6 荒野
ロジーが突然旧式車を追いかけたのは、彼女が探していた自分の鞄を見つけたからだ。車に飛びのってまで取り戻したかったなど、セオは予想もしなかった。強引に車を止めたロジーの瞳孔は完全に開いている。
「あたしの鞄、返せよ」
ボンネットに仁王立ちするロジーを、若者たちは信じられない目で見上げる。
我に返った若者たちが言い返すが、アドス語なのでセオには理解出来ない。トペレンサ語を話すロジーの訴えも、彼らには通じていない。お互いの言葉は分からなくとも、険悪なムードがただよっているのに変わりはない。
若者たちは最初の衝撃からすっかり抜け出して、わめいている。セオは端末を取り出すと翻訳機能を起動させたが、レンセラ人の男が自身の懐に手を入れた時、翻訳している暇などないと知る。
臨戦状態のロジーがそれを見逃すはずはなく、レンセラ人の手を蹴りつける。男の武器は旧式銃だったが、姿を見せた途端にはね飛ばされた。
明らかなる攻撃だ、若者たちがいきりたつ。車から何人かが降り、ロジーを引きずりおろそうと手をのばす。当然ロジーは相手の腕を避け、ボンネットを降りる。他の者に服を掴まれたロジーは反射的なものか先手必勝か、振り払いついでに相手の腕をひねりあげる。男は悲鳴をあげた。
ロジーから仲間を引きはなそうとしたラヴァラド人男は、ロジーの足が腹にのめりこみ泡を吹いた。
「やめろ、やり過ぎだ」
その頃にやっとセオはロジーを捕まえる事が出来た。凶器にしかならない彼女の腕を取って、セオは強く握る。
ただでさえ鍛えられている軍人の体、ましてロジーの格闘技はかなり高度だ。素人に向けていいものではない。
「……うるせえな。あたしは鞄さえ戻ってこれば文句はねえんだよ」
ロジーはセオの手を振り払う。
最早若者たちは怯えた目でロジーを見ている。ロジーが鞄を探すように、彼らにそれぞれ視線を行き渡らせると、若者たちは可哀想に体をふるわせて泣きそうな顔になる。
ロジーが乱雑な身体検査を始めようとしたので、セオは彼女の肩を掴む。セオは自分が猛獣使いになった気分で、事を穏便に進めるにはどうしたらいいか考えた。ロジーは振り向きもしなかったが、すぐに飛び出したりもしなかった。
「……かばん? これ?」
その時、たどたどしいトペレンサ語が聞こえた。
若者たちの一人が、倒れた仲間の腰から鞄をひっぺがした。ロジーはそれを引ったくると、自分の鞄かどうか確認するように頭上に掲げた。
「ひろったんだ。ぬすんでない。おちてた」
その、トペレンサ語を話す若者はトカゲに似たブセレン人だった。
「ちっ、中身ごっそりパクられてる」
スリは盗んだ財布の中身だけを取りだし、入れ物は捨てる。聞かない話ではない。ロジーが検分しているのをセオも横目で見ていたが、鞄を逆さにしても何も出てこなかった。
「お前らが盗んだもん持ってんじゃねえだろうなあ?」
ロジーが凄むと、若者たちは震え上がる。
「しらない! ラーマーティはスリおおい。おれたちはひろうだけ!」
尊大そうに顎を持ち上げるロジーは、どう見てもチンピラにしか見えない。セオは額に手をあてた。
結局、ロジーの疑いが晴れないので彼らの身体と荷物と旧式車の中身を調べる事になった。
そして――気づくとセオとロジーは若者たちの旧式車で、荒野に土煙をあげさせていた。
夜の荒野でたき火を囲み、会ったばかりの若者たちとばか笑いをしている。
セオはすべてをロジーのかたわらで見ていたはずなのに、我に返ると頭がついていけずに混乱していた。
最初はロジーが旧式車の内部をチェックしていただけだった。彼女の興味が次第に運転席のハンドルに移っていったのも、セオには分かった。
「これ、どうやって動いてるんだ?」
トペレンサ語を話すブセレン人――彼はカストといった――が場を和ませようとしてか「のる?」と言い出したのを、セオは冗談だと思っていたのだが、いつの間にか若者たちに混じって荒野を車で駆けていた。
ロジーは走行中の旧式車をいたく気に入ったようで、常に「すげえ」とか「うおぉ」とか謎の奇声を発していた。セオも初めての感覚に気持ちが昂ったが、ロジーがあまりにも高いテンションなので、ちょっと引いていた。
「あたしも運転する!」
しまいにはそんな事を言い出したロジーに、セオは慌てたが、最終的には自分もハンドルを握る事になり、セオもハイテンションになり奇声を上げた。
そしていつの間にか和解した若者たちとたき火を囲むに至った。
確かに、化石レベルに古い車の運転はセオも楽しかった。ケーセスでは振動のない乗り物が一般的で、セオたち軍人といえど軍用車両に乗る機会もあまりない。地面のおうとつに出会う度に旧式車は跳ね、車に乗っているという現実感を全身で体感出来た。ケーセスではあり得ない事だ。また、速度を上げてかっ飛ばすのも、魂ごと引っ張られているかのように錯覚し、病みつきになりそうだった。
そんな、旧式車ハイが去ったあとでは、セオは落ち着いてしまい若者たちのように意味もなく大声で笑ったりは出来なかった。
ロジーは自分に旧式銃を向けようとしたレンセラ人のダッタと、通じもしない会話を続けている。旧式車を指さしているところから、車の話でもしているのだろう。お互いに一触即発になったはずが、あんな風に話せるとは。あの若者たちも案外人が好い。
セオはその辺に転がっていた太い枯れ木に腰かけて、トペレンサ語の分かるカストと話した。
「ダッタは、くるまのはなしできてうれしいみたい」
旧式車を降りてから、セオは端末を片手に翻訳機代わりにしていた。カストもトペレンサ語を少ししか話せないからだ。
「ルジェラとはくるまのはなしできないから」
カストがちらりと向いた先には、車の後部座席で眠るハーマン人の女がいる。彼女はこの若者たちの中で唯一の女性で、カストの言葉尻とダッタの態度からすると、ダッタの恋人か何からしい。
「君は、どこでトペレンサ語を覚えたんだ?」
「学校で。ブセレン人はいい学校にいけるんだ」
セオが訊ねると、カストはかすかに皮肉った声になった。
どうやら、学習の機会に関しても、ラフタハでは種族によって待遇が違うらしい。
リーダー格のレンセラ人、その恋人ハーマン人、ラヴァラド人に、大柄なもう一人のレンセラ人。ブセレン人のカストを除けば、彼らは惑星ラフタハでは少数派の種族だ。物騒な旧式銃を持っていたり、ハイスピードで飛ばしたり、街の生意気な不良のようだが、はぐれ者の集まりにも見えた。
カストは優遇されている側のはずだが、仲間の事を思うと複雑なのだろう。
「巨大図書館に行った事があるか?」
セオがさりげなく探りを入れると、カストは頷いた。一般人である彼が何か地下研究所について知るはずもないが、一般人の認識がどうなっているのか、興味があった。
「あのとしょかんは、」
問われた事に、カストが話を展開させようとした矢先に、ラヴァラド人のゴイツが彼らの前に現れた。訛りのあるアドス語で何かを言われ、セオは端末に手を伸ばす。端末が翻訳を始める前に、カストが口を開いた。
「二人は、こいびとなのかってきいてる」
どの二人だろうと不思議になってセオはカストの黒い目を見る。カストは顔をロジーに向けた。
今の今まで、ロジーと派手な喧嘩をした事も忘れかけていたが、ラフタハにおける両者の偽の身分の設定が夫婦であるという事を、セオは完全に失念していた。
「……妻だ」
だが、言葉はよどみなく出たはずだ。カストはぱかりと口を開けると、ラヴァラド人のゴイツにアドス語で伝える。
「そうはみえないって」
朗らかにも聞こえるカストの声が、かえってセオの心臓を冷やした。
旧式車を襲った――紛れもなく、襲ったといえるだろう――ロジーと同行者セオが、夫婦に見える行動をとったかというと、そうではない。だが、車強盗未遂をした男女のどこに夫婦らしさを出せる余裕があるというのか。
セオは一度息をついてから、離れた場所にいるロジーを見る。
「俺たち、喧嘩したんだ。喧嘩中……分かるか?」
そのトペレンサ語に覚えがない、といった顔をカストがしたので、セオは端末でアドス語に訳す。
端末の画面をカストとゴイツに見せると、合点がいったようだ。
「たぶん……つまらない喧嘩なんだろうな。それであんまり話す気分になれない。だから夫婦らしく見えないのも、仕方ない」
セオの言葉をカストに訳してもらっていないのに、ゴイツは何かをぶつぶつ言うと、二人の元を去って行く。
そんなゴイツが、ダッタと話すロジーのところへ歩いていくものだから、セオは顔をしかめた。
ラヴァラド人には、恋多き男が少なくない。まさかロジーに気があるのでは、とセオは訝った。そこまで思って、セオは先の口論の事を思い出した。ロジーの身勝手さを思えば、ゴイツの事などどうだってよくなる。
「けんか、なんで?」
カストは素朴な疑問を抱いただけのようだ。セオも他に話題を思いつかないので、問われた事について考えてみる。
「……なんでだろうな」
セオが必要だと思う報告を、ロジーがしなかった。仕事の事だけで言えば、それだけだ。だが重要な問題だったはずだ。セオにしてみれば、あの時要求した報告は絶対に必要だった。
何の端末もなしに、アドス語をしゃべる若者と笑いあうロジー。
セオは、たき火の光を浴びながら目を細める。
「隠し事をされたのが、悲しかったのかな……」
これが仕事でなかったら、ああも憤りを感じただろうか。
セオは、いくらか遅れて自分の発言を後悔した。これではまるで、恋人につれなくされた馬鹿な男みたいではないか。セオはそう思って慌てた。
「あ、いや、今のは違う。何でもない」
挙動不審になるセオに、カストは理解を示せないようだ。単語は単純だったので、カストに伝わらないはずがなかったが。セオはわざとらしい咳払いをする。
「とにかく、あいつが頑固で人の話を聞かないんだ。だからこっちも、つい……意地になって」
ケーセスを遠く離れ辺境ラフタハまで来て、自分は一体何をやっているのだろうか。セオは今更ながら己に呆れた。そもそも会ったばかりの若者に、一体何を話しているのだろうか。
どうも、このブセレン人の若者は聞き上手らしい。それとも、セオは誰でもいいから相談をもちかけたかっただけなのだろうか。音を立て、セオはまたため息をつく。
「人の話を聞こうとしないやつと、どうやって喧嘩の和解をしたらいいんだ?」
今日はいろいろなアクシデントがあったり、周りにセオとロジー以外の者がいるため、一時的に休戦している状態だ。だが、セオと二人になればロジーはまた態度を硬化させるだろう。セオだって同じだ。そうなれば仕事にも支障が出る。現に、さっきだって初対面のラヴァラド人に「夫婦には見えない」と言われたばかりだ。
つまるところは、原因を探るよりも、今後をどうするかが問題だ。セオには、ロジーとの関係が元に戻る事はないように思われる。
「ゴイツ、みえないっていった、けど、おれにはふうふにみえる」
しばらく黙っていたカストが、話しはじめた。
「くるまで、二人がうんてんしてたとき、二人、わらってた」
運転中の事は、気分が高揚していたため、セオはよく覚えていない。
カストはトペレンサ語で途中まで言ったあとアドス語で、もにょもにょとつぶやいた。
「……トペレンサ語だと、うまくいえない」
知っている単語と伝えたい気持ちが、釣り合わないようだ。セオは端末を貸そうとしたが、カストは一人言葉を思い出そうと手や首を回したりした。そして思いついたように口をぱかりと開く。
「なかよし、だなって。二人のいっしょにいた時間が、ながいんだなって。だからきっと、もとにもどるよ」
笑いあう二人の男女を見て共に過ごした時間が膨大であると、すぐに判別出来るほどに親しげに見えたという。
「……そうだと、いいんだがな」
カストの疑いを知らぬ声音に、かえってセオはむなしさを覚える。
『だいたい普段からお前の、他人の話にすぐ首を突っ込むところが気にいらなかったんだよ』
昨日のロジーの言葉が真実なら、セオと過ごした時間は、ロジーにとっていいものではないのだ。ただ同じ時を過ごしただけで、そこに友好的なものはなかった――。
セオの心臓が重くなった。
そろそろ、この話もこの場からも離れた方がいい頃合いかもしれない。セオは立ち上がって体についた土埃を払う。
「なあ、君たちはここで夜を明かすつもりか?」
「……たまに、やる」
つられたのかカストも腰を上げる。
野宿ぐらい慣れているが、セオは荒野で徹夜をするつもりはない。ロジーを連れていこうと、彼女のいる場所を向く。
ロジーの事で少なからず落ち込んでいる自分に気づいたばかりなのに、ロジーの肩に腕を回すラヴァラド人男を見た瞬間、セオの中に強い苛立ちがわいた。あのラヴァラド人は、まるでロジーを自分の恋人かのように扱っている。
「おい」
セオはゴイツとロジーの間に割り込むと、ロジーの腰に手をあて引き寄せる。
「なんだよ」
一番に声を上げたのはロジーだが、セオの胸に頭を押しつけられても、意外そうにするだけだ。
「こいつ、俺たちが夫婦には見えないって言ってきた」
セオは、ゴイツに唾棄すべきものを見る目を向ける。
「ん? だからアイツ、さっきからベタベタしてきたのか」
アドス語しかしゃべれない男たちは、訳の分からぬ言語で会話され、不満げだ。特にラヴァラド人男が。
「なるほどね」
一般人を騙せないようでは、身分偽装の意味がない。そう思ってセオが“喧嘩中の夫婦”の設定はやめようと思っていたところ――
セオは襟元を強引に引っ張られた。
「わー」
間抜けなカストの声が遠くに聞こえ、セオは唇を塞がれている事に気づいた。ロジーに唇で、唇を塞がれている。ロジーが何をしようとしているのか理解し、セオは瞳を伏せた。
そのキスは、角度を変えて幾度となく行われた。
我知らず、セオの手がロジーの背を支え、ロジーもセオの肩を抱いた。
先に離れたのは、ロジーの方だ。突然の事に微妙な顔になったレンセラ人と、つまらなそうな顔のラヴァラド人に、ロジーは言い放つ。
「こういう事だから」
平然と、常識を説くように。
カストは興味深さを示すかのように無駄に首を伸ばしセオたちを見てくる。あまりセオたちに干渉してこなかった、大柄な方のレンセラ人までも凝視している。気恥ずかしくなったセオは、かたわらのロジーを恨んだ。
「お前なあ……」
ロジーがしたのは、セオと同じ事。偽者の夫婦を本物らしく見せるための演技。キスくらい挨拶でもするが、口と口では恋人同士ぐらいしかしない。いいお披露目になるとロジーは思ったのだろう。
だがセオは、以前付き合っていた恋人ともこんな風に他人の目前でキスをした事はなかった。衆人環視が恥ずかしく、セオは顔が少し熱くなっていた。
「こいつ、こんなシャイだからさ。外でいちゃつくとか、しないんだよね。でもちゃんと夫婦だから」
最後のは余計だったも気するが、とにかくロジーは夫婦感を出すための行為だったと告げた。
カストがアドス語でロジーの説明を伝えると、興を削がれたかのようにラヴァラド人のゴイツはその場を去る。カストだけは何やら明るい声でダッタに話しかけていた。
喧嘩をしていても、いなくても。セオがロジーの行動に逐一振り回される事は、決まっているらしかった。セオは気が遠くなりそうだった。