10 躊躇
レヴド連邦第三植民惑星ラフタハ、ラーマーティ高級住宅街。
雲のない青空が広がっていた。ラフタハでは最新の――しかしこの地における土煙の洗礼を受けた――車の中で、カストは空を見上げていた。
それなりに広い車内で、カストは父と対角線上に座っている。カストは父親と離れられるのならどんな事だってした。たとえそれが一時的なものに過ぎなくても。
「〈昨日は帰りが遅かったそうだな。お前はまさか、まだあのろくでもない連中と付き合っているのではないだろうな〉」
カストの父は、望む答え以外を許さぬ口調だ。
トカゲによく似たカストとそっくりの、灰色の肌をしている父親。最近、カストは声まで父に似てきた。このまま年をとると父に瓜二つになってしまうかと思うと、カストはうんざりする。
「〈学校で課題にかかりきりだっただけですよ。それに、彼らと二度と関わるなと誓わせたのは貴方ではありませんか〉」
カストは流暢なアドス語で応じる。ラフタハで最も綺麗な発音とされている標準発音を使っているのは普段からだが、父の前では殊更それを強調してしまう。表面上は父の厳しい教育方針が上手くいっていると見せつけたいからかもしれない。
言語といえば、カストは最近トペレンサ語を使う機会が増えたが、彼のトペレンサ語はお世辞にも上手いとは言い難い。今一度学習し直す必要があるだろう。
「〈子供が必ずしも親の言い付けを守るとは限らない、そんな事は私でも知っている〉」
カストは血のつながりのある存在から養育された経験はない。父の、してもいない子育てを成し遂げた顔をしない点は評価してやってもよい。カストは皮肉った思いで息をつく。
「〈安心してください。貴方の体面が悪くなる事はしませんよ〉」
この、俗物が。カストは心の中で念をこめる。
「〈どうだか。とにかく今日から私は仕事でブラーティンに向かうから……〉」
父親が忙殺されそうだと話す中、カストは視線を窓の外に戻す。親子の乗る車は住宅街を離れてゆく。
カストが、仲間の事を悪し様に言われても黙っていられるようになるには時間が要った。カストの父はいつもこうなのだ。ラフタハにおける、頭が堅く保守的な官僚の典型だ。
ラフタハは元々、アドス人が最初に入植し開拓した土地だ。そのうちにブセレン人もやって来たものの、数少ない種族での暮らしに慣れきってしまい、他種族を受け入れる寛容さを失ってしまった。
レヴド連邦がラフタハを支配下に置くまで、アドス人とブセレン人以外の種族は本当に少なかった。現在でもその他の種族は不当な扱いを受けている。住む土地や働く場所が限られていたり、高等教育を受ける事が出来なかったり、利用出来ない施設があったりする。一般人ですら他種族を見下し馬鹿にしている。
そんなもの、カストはくだらないと思っている。
かつてはカストも親や周囲に言われるまま、アドス人とブセレン人以外の種族はみな愚か者だと考えていた。だが、ダッタたちに出会ってから変わった。自分を特別な存在と信じている傲慢な同級生なんかよりも、ダッタたちと話している方がよっぽど楽しく、気持ちが軽くなる。
レンセラ人のダッタとベバハル、ハーマン人のルジェラ、ラヴァラド人のゴイツ。
彼らはラフタハでは嫌われ者だ。それなのに、彼らはカストを種族で差別しない。表面を取り繕っても家にも学校にも馴染めないカストを、受け入れてくれた。彼らがカストの大切な存在になるには、長い時間は要らなかった。
カストは仲間を守るためなら何だってするつもりだ。
そう、例えば――仲間の一人が政府に対し武力行使する組織に入ろうとしているのだとしたら、止めなければと思うほどに。
レンセラ人の友人ベバハルが過去にテロ事件を起こした組織の一員になろうとしている。カストがそれを知ったのは、最近になってからだ。付き合いが長いせいか、ダッタはもっと早くから察していたようだった。
ベバハルは何も言わない。元々寡黙なタイプだが、問題が問題なだけに話し合いが上手くいくとも思えない。ましてカストはラフタハでは優遇されている種族だ。本来なら嫌い合ってもおかしくないレンセラ人とブセレン人。カストからは説得しづらかった。代わりにカストは、例のテロリストの情報があれば逐一チェックをし、怪しげな事件が起こればすぐにその現場へ向かう事に決めた。
セオとロジーに再会した時も、ベバハルがついに行動を起こしたのではないかと焦っていた。
実際に、ベバハルは爆破事件のあった日から連絡が取れなくなっていた。
だが、現場にいたのはカストの仲間ではなく、前日会ったばかりの旅行者だった。
建物が崩れ落ち住民たちが自失する中で、誰かを抱えて駆ける者があった。カストは戸惑ったが、セオの緊迫していて、痛みに耐えるような表情を見た瞬間に車のドアを開けていた。
セオたちに聞きたい事はたくさんあったし、血まみれのロジーが心配だった。それに、仲間のベバハルの事もある。
とにかくその日はセオたちに隠れ家を用意し、治安維持組織に気取られていないか情報収集をしながらカストとダッタは廃屋を後にした。
とんでもない日だった。帰ってから他の仲間にも状況を説明した。ベバハルについて訊ねたが、ルジェラもゴイツも連絡は来てないと言った。
やはり、ベバハルは昨日の爆破に関わっているのだろうか。そうでなければ連絡が取れない理由が分からない。もしテロに関係がなくとも、連絡が出来ない状態にあるのなら、あまりよい状況にいるとは思えない。
それに、セオとロジーをあのままにしておけない。
あの二人には、不審なところがいくつかある。どうして怪我をしたのに救急隊員から離れたのか。治安維持組織に追われているように見えたのは何故なのか。それに――テロ現場に居合わせたのは偶然だろうか。ハーマン人にしては身体能力が高いのも、会った時からカストは不思議だった。乗り物の操縦に手慣れた様子なのも、ケーセス出身だと思えば不自然だ。
まさかとは思うが、セオとロジーは別の顔を持っているのではないか。
廃屋を用意しても文句のなかった事から、二人は身を潜めなければならない状態なのか。
だとしたらカストはこのまま、二人を助けてよいのか。
カストの悩みは尽きない。
学校の前でカストの父が息子を車からおろす。カストは父の乗った車を見送って、自分の端末を取り出す。この日の授業は、どれも出席日数が足りている。であればカストが授業に出る必要はない。今後の方針と対策を練るにはどこの空き教室がいいだろうか――そんな事を考えながら、カストは校内に入った。
気がつくとロジーはセオの腕の中で眠っていた。傷が治ったとはいえ失われた血は戻っていないのだ。まだ体調が万全とはいえず、彼女には休息が必要だ。またロジーを横たわらせ楽な姿勢をとらせてやる。
夜が明けていると気づいたセオは、とても寝つけそうにない。
セオは本当は行動を起こしたかった。泊まっているホテルに荷物の大半を置いてきてしまったから、取りに行きたい。ロジーの失われた血液を戻すために、現状輸血は無理でも鉄分を多く含む食べ物でも食べさせてやりたい。また、周囲の様子を伺いたかった。
だが、今のロジーを置いて建物を出る気にはなれない。
これからどうすべきか、セオは考えた。状況はセオが今回の任務について初めて耳にした時に想像したものとはまったく異なっている。だがこれまでにも想定外の状況に追いやられた事は何度もある。その度にセオはなんとか乗り越えてきた。今回だって、最善の道を探せるはずだ。
夜明けの光が窓から差しても、セオは休もうともしなかった。
カストがゴイツと共に顔を出したのは昼頃だ。カストは飲み水と簡単な食事を持ってきてくれた。本当に彼は気が利く男である。
今の隠れ家の提供者であるラーマーティの若者たちに、セオは感謝すべきだろう。しかし、彼らがこのままセオとロジーの事情を聞かずに放っておいてくれるなんて事はあるだろうか。そうは思えない。カストたちに何と説明をしたらいいのか。当然セオは真実を告げるつもりはない。なんとか切り抜けなければならない。
少し警戒しながらカストと再会したが、ロジーの状態を聞かれて話しているうちにロジーに着替えがほしいという話になる。察しのいいカストは同性の仲間の力を借りる必要があると気づいた。
それでカストたちはたいした時間滞在もせずに去っていった。ルジェラと支度をして戻ると約束して。
カストを見送ってしばらくののちに、ロジーが目を覚ました。
これからの事を二人で話し合わなければならなかった。
ロジーの特異な能力を隠しながら任務を再開させるには、どれだけの注意が必要か。
そんな話をするうちに、ロジーはため息をつく。
「あーあ。にしても……お前をわざと怒らせてまで隠してきたのがムダになっちまったなあ」
つまらなそうにロジーは言ったが、その瞳は少し陰っている。
「お前が敢えてそうしていたのは、なんとなく分かった。スリに盗られた鞄に入っていたのは、やっぱり薬だったんだろう?」
「ああ。あん時ゃ必死だったな。薬がないとマジで安心出来ねえ。ホテルに予備があったから、まだよかったけど……」
巨大図書館で昏倒しかけた後、ロジーはその予備の薬を使ったのだ。
セオが察するに、鞄に入っていた方をあれだけ必死に追ったのだから、ホテルに残しておいた方はあまり多くないだろう。
「今、薬はどのくらい残っているんだ? それに一回の投与でどれくらいの間効果が続く?」
沈黙するロジーに、セオは眉間のしわを深くする。
「……薬はもう一本しかない。爆破事件の時になくしちまったみたいだ。薬の持続時間は、今んとこムラがあり過ぎてよく分かんねえ」
「ホテルに予備は残してなかったのか? 取りに……」
「ホテルには戻らない方がいーだろうな」
ロジーがまた小さく息を吐く。
「医療用透視端末機で、あたしの体スキャンされたんだろ。そしたらシラサ条約に反してるっていずれ気づかれるさ」
このままだと本当にセオとロジーは一つの惑星に追われる身になってしまう。ラフタハがレヴド連邦政府の統治下にあっても、遠方過ぎるが故に支配が行き届いているとは言いがたい。
一番いいのは、早いところこの惑星から引きあげる事だ。
ずっと座っていたセオは、立ち上がる。
「とんでもない任務になったな……今回は」
まるで迷路の出口を探すように部屋の中を見回すセオを、ロジーは見上げる。
「今回の任務、あたしのための任務だと思う」
はっきり聞いたわけじゃねーけど。と彼女は付け加えた。セオはロジーに視線を戻す。
「……“創成計画”は破棄されようとしてる。費用がかかる上に成果が出るまでにかなり時間がかかる。成功例も多くはない。お偉方が、この計画を終わりにしようとしてるんだ」
ロジーは書面を読む役人のように淡々として言った。
「……そうしたら、お前は」
震えそうなセオの声から逃れるように、ロジーは床に視線を落とす。
「被験者は殺されるだろうな」
“新ハーマン人創成計画”自体が世間に知られてしまえばハーマン人の立場を悪くする危ういもの。結果が出ないのであれば不要と見なされるのも無理はない。だがそれが、実験に使われたハーマン人の生存すら認めないというのなら――セオにとって、許されざる判断だ。
「そんな事は、させない」
セオはすべての苦痛をこらえるような険しい顔で、ここには居ない計画従事者を睨みつける。
「あたしだってごめんだ。だから、成果をあげる。今回の任務で被験者が仕事を成功させられたら、創成計画は続く」
だからロジーはこれまで、今の任務の続行を強く望んでいたのだ。体調が思わしくなくともやめる訳にはいかない。他の諜報員など頼らず、被験者自身の力で成し遂げなければならない。
ロジーが、わざと仲間を怒らせたり強がったりした理由が、セオにはよく分かった。彼女はたった一人で、自分が生き残る道を探していたのだ。忌まわしい計画のせいで、殺されないように。
「どうしたら……」
お前を救えるんだ。
その言葉をセオは呑み込んだ。そんな単語は、今の今まで何も知らなかったセオが使うには傲慢すぎる。ロジーの肩を掴むのもためらわれ、セオはただ拳を作る。
「――だから、被験者になっていたのはお前の可能性だってあったって言っただろ、セオ。入隊時に長い時間かけていろんな検査しただろ。あの時から被験者の選別は始まってた。計画の適性検査も兼ねてたんだ。いくつかの薬の投与で適性が分かったらしいんだが、もし体質に合えばお前だって被験者になってた。だから別にそんな、」
どうしてロジーは、自分の身に襲いかかる恐ろしい事を、天気についてでも話すように平然と言ってのけるのか。セオには理解出来ない。
「……その目、やめろって」
ロジーはどこか呆れた声を出した。どんな目かは知らないが、セオにしてみれば、相手への心配が伝わらなければ顔面など意味がない。
「ロジー、俺は」
彼は手を伸ばして、ロジーの頬に触れた。
彼女は、僅かに身動ぎした。セオが何か言おうと、あるいは行動に移そうとした。
「ルジェラきたよー」
立て付けの悪いドアを開けて陽気なカストが顔を見せる。
二人の男女が一瞬身をこわばらせて、相手から身を引いたのをカストは目撃してしまった。
「あ、あれ……? こういうの、トペレンサ語でなんていうんだろ……」
カストの目には、気心の知れた夫婦がいちゃつこうとする寸前に見えた。カストは明らかに二人の邪魔をしてしまったのだと、反省した。
一足遅れて室内を覗いたルジェラは不思議そうな顔をしている。
「とにかく、着替えとけ」
気まずさから表情が一層険しくなったセオは、それだけ言うと部屋を出た。
少ししてもカストが部屋を出てこないのでセオはそのブセレン人の若者の首根っこを掴んで連れ出した。
別室の中で比較的損傷の少ない場所を見つけると、セオはそこで待機する事にする。
「ロジーがしんぱいだよ」
感情は窺いにくいが、カストはロジーの調子がどうなのかを特に気にかけている。
セオは、この若者たちに対してどういうつもりで接したらいいのか、まだ決めかねている。
カストはどうも育ちは悪くないようで、頭の回転も悪くない。彼には安っぽいごまかしは利かないかもしれない。
セオは何か訊ねられる前にこの廃屋を去るべきか。自分たちの事情を話す訳にはいかないという事もあるが――カストたちにまで疑いがかけられる事になってほしくはない。
だが、誰かの協力なくして今のセオたちが任務を続ける事が出来るのか。ロジーは創成計画続行のために他者の力を借りてはいけないと思っているようだが、多少ならばよいのではないかとセオは考えている。もちろん真実は隠し、実際に地下研究所に潜るのはセオとロジーだ。その準備を整える間、現地に詳しい者に物資調達を頼む。それくらいであれば問題はないのではないか。つまり、隠れ家と食事を提供されている現在と一緒だ。これくらいなら続けてもいいだろうか。
「セオ? きいてます?」
やけに丁寧に呼びかけられ、セオはカストに返事をしないままだったと気づく。
「あ、ああ。悪い。なんだ」
「ごはん、もっともってきた、って言ったよ」
実際、セオはカストに食事を調達してもらっている。先程も持ってきてもらった飲み水は少し口にしたが、食事の事は忘れていた。
「さっきも貰ったが」
「えーと、いまもってきたのは、ぐあい悪いひとむけ」
言って、カストは手にしていた紙袋を持ち上げる。体調不良の者でも食べやすいように消化によいものを持ってきたらしい。さっきの食事がどんなものだったかセオはまだ確認していないが、あれだけでは不充分だと思ったカストは、気が利くにも程がある。
セオは改めてカストを眺める。触れてもハーマン人のようにあたたかくはないブセレン人の肌は、やや固くて灰色だ。真っ黒な瞳は感情を汲み取りにくい。だが、カストの瞳はどこか叡知を感じさせる――。
カストが、セオたちをただのテロ被害者と見なしている可能性は低いようにセオには思われる。
「……セオ、はなしがあるんだ」
カストの硬質な声を耳にした途端、セオは自分が身構えたように見えない事を願った。何か問われても、任務の事が知られないように振舞わねばならない。
思えばセオとカストとでは、立ち位置が異なるのだ。住んでいる惑星も、種族も。種族から考えるとラフタハでは敵同士になってもおかしくはない。やはり早々にここを立ち去った方がいいのだろう。セオは少し俯く。
「メシがあるって聞いたんだけど」
緊迫した空気をぶち壊したのは、育ち盛りの男子のようなロジーの発言だ。彼女は、ルジェラと一緒に部屋を出てきた。
右手で首の裏を掻いて、普通の家庭にいるかのような態度のロジー。着替えが済んで、自分じゃ選ばないようなちょっと洒落たドレープのあるクリーム色のトップスと、淡い水色のパンツを身につけている。服を持ってきたルジェラの趣味で選ばれた。髪や顔もいくらか身綺麗にしたので――これもルジェラの勧めだった――ロジーは少し前に爆発に巻き込まれたばかりとは思えなくなっている。
そういえば、とセオは自分も埃まみれでいくらか血のあとがついた小汚い状態なのを思い出す。着替えは全てホテルにあるので、セオも着替えるのであれば誰かの服を借りないといけない。
セオが自分を顧みているうちに、カストはロジーに向き直る。
「ロジー。もう大丈夫なの?」
その質問に何と答えたらいいか、ロジーはわずかの間迷った。
「んー……まあまあ。カスト、いろいろありがとな」
ロジーはまだ少し顔色がよくないものの、自分の力で立って歩く分には問題ない。ロジーの様子を今しばらく眺めた後、カストは息をつく。
「よかった。それで……ロジーにも、はなしがあるんだ」
カストの声から穏やかさが失われた。セオは厳しい顔をしないよう心がける。ロジーも頭にあてていた手を放して、身をただす。
「今、セオたち、爆破テロのかんけいしゃ、って思われてる。もくげきじょうほうもとむ、って」
ぎしり、と何かのきしむ音がしてロジーがそちらを向くと、話に興味がないのかトペレンサ語が分からないのか、ルジェラがボロボロのソファに腰掛けている。ロジーはすぐにカストに意識を戻す。
「ほんとは、こんなこと言いたくないんだけど、セオたちは……ふしぎに思えること、してるから……」
カストはその続きを口にするのを恐れているかのように、黙りこむ。
そしてそのブセレン人の若者は、深呼吸するように長く息を吸う。
「きみたち、いったい、何ものなの……? テロリストの……なかま?」
カストの声は、これまでにないくらいに張りつめていた。




