2 出発
レヴド連邦第二惑星ケーセス、ケーセス第二宇宙港。
清潔に保たれた床の上を、大荷物を抱えたレンセラ人が駆ける。アナウンスが流れ、いくつかの宇宙船の到着に遅れが出ると表示される。人々は、人それぞれの理由でこの地に訪れる。仕事や、旅行や、友人に会うためにケーセスをはなれ、あるいはケーセスに降り立ち、自分の目的を達成する。中には、宇宙港の内部に多く存在する店での買い物や飲食が目的の者もいる。
惑星の外へ出る玄関口、宇宙港に着いたセオとロジーは、荷物を預け乗り込む手続きをしていた。
軍の制服や迷彩服ではない彼らはガタイがよすぎるものの、私服を着ればそれなりに一般人に溶け込んで見える。セオは深い緑のポロシャツとカーキ色のパンツ、ロジーはベージュのジャケットと白いTシャツ、黒いパンツだ。
「ロイト様?」
手続きの最中、ロジーは係員に呼びかけられていたのになかなか反応しなかった。出来なかったと言うべきか。
「ロイト=アザル=ロジー様?」
借り物の名前で呼ばれ、ロジーは自分が呼ばれているのではないと思ったのだ。
「あ? ああ、はいはい」
やっと他人に声をかけているのではないと気づいたロジーは、係員に顔を向ける。ラヴァラド人の係員はぼんやりした客なら何万回と会ったのだろう、にっこりと営業スマイルでロジーに手続き完了を伝えた。あとは宇宙船に乗る時に自分の端末をかざすだけだ。
ロジーは軽く会釈すると、手荷物を持ってその場を去った。
「よい宇宙の旅を」
万人に向ける笑みで万人に向ける言葉を送られても、セオはあのラヴァラド人女に怪しまれていないか不安になった。さっきロジーは偽の名前を三回も呼ばれていたのに、聞こえていないかのように振る舞った。
「……まさか、新しい名前を覚えてないとか言わないよな?」
夫婦らしくとなり合わせて歩きながら、セオは小声で言った。ロジーは眠そうな顔でまばたきをする。眠たかったのか、セオの相手をしないつもりだったのか、ロジーはすぐには言い返さなかった。しばらくして、
「んなすぐに身につくかよ」
とやる気のない声を出す。
セオの中にある先行き不安さに拍車がかかった。それは“上手くいってない夫婦”案を採用してよかったとセオが最初に感じた瞬間であった。
ケーセス発ジャンガガ経由ラフタハ行き宇宙船ノーム・マーム号、ケーセスを発つ。
ノーム・マーム号は長距離航行を目的とした巨大旅客船だ。目的地に着くまで何日もかかるため乗客のための個室以外に多くの施設がある。食堂があり、バーに運動場に映画館などの、娯楽室があり、様々な買い物も可能だ。
とにかく規模の大きな宇宙船で、乗客も乗組員の数もおびただしい数だ。大勢の人をかきわけながらセオとロジーは自分たちの部屋にやっとたどり着いた。
「……げえっ」
寝室に入った途端、セオが吐き気をもよおしたような声をあげた。
寝室には当たり前のように寝台がひとつしかなく、二人で共有しあえとばかりの二人用サイズだった。
「夫婦なんだから別室の方がおかしいだろ」
寝室をちらと覗いたロジーはどうでもよさそうだ。
忌々しいものを見る目で寝台を睨んだあと、セオは居室に戻った。寝室を視界に入れない方がセオの精神が安定しそうだ。
運びこまれた荷物の整理をしてセオは気持ちを落ち着けさせる。
このノーム・マーム号で半月暮らす事になるのだ。自分たちの仮の住まいをよく知っておく必要があると考えたセオは船内探索にロジーを誘ったが、彼女は同行しなかった。食事も部屋で食べると言う。それでセオは一人ノーム・マーム号を徘徊する事にした。
ノーム・マーム号はさながら動くホテルかショッピングモールだ。地上にあるもののほとんどが揃っていて、足りないものはないかのようだ。
船は五つの階に分かれていて、一番上の階には天井も壁も透けていて、外の――暗い宇宙の星々が見られるデッキと部屋があり、満天の星空目当ての乗客がたくさんいる。デッキにはプールやバーが設置され、泳ぎながら星を見上げたり銀河を肴に酒を楽しむ者の姿もある。
その下の階が主な商業施設の集まる場所だ。家や乗り物こそ買えないが、服や日用品や子どものオモチャまで、たいていのものは手に入る。また娯楽施設もこの階にあり、長旅の倦怠感を癒せるようになっている。
その下ふたつの階が客室だ。料金に応じて広い部屋も選択出来るが、一番料金がかからない部屋でも狭すぎる事なく、居室と寝室、ユニットバスのたっぷりとした空間が与えられている。
一番下の階が乗組員のための階だ。普通、乗客は立ち入りは遠慮しなければならないが、乗組員用の部屋と倉庫があるはずの空間だ。
これがこの宇宙船ノーム・マーム号のすべてだ。
簡単にだがセオはほとんどの階の立ち入り可能な場所を見て回った。これで下調べは済んだ。食堂でたんぱく質パンとビタミンゼリー、炭水化物バーを食べるとセオは自分の部屋に戻る事にした。
部屋に入る直前、廊下でセオの少し前を歩いていた中年のハーマン人夫婦がセオを振り向いた。
「ねえ、あなたたち確か、ご夫婦でいらしてなかった? さっき部屋に入って行くところを見たのよ。長旅だし、よかったら今度お隣のよしみで一緒にご飯でも行きません?」
人の好さそうな女性だが、セオはまさか話しかけられるとは思っていなかった。しかも部屋の外にいる限り、セオはロジーと結婚している嘘をつかなければならない。
セオの戸惑いを違うものと受け取った夫人は、自分の口元を手で隠す。
「あらごめんなさい、あたくしはエンザ。あっちは旦那のゴード」
紹介されたゴードはセオを一瞥したが、妻ほどセオと仲良くしたがっていないのが分かる。無愛想な顔つきからも、おしゃべりや道行く人との交流が好きそうには思えない。
その上ゴードは妻がなかなか自分のあとをついて来ないのに業を煮やして「先に部屋に入ってるぞ」と妻を置き去りにした。
セオはふと、この夫婦を参考にしたら仲のよくない夫婦が演じられるのではと考えた。だが、彼らと一緒にいるという事はロジーを人生の伴侶扱いしなければならない、というジレンマが浮上する。
「……ほんと言うとね、あの人以外の話し相手がほしかったの。あの人と会話なんて成立したためしがない。おしゃべりなギーカ人とでも結婚するんだったわ」
どうやらエンザは社交的なタイプというより、自分の夫よりまともな話し相手がほしかっただけらしい。長年夫婦をやっていると、そうなるものかもしれない。セオがよく聞く話では、新婚を過ぎた夫婦の方が問題が生じやすいものらしかった。
年齢的にはまだ若い部類に入るセオたちが新婚夫婦に見える可能性は高い。そんな彼らが新婚早々険悪ムードとは、説得力があるものだろうか。
どこまでも真面目に任務を遂行しようとするセオは見当違いな思考をしていた。
「あの、ご迷惑なら今の話は忘れて頂戴?」
セオが黙りこくったままなので、エンザは苦笑いを浮かべる。彼は少し迷ったものの、そんな事はないとエンザの申し出を受ける事にした。
本物の夫婦を観察するのは悪い事ではなさそうだと考えて。
そんな目論みも知らないエンザは、うれしそうに笑う。
「では今度、あなたの奥さまとうちの部屋を訪ねて。そうでなければ、こちらからお声がけするわ」
愛想笑いをしながら、セオは“あなたの奥さま”とは誰の事だろうと思った。夫人が自分の部屋へ入るのを見届けたあと、セオははっとした。今、彼の奥さまという事になっているのは、リ=ゼラ=フェイ=ロジーだ。あまりに現実から目を背けたくなったために記憶の中の任務に関する情報が抜け落ちていた。
そんな自分に落ち込んだあと、部屋の中には偽妻が待っているという事実にセオは余計に肩を落とした。
ロジーは居室の方でテレビを見ていた。この宇宙船の目的地がラフタハのせいか、ケーセスではやっていないような番組を流しており、言語は彼らの知らないものなのにロジーはそれを眺めていた。
セオは船内探索の話をして、ドアの外で出会ったエンザたちと食事に行く事になった話もした。その誘いを受けた理由もつけ加えると、ロジーはつまらなそうな顔をする。
「お前意外とひでえな、孤独なオバサンを利用して」
「いやまあそれもあるが、もちろんかわいそうだと思って……」
「お前、任務のためなら手段選ばないタイプだもんな」
ロジーは単に思った事を口にしたようだが、セオは責められたような気持ちだった。
後ろめたさがあったため、何かを言う事はひかえたが、セオはまたこのロジーと上手くやっていく自信をなくした。エンザの話にのったのは、妻役をまともにこなせそうにないロジーのためでもあった。エンザを見て学べる事はあるだろうに。
セオはロジーと一緒に居室にいる気分になれなくて、寝室に足を向ける。
そして出現したのは二人用寝台。セオは床に倒れこみたくなった。
こんな寝台、いくらふかふかしていたって、いくらシーツがなめらかだって、ロジーと隣り合わせで使うつもりはなかった。
セオとロジーは同期生で今は同部隊所属で、友人や同僚としては気軽な仲で上手くやっている。だが彼らはあくまでも仕事仲間。お互いに別の恋人がいた事だってあるし、恋愛感情を抱いている訳でもない。相手に微塵も気がないとはいえ、突然こんな恋人か夫婦用の部屋に押し込まれて、気まずくなるなというのが無理な話。少なくともセオはそうだ。
他の同僚が一緒だったり、状況の違う他の訓練や任務ではロジーの近くで眠った事はある。だがその時にはロジーと夫婦のフリをする必要はなかった。もちろんセオはロジーに何かをするつもりはないが、とにかく今はまともな状況とは思えない。
なんだか喉が乾いてきたので、セオは寝室備え付けの冷蔵庫から蒸留水のボトルを取り出した。軽く喉を潤すと、まだ視界に入ってこようとする寝台から目を逸らす。
今日は一体どこで寝ようかとセオが考えていると、ロジーが寝室に入って来た。なんとなく彼女のいる方向を見られなくて、セオは他所を向いて黙っていた。
「あたしもう寝るから。ラフタハに着いたら起こして」
「いやお前それ寝すぎだろ……」
ラフタハまであと半月もかかる。ロジーなりの冗談だろうと知りつつもセオは口を挟まずにはいられなかった。ついでにロジーを振り向いてしまったのがいけなかった。
「ぶっ」
ロジーが服を脱ぎ、下着姿になっている。セオは口にしていた蒸留水を盛大に吹き出す羽目になった。
「お、おま、おまえ!」
正確に言えば上はキャミソールで下がショーツだった。
セオはすぐさま体を反転させたが、目に映った光景は頭からはなれなかった。
鍛えているから一般人女性よりロジーは筋肉が発達している。しかし女性らしいやわらかさやまるみはどうしても男のものとは異なっていた。セオの頭が無闇に熱くなる。
「服着ろよ!」
「あたし寝る時いつもこうなんだけど。ダンナならそれくらい受け入れろ。つうか、自分の部屋でぐらいリラックスさせてくれよ」
ロジーが布団でもめくっているような音がする。
「い、い、いやそれは、偽の身分であって……お前もうほんと、ありえねえ!」
セオはまともに物を考えられる状態になかった。
「お前が生娘か」
嘲る声にセオはイラっとした。
「じゃおやすみー」
それだけ言うとロジーは静かになった。
しばらくして本当に寝入ったらしいロジーの寝息が聞こえた。それでもセオはまだその場を動けなかった。
女の体を初めて見た訳でもないのに、セオは頭を抱えていた。
普段忘れがちな、ロジーの性別が女であるという事を、ありありと思い知らされたのだ。
おおらかで大雑把で男っぽい性格のロジー。男たちの間に混ざっても上手くやっていけたのは、彼女が女らしさをほとんど見せなかったからかもしれない。セオも、彼女と夫婦役をする事になって、何もこんな男みたいなやつじゃなくても、と思った。
だがロジーは女でしかなく、セオは男だった。
思い出されるのは、意外に日焼けしてない白い肌。セオと同じような訓練を受けていても線に違いの生じる足。それから、キャミソールの上からでも分かるふくらみ。
頭のてっぺんまで、セオは高温になった。
この頭部をもぎ取って捨ててしまいたい。セオは頭を抱えながら願った。
なんとかあの光景を頭から振り払わねばならない。そう思いながらも、セオの試みは上手くいかなかった。
その日、セオは居室のソファで一人丸くなって寝る事にした。当然のように、頭は冴えていつまでも寝つけなかった。