4 兆候
レヴド連邦第三植民惑星ラフタハ、首都ラーマーティ。
公の機関では現代的な設備や機器などがあるものの、レヴド周辺ではもう過去のものとなってしまったものが、ラフタハには多く残っている。錆びついた旧式車に乗って最新機種の端末を操る者がいる――大昔と現代が同居する場所だ。
セオたちを驚かせたのは旧式車だけではない。対テロリストに追われるラフタハは、街のいたるところに武装した兵士を配備している。彼らの持つ武器もまた、セオたちにとって旧式な武器で、実弾の入った旧式銃だった。こちらもレヴドやケーセスでは必要とされなくなったもの。旧式車よりも先に絶滅した。
レヴド支配の強い場所ではないから、様々な技術発展が遅れているとは聞いていたが、まさかここまでとは。セオは改めてラフタハの辺境さを知った。
ケーセスは惑星レヴドから数えて二番目の星、レヴドに一番近い場所にある。常に惑星レヴドからの恩恵を受け、レヴドの次に発達した技術や科学を受け取ってきた。それがないとなると、ラフタハのようになるのか。ラフタハが不幸な星だとは思わないが、セオは実に不思議な気持ちになった。
そして、異星間の文化の違いに戸惑う事になる。
「ベッドが固い」
まずホテルに着いたら部屋にはユニットバス以外の部屋はひとつしかなく、玄関と居室と寝室を兼ねていた。部屋数が少なかったのだがそんな事はケーセスでもあり得る事。
問題は寝台がひどく固く、布団の一枚もなく、ハーマン人向けではなかった事だ。
「もはや石? つらい」
荒れ地で野宿をした経験があるはずのロジーでも、宿泊を目的としているはずの施設ではもう少し睡眠に適した寝台で寝たいらしかった。セオはこの時になってもまだロジーと寝台を共有する気になれなかったが、ふかふかのソファもない今、どこで寝ようが床と同じだ。
一応フロントに寝台の固さについて尋ねたら、何を聞かれているのか分からない様子だった。ハーマン人利用客などこれまで出会った事がないようだ。
また、食堂でもセオとロジーは驚く事になる。
「め、飯が……料理、だ」
レヴドやケーセスでは一般人の食べ物といったら、栄養素を特殊な技法で加工した、少量でも満腹感を得られるゼリーやバーが普通だ。
先の大戦後、レヴド連邦は料理をやめてしまった。加工された栄養素を口に放り込むだけ。穀物や野菜や肉や魚を、ある程度原型をとどめた形で調理し、皿に載せて食べるという行為は合理的ではなく、大戦直後にそんな事をする余裕はなかった。
よってレヴドやケーセスではご飯といえば、何で作られているのか判断出来ないゼリー状のものか、丸や四角に固めたものを指す。
「セオ。これ、眼鏡型端末では、“クラゲ”って解析されてんだけど、なんだクラゲって」
素材の形を残した料理を食べるのは、セオもロジーも生まれてはじめてだ。どうも、ここでは歴史の授業で学んだような事がリアルに体験出来るらしい。いっそ、そういうコンセプトのテーマパークに来たような気分になる。
「それこそ端末で調べろよ。どうやら……クラゲ、は水棲生物らしいな」
ケーセスにはクラゲという生き物の必要とする海がない。海に馴染みがないために、彼らは調べた単語を更に調べるという手間をかけなければならない。
「あとこの、海に生えてる植物、って出るやつなんだ? ぬるぬるしてる……。こっちのは野菜の一種、って……野菜って単語すっげえ久々に聞いたんだけど」
セオとロジーは逐一端末で検索をかけながら、皿の上の料理をフォークでつついた。ちなみにフォークのようなものもケーセスではあまり一般的ではない。栄養素バーもパンも手を汚さないから手掴みだ。
「しかもこの赤い野菜、乾燥させてあるらしい。なんでわざわざ乾燥させるんだ? 意味が分からん……」
地域や気候が違えば食べる物に違いが出るものだが、食文化の衰退した場所から来た彼らにしてみれば何もかもが謎めいている。
「この赤いの、けっこうイケるぞ」
が、勇気を出して口にしてみればケーセス育ちのハーマン人の舌にも合う事が分かった。
「ほんとだ」
次々と料理を口にほうりこむロジーにつられ、セオもいくつもの料理を食べた。たんぱく質バーにも味はあるが、あの四角かったりゼリー状だったりする物体よりも、味わい深かった。ロジーのフォークが止まらなくなるのも無理はない、とセオは笑った。
レヴド連邦の領域を支配するのは、ネコ科亜人のレンセラ人だが、このラフタハではレンセラ人の姿などまるで見えなかった。セオたちのようなハーマン人もだ。
セオとロジーは早速任務のために街へ出た。ラーマーティの様子を調べながら、街の中心部にある巨大図書館へ向かう予定だ。
巨大図書館は、街のいたるところから見えるほど、大きな建物だ。ほぼ円錐形の建造物で、天高くそびえ立つ。
その図書館に行くにはいくつかのルートがあるが、セオたちは地図上の最短距離を選んだ。しかしそれは人の混雑を考えなかった場合の最短距離だ。彼らは、首都最大の市場を突っ切って図書館に進もうとしていた。当然、現地人たちが大勢ひしめいて、とても前には進めなかった。
「引き返すか?」
「いいだろ、別に。ついでに買い物してきゃいいし」
ラフタハの市場は、実に雑然として洗練さとはかけはなれている。売り物は屋台の下で無秩序に並べられ、大声を出せば売れると思っているかのような店主がかしましい。ハーマン人と目が合ったと気づくと店主は顔をそらすが、時々種族を気にしない店主に商品を握らされたりした。ロジーははじめて見る物体に興味深げに視線を注ぐが、妙なものを買わされてはかなわないと、セオがすぐさまそれをもぎ取って店主に返却した。
それでも、巨大図書館に近づいていくにつれ、セオはこの賑やかしい市場を面白いと思うようになってきた。最初は耳障りなだけだったアドス語も、市場でよく使われるのは「安い」という意味の単語だったと分かると単純すぎる安さアピールが微笑ましくなった。香ばしいかおりの食べ物を売る店につい惹かれそうになったし、時々ロジーが指さすケーセスにはないものがどんな機能を持つか推理するゲームをした。
ついに二人は食欲に負けて買い食いを決め込んだ。揚げ物らしい物体を売る屋台の前で立ち止まる。ロジーはセオが財布を出すのをただ待っていた。自分で払う気は皆無だったので、彼女は鞄を片腕に引っかけたままだ。
ぎゅうぎゅう詰めの人ごみの中、ロジーの背に衝突した者があった。最初、ロジーはぶつかってきた事に鬱陶しいと思っただけだったが、ある事に気づき舌打ちした。
「ってめ、待て!」
人の波をかき分けて走り出したロジーに、セオはすぐには対応出来なかった。
「おい、ロジー?」
彼は両手を財布と揚げ物にふさがれたままロジーを振り返る。既にかたわらに偽妻の姿はなく、セオは首を回した。
人ごみに紛れても、ロジーのハーマン人らしい髪の毛や肌が目立つので、セオは彼女を見失う事はなかった。彼女は何かを目指して駆けている。
「待てって」
セオは揚げ物を口の中に放り込むと速度を上げた。市場の客という障害物がなければもっと速く走れただろうが、そうはいかない。ロジーの背を目印に走るうち、セオは彼女が鞄を持っていない事に気づいた。
いつの間にか屋台と人ごみが減ってきて、セオはもうロジーの姿を大勢の中から探す必要はなくなった。目抜通りから離れたのだ。
人の数はまばらだったが、ロジーの鞄を盗んだ相手はもう逃げ切ってしまったのではないか。
実際、今のロジーは捕まえるべき相手を見失って、どちらへ進むべきか迷っている。あたりを見回し、ロジーは唇を噛んだ。
鞄を盗られたのは不幸だったが、このあとの任地に必要な情報の入った端末はセオも持っている。現地の紙幣の予備はホテルにも置いてあるし、セオの鞄は無事だ。そう悲観する事はない、というつもりでセオはロジーの肩を叩いた。
「なんだよ! あいつを追わねえと……!」
ロジーはセオの顔も見なかった。肩の手を振り払うと、獣のように小さなうなり声をあげる。
「もう見失ってるじゃないか……。どうした、何が入ってた?」
ロジーの瞳に、狼狽のようなものが浮かぶ。セオが思っている以上に大切なものが入った鞄だったのかと、眉を寄せる。
セオが彼女の顔をよく見ようとすると、ロジーは顔をそむけて歩き出す。
「……別に、たいしたもんじゃねー」
今度は随分と冷めた声だった。
「そうは思えないが」
自分に背をむけて歩き続けるロジーに、セオは眉間のしわを深める。彼女が一体何を考えているのか、分からなくて、こちらを向かせようとセオは手を伸ばす。ロジーが立ち止まった。
「たいしたもんじゃねーっつってんだろ!」
ほとんど、怒号。近くを通りすがったブセレン人の女がびくりと肩を跳ねさせていた。セオも内心驚いていたが、苛立ってもいた。差し出した手を引っ込めて体の脇で拳を作る。
「なんだその態度は」
時々、セオは任地でチームを率いる立場になる事がある。その時に使う上に立つ者特有の、傲慢な声が出てしまった。そんな対応では、ロジーが打ち明け話をするはずがなかった。
両者の態度は頑ななまま。
突然、ロジーが体の向きを変えて動き出す。
「ホテルに戻る」
そんな彼女を、セオはすぐには追う気になれなかった。ロジーがスリに遭ったのは災難だったが、あんな風に訳も言わず怒り出す必要はなかったはずだ。
それでもセオは怒りを鎮めようと努力した。それから、何故あんなにもロジーが不機嫌になったのかを考えた。
ロジーは、理由もなく怒り出すような性格ではない。やはり盗まれた鞄に何か重要なものが入っていたのだろう。
だがロジーはそれを否定した。あえて否定しなくてはならない物が入っていたのだろうか。非合法のものか、セオにすら話したくない個人的なものか。
いずれにせよ、他人に嘘をついたりしない、裏表のない性格のロジーが何かを隠したがっている、というのがどれだけ珍しい事かセオはよく分かっている。
「……なんなんだ、あいつ」
隠し事をされている。
その事に気づくと、セオの中にはさっきとはまた別の不満があふれてきた。
相手のすべてを知り尽くしたいと感じた事などなかったのに、隠し事をしない性格の相手にそれをされて、セオは非常につまらなく思った。
ロジーの言動に違和感を覚えたのは確かだったが、彼女に対してあまりよくない態度をとったのはセオも同じだ。
ホテルに戻ってから、セオはとにかく謝る事にした。
「……悪かったよ」
ロジーはあの固い石のような寝台の上に座り、端末を覗きこんでいた。セオの気配に気づくなり画面に表示していたものを変えたようだったが、セオを振り返ったりはしなかった。
「鞄探しに付き合う。ラーマーティの治安維持組織に行ってみよう」
とにかくあの鞄が手元に戻れば、ロジーも安心するだろう。そう思ってセオは提案したが、彼女は相変わらず体の向きを変えない。
「……ムダだよ。ホテルのやつに聞いた。ここじゃスリは日常茶飯事だ。鞄は返ってこない」
ぽつりと言って、ロジーはまた黙りこむ。どうやらもう手は尽くしたようだ。今も端末で何かを調べて、鞄を取り戻す方法を探していたのかもしれない。
鞄の中身についてセオが触れていいものか。もしかしたら、本当にごくごく個人的なものだったかもしれない。そう、たとえば――
「あれだろ、イライラしてたんだろ? 生理前か?」
性別に関するナイーブな問題のものとか。ハーマン人女は月のものが近づくと情緒が不安定になるという。そしてそれに関する用品がある。ロジーの鞄には生理用品が入っていたのでは。
「ちげーーよ」
セオの推測は即座に切り捨てられる。彼を向いたロジーの表情は、前にも増して凶悪だ。
「女は男がアホな事言ってこれば生理前でも中でも後でもイライラ出来るんだよ今のようになあ!」
ロジーはセオの胸ぐらを掴み、残りの手で拳を作り振り上げた。
「冗談だって」
両手をあげて降参を示すセオ。
可能性としてはまったくあり得ないとは思わないが、ロジーなら生理用品をそこまで頑なに隠したりはしないだろうと、セオも分かっていた。冗談で、場を和ませたかっただけだ。
「うるせえ」
取り繕ったはずがセオは本気になったロジーに足を払われ床に投げられた。彼女はあらゆる格闘技に通じている。反省していたセオは抵抗しなかった。
「言っとくけど、女にしちゃ生理ジョークたいして笑えねえから。むしろ男に言われるとむかつくから。てめぇもいっぺん生理やってみろっつうんだよ。あァ?」
次なる関節技を決めようとするロジーの顔はどう見ても犯罪者のもの。
「わ、分かった」
なんとかセオはロジーの筋肉質な四肢から逃れると、立ち上がる。
まだ鼻息の洗いロジーは、床に座ったまま。
「鞄、どうするんだ?」
「……もういい。なくてもなんとかなる」
先程の話に戻ると、ロジーはやや投げやりに答えたが、口調はだいぶ落ち着いている。
やはり、何かロジーに必要なものだったのではないか。セオはまた額にしわを作る。他のもので代用が可能か、言葉通りなくても実質構わないものなのか。本当にそうであればいいのだが。
なんであれ、ロジーはセオに詮索をしてほしくはないのだ。
この話は打ち切りだというかのように、ロジーが立ち上がって吹っ切れた顔を向ける。
「例の図書館、行くか?」
何事もなかったかのように振る舞うロジー。本当にもう、あの鞄の事を気にするのをやめたのか、そういうポーズをとっているだけなのか。セオには測りかねた。
「……ああ」
気がかりがあれど、彼らは今、任務のために遠方の惑星に来ているのだ。任務に必要でなければ、これ以上スリの件を引きずる事はない。
内心でセオは釈然としないまま、任務の顔になった。
ラーマーティ中央図書館、通称“巨大図書館”。
ラフタハに多く住むアドス人は、学術的な成果をあげる事に心血を注ぐ者が多い。
ラフタハではレヴドよりも学者の社会的地位が高く、話題の著名人といえば、スポーツ選手や俳優やではなく、その分野で新たな発見をしたり新説を打ち立てた学者だったりする。
当然彼らが書を読むのは美徳とされ、ラフタハに住むたいていの住人はこの巨大図書館に入館出来、図書を借りる事も出来る。ただし、他惑星の住人の利用となると、かなり面倒な手続きが要る。入館前に揃える許可証もかなりの数になるし、入館の際は図書館員による簡単な審査まである。
そんな図書館に着いた二人だが、内部に入れないでいた。入口前の窓口で手続きのためと待たされ、立ち往生している。
度々来ている現地人らしき者が端末をかざすだけで入口を通り抜けていく。セオたち惑星外からの訪問者は、歓迎されていないかのようだ。
その上、ラフタハが気温の高い乾燥した惑星であるために、屋外に立たされるのは、鍛えられた軍人であっても楽しいものではなかった。
「……後どれくらいかかるか聞いて、一回どこかで休もうか」
どうせ待たされるのなら、どこに居たとしても同じだ。それとも、ずっと図書館前で待ち続けなければならないのだろうか。セオはちらりと視線をずらした。図書館の警備員らしきブセレン人が、二人、旧式の長い銃を手に直立不動で真正面を向いている。一時的とはいえ戦線離脱を許してくれなさそうな雰囲気だ。窓口にいたアドス人女は手続きのために屋内へ引っ込んでしまい、セオが話しかける事が出来るのは警備員だけ。
「なあロジー、聞いているのか」
話し相手は他にもいるはずが、さっきからロジーの反応が鈍かった。酷暑の砂漠や急峻な雪山を演習で踏破したセオとロジーだから、これぐらいの気温の変化ですぐにバテるはずはないが、まさか。セオはロジーの正面にまわって彼女の顔の前で手を振ってみた。
「なんだよ」
ハエでも払うようにロジーはセオの手をどかす。
外光が眩しいためにセオもロジーもサングラスも兼ねた眼鏡型端末を装備している。そんな色つき眼鏡越しでは、相手の顔色も分かりづらい。
「だから、待ち時間が長いなら他所で休んだらどうかって話だ」
「んー? ああ、いいんじゃねえの」
同意はするものの、気のない返事だ。覗きこむセオから逃れるように、ロジーは体の向きを変えた。
ロジーは心ここにあらずといった様子。まだ、スリに盗まれた鞄の事を気にしているのだろうか。セオは小さく息を吐いてロジーから一歩はなれた。
「聞いてくる」
警備員に休憩をはさめないか聞くつもりだったセオは、使い慣れたトペレンサ語で話しかけた。
最初、警備員は話しかけられている事にすら気づいていなかった。セオは身ぶりも加えて自分に注目をさせると、改めて切り出した。が、警備員は無言のまま。はたと気づき、セオは端末を操作しはじめる。警備員たちはトペレンサ語が分からないのかもしれない。翻訳機能を使って、今度はアドス語で端末越しに会話をする。
そこまでは上手くいったのだが、返ってきた言葉が、上手く翻訳されなかった。どうやらいくつかの地方の訛りが入っているらしく、なんとかトペレンサ語に翻訳しようとするが、情報の更新には時間が必要だった。
いくらか時間をかけたが、なんとか警備員の一人が館内と連絡をとってくれる事になった。結果を待つセオは少し離れた場所にいるロジーを向く。彼女は壁にもたれかかって腕を組んでいる。少し俯いているようだから、待つのに疲れたか飽きたのだろう。
そのうち、通話を終えた警備員がセオに話しかけてきた。また、翻訳に手間のかかる会話が再開される。
その上、どうやら彼は「担当者不在につきこちらから許可は出せない」と伝えたいらしかった。
それならせめて、セオとロジーのどちらかがこの待機場所から抜け出せないか。ロジーの元に戻りながらセオは考えた。どの道、用意していた飲料水はなくなってしまった。この暑さの中で待たなくてはならないのなら、飲み物くらいは確保したい。
警備員のやり取りと、飲み水についてロジーに話すと、やはり彼女の反応は鈍い。
「おい、ロジー?」
どうしたのかと思ってセオが訝ると、ロジーは欠伸をしてみせる。
「……眠いから、お前が飲み物買ってこいよ」
さっきから俯いていたのは、うたた寝でもしていたのか。
「だったら、お前店で休んだ方がよくないか?」
「いーって。喉かわいたから早く行け」
自分が歩くの面倒なのかと、セオは眉間にしわを作りつつその場を離れた。
巨大図書館に入る前に日が暮れてしまうかとセオは思っていた。
やっと手続きが終わり、セオたちは図書館内に入れるようになった。入館目的などを問われる審査も終わらせた。
トペレンサ語の話せるアドス人男の図書館員が入口から内部まで案内してくれるそうだ。ついにラーマーティ中央図書館に、二人は足を踏み入れる。
円形の建物であるこの図書館は、中心部分が吹き抜けになっていた。吹き抜け部分の天井はとても高く、見上げた者の目を眩ませる。中心部分の下方は閲覧用の机と椅子がいくつも立ち並び、多くの利用者で埋まっていた。
レファレンスサービスのために揃えられた設備は、最新機器ではないものの、ラフタハにおいてはかなり高性能のもの。
そもそもが、図書館という紙媒体の資料を集めた施設は、ケーセスでは珍しい。端末で電子書籍を利用する方が手軽で便利だというので、図書館利用者は稀少だ。セオも図書館など、学校の社会見学で一度行ったきりだ。
それがこのラフタハでは、当たり前のように市民の生活に浸透している。活気ある図書館の光景など初めて見たセオは、その規模の大きさのみならず圧倒された。
館内の説明をするガイド役の言葉もほとんど耳に入らず、セオは辺りを見回す。
「それで、ロイトさんは論文の閲覧をご希望でしたね?」
「……ああ、はい」
地質学者という事になっている、ロジーがラフタハまで来た表向きの理由は二つ。一つは電子化されておらず、複写もされていない地質学の論文を目にするため。もう一つは、ラフタハの地質を実際に調べる事。
主になって動くのは偽学者ロジーのはずが、彼女が返事をしないのでセオが対応する。
「論文の貸し出しは出来ませんので閲覧のみになります。用意に少々お時間をいただきます。論文の著者とタイトルをこちらにご記入いただけますか?」
ここに来て門外漢のセオがでしゃばるのは不自然だ。ロジーに対応させようと振り返ったセオだが、彼女は近くにはいない。
何をフラフラしているのかと眉を寄せれば、セオの視界の端にうずくまるハーマン人の姿が映った。
「……ロジー?」
図書館の柱に片手をあて、しゃがみこんでいるのはロジーだった。千もの過酷な訓練を乗りこえたはずの軍人、リ=ゼラ=フェイ=ロジーが、何もしていないのにしゃがみこむなどと、あってはならない。セオは駆け出した。
「どうした」
眼鏡型端末をどかして見たロジーの顔は苦痛に歪み、目は伏せられ、血の気を失っている。
「なんでも、ない、から……」
彼女の声は病人のようにかすれ、なんとか絞り出したかのようだ。
なんでもない訳がない証拠に、ロジーの頭がぐらついた。セオが腕を差し出さなければ彼女の頭部は床に激突したはずだ。
訓練であっても、こんなロジーの姿は見た事がない。セオの背筋が急に冷えはじめた。
今のロジーは、意識があるかも分からなかった。