5 疑心
違和感はあった。動くのを嫌がったり、俯いていたり。今思えばあの時既にロジーの体調は思わしくなかったのだ。しかし、まさかあのロジーが体調不良になるなどと、セオは想像もしなかった。
医者に診てもらおうと言うセオを、ロジーは止めた。とにかくホテルに戻りたいと訴えるロジーに従い、セオは彼女を抱えて帰路についた。
ホテルの自室に戻るなり、ロジーは自分の荷物をあさりバスルームにこもった。
次に出てきた時――用を足すにしてはとても長い時間こもっていたが――ロジーは一人で歩けるようになっていた。今日はもう休むとだけ言い、固い寝台に横になった。
セオは病人にそんな固い寝台を与えては体に障るだろうと、敷き布団代わりに手持ちの服やら鞄の柔らかい部分やらを寄せ集めて寝台の上に敷き詰めた。そんな事もロジーは気づいていないようだったが、とにかく彼女は眠りについた。
この時も、最初に宇宙船で過ごした夜のように、セオは眠る事が出来なかった。今回は、あの時とはまったく違う。
ケーセスに連絡をとるべきかセオは悩んだ。何しろ任務の重要な鍵である同僚の具合が悪いのだ。普通であれば報告をすべきだろう。しかし、今回の任務は身分を隠して行っている。軍人らしい行動はご法度だし、ケーセス陸軍と連絡をとるのは本当に緊急事態に陥った時のみだと言われている。
散々悩んだ末、セオはひとまずロジーの様子を見る事にした。しばらく休めば、少しはよくなるかもしれない。
そう願うしかセオには出来なかった。
翌日、ロジーは遅くに目を覚ました。セオは出かけていて、部屋に戻ったらロジーが寝台の上に腰かけていて、端末をいじっていた。
セオに気づくと、彼女は何かを自分の影に隠す。少し気にかかったが、セオはとにかくロジーの調子について訊ねる方が先だと考えた。
「大丈夫……か?」
相手の顔が見えるところまで回り込むと、ロジーは未だ血色よく見えないものの、苦痛に耐えるような表情ではなく、いつものちょっと不機嫌そうな目つきをしている。
「まーな」
どうでもよさそうにロジーは応じた。
セオが何かを食べるか聞くと、彼女は少しならと答える。ちょうどセオは食料品の買い出しに行っていたところだ。目覚めたロジーがすぐに食べられるように。
セオは買ってきた飲料水と、端末で解析済みの野菜と羊肉のはさまったパンを、ロジーに手渡した。ロジーは水こそ飲んでいたものの、パンに口をつける事はない。食欲がないくらいに、気分が悪いのか――。セオは苦い顔になる。
「ロジー、教えてくれ。お前は何かの……持病があるのか?」
まさか、昨日あった事をそのままにしてはおけなかった。セオは原因を究明して、今後の対策を練るつもりだ。仮にも今は仕事中なのだ、問題があっては困る。
問われたロジーは、下を向いたまま視線を窓の方へ向けた。
「……慣れねえ土地で暑いし、疲れただけだ」
窓の外には乾いた大地がある。ケーセスとは違って室温を管理する機械も抜群とは言いがたい。そして昨日は、確かに長く炎天下に居続けた。
ロジーが本当にただの地質学者なら、彼女の言葉に嘘はないように思えただろう。だがロジーは軍人だ。一見で学者にはとても見えない、高い身長と鍛えられた肉体と精神を持つ。同じ死線をくぐったセオだからこそ、ロジーの嘘がすぐに分かった。
「それにあの、昨日のパックはなんだ? 中に入っていたのは、薬、なんじゃないのか?」
昨日、ホテルに戻ってきてすぐ、ロジーは上手く歩けもしないのに部屋に置いてあった自分の大きな鞄の元に寄った。何を取り出していたのかセオにはよく見えなかったが、薬剤を入れる合成樹脂の容器に似ていた。
「違う」
ロジーは、はっきりと否定した。だが、体調不良になって飛びつくのは、薬のようなものに決まっている。現にあれを手にした彼女は、自力で歩けるようにまで回復した。
「これは二人で取り組んでいる仕事なんだ。仕事に支障をきたすものがあれば、二人で話し合って解決すべきじゃないのか」
ロジーにはロジーなりの考えがあるのかもしれないが、彼女は今、一人で仕事をしているのではない。それをセオは忘れないでほしかった。社会で働く者として。そして交流のあるセオの同僚の一人として。
相手の反応がないので、セオは詰問するような口調だったろうかと反省した。
「ロジー……。同僚が心配なんだよ、俺は。何故話してくれない?」
優しい声音を心がけたがセオだが、どうしてロジーがここまで真実をひた隠すのか、分からなかった。
ロジーはセオの事を、体調不良になったからと同僚を足手まといと見なすような人物だと、思っているのか。それとも、仕事でも私生活でも交流があるのにセオの事など、事実を打ち明けるに値しない他人というのか。
どの道セオは信用されていない。それを認めたくなくて、彼は顔をしかめた。
長い沈黙の末、ロジーは一度水を飲んで喉をうるおす。
食べる事を諦めたように、ロジーは寝台脇の低い机にパンを置く。まだ少し目の下に隈の残る顔を上げ、セオを見上げる。
「じゃあ言うけど、確かに昨日のは薬だよ。でもその薬があれば、大丈夫なんだ。今だってもう平気だ、任務に支障はない。これ以上詮索すんな」
すぐにまた、ロジーは視線をそらした。
「詮索ってなあ……お前、あれだけ人を心配させといてそれはないだろう」
セオの顔が厳しくなる。
ロジーは立ち上がると、セオを避けて部屋の隅の自分の鞄を探りはじめた。
「なんともねえのに勝手に勘ぐったのはそっちだろ。一人で大袈裟に騒いで」
壁を向いてセオに背中を向けたまま、けなすような言い方を、彼女はした。
腹の奥に、煮えるような怒りが生まれ、セオはそれをこらえるために強く拳を握らなければならなかった。
「そんな言い方はないだろ」
身近な人に突然倒れられてみたら、誰だって騒ぐに決まっている。
「はいはい、悪うございました」
まったく反省をしていないどころか、相手を馬鹿にするような口調――セオは耐えられなかった。
「お前、ふざけるなよ」
セオの拳がロジーの顔の脇にのめりこむ。彼は壁に穴でも開けるつもりだった。振り向いたロジーは憎らしいほど冷めた目をしている。
「何でああなったか、言え!」
怒っているのはセオの方だ、彼には正当な理由がある。しかし見上げるロジーの瞳は、セオを責めているかのようだ。
「同僚だからって何でもお前に話さなきゃならねえのか? 偽物でも夫婦をやってるからか? それともお前は誰でも自分の言う事を聞かせなきゃ気がすまねえのか?」
セオは奥歯を強く噛みしめた。
恥辱にたえる男の顔が面白いかのように、ロジーは奇妙に唇を笑みの形に歪めた。
「だいたい普段からお前の、他人の話にすぐ首を突っ込むところが気にいらなかったんだよ」
その時、セオがもう少し遅く視線をそらしていたら、ロジーの表情がどんなだったか、見る事が出来た。だが彼はそう出来なかった。
「もういい」
力なく、壁から手をはなすセオ。
「勝手にしろ」
吐き捨てると、セオは乱暴にドアを開け閉めした。
部屋には、ロジーが一人取り残された。
セオは出来れば一ヶ月くらいロジーと口を利きたくなかった。だが今は任務中で、翌日には二人は並んで歩いていた。不機嫌なオーラを最大級に放って、セオはロジーとの距離をあけつつ行動を供にしている。上背のある男女が二人、不満げな顔をして無言で歩く姿は威圧感があった。道行く人の何人かはそんな彼らに怯えて避けていた。
前日は一杯ひっかけてホテルに戻る事がなかったセオだが、ロジーからの連絡で戻らざるを得なかった。
二人は巨大図書館に入れなくなってしまった、というメールがロジーから来たのだ。理由はテロ警戒のためだ。
ロジーは一人、改めてラーマーティ中央図書館に赴いたのだが、前日に慌ただしくした事で疑いの目を向けられたと知った。以前、この首都では政府機関への爆破テロがあった。その犯人は気分が悪いとトイレに駆け込んだハーマン人の男女二人だったのだ。その時トイレに仕掛けられた爆弾が、甚大な被害をもたらした。当時と似た状況であるため、ロジーは怪しまれた、という訳だ。
再入館を希望するなら改めて必要な許可証を揃える事、とロジーは言われた。しかしそれではあまりに時間がかかり過ぎる。体よく追い返されたのだ。
セオは何も、同じハーマン人だからといってテロリスト扱いをする事はないではないか、と思ったが身分を詐称しているために強く出られなかった。
ラフタハは元々排他的な惑星で、ハーマン人の数が相対的に少ないから、何かあればすぐ槍玉に挙げられるのは少数派のハーマン人か旅行者、という訳だ。そのどちらの条件も満たしているセオたちは文句をつけるには充分だったのだ。
巨大図書館から地下研究所に侵入するのは無理でも、他の出入り口が存在する事は分かっている。それでセオはロジーと合流して次の目的地を目指している。昨日の今日で仲良く出来るはずもない相手と供に。
ロジーの顔色は悪くない。悪いのは機嫌の方だ。しかめっ面こそしないものの、不機嫌そうな目をしている。彼女は努めて表情を消しているようだったが、セオは平静さを装っても眉間のしわが取れなかった。
彼らは仕事に必要な最低限の事しか話さず、そっぽを向いていた。それでもなんとか仕事に取り組めた。
ケーセス陸軍の本来の目的は新型兵器の開発研究所。街に一般に立ち入りが許可されている地下道はひとつもないのだが、研究所につながる地下道があるはずだった。
そのうちのひとつ、空き家になっている地下道入口に着いたはずが、空き家に人が出入りしている。
「……ここのはず、なんだが」
セオはほとんどひとり言のつもりで言った。
その空き家には、まだ幼いラヴァラド人の子供が住み着いている。首都ラーマーティでは目抜き通りをはなれたあたりから、家を持てない者がたむろしているのだ。今セオたちがいる辺りはどうも浮浪者の多い地域らしい。
ラヴァラド人の子たちは、セオたちが家の前で立ち止まるなり室内に逃げ帰った。彼らは身寄りもなく、まともな生活をしていないのだろう。とりわけこの惑星はアドス人やブセレン人ばかりを優遇し、それ以外の種族をないがしろにしている傾向にある。よって少数派の種族の生活は貧しくなる。
彼らはおそらく親もないだろう。同じ孤児だったセオは、やっと見つけたのだろう彼らの家にずかずか入り込む気になれなかった。
だが、ロジーは違うようだ。セオに構わず浮浪児の家に歩を進める。
「おい」
ロジーは振り返らなかった。
まさか年端もいかぬ子供たちに無体は強いないだろうが、ロジーの進行にためらいはない様子だ。
「他の出入り口は、政府機関なんだろ」
現在セオたちが把握している地下道入口は、巨大図書館以外にみっつある。ひとつはケーセス大使館、もうひとつが中央最高議会所、残るが街外れの空き家。一般人が不審がられず訪れやすいのは空き家に決まっている。
「相手が子供なら、都合がいいじゃねえか」
ロジーの言い分はもっともで、子供相手なら上手く言いくるめて道を開けさせる事も出来るだろう。
彼女が子供を乱暴に扱うとは思えないのだが、セオは、ロジーがこんなやつだったろうかと訝しく思った。
どうも、彼女はこの任務に就いてから変ではないか――。
ロジーが空き家のドアに手を伸ばした時、旧式車のうるさいエンジン音が近づいてきた。狭い道なのに、たいして速度も落とさずにやってくる旧式車。その運転手は他者が避けるのが当然と思っているようだ。
そのまま立っていれば旧式車に轢かれる場所にいたセオは慌てて身を引く。
「危ないな」
その旧式車に屋根はなく、五人の若者が笑いながら車の外に身をのり出していた。運転手はだらしなく片手でハンドルを握りよそ見をしながら仲間と話している。あれではいつ事故を起こしてもおかしくはない。呆れてセオは目をすがめた。
どこの惑星でも、生意気な若者はいるものだ。とにかく彼らは通りすぎていった。
それで、彼らとの邂逅は終わったはずだった。
「あたしの鞄……!」
ロジーがそんな事を言い出すまでは。この時もまた、セオの反応は遅れた。ロジーが見ていたものを彼は見つけられなかったために。
ロジーは、走り去った旧式車を追いかけはじめた。
「って、何してる?!」
走る車に追いつこうなんて、普通は考えない。セオは一瞬、ロジーを止めるか迷った。
その間にもロジーは駆ける。空き家の事ももう念頭にないようだ。セオは空き家と旧式車を交互に見たあと、走り出す。
旧式車の若者たちは、自分たちが誰かに追いかけられているなどと微塵も気づいてない。そのうちにロジーが車に近づいていく。
狭い道にしては速度があるとはいえ、ある程度は低速だ。ロジーが旧式車の吐き出す排気ガスをかぶるのに時間は要らなかった。
背後の人影を見つけた若者たちは、最初は少し驚いていたものの、げらげら笑い出した。ロジーは車のどこかを掴もうと手を伸ばすが、運転手は速度を上げる。絶妙なタイミングでロジーの手が空を切る。
汚い言葉を吐いたロジーだが、エンジン音にかき消される。
車と引き離されたロジーは、身を少し引く。
「待ちやがれっ!」
何歩か地面を蹴った――かと思うとロジーは大きく跳躍していた。
次の瞬間、ロジーは車のボンネットの上に着地する。
耳障りな音を立て、その旧式車は急停車する。運転手は狼狽してハンドル操作を誤り、車の尻は近くの家の壁にぶつかった。車から煙が上がる。視界が悪くなった事故現場に、セオは遅れてやってきた。
あまりの事に、セオは何もかもが信じられなかった。
潜入捜査のはずが目立ち過ぎだし、ロジーの鞄への執着が理解出来ない。セオはいろいろな事を考えなければならず、頭痛がしそうだった。