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9 真実

 宇宙に数多くいる亜人にはハーマン人とは比べものにならない再生能力を持つ種族や、瀕死に陥ると長い仮死状態になり生き延びようとする種族、他者から生命力を奪う事の出来る種族までいる。ハーマン人は彼らと比べれば寿命も短く、脆く、弱い。

 実際、ハーマン人は繁殖力が強いだけの生き物だ。その上ハーマン人は他種族と交配しても基本的に、他種族の能力は遺伝しない。

 ハーマン人にはあり得ない能力を持つのは、人為的に肉体に手を入れたに他ならない。

 ロジーのあの怪我の治り方を見て、セオもうっすらと勘付いた。

 医療用透視端末機(レンディドス・ワイズ)でロジーの体を診た救急隊員は、取得した遺伝子情報が純粋なハーマン人のものではなかったから、訝ったのだ。あの装置は相手の種族を細胞レベルまで読み取れる。ロジーが病院に行くのを拒んだ理由もそこにある。医療機関に関わってしまえば、すぐに彼女の異変は暴かれる。

「……人体改造は、シラサ条約で禁じられているはずだ」

 セオがなんとか絞り出したのは、くだらない政治的決まり事だ。

「禁止したからって、きれいさっぱり消え去るわけ、ないだろ」

 諦めたようなロジーの声。取り締まりの理由になっても、禁止事項を誰もが守れる訳ではない。セオは奥歯を噛みしめる。

「ザマテート事件、って知ってるか」

 急に話が変わった。ロジーは流行りの商品について訊ねるみたいな軽い調子だ。何故今その話を、と思いながらもセオは脳内の勉強ノートを開く。

「……ああ、歴史の授業で習った。先の大戦のきっかけとなった事件だろう。レンセラ人の子供がハーマン人の間でひそかに人身売買されていた。もちろん違法だ。その人身売買の証人になる予定だった被害者レンセラ人が、裁判当日に失踪した。その一連の流れを現場となった地名にちなんでザマテート事件と呼ぶ」

 まるで教師のようにセオは淡々と告げた。当時セオはまだ生まれてもいないが、有名な事件だ。

「さすが、ガリ勉」

 ロジーは一度セオを眺める。

 もう百年以上も前の出来事だ。ザマテート事件で行方不明になったレンセラ人は、口封じのためにハーマン人の手で殺された、との説もある。

 元々、ハーマン人の他種族に対する扱いに不満を抱いてきた亜人たちは、ザマテート事件をきっかけのひとつとして、ハーマン人に宣戦布告した。

 それまで何度もハーマン人と争ってきた亜人たちだったが、我慢の限界だった。この時ばかりはお互いに、長く辛い戦いを避けられなかった。現在、“大戦”といえばこの長期に渡る戦争の事を指す。

 主な戦場は惑星レヴドだ。あまりにひどい戦争だったため、レヴドのほとんどの都市が壊滅状態になり、国土は疲弊した。両者共に総力を尽くし争い続けた結果、勝者などあってないようなものだった。

 それでも勝ったのは、レンセラ人たち亜人だった。

 かつては互いに自治を確立していたが、大戦に破れたハーマン人はレンセラ人を中心とする亜人の支配下に置かれた。

 故に現在でもレヴド連邦政府が所有する全ての惑星の政治的頂点にはレンセラ人を主とする、亜人が立っている。民の多数がハーマン人という惑星ケーセスでも、元首はレンセラ人だ。

 戦後、亜人たちはハーマン人に多くの条件を課した。そのうちのひとつにシラサ条約がある。

 随分と話がそれたが、何の関係があるのかと言おうとしてセオも気づいた。

「まさか……その売買されていたレンセラ人は、人体改造が目的で買われていたのか……?」

 ロジーは頷く。

「そうらしい。昔っから、ハーマン人は自分たちの非力さを嘆いて、なんとか他の強い種族のようになれねーか苦心してた。そのうちのひとつが人体改造で、“新ハーマン人創成計画”だ。主に、亜人の能力を取り込んだ強いハーマン人を生み出す事が目的で、ありとあらゆる種族の身体を研究してるらしい」

 肉体に、医療行為以外で人工的な手を加える事を亜人たちは嫌う。特にレンセラ人は宗教的な理由もあって、医療行為ですら自然の摂理に反すると言う。それは歴史的宗教的価値観から来るものでもあるが、レンセラ人はか弱いハーマン人とは体のつくりが違うからでもある。

 土台、ハーマン人とそれ以外の種族では何もかもが違っているのだ。

 そんな者と対等になるには、相手を研究し、我が身に取り入れるしかない――。

「戦争中、特に人体改造の技術開発は進んだみてーだ。戦争に負けたからって、せっかく盛り上がった計画を、捨てられるはずがねえ。条約で禁止されたくらいじゃハーマン人は諦めなかったんだろうよ。戦後はずっと、連邦政府の目をかいくぐって、人体改造を続けた」

 戦時であれば自軍の兵力増強は必要事項、ハーマン人の人体改造計画は加速した。その速度は、敗戦くらいでは止まらなかったのだ。

 百年以上も前から続く、血ぬられた計画の一端。

 そう思うと、セオの背筋は冷えた。

 これまでセオは何も知らなかった。戦中は勝利の為に汚い手段や倫理観にもとる行為が行われたとは聞いていたが、それが今現在も続いているなどと、考えられもしなかった。

 その生き証人が、自分の身近にいる。セオは今をもっても信じられない。

 ロジーの顔を見られなくなって、セオは床に視線を落とす。

「お前の怪我があっという間に治ったのも……」

 分かりきっていたが、セオは間抜けな事を聞いてしまった。あまりに巨大過ぎる陰謀を知った後で、頭が混乱しているのだ。

「“創成計画”のお陰だよ」

「これまで、任務でそんな様子はなかったはずだ」

 任務でロジーが怪我をした時は、すぐに応急手当てをするか医者に連れて行ったはずだ。だがセオは、ロジーが今回のような大怪我をした日を思い出せない。

 彼女は一体、いつから計画の重みに耐えてきたのか。

「最近やっと体に馴染んできたんだろ、ハーマン人じゃねぇ細胞が。でもまだ安定してない。この間ふらついたのもそのせいだ。あたしの中でハーマン人とそれ以外の要素(・・・・・・・)が闘ってる。そういう時は薬でなんとか言う事聞かせてるけどな」

 ラーマーティ中央図書館に待ちぼうけを食らわされていたあの日。床にうずくまったロジーは、“なんでもない”などと言った。当然セオはそれを信じなかった。薬を使って一晩で回復したロジーに、セオは持病があるのか訊ねた。

 あの時こそ、ロジーの体中では、ハーマン人と亜人の力が争っていたのだ。

 ロジーは自分の身に起こった事を、頑なに隠したがった。それでセオとロジーは険悪な空気になってしまった。

 何も知らないセオは、ロジーの頑固な様子に憤った。

 言えるはずがない。セオは目を伏せる。

 ロジーの個人的な感情はもちろん、今までの話からすると“新ハーマン人創成計画”は機密事項だろう。その計画はハーマン人の、レンセラ人政府に対する切り札のようなもの。反政府勢力の、重要な攻撃の駒が――リ=ゼラ=フェイ=ロジーだ。いくら連邦政府の目が届きにくい遠方(ラフタハ)にあっても、わざわざ自分が危険因子と周囲に告げて回る必要はない。

 視線をロジーに戻したセオは、彼女が今では、ただのハーマン人でも、ただの軍人でもなくなってしまった事を知った。

 自分がレヴド連邦政府の敵となっている事を、セオだったら言えるはずがない。

「それ以外の要素、って何なんだ……」

 セオはまた下らぬ事を聞いてしまった。

 見た目には普通のハーマン人と変わらぬ容姿をしているロジー。彼女は美しくさえある。ロジーは小首を傾げた。

「さあ、なんだったかな。レンセラ人の身体能力の高さはよく知られてるだろ、だからレンセラ人と、ヴァンプール人と、他にもなんか高い身体能力を持つ種族との……いろいろだ。なんか最新技術でちょっとした手術と薬だけで他種族の能力を取り込めるようになったらしい。今は薬で体質を安定させるのがメインで……」

 仲間との他愛もない話を説明するように、ロジーは簡単に言った。

 だが、内容はそんなものではない。元々ハーマン人の持たぬ能力を手にするには、傷が急激に治る体質になるには、危険や苦痛が伴わないはずがない。

「そんな顔すんなよ。手術の時だって、歯医者に診てもらってるみたいなもんだった。麻酔の効いてる間にすべて終わってた」

 自分がどんな顔をしているかセオには自覚がない。

 ただもう、セオはたえられなかった。

「なんで……なんでお前なんだ……」

 すぐそばにあったロジーの体を、自分の体に押しつける。

 セオの顎が、意外にもやわらかいロジーの肩に触れる。腕から、肩から、首筋や腰から、ロジーのぬくもりが伝わってくる。彼女は今も、生きている。ただのちっぽけなハーマン人でしかない。そんな彼女を――自然に反したやり方で肉体を弄び、造り替えた存在がいる。セオには理解も出来なかった。

「たまたま、手術と薬に合う体質だっただけで……偶然みてえなもんだよ」

 抱きこまれても、ロジーは淡々と話を続ける。

「……体調悪くなってきたのも、最近になってからだし。それまで、やけに眠いとかだるいぐらいで、たいした問題もなかったし……」

 だからロジーは、今回の任務の前日、資料読みの途中で眠ってしまった。宇宙船(ケール・パーゼ)で時々部屋にこもっていたのも、睡魔のせいだ。

「二年も、……二年も一人で耐えてきたのか」

 何も知らなかったセオは、ロジーが苦しんでいるとも分からずに対応してきた。

「一人じゃねえよ。長官も知ってるし、あと、腐れ計画の従事者で、あたしの経過を見てるアドス人科学者が……」

 遠くを見てディスを思い浮かべていたロジーは、自分にすがりつく男の力が強くなったので眉を寄せる。

「セオ」

「入隊した時から始まってた、ってどういう事だ」

「セオ。傷、まだ治りきってないから、痛い」

 真正面から抱き込まれたら、背中に触れないはずはない。セオはロジーの背中をなるたけ避けたつもりだったが、無意識に触れてしまったらしい。

「……悪い」

 この手を放すのは恐ろしかった。セオはロジーの背から両手を放したが、彼女から離れる事は出来ない。だからロジーの手首を掴む。もしこのまま手を放したら、彼女が消えてなくなりそうだと錯覚した。

 ロジーは下を向いていたが、セオの手を拒絶したりはしなかった。

「軍人は最初から、“創成計画”にはもってこいだったから、入隊と同時にみんな被験者候補だった。体質さえ合えば、お前も手術を受ける事になってただろうよ。軍人みたいに死が隣り合わせにある職を選んだ者は、いつ死んでもおかしくない。それに孤児なら、家族の死を不審に思って探ったりする者もいないから最高の条件だ」

 確かにロジーは孤児だ。セオと違って養い親もいない。

「……やめろ。それじゃまさか」

「“創成計画”は完璧じゃない。無理矢理に人体改造なんてしたら、いつか体が異質なものを拒絶して、死ぬ」

 生きとし生けるもの、いつか終わりを迎える。だが、無理矢理に肉体を改造された者の死は、自然なそれよりも早い。ロジーはそう言いたいのだ。

「だから、お前に知られたくなかったんだよ」

 今度は彼女の腰を引き寄せる。ロジーがセオの耳の後ろで苦笑する声が聞こえる。きっとセオは、自分が死にそうな顔をしているのだろうと、頭の隅で思った。

 お前に同情なんて、されたくなかった。

 この話をする前にロジーはそう言った。セオの性格から、彼女の話を聞いて同情してしまうのは分かりきっていたと言いたいのだろう。

「……これは同情なんかじゃない」

 だがセオは同情なんていう単純な言葉じゃ今の気持ちを言い表せない。憐れみとか、可哀想だとか決まりきった思いを抱いたのではないのだ。

 いくつもの感情が混じりあい、形を変え、揺れ動く。セオの頭は何を思ったらいいのかまだ分かっていないのかもしれない。あまりの事実に、感情の名前が追いつかない。

「同情なんかじゃ……」

 ただ、このぬくもりを手放す事への怯えは止まらない。だからセオは彼女をこの世につなぎとめようと、腕の中に閉じこめる。

 恐ろしいのはセオの方で、彼女にしがみついているだけだと分かっていた。

「うん……分かったよセオ。分かったから……」

 幼い子供を安心させるような声で、ロジーはセオの背を撫でた。

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