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1 任務

 レヴド連邦第二惑星ケーセス、イディル陸軍第五基地。

「嫌です! こんなやつと夫婦のフリなんて!」

 セオは、今が仕事中で、ここが上官の執務室だというのも忘れてわめき、勢いよく相手を指さした。

「うっせーな、お(めぇ)はよ」

 ロジーは突きつけられた指を避けるように身を引き、セオの手を叩き落とす。セオは侮辱されたのを堪えるような顔になり、ロジーは相手を見下すように顎をあげる。瞬間、二人の間に見えない火花が散る。

 セオの文句も二人のやり取りも存在しないかのように、ディスは手元の紙片に目を落とす。

「……任地ラフタハの土地柄は、余所者には厳しく排他的だ。爆破テロもあり政情も安定していないため特に他所の惑星からの訪問者は注目されやすい。男一人で訪れても怪しまれるし大勢でも不信感を抱かれる。よって今回の任務は二人一組での潜入が最適と判断された」

 職務に真剣に取り組む男ディスは、淡々と事実を告げる。しかしセオにはもっともらしい理由など、どうだってよかった。

「だからって何も、夫婦のフリで潜入しなくても!」

 また声を大きくしたセオに、今度はロジーだけでなくディスまでも眉を寄せた。もっとも、常に眉間にしわの渓谷が築かれているディスの変化は僅かなものだ。

「私生活でのこいつは最ッ悪なんですよ! こんなやつと夫婦のフリなんかしたら俺がキレまくって、離婚寸前にしか見えないに決まってます!」

 ふたたびロジーに人指し指を向け、セオは唾を飛ばす。

「このロジーは訓練や実戦はともかく、事務仕事の態度は最悪、すぐサボるしすぐ寝るし、部屋は汚いし締め切りも時間も守らないし酒癖もくっそ悪いし、とにかくもう最悪なんです! それからこいつ、俺に借金してます、借・金!」

「お前マジうっせーな、イチイチ細けえんだよ。ちょっと小銭借りるくらい誰でもするだろ」

「返ってきた試しがないんだが?」

 セオの指がロジーの手によりあらぬ方向へ曲げられる。いつまでも指をさすなとロジーは実力行使に出たのだ。両者はそのまま取っ組み合いになりそうな殺伐とした目つきになる。

「小せえ男だな」

 意図的か偶然か、ロジーは小馬鹿にした顔で視線を少し下にずらした。途端に凶悪犯のような顔になったセオはロジーの手を振り払い相手の胸ぐらを掴んだ。上官にもよく聞こえる音で舌打ちしながら。ディスはほんの少し眉を持ち上げた。

「なんだ、やんのか」

 たやすく挑発にのったセオが面白いロジーはにやにや笑う。

 彼女の手はセオの手首を掴み万力のような強い力をこめる。互いにこめた力の均衡が崩れれば殴り合いがはじまる。そんな空気を壊したのはディスの咳払いだ。

 その音だけで、“ここは訓練場ではない。上官の話を聞く時は気をつけの姿勢をとるように”という叱責を察知した二人は相手から手を放した。ロジーは自分の襟元を軽く正す。

「とにかく」

 まだ視線でいがみ合っていた両者は、上官の声にやっと正面を向く。

「セオの抗議についてだが……たいした悪癖でもないではないか」

 確かにロジーの素行については、社会人としてはいただけない。友人としても面倒かもしれないが、三度の飯より恐喝好きとか、他人の指を切り取ってコレクションしてるとか、夜な夜な殺人のため街を徘徊するのが趣味という訳でもない。親しい同僚に対する態度など、誰だって雑になるものだと、ディスは決めつけていた。

 上官の反応がイマイチなのでセオはしばし考えこむ。

「あっあとこいつトイレのあと手ぇ洗いません!」

「しょうもない」

「でしょう?」

「お前がだ、セオ」

 ディスの両断に衝撃を受けたセオは、母親に拒絶された小さな子供みたいに傷ついた顔をした。

 部下二人を執務机の手前に立たせ、自分だけ座っていたディスは腰をあげる。

「それだけ“嫁”の事に詳しければ、任務に支障はなさそうだな」

 窓の前にゆき、ディスは他人事のように言った。

「教官!」

 セオは叫んだが、ディスの目は窓の外に向けられている。まるで、そうする事でこのくだらない平行線の議論から抜け出せると思っているかのように。しかし彼は任務一筋の仕事人間。いつまでも現実逃避をしてはいられない。振り向くと部下たちの前に戻る。

「……この紙の資料によく目を通しておくように。任務用の身分が書いてある」

 手渡された紙片を、ロジーは興味なさそうに眺めたが、セオは見向きもしなかった。

「でもやっぱりこんなの、」

 尚も言いつのるセオを、ディスが鋭く凍えた目付きで射抜いた。

「……私がまだお前とこの基地で共に仕事をしたいと思っているのは、間違いなのだろうか? セン=テ=ラング=セオ」

 つまりは、“新しい職場へ左遷(とば)されたいのか”の意だ。かつて“死神教官”とあだ名されたディスの凍てつく眼差しと、その言葉の中身にはセオを黙らせるに充分な力があった。

「……すみません、でした。今回の任務に就く事に異論はありません」

 渋々といった様子を隠そうとはしないが、セオは大人しくなった。

 ディスは部下の態度を気にもとめずに、机上の端末(ワイズ)を操作し空中に立体画像を浮かび上がらせる。

 そこには、髪の短い生真面目そうな顔つきの若いハーマン人男が映し出される。その横には姓名や種族、出身惑星などの個人情報が表示される。セオという名前と種族こそ今と同じだが、あとはまったくのデタラメだ。少しすると画像は不機嫌そうな顔つきの若いハーマン人女に変わる。ロジーの個人情報も、本来のものとはまるで異なっている。これが、彼らの任務のための偽の身分という訳だ。

「今回のお前たちの偽の身分は、多目的携帯端末(ワイズ)にも反映される。自分の名前を間違える事はないようにしておけ」

 任務が始まれば、イディル陸軍第五基地で働く軍人のセオやロジーの情報は消える。当然彼らは自分たちの偽物の身分をきちんと把握していなければならない。

「任務の目標はラフタハで開発中の新型兵器の図面を持ち帰る事だ。首都ラーマーティの巨大図書館を隠れ蓑に、その地下で兵器開発が進められているとの事。ロジーの演じる地質学者は、研究のためにラーマーティに行く必要があった。どうしてもと言い張る妻を案じ、セオ演じる夫も同行する事になった……という筋書きだ」

 ラフタハという惑星は、それこそ観光客向けではない。余所者が理由もなしにうろつくよりも、学者としての大義名分を掲げた方が滞在許可もおりやすかった。

「なるほどねー。研究者ってやつぁ、自分の研究のためなら危険も顧みないってものらしいからな。それらしい言い訳にはなってるな」

「ロジーお前、上官の前でその口の利き方はないだろう」

 たしなめるセオは偉そうだ。上官の前で散々わめき散らした男に言われたくない、といった目でロジーはセオを眺める。

「出立は明日(みょうにち)の夜、最終確認ののち、一般人として宇宙船(ケール・パーゼ)に乗ってラフタハを目指してもらう。ラフタハは遠い、長旅になるぞ」

 ラフタハには、レヴド連邦基準時刻で半月はかかる。ディスは厳格そうな目で部下二人を見据える。

「分かっているとは思うが、任務について家族や友人、恋人にも一言ももらすなよ」

 言われたロジーがにやりとし、セオを指さす。

「こいつに恋人なんかいねえっすよ」

「お前もなッ!」

 恋人の一人もいない寂しいやつ、とセオを馬鹿にするロジー。セオは同じ言葉を打ち返したが、ロジーは鼻で笑うだけだった。

 その後、細々した打ち合わせをしたあと、二人の軍人はディスの執務室を退室した。


「頼んだぞ、ロジー……セオ」

 セオたちと入れ違いになって、ディスの秘書官が執務室に入ってきた。ラヴァラド人独特の高く盛った髪型の、眼鏡をかけた女は、ディスのつぶやきを耳にして彼を向いた。

「例の二人ですね。ついにラフタハに経つのですか。それにしても珍しいですね、今回のような任務は」

 ディスの秘書官オーレンは、本人たちより早くラフタハの任務の話を聞いていた。偽の身分を用意するために彼女がした仕事も多い。

 ラフタハはこのケーセスからは遠く、少数精鋭で向かわせるしかない。ディスの表情がいつにも増して硬く、憂慮に満ちているのはオーレンの気のせいではあるまい。

 ディスは、セオとロジーがまだ入隊したてのひよっこだった頃から彼らの面倒を見てきた。ある時は教官として、ある時は上官として。今では直属の上官ではないが、何かあれば彼らがディスのもとに呼ばれる事も少なくない。

「両者共に優秀ですからきっと上手くいきますよ。前年のケーセス競技大会で三位の実力を持つセン=テ=ラング=セオ。一昨年に連邦種族混合射撃大会で上位に入ったリ=ゼラ=フェイ=ロジー」

 オーレンは自分の仕事用の端末(ワイズ)を操作して、セオたちの軍部での活躍をさらう。

 情報と共にあらわれるセオの画像は、さっき彼が身につけていた訓練用の迷彩服ではなく、式典や公用の紺色の制服姿だ。短い藍色の髪と軍人らしく発達した筋肉から粗野に見られる事もあるが、きちんとした服を着れば育ちが悪そうには思われない。彼は生真面目そうな、芯のしっかりした眼差しをしている。

 ちなみに――秘書官オーレンは、ひそかに作成中の第五基地内制服の似合う男ランキングにセオを入れてやってもいいと考えている。

「二人は実戦でも成果をあげていますね。セオは第五基地に来る少し前に、紛争地域での任務で殉死した隊長の代理を務めて死傷者を最小限におさえて帰還しました」

 オーレンが続けるのを、聞いているのか自分の思考に没頭しているのか分からないような顔で、ディスは空を凝視する。

「それから、やはりロジーは狙撃手としての活躍が多いですね。幼い頃から習っていた格闘技もなかなかのもので、女の方が腕力が弱いとされるハーマン人にしては怪力です」

 次にオーレンはロジーの画像を出した。個人情報参照用の写真なのに、ロジーは顎を引きすぎてこちらを睨んでいるように見える。赤茶けた髪は短く、着込んだ制服は勇ましく見える。ロジーは優しげな表情をすれば美しいと称賛される容姿をしているが、彼女の性格上、無理な話だった。

「二人とも潜入任務は初めてではありませんし……」

 先ほどからディスは黙ったままだ。オーレンが彼の秘書官を勤めていて会話が弾んだ事はないのだが、ここまで返事がないのも珍しい。

 オーレンは端末(ワイズ)が映し出す画像から視線を外しディスを横目で見る。

「ラフタハはケーセスやレヴドほど、文明や科学技術が発達してるとはいえません。時々テロリストが街を襲う事もありますが、最近では数も減ってます。彼らなら立派に任務を果たしてくれますよ。……もしかして、夫婦として任務に就かせる事で思い悩んでいるのですか?」

「そうではない、とは言いきれないが……」

 やっと口を開いたディスだが、眉間のしわを深めるだけ。結局彼は黙してしまう。

 オーレンはあまりセオやロジーの事を知らない。ディスの下について初めて彼らを知ったくらいだ。もしかしたら、データ上では分からない何かがディスを心配させているのかもしれない。二人の身分を偽る事にも難色を示しているようだし、よっぽどあの二人は仲が悪いのか。オーレンは一人考える。

 明日、セオとロジーは第五基地を経つ。オーレンも、彼らの任務の成功と、無事の帰還を願う事にした――。


 ディスの執務室を出てすぐ、セオは自分の顔を覆った。

「最悪だ……」

 突然解雇でも告げられたかのように絶望に満ちた声。廊下を先に歩いていたロジーはセオが立ち止まったままなので振り返った。不機嫌そうな顔で。

「しつけえな、仕事だろ」

 彼らが潜入任務で偽の身分を使う事など珍しくもない。任務をスムーズに進めるためには必要な事だ。名前や出身地や職業が違うものに変えられた事は何度かある。二人まとめての偽装はセオもロジーも初めてだった。その上任務は一日や二日で終わるような短期のものではない。

「こんな初等部生(コドモ)みたいなやつと戦闘でもなく組むなんて……」

 セオはロジーの戦闘能力は認めているが、人間性は認めていない。

「ああ? てめこの○○野郎ケンカ売ってんのか?」

 ロジーはメンチを切った。言葉づかいのよろしくない連中に囲まれて暮らしたら、どんな美女も口が悪くなる。貴婦人が耳にしただけで卒倒するようなロジーの汚い言葉に、怒りを通り越して嘆きたくなったセオは空をあおぐ。

「しかもチンピラまがいのクソガキだ……。そうでなくとも俺たち、結婚経験なんかないんだぞ……夫婦生活なんて知らない」

「なんだお前、ビビってんのかよセオ、ダセェな。そんなんノリに決まってんだろノリに」

 失笑するロジーに、セオの顔が盛大にひきつった。

 こいつをちょっと殴りたい。セオは内なる衝動をこらえた。

 彼らが第五基地で同じ隊に配属されたのは二年前だが、同期入隊で年も近いせいか気兼ねしない仲だ。第五基地以外でも同じ基地所属だった事や隊が近かった事もあり、共通の友人がいたりと、今の配属になる前からよく顔を合わせていた。

 知り合いだった時期が長く、相手がどんな人物かよく知っている。お互い遠慮なく相手に振る舞うし、それが原因で衝突する事も少なくない――今のように。

「だから俺がなんとなくで動いたら、お前とじゃあ離婚寸前にしか見えないって言ってるだろ」

 あるいはDV夫か――リアルに殴りあう夫婦だ。経験のない夫婦を演じるには何か規範が必要だし、相手がロジーではその規範を大事にしないと、とてもよき夫は演じられそうにない。少なくともセオはそう思っている。

 ロジーはまるっきり逆で、規範などなくとも上手くいくと言いたいのだ。

「じゃあ、あれだ。最近うまくいってねぇ夫婦だからこそ、気分一新二人で旅行しようっつう話になったんだよ。それなら説得力あんだろ」

 最初から理想の夫婦を演じるのは諦めて、本当に破局寸前の夫婦を目指せばいい、とロジー。

「……旅行じゃない、研究調査のためで学者なんだから仕事のため、だ。だがまあ……一理あるな」

 ロジーの案にのっかるのはなんだか癪だが、セオにとってもその方が都合がよかった。

「だいたいお(めぇ)は頭かたすぎんだよ。実際の夫婦にだってマニュアルなんかねえんだし、臨機応変にやりゃあいいんだ臨機応変に」

 この件は片付いたと思ったか、ロジーは廊下を歩き出す。

 雑な解決策にも見えるが、人生や個々人の生活に正解などないというのは言えている。セオは短くない息を吐く。

「お前が言うと、臨機応変が“テキトー”って意味に聞こえるんだが」

 セオはぼやきながら自分も足を動かした。


 その日、二人の夜の過ごし方は実に対照的だった。

 彼らはいつもと同じように夕食を食べ、同僚と談笑し、別れ、寮のそれぞれの部屋へと戻った。

 自室にこもってからセオは自分の端末の前に張りついた。

「ラフタハはアドス人とブセレン人が多く、公用語はアドス語……都市部ではトペレンサ語も通じる。ケーセスよりも気温が高いな……乾燥もしている」

 惑星レヴドに多いレンセラ人やケーセスのハーマン人が少数派の惑星に行くのだ。いくらケーセスと同じレヴド連邦の支配下にあるとはいえ、ラフタハは遠い。いろいろな常識が違うだろう。

 セオは事前に調べられるだけ調べようと惑星ラフタハについて調査した。もちろん手渡された資料も隅まで目を通した。その上“よき夫になるには”という言葉を検索エンジンにかけては珍回答に行きついたりした。

 とにかくセオは予習をかかさなかった。

 対するロジーはというと……寝ていた。

 寝台に横たわるロジーの手元には任務の資料があるから、努力をまったく怠った訳ではなさそうだ。

 下調べで遅くまで起きていたセオがその光景を目撃したら、怒るか呆れるか嘆くだろうが、幸いな事に彼らの寮は別々の棟にあった。

 ロジーの安らかな睡眠は妨害される事もなく、夜が更けていった。

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