17 結論
セオが断片的に覚えているのは、地上のまばゆい光。人の声。瓦礫の崩れるような音。それから――
目が覚めても、眠っているような感覚だった。
自分が寝台に横たわっているのがセオには分かった。体のあちこちにチューブを刺され、それによって生かされている。
「よー、起きたのか」
頭を動かすと、短い髪の若いハーマン人女がいる。
彼女の名前を呼んだが、セオの声はひどく掠れていた。喉がイガイガする。彼は上半身を起こそうとしたが、腹に力が入らない。そういえばセオは腹の真ん中に小さくない穴が開いているはずだ。
「まだ痛みどめ効いてっから、あんま動かない方がいいと思うな」
たいした事でもなさそうにロジーは言った。セオは改めて彼女を見る。
五体満足でいるロジーの瞳は茶色く白目があり、また両腕にはハーマン人らしい滑らかな皮膚が存在する。あちこちに傷跡や包帯があるものの、ロジーはセオより健康体に近い姿をしていた。
「ここは、どこだ? あれから……どうなった」
結局ロジーの手を借りて体を起こすと、セオは辺りを見回す。青白い壁の簡素な部屋で、寝台と医療機械の他はキャビネットがあるくらいだ。設備は最新で、清潔に保たれた部屋にはラフタハの埃っぽさはない。
「ケーセス行きの宇宙戦艦の中。あのあと、地下研究所はぶっ壊れた。一応、公式には新型兵器もなかった事にされてるから、あれも壊れたはずだ」
セオが気絶してからの話をロジーはしたが、途中で自分が説明するより早いと端末を取り出してラフタハのニュース映像や記事をセオに見せる。
セオたちが地下で見たものは、なかった事にされていた。ラフタハの公式発表ではガス爆発で地下研究所が壊滅的被害を受けたとされている。その他にもテロリストによる攻撃を受けたのだと記事になっていた。まるでセオたちがテロリストかのようにも思える内容だ。
「以前からレヴドでも気掛かりだったラフタハの地下研究所は、白日の元にさらされた。しばらくはラフタハ政府も、大人しくするしかねーんじゃねえかな」
公式記録では、地下に何が潜んでいたか全て明らかにされてはいない。原因は何であれ爆破事件で注目を集めてしまったラーマーティ地下研究所だ、国内外への対応に追われる事になる。ラフタハの政府は地下に隠しておきたいものを掘り起こされないよう苦心するはずだ。
「連邦政府にとっては悪くない結果だろーな」
レヴド連邦は植民地であるラフタハに反乱を起こされては困るのだ。結果的には危険な地下研究所を壊滅に追いこんだのは連邦政府には好都合。
「……そうか」
ニュースを見る限りでは爆発直後の地下研究所周辺は相当に混乱していたようだ。ロジーはどうやって現場を抜け出したのか。考えているとセオの思考を読んだみたいにロジーが口を開く。
「あたしたちがラフタハに捕まらなかった理由、お前は分かってるんだろ?」
地下研究所が甚大な被害を被ったのは、ロジーが自律する機械の兵器を破壊したからだ。兵器が外に向かって破裂し、地上の地盤まで揺るがし、地面に穴を開ける形になった。地下に隠していたものが丸見えになってしまったのだ。
当然、生存者の捜索が行われた。ラーマーティの救急隊によってセオたちは見つけられ、そのままだとテロ容疑でラフタハ政府に捕まるはずだった。今、セオたちがケーセス行きの船に乗っているという事はそうはならなかったのだ。
「……ああ」
確かに――セオはこうしてケーセスの船で囚われずに故郷に帰れる理由を知っている。何故なら、事前に無事に帰れる手配をしたのはセオ自身だったからだ。
何の事はない。ロジーがあまりよしとしなかった、ケーセス軍の諜報員と接触しただけだ。セオの光線銃の入手ルートも諜報員を介してだ。セオが助け出したベバハルに渡した小型記憶装置は、端末につなげれば一般人でもケーセス軍諜報員にコンタクト出来る緊急手段だった。
今セオが無事にここにいるという事は、物分かりのいいカストの手に記憶装置が渡り、彼が端末につなげたのだ。カストが諜報員に事態を伝え、諜報員はラフタハ脱出の手筈を整えてくれた。
さすがに、地下研究所が爆破した後の混乱時、一般人であるカストが惑星を出る船を用意出来るとは思えない。
もしもに備えたセオの手配はこうして役に立った。
彼は自分の行為が無駄にならなくて済んで、息をつく。
それにしても、ラフタハの新型兵器の情報収集を頼まれたはずが、地下研究所ごと使えなくしてしまうとは。セオは上官や上層部に何と言われるのか分からなくて、その件に関しては考えるのをやめた。
自分の身体の事も気がかりだ。現代医学であれば、失った臓器や骨や筋肉や皮膚の再生など造作もないが、一昼夜では完全には再生しないし体になじむのにも時間がかかる。通常の訓練に戻れるのはしばらく後になるはずだ。セオはまた息を吐く。
それから、気にかかる事はまだある。
「ロジー。俺はあの時、お前に……」
研究所での戦闘時のセオの記憶は、瀕死であった為に途中から曖昧だ。だがセオはロジーにキスした事をきちんと覚えている。正気に戻そうとした時の事ではない。あれはロジーも覚えていないだろう。
セオが気絶するより少し前の事――。ロジーがキスを返してくれた事を、セオは忘れてはいない。ほとんど気持ちを伝えた気になっていた。キスを返すのなら、それなりに伝わったのだと。
「あー。あの時あたし、薬切れてたせいかあんま記憶がないんだよな」
しかしロジーはセオから視線を外す。まるで酔っ払いがシラフに戻った時のように、ロジーは軽く笑った。
「なんかがむしゃらに戦ってたのは覚えてんだけど、なんかあった?」
確かにロジーは我を失っていた。セオがキスをした時もまだ意識はあやふやだったのか。
彼女は二度ものキスを覚えていない。二度目の――あの時言えなかった言葉の先を口にしていいのか、セオは分からなくなる。
これまで仲間だと思ってきた、仲間としても大切だった。だが今のセオは、ロジーに向ける気持ちはそんな博愛精神にも似た思いなどではないと知ってしまった。
セオはゆっくりと視線を落とす。
「……まあ、つもる話はあとでな。お前はもうちっと安め」
鎮痛剤が効いているせいか、セオはそれ以上深く考える気力をなくしてしまった。言われるままに体を倒す。
自分にはまだ少し休みが必要だ。ロジーを口説くのはそれからでもいい――セオは、瞳を閉じた。
すぐに寝息を立てて眠りに落ちたセオを、ロジーは眉を寄せて見下ろした。
「悪いな、セオ」
彼から触れてきた唇の、あの感覚を忘れた訳じゃない。
「……あたしだって、お前が大切だよ」
死にかけた男の本心も、覚えている。
「創成計画の事さえなけりゃあなあ……」
だが、ロジーにはまだ彼の想いに向き合えない理由がある。
セオがただの同情心からロジーを庇ったり、心配の眼差しを向けるのではないくらい、ロジーにも分かっている。
“新ハーマン人創成計画”でいつ死ぬともしれない身になって、ロジーは誰かの大切な人になるのを恐れた。恋人を置いて死ぬのも、恋人を残して死ぬのも嫌だった。
そんな恐怖さえ乗り越える事が出来たら、その日にはきっと。
言葉には出来ないから。そして、相手が眠っているからこそ、ロジーは身をかがめてセオに口づけを落とした。
レヴド連邦第二惑星ケーセス、シューギー陸軍第一基地。
「……以上の事から、“被験体”を利用した任務には同行者が最低一人は必要だという事が判明しました。通常任務と変わりはありませんが、二人一組で動けばなんら問題なく“被験体”も任務を遂行出来ます」
アレク=ラ=ベル=ディス陸軍大佐は淡々と、自己の端末に書き込まれた原稿を読む。彼の背後にはプレゼン用のスクリーンが広がり、種々のグラフや数値、“被験体”の写真が映し出されている。
「また、今回は想定外の出来事も多く遠方にて行われた任務だったため、今後は近隣での任務にて逐次報告をさせ経過を細かく観察するべきだと考えられます」
会議室には、ディスよりも階級が上のお偉方がずらりと並んで座っている。
こんな軍上層部の集いには慣れきっている、というような無表情のディスだが、内心では上手くいくか分かっていない。それでも大事な部下を守るために、“新ハーマン人創成計画”を続行させる。そのためにはこの会議で上層部を納得させるしかないのだ。
「つまるところ、単独任務には不向きという事かね」
「いえ。それは受けた手術によって個人差が出るために一様には言えなく……今回の場合に限っては二人一組が功を奏したのであり」
「ああ、その辺でよい。では決議に入ろうか」
自分から質問をしておいて、その男はディスの解説を遮った。少々苛ついたディスだが、表情を少しも変えなかった。
男が審判を下そうと再び口を開く。
「計画続行に、賛成の者は?」
レヴド連邦第二惑星ケーセス、イディル陸軍第五基地。
「次の任務が決まった」
セオの怪我が完治した数日後、彼はディスの執務室に呼ばれた。ロジーが先に執務室に着いていた。こうして三人で顔を合わせるのは久しぶりだ。
「今回の任務は“特殊”な任務だ」
呼び出されたメンバーとディスの物言いで、セオもすぐに察し表情を険しくする。“創成計画”に関わる仕事だ。
この時までに、計画が続く事はセオも聞いていた。だがこれまでと変わらず、今後結果が出なければ破棄されてしまうのだと、ディスは説明した。そうならないために、被験体を任務に使用し、成果を上げなければならない。
そのために――ロジーは出動する。
「今度は何したらいいんすか?」
興味がなさそうな顔でロジーは訊ねる。そんな彼女の様子を、セオがとても気にしているのがディスにも伝わってくる。そしてロジーがセオの視線を見て見ぬ振りで対応している事も。ディスは眉間の渓谷を深くする。
部下の個人的事情など興味はないが、ディスは計画の従事者にある事を聞いていた。
いわく、被験体の特殊能力発生や暴走には精神的なものが強く影響しているというのだ。感情によってその能力は左右される。安定した気持ちであれば体質も安定し、精神的に追いつめられれば力は弱まるか暴走する。まだ断定は出来ないが、研究者たちはこの傾向を認めている。
故にディスは、前回の任務でロジーと一番相性のいいセオを選んだのだ。元々二人の部下の性格や能力もよく知っている。セオならロジーを動揺させたり傷つけたりはしないと分かっていた。
本物の恋人同士になれば被験体の暴走はなくなるのでは、くらいなら考えたが、ディスは本気ではなかった。帰投した彼らの様子を見るまでは。彼らの仲人になどなるつもりはないが、そうしてしまった方がいろいろと楽なのかもしれない。
――などと、大いに余計なお世話な事を考えているとはおくびにも出さずに、ディスは任務内容を伝えた。
ディスの執務室を出た二人の内、立ち止まったのはセオだ。
「よし、やるぞ」
大会を控えた運動部員のように気合いの入った声で、セオは拳を握る。彼は元来真面目なタイプだが、任務にここまで意気込みを見せるほど熱い態度を取った事はなかった。先に歩き出していたロジーは顔を少しひきつらせる。
「なにはりきってんだ、キモ」
「あ? 言い方があるだろう言い方が」
気味悪そうな顔のロジーに、セオは苛立った。
まるで、いつものやり取り。偽物の夫婦を演じる事になった任務をはじめる前と変わらない、気の置けない友人同士のやり取り。
しかし――セオはこのまま怒るつもりはない。これまでと一緒のつもりもなかった。
一歩、ロジーとの距離をつめる。
「お前のためだから張り切ってるんだ」
きっかけは任務だったが、二人だけになってセオはやっと自分の気持ちに気づけた。
度々文句を言いたくなるとはいえ、セオにとってロジーは友達のように気が合って一緒にいて楽しい相手だった。本当はずっと前から、彼女に惹かれていたのかもしれない。同僚や友人として接し近い場所にいるからこそ、見えなかったのだろう。
今のセオは偽の夫婦を演じる必要がなくなった事をさびしく思う。
ただの同僚では、彼女を庇ったり、守りたいと思ってはいけないのだとしたら、セオは――。
“本物の妻に向ける瞳”でセオは微笑んだ。
「計画続行のために必要な任務だろう? 俺はお前を守るためだったら、何でもするよ」
ロジーは自分の顔が熱くなるのが分かった。
相手にそれ以上余計な事を言わせる訳にはいかないと、彼女は口を大きく開ける。
「あー、もう、こんなヤツと同じ任務なんて!」
> Continue…?




