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■五日前 02

 美恵子は幼い頃から、そこにはないものをよく見ていた。

 自分と同じぐらいの歳の子供や、おじいさんやおばあさん、素知らぬ顔でいる犬や猫など。

 と言っても、自分には見えているのだから違和感など感じない。

 しかしそれを親に告げると、困ったような顔で見られたことをよく覚えている。

 中学に入った頃、母親はそれを他人に相談したほど悩んだのだ、と美恵子に告げた。

 その相手は、子供には自分にしか見えない遊び相手がいるのは、よくあることだから気にしないように、とアドバイスしてくれて、それで随分楽になった、と明るく笑っていた。

 遊び相手を覚えている? どんな子だったの? と興味深げに訊かれて、美恵子は内心困っていた。

 特別な遊び相手はいなかったこと。

 そして、今でも度々見えていることを告げられなくて。



「吉谷さんが、襲われた時に犯人の姿を見てへんのは、つまりあの子には見えへんかったからや。こればっかりは人によるからなぁ」

 刑事の言葉に、僅かに俯く。

「西園寺さんは、私のことをおかしいと思わないんですか」

「あ?」

 真面目な表情で、白い人影を睨みつけていた男が、ちょっと意表を衝かれたようにこちらに視線を向けた。

「……死んでしまった人とか、人じゃないものとかが見えてしまっているのに」



 小学校に入った辺り、何の気なしにそれを話したことで、彼女は一時孤立した。

 その頃、そういうことを言う子供は時々いて、児童の間ではさほど奇異な目で見られていたわけではない。見えない子供たちも、それを怖がったり面白がったりと様々だった。

 しかし、そんな子供たちでも、人によって、見えるものと見えないものがあった。美恵子の見えるものを、他の子供は見えないと言い切ったのだ。そして、その子が見えるものが、美恵子には見ることができなかった。

 その矛盾を説明できるほど、彼らの知識は豊富ではなかった。

 自然、彼らは見える者も見えない者も、互いを嘘つきだと判断しあい、罵りあい、そして離れていった。

 それは彼らにとってはもの凄く長い期間に渡っておきたことだった。そして、酷く、深く傷ついた美恵子は、もう人には一切話さないことでその問題を回避することを学習した。



 数年ぶりにそれを告げた相手、西園寺は不審な表情で片方の眉を上げる。

「……ワシも見えてるんやけど」

「え、あ、いえ、それは……。あれ?」

 ごちゃごちゃとした自分の感情をばっさりと切り捨てられて、混乱する。ふっ、と表情を緩めて、西園寺は笑みを作った。

「女の子っちゅうもんは、繊細やなぁ」

「セクハラですね」

 きっぱりと言われて、肩を竦める。そして、男は、ゆっくりと足を進めた。銃を構えていない左手で、器用に左身頃の内ポケットから何かを取り出す。

「警視庁捜査(れい)課所属、不可知犯罪捜査官、西園寺四郎や。殺人未遂の現行犯と、傷害の容疑で処分する」

 警察手帳を示して、言い渡した。

「……処分?」

 警察組織のことなど、勿論中学生である美恵子には詳しい知識はない。だが、テレビドラマなどを見ても、彼らができることは逮捕や取り調べであり、裁判とは別であることぐらいは知っていた。

「うん、まあ、こいつは特別や。ワシもやけど」

 にやりと笑って返される。

 白い人影は、抉られた頭の欠損部分がじわじわと塞がり出していて、もう奇妙な形にへこんでいるだけになっていた。

 西園寺が一歩進む。それに反応したように、人影が美恵子に向けて走りだした。

 次郎五郎が、瞬時に迎え討つ。大型犬に近い体型のその犬は、しっかりと凶器を持つ右腕に食らいつき、そのまま地面に引きずり倒した。

 ごす、と西園寺の靴底が人影の背中を踏み躙る。

「よしよしよし。ほな、始めるで」

 拳銃を滑らかに上着の内側にしまう。今初めて気づいたが、その両手には白い手袋が嵌められていた。病院ではしていなかったように思う。

 それは、街灯の灯りで、ところどころがちかちかと光っていた。ラメの入っている生地だとしたら、ちょっと趣味が悪いな、と美恵子は場違いに思う。

 白い人影は、両足と左腕で逃れようともがくが、全く効果を上げていない。

 西園寺が、右手を人影の頭部に突っこんだ。

「え?」

 今まで、美恵子に対しても次郎五郎に対してもそして西園寺にも、人影は確かな質感を持って相対してきた。

 それが、彼女が相手を人ではない、と簡単に判断できなかった理由の一つだ。

 しかし今、西園寺の手は何の障害もないように相手の頭に入りこみ、その中を探るように蠢いていた。

「……あー。やっぱりか。厄介やな」

 小さく舌打ちして、呟く。次いで、視線を呆然としたままの美恵子へと向けた。

「八木さん、ちょっとグロいことになるさかい、目ぇつぶっててくれるか。手を当てて、ワシがええって言うまで絶対にこっちを見んといてくれ」

「え、でも」

 流石にこの状況で視界が塞がれるのは不安だ。

「大丈夫や。その、光の範囲から出ぇへん限り、こいつは近寄れへんし、そもそもワシらがちゃんと護ったる。頼むわ」

「……はい」

 渋々、美恵子は目を閉じた。掌を顔に当て、闇の中に立ち尽くす。

「よし、と」

 西園寺が言葉を漏らすと同時、めきめきと何かが剥がれるような嫌な音が響いた。

「ぅあああアアあぁあアあああアア!」

 初めて、襲撃者が声を上げた。その悲鳴に、美恵子が身を竦める。


 西園寺は、手で耳をこそ塞ぐように言うべきだった。

 しかし、その破壊音に混じる、闇をつんざくような悲鳴が。

 苦痛と、絶望と、羨望と、嫉妬と、執着とにまみれた絶叫が。

 それにはひどく聞き覚えがあって、反射的に、美恵子は目を開けてしまった。



 白い人影は、変わらず身体を地面に押しつけられていた。造作のはっきりしない顔だけを上げ、狂おしげにアスファルトに爪を立てている。

 その背に片足を乗せ、西園寺は白い手袋を嵌めた手で相手の頭部を掴み上げていた。

 踏みつけた足元から、二つに分かれた上半身の、片方を。

 未だに響く、歯の疼くようなめりめりという音は、それを引き剥がす時に生じる音だった。

 そして、引き剥がされた方の姿は、とても見覚えがあるもので。



「……ほの……ちゃん?」



 いつも大人しく、引っこみじあんな少女が、ぎろり、と美恵子を睨みつけた。


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