11 協議
セオは眼球だけ動かしてロジーに視線を向ける。目と目でやり取りをする。実に短い間で、セオとロジーは声を出さずに会話した。同じ相手と何度も戦場を駆け抜けると言葉の要らない会話が出来るようになる。口裏合わせも難しくない。
ロジーはセオに任せる、といった目つきだ。セオは無言で請け負った。
問題は、ロジーの特異体質だけは隠しておかなければならない点にある。
それにしても、テロリストに間違われるとは、セオもあまり想定していなかった。
「俺たちはテロリストじゃない」
とにかくその点は否定しなければならない。これから別の嘘をつこうとしているのに、更にテロリストと間違われては話がややこしくなってしまう。
「ほんとに……? あのとき、にげるようにしてたのはなんで? テロリストじゃなくても、なにか、かくしてるんじゃない?」
カストの疑いは晴れない。声音も硬いままだ。
「それは――」
偶然だとセオが告げる前にカストは言葉を継ぐ。
「おしえてくれないと、おれは」
思い詰めたようなカストは、一息を呑むと黒い目を細めさせる。
「なかまを――ベバハルをさがせなくなる」
真実を教えられないのであれば、治安維持組織につきだす事になる――そんな言葉を想像していたセオは眉を持ち上げる。ロジーも少なからず予想外だったので、ちらとセオを窺った。
「カスト」
朽ちかけたソファから身をのり出したルジェラが、非難するような目でカストを見る。彼は仲間を振り向かないで、「〈ごめん、ルジェラ〉」とアドス語で謝った。
ルジェラは会話に入る気はないのか、諦めたのか、そっぽを向いてソファに座り直した。
「おれたちは、今回のじけんについて知るひつようがある」
話がややこしくなっているのは、カストも同じようだ。
今すぐ治安維持組織に通報される事はなさそうだが、話は長くなりそうだ。セオはロジーに椅子に座るように目で訴える。元はダイニングだったのか、やや大きめの机と椅子が置いてある部屋だ。椅子はひとつしか残っていないが。
机の前に座ったロジーを見てか、カストは思い出したように持ってきた食事を彼女に手渡す。カストの行動は気をまぎらわせようとしているかに思えた。
「ベバハルが、なかまの一人が、テロにかかわってるかもしれないんだ。だから、知らなきゃいけない。おしえて、ほんとうのことを――」
セオはロジーの座る椅子の背に片手を置き、ロジーは食事の入った紙袋を手にしたまま、カストを見つめている。
「いっそ、セオたちがテロリストのほうが、話が聞けてちょうどいいんだ」
ベバハルは、荒野を共に駆けたカストの仲間の一人だ。かなり大柄なレンセラ人で、自分からはなかなか話そうとしない、口数の少ないタイプの男だった。先日会った時にベバハルの名前は聞いていたが、ほとんど会話をしなかったため、セオには印象が薄い。ヒョウに似たレンセラ人のダッタとは違い、ベバハルはライオンに似た姿をしていた。鬣がとても立派だった事だけは覚えている。
「……どういう事だ? つまり、ベバハルがテロリストの仲間かもしれないから、テロに関わる者に話を聞きたい、って?」
セオは少し体を前に出して、カストに確認する。相手は肯定のジェスチャーをした。
思わぬ方向に話が行った事で、セオはまた眉を寄せなければならなかった。
「……それでも、本当に俺たちはテロの実行に関わっていない。爆発現場に偶然居合わせただけだ。ベバハルに、直接話を聞けないのか?」
本人に問いただすのが一番だ。もちろん相手が隠したがっている場合は困難だろうが、先日会った時にはカストもベバハルに気軽に話していたはずだ。
カストは開いた口からちらりと舌を覗かせ、ルジェラを向く。彼女は端末をいじっている。「ルジェラ」と呼びかけられてはじめて彼女は顔を上げるが、首を振っただけ。
どうやら、ベバハルとは連絡が取れない状況にあるらしい、とセオは理解した。そういえば、爆破テロの後、ベバハルの姿だけ見ていない。あのテロに関わっているのだとしたら、ベバハルも身を隠しているのかもしれない。だからカストは関係者を探しているのだ。
「それじゃあ、やっぱり俺たちは力になれないな。本当に何も知らないんだ」
セオの言葉に、彼の後方に座るルジェラはつまらなそうな顔をする。
「そっか……」
カストは嘆息する。
「そうだよね。テロ集団はラフタハの住人だけっていうから、入れないし……」
途中からカストは自分の中で考えをまとめるかのようにぶつぶつとつぶやいた。
大して揉める事なく話が終わりそうだと判断して、ロジーはくつろぎはじめる。
「まあ、そういう事で」
手を飲み水に伸ばしてロジーは食事をはじめようとした。
「でもセオたち、ふつうのハーマン人じゃないよね」
まるで普段の会話の延長のようにさらりと言われて、ロジーは何も考えずに応じそうになった。
「……は?」
実際に声を出したのはセオの方だ。
この時こそ、カストの感情の窺えない黒い瞳が不気味に見えた事はなかった。
「ふつうのハーマン人は、あんなジャンプしないし、けんかなれしすぎてるし……」
ロジーの手は水のボトルを掴んだまま動かない。カストたちと会ったばかりの頃、彼らの乗った車に無理矢理乗り込むためにかなりの跳躍力を見せたり、素人相手とはいえ若者たち数人をあっという間に地面になぎはらったり。そういった“普通のハーマン人”らしからぬ行動をとったのは他ならぬロジーだった。
「まだ疑ってるのか」
「うん。二人はテロリストじゃなきゃ、スパイなんじゃないかって思ってる」
セオがカストを睨むと、カストは少し愉快そうに答えた。
「……スパイ」
それもまたセオにとって少し意外だ。
レヴド連邦にも諜報組織はあるし、軍内部にも諜報部隊もある。今回の任務は諜報活動とはいえ、セオたちはそのいずれにも所属していない。今回の任務がやや特殊なのは“新ハーマン人創成計画”継続のためだ。
「それはまた……なんで」
セオはあまり諜報部隊の事は知らないが、物語で描かれるほど派手な仕事ではないと知っている。だからこそ自分たちには諜報活動など似合わない――というより無理があると知っている。カストの予測も遠からずといったところだが、スパイに間違われたと言ったら本物に怒られそうだ。
「どっちでもいいんだけど。ただものじゃないのは、分かってるから」
セオたちが否定しないでいると、カストは勢いづいたように机に両手を載せる。古くさい家具はみしりと音を立てる。
「二人には、協力してほしいんだ」
セオとロジーは怪訝な顔になり、視線を合わせる。
「二人を助けた、こうかんじょうけん、だよ。二人が心配なのはほんとだけど、下心もあったんだ。おれたちを手伝ってくれないかと」
「いやいやいや、待てよカスト。あたしたち、追われてんだろ? そんなやつらの力借りようなんて自分たちまで危なくなると思わないのか?」
ロジーも机に身をのりだして、カストを茶化すように言った。今のところセオとロジーはテロリスト容疑で手配されている。カスト自身がそう言ったはずだ。いくら事情があろうとも、犯罪者扱いを受けている人物との行動はカスト自身もテロの容疑で疑われかねない。
「うん、追われてるからこそ、そっちはことわれないでしょ。ぶじに、ケーセスにもどりたくない?」
ロジーは目玉をぐるりと回した。カストはこちらには断る理由がないと思っているのだ。確かに二人は頼る手立てが少ない。誰かの手助けなしではラーマーティを出るのも難しいだろう。
かといってカストの要求の仕方は、まるで脅しているかのようだ。
セオとロジーはカストへの認識を変える必要があると思い知った。とんでもないやつだったな、と視線だけで二人は通信する。
「二人は、なにか目的があってにげているんでしょう。その手助けはする。こっちはただ……ベバハルを助けたいだけなんだ」
しおらしい声を出すカストに、セオは今更騙されないぞと思ったものの、カストの気持ちも分かる。仲間のためなら、どんな事だってする。たとえそれが己の身を危うくしても――。セオだって経験があるではないか。彼はそっとロジーを盗み見る。
「つっても、あたしたちに出来る事なんて限られてると思うけどな」
体の力を抜いたロジーは、言って水のボトルをあおぐ。
彼女の言う通りだと、同意を込めてセオはカストを見つめる。カストはわずかに考え込んだようだ。
「それは、そうだんしよう」
言いながらも、このブセレン人の若者には既に計画があるらしい。
どの道、セオも誰かの力を借りるつもりだった。交換条件を出してくるならかえって信用出来るかもしれない。
空気の抜ける音をさせてセオは息を吐く。それが降参の合図だと気づいてロジーは顔を上げる。
「仕方ないだろう。俺たちには足りないものが多すぎる。今だってカストたちにこの場を用意してもらえてはじめてこんな話をする余裕が生まれる」
口を開いて何か言いかけたロジーを、セオは先に説き伏せる。
「既に世話になってるんだ」
今更断れない、カストの言葉は正しい。カストたちを信用していない訳ではないが、ここで彼らが通報でもしてしまえばセオたちはもっとひどい苦境に立たされる。
「でも……」
言葉を濁すロジーの茶色の瞳が揺れる。彼女には“計画”の事がある。これ以上この任務に予想外の事態が起きてほしくはないのだ。カストたちと組む事で、何が起こるか――何を知られてしまうか分からない。
セオは、そんなロジーの肩に手をのせる。
「大丈夫だ」
言葉の奥に隠された意味を、ロジーが正しく受け取ってくれる事をセオは願った。どんな事があろうとも、セオがロジーの身を守る事には変わりはない。
それにセオにもそれなりに計画がある。カストたちに探りを入れられても、なんとか切り抜けられるような策が。
たとえ、カストたちとさえ別れて二人だけになったとしてもセオは諦めるつもりはない。
何よりセオは、ロジーに信じてほしかったし、安心してほしかった。これ以上彼女を不安にさせたくはない。
いくらかはハッタリも含まれていたセオの言葉に、ロジーは一度だけ眉を寄せる。
分かったよ、とでも言うようにロジーは自分の肩にあるセオの手をぽんと叩いた。彼女の了解の合図だ。それを受けてセオは手をはなす。
「はあ……。信じらんねえ。ほんと、なんでこんな事に……」
ロジーの言い分はもっともだ。セオもまさか、ラーマーティの若者に半分脅されながらも協力を取り付けられるとは思ってもいなかった。
「じゃあ、交渉成立だね」
カストは嬉しそうな声を上げる。
その、トカゲのような顔をロジーはまじまじと眺めた。
「カストお前、いい性格してたんだな……」
「いい性格? 外ではいいやつってよく言われる」
言葉の壁のせいか、カストにはロジーの皮肉も通じない。というより猫をかぶっていたと宣言されたようなものか。やる気をなくしたロジーは赤茶の髪をがしがしとかき回す。
「とにかくメシだメシ」
思えばセオも水以外何も口にしていない。服も着替えたいし、そろそろ健康で文化的な行動がしたいものだ。
「それじゃあ、さくせんかいぎ、しながらごはんにしよう」
まるで誕生会の準備を始めるかのようにうきうきと、カストは言った。セオとロジーは顔を合わせるまでもなく“あいつ本当にいい性格だな”と互いに思っている事が推測出来た。




