を呼んだ。

 セオは焦っていた。あの血を見る限り、ロジーは相当の傷を負っている。彼女から目を離さないと決めたばかりなのに――罪悪感にも苛まれた。

 セオを含め四人の手で壁を持ち上げると、なんとかロジーを引っ張り出す事に成功する。

 隊員の一人がアドス語で何かつぶやいた。救出した怪我人があまりにひどい有り様だったからだろう。

 ロジーの後頭部と背は真っ赤だった。

 彼女の腕の中で身じろぎしたブセレン人少女が、意識を取り戻した途端に泣き出す。一人の隊員がブセレン人の子供を抱き上げ、なだめはじめる。少女に目立つ外傷はない。隊員は少女を連れ出して場を離れた。

 セオは、うつ伏せに横たわるロジーの体を支えている。

「早く救急隊に見せなくては」

 トペレンサ語でわざわざ言われなくとも、セオにだってロジーの惨状はよく分かっている。生きているのか、死んでいるのかも分からないくらいだ。彼女は意識もなく、血だらけになりながらセオの膝に頭を預けている。

 確認をしようとするよりも早く、セオはロジーが呼吸をする音を聞いた。

「ロジー!」

「今、担架をこちらに運ばせる」

 隊員が何か言っているのも、セオの耳には入らない。ロジーの瞼は伏せられ、顔色も悪い。

「ロジー、大丈夫だ、すぐに病院に着くからな」

 力なくたれさがるロジーの片手を握り、セオはふるえそうになる自分を抑えこむ。とにかくロジーの意志を強く持たせたかったセオは、思いつく限りの励ましの文句を告げた。

 その間、ロジーはひとつ息をするのも苦しそうな呼吸音をさせて、何かを訴えようとした。

「もういい、大丈夫だから。しゃべるな」

 まるで死に瀕する病人のような吐息をつくのはやめてほしい。セオの、ロジーを握る手の力が強くなる。

「……に、」

 その手が、思いの外強い力でセオを握り返すものだから、セオはかえって背筋を凍らせる。

「……病、院に……行くな」

 途切れ途切れの声が、セオに主張する。彼にしてみれば支離滅裂で、到底受け入れる事の出来ない訴えだ。

「何言ってるんだロジー。早く医者に見せないと」

 ロジーは目を閉じたまま、まつげをふるわせる。痛みにうめいているようだ。彼女の手の力がまた抜けていく。

「……病院も、医者も、だめだ」

 セオは混乱してくる。こんな大怪我をしておいて、ロジーは治療をするなと言い出すのか。突然の事にロジーの方が我を忘れているのか。

「担架です、早くこちらに」

 隊員の声に、セオは一拍遅れて顔を上げる。

「あ、ああ……」

 セオがためらいを覚えたのは、ロジーの切なる呼びかけがあったからだ。

「あんな物の下敷きになっていたのですから、内臓や骨も損傷している可能性があります。医療用透視端末機(レンディドス・ワイズ)で診てみないと」

「……ちょっとだけ、待ってくれ」

 隊員が言った時、ロジーの手が、一層強くセオを掴んだ。まるで、そうする事でセオにやめてくれと伝えてきたかのように。

 隊員は訝しんだが、セオは隊員を無視してロジーの口元に耳を寄せる。彼女はまた意識を失ったのか、セオが名前を呼んでも反応がない。

 セオは、つい肩に手をのせ彼女を揺り動かそうとする。そして、ある事に気づいてしまった。

「これ、は――」

 セオは自分の見たものが信じられず、確認をしてしまった。そして今一度、我が目を疑った。

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