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■七日前

 翌日、美恵子は生欠伸を片手で隠しながら、校舎を繋ぐ渡り廊下を歩いていた。

 前日にあんな目にあって、流石に熟睡できるほど神経は太くない。寝つくまでに時間がかかり、その後も浅い眠りと覚醒を繰り返していたのだ。

「どうしたの? 寝不足?」

 隣を歩くクラスメイトが尋ねてくる。ちょっとね、と小さく笑いながら美恵子はごまかした。

 午後ならばともかく、今は昼食前だ。眠気が襲って来るには早すぎる。

 何気なく視線を窓の外へ向け、彼女は小さく息を飲んだ。気づいた友人が覗きこんでくる。

「あれ? 誰かな」

 二人の視線の先には、黒いスーツの男の姿があった。前方を指し示しながらその傍らに立っているのは教頭先生だ。

「誰だろうね……」

 にわかに頭痛を覚えながら、さりげなく美恵子は歩くコースを窓から離れるように修正した。




 放課後、ホームルームが早めに終わり、美恵子は部活棟へと向かっていた。

 まだ殆どの生徒は校舎の中だろう。廊下にも下駄箱にも、人の気配はない。

 渡り廊下の下を潜り抜け、埃っぽいグラウンドが視界に入ったところで、足を止める。

 広いグラウンドの中央辺り。黒いスーツの男が、両手をスラックスのポケットに突っこんで立っていた。

 午前中から今まで、彼の姿を見ることはなかった。それでも、まだ校内にいることを予想しなかった訳ではない。だが、彼から数メートル離れた場所で地面の匂いを嗅いでいる銀色の犬を認め、慌てて美恵子は走り出した。

「西園寺さん!」

 その声に、男が肩越しに振り返る。にやり、と笑みを浮かべて、身体ごとこちらへ向き直った。

「おぅ、一日ぶり。元気やった?」

 和やかに声をかけてくるが、それに応える余裕はない。

「あ、あの、すみません。グラウンドに犬を入れるのはちょっと……」

 一瞬きょとんとした目で見返されるが、すぐに理解したのか苦笑する。

「ああ、そうやな。すまん。次郎!」

 名を呼ぶと、銀色の犬は鋭く顔を上げ、小走りにこちらへ戻ってくる。西園寺が延ばした掌の下に自ら潜りこみ、鼻面を押しつけた。

「その子、昨夜(たす)けてくれた子ですよね。次郎くん、ですか?」

 その場にしゃがみこみ、手を差しのべてみる。犬は注意深く顔を寄せ、匂いを嗅いできた。

「ん。正式には次郎五郎て()うんやけど」

「……変わった名前ですね」

 返事に迷ってそう返す。

「これから部活なん?」

 次郎五郎が顔を離した辺りで西園寺が尋ねた。

「はい、大会が近いので。あまり遅くまではできないんですけど」

 部活動の終了時間を切り上げるように、という指示は、あの事件を受けてのことだ。

 色々な意味での歯がゆさに、表情が暗くなる。

「吉谷さんらと同じ部活やったっけ。陸上部か」

 が、西園寺はそのまま話を振ってきた。

「そうです」

「足、速かったもんなぁ。ええ記録持ってるんと(ちゃ)う?」

 くつくつと笑いながら、問われた。

 昨日、彼から逃げ出したことを思い出し、羞恥に口ごもる。

「吉谷さんも、早かったん?」

 だが、ふいに問いかけられて、我に返った。

 この男がここにいるのは、仕事のためだ。

「……タイムは、私とさほど変わりません。どちらかと言うと、長距離向きなのかも、って先生が言っていたことがありますけど」

 次郎五郎に差し出していた手を、無意識に引いた。銀色の毛並みが、小首を傾げるように揺れる。

「何か、部活の中でごたついてたとか言うこともないねんな?」

「ありません。ほのちゃん……、吉谷さんはおとなしくて、あまり前にでることもないので」

 あの穏やかな友人が、トラブルに見舞われていたようなことは、ありえない。

 静かに、しかしはっきりと断言した美恵子に、小さく頷く。

「ん。おおきに。まあ、邪魔にならんように後は余所(よそ)に行っとるわ。頑張りぃな」

 そう告げて、男はひらりと片手を振る。忠実な犬が、すっとその傍に寄り添った。

 美恵子は身軽に立ち上がる。ぺこ、と小さく下げた頭の上に、声がかけられた。

「陽が暮れる前には家に戻るようにな」

 僅かに不安を覚えて、美恵子は頷いた。




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