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不可知犯罪捜査官 西園寺四郎  作者: 水浅葱ゆきねこ
狐よ踊れ

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29/32

梅田

 人波に、はなは目を丸くする。

 きょろきょろと周囲を見回し続ける少女の手を、ゆきはぎゅっと握った。


 通勤ラッシュは一段落し、大抵の店は開店前後、というこの時間帯でも、梅田の人口密度はかなり高い。

 ここは、JR大阪駅に東海道本線と大阪環状線が接続し、少し離れるが北新地駅に東西線が通り、阪急電鉄梅田駅と阪神電車梅田駅が終点となり、大阪市営地下鉄からは御堂筋線梅田駅、谷町線東梅田駅、四つ橋線西梅田駅が連結する、巨大な『交差点』だ。

 地下鉄には、更に北梅田だか南梅田だかができる、という噂さえある。

 深夜でも無人となることはない、そんな場所だった。

 できるだけ人目を避けてきたはなには、初めての光景である。

「大丈夫か? 疲れてへん?」

 ゆきが尋ねるが、少女は笑って、平気、と返した。

 時間はない。稼げたアドバンテージは、精々一時間だ。

 しかし、それでも、見せておきたかったのだ。

 彼女の意思が、どちらに向こうとも。



 梅田エリアの北西部、比較的人気(ひとけ)が少ない場所に、彼らは足を向けた。

 こちら側には、高層ビルは少ない。

 そこに、すっくとそびえ立つのは、梅田スカイビル。

 『空中庭園』と呼ばれる展望台がある、建物だ。

 十数メートルの距離を空けて建つ二棟の高層ビル。地上百七十メートルの高さで、それらを繋ぐフロアが展望台だ。

 透明なエレベーターに次いで、同様に外が見えるエスカレーターを乗り継いで展望台に入る。

 はなは、声を上げて、円形の外壁に嵌めこまれたガラス窓に近づいた。

 今まで歩いてきた道に建っていたビルが、はるか下方に見える。

「すごい……」

 微笑みながら、ゆきはその後ろに近づく。

「まだ終わりやないよ。もう一個上、行こ」



 びゅう、と、強い風が吹きつける。

 屋上は胸ほどの高さの柵がぐるりと巡っているだけで、吹きさらしになっている。

 はなは眼下に広がる大きな川や、それにかかる長い橋などに、目を見開いていた。

「はな。あっちが、うちの生まれたとこや」

 北東の方角を、指差す。はなは背伸びをして懸命に見通そうとするが、流石にここからお山は見えない。

 箕面(みのう)の山ならうっすら見えるが。

「ゆきの、おうち?」

「せや。ただただのどかなとこで、ほんまつまらへんて思とったけど、……はな」

 柵に頬杖をついて思い起こしていたゆきは、視線を少女に向けた。

「一緒に行かへん?」


 よく飲みこめていない風に、はなは隣の青年を見上げていた。

「見たやろ。世界は、こんなに広い。もっともっと、広いんや。全部放って、一緒に行こ。西園寺はんは、大阪府警のお人やから、大阪から出たら追っかけてこれへんし」

 現在の西園寺はともかく、漆田に関してはそうでもないのだが、ゆきはそれを知らない。

 ただ、熱意をこめて、かき口説く。

 この子を、辛い目に遭わせたくはない。

 警察に『保護』されること。

 そして。


「だめ。あたし、やらなきゃならないことがあるの」


 他のホムンクルスと、殺し合いをさせることも。



「はな。そないなことせんでも、生きていけるんよ。美味しいもんはぎょうさんあるし、楽しいこともぎょうさんある。この一時間で、見たことないもん、ようけ見たやろ? うちのお山まで、ここから電車に乗って一時間くらいや。そこは、こことはまた全然(ちゃ)うんやで。見たいって、思わへん?」

「見てみたい……けど。ゆきの、生まれたところ。でも」

 困ったような顔で、少女は答える。

「大丈夫やって。うち、逃げるん得意やから。はなのこと捕まえようとするやつから、逃げまくってこ」

 な、と笑いかけるゆきは、言うほど隠行に長けてはいない。

 周囲の客が、静かに姿を消していくのに、気づかなかったのだから。



「ゆき」

 背後から声をかけられて、初めて知覚する。

 強風に背広の裾をなぶらせる、二人の男に。

「西園寺……はん」

 気がつかなかった。いや、今でも気づけない。

 普段、この黒衣の男が纏っている、穢れた、不吉な気配に。

「西園寺はん、なんで」

 はなをその視線から遮るように、やや前に出る。不機嫌な顔で、刑事はそれを睨んでいた。

「なんでそんな、真人間みたいな臭いさせてはりますの……?」

「ワシはいつも、大方は真人間や!」

「大方は、なんだ」

 感心したような、呆れたような顔で、漆田が呟く。

 苦虫を噛み潰したような同僚を無視して、素知らぬ顔で漆田は口を開いた。

「残念ながら、逃げ場はないよ。下の階までの避難と封鎖は完了してる。そこから飛び降りれば話は別だけど、それができるほど、君は階位が高くないだろう?」

 まして、実存在のはなを連れて。

 ゆきが、ぎり、と奥歯を噛み締める。

 誘うように、漆田は片手を差し伸べた。

「返して貰おうか。『追跡くん 3.26』を」


「……はい?」

 予測できなかった要求に、反射的に問い返す。

「喫茶店で持っていっただろ? 言っておくけど、これは君たちの為でもある。生体認証してあるのは、捜索対象だけじゃない。使用者も、だ。登録されてないモノが使おうとしたり、分解しようとしたが最後、爆発する」

「ば……っ!?」

 慌てて、ゆきはデニムのポケットから、掌大の機械を取り出した。

「下手やったら爆発すんで」

 そのまま放り投げかねない青年に、西園寺が忠告する。

 びく、と身を震わせて、ゆきはそっとそれを足元に置いた。そして、はなと共に、そろそろとその場から後退する。

 肩を竦め、無造作に漆田はそこに近づいた。ひょい、と身を屈めて、置き去りにされた機械を手にする。

「あーもー。焦った。紛失したら、始末書じゃ済まないんだからね」

「焦ってんのは、辞令(もろ)てへんワシのせいにできへんからやろ」

 あからさまにほっとする漆田と、素っ気ない西園寺が、さて、と再び二人の男女に向き直る。

 未だ、出口は西園寺が抑えている。逃げ場はない。

 何とか、隙を見つけ出せないかと焦れているところに。

「ほれ。とっとと行くで」

 あっさりと促された。

「え、や、せやけど」

「優しゅうしたってる間に、()うこときいた方がええ。自分らは、元々、ワシが護ったる相手とは(ちゃ)うんやから」

 静かな声とは裏腹な言葉に、身を竦める。

「ゆきを滅して、その子を死なん程度に痛めつけて連行したってええんやで?」

「西園寺はん!」

 ぞくり、と、背筋が冷える。

 幾ら、気配が普通の人間と変わらなくなったとしても。

 ひょっとしたら、だからこその、『人間』からの悪意に、ゆきはうなじの毛を逆立てる。

 ゆら、と、目の前の空間が揺らいだ。

 一分でいい。視界を眩ませて、出口を突破する。

 この、平気で『人間』以外を壊してしまう男から、逃げ出すのだ。

 だが。

「次郎五郎」

 銀色の犬神が、正面から大きく口を開けて飛びかかってきた。


 ばくん、と、何かを噛み千切った直後、空間が一瞬ぶれて、そして鮮明になる。

 ゆきの目眩ましを、喰ったのだ。

 ぞっとして、足元で舌なめずりする大型犬を見下ろす。

「自分を、存分に喰わせたろか?」

 もう、猶予はない、と、言外に告げている。

 思わず、はなを庇ったままで数歩距離を取る。

 そうして動いたせいだろう、今まで見えなかった視界の端で、何かが動いた。


 視線を向けた先にいたのは、まだ幼い子供だった。

 半袖に、半ズボン。短い髪には、蜘蛛の巣のようなものがふわりと乗っていて、両掌と両膝を床についていた。

「あ」

 三人が、揃って小さく呟く。

「おい……」

 西園寺のいる場所からは、フロアの中央に大きく空いている円形の吹抜け部沿いの手摺壁が邪魔で、子供は見えない。訝しげな声を漏らしたその瞬間に。


「33番!」

 今まで、ゆきに連れられるがままだったはなが、叫んだ。


「気づかないまま、死んでりゃよかったのにさ!」

 嘲るような声を上げて、子供が地を蹴る。

 ゆきの身体をすり抜けてそれに飛びかかろうとしたはなを、慌てて青年は抱き止めた。

「あかん、はな!」

「はなして!」

 少女がもがく。

 薄く笑みを浮かべた子供が、迫る。

「あー、もう!」

 力任せに身体を捻ると、ゆきは駆けた。

 西園寺の方へ。

「あんじょう、頼んます!」

「おい、おま……!」

 はなを横抱きにして駆け抜けるゆきに、怒声を上げかける。が、足音も立てずに迫る子供に、息を飲んだ。

 上着の下に右手をつっこむと、二十センチ程度の長さの棒を取り出す。

「おい! これ、あれなんやろうな!」

「多分!」

 多くを話せない状態での、ゆきからのその言葉だけを頼りにする。

「人間や、ない……」

 言い聞かせるように、呟く。

 相手がホムンクルスであるなら、触れられただけでも無傷では済まない。

 勢いよく手にした警棒を振り抜くと、小気味いい音を立て、瞬時に三倍ほど延びる。

 まだ間合いが遠い、と思いこんでいた子供が、目を見開いた。そこに一歩踏みこんで、勢いよく小さな背中に叩きこむ。

 ……肉と、筋と、骨の、感触。

 〈嫌悪感〉に顔を歪め、西園寺は蹲った子供を無造作に踏みつけた。

「漆田」

「はいはい」

 軽く、連れの青年が近づく。

 身動きできない子供の脈を取り、目蓋をめくり、肩を竦めた。

「ま、大丈夫でしょ。また救急車呼ぼうか」

「スタッフ、前ん時にみんな戻りよったんちゃうん?」

「そうだった。素人さんに何かあったら困るし、病院でしばらく眠らせておいて貰おうか」

 話している間にも、トランクから取り出した包帯のようなもので、漆田は手早く子供の手足を拘束している。

 ゆきは、外側の手摺に背中を預けてしゃがみこみ、荒い息をついていた。隣に座るはなは、一転してきょとんとした表情に戻っている。

 彼らに近づく西園寺の向こうから、ててて、と銀色の犬神が寄ってきた。小さく首を傾げると、飼い主の脚に身体を擦りつける。

「ちょ、おいこら」

 焦る声に、ゆきは笑い声を上げた。

「その子も、西園寺はんの臭い、おかしいて思てますやん」

「やかましいわ。自分が下手に鼻が効くよって、色々手間かけたんやんか」

 そのおかげで、朝に襲ってきたホムンクルスとは違い、今の襲撃者にはただの人間だと思われ、侮られたのだろうが。

 西園寺はその場にしゃがむと、次郎五郎の頭をわしゃわしゃと撫で回す。

 そして、笑いすぎてむせたゆきの手を、取る。

 小さな音を立てて、その手首に輪が嵌められた。


「……は?」

 慣れた手つきで、西園寺は鎖を手摺にくぐらせると、もう一方の輪をはなの手にかける。

「西園寺はん? なんで手錠なん?」

「逃げださへんように、や。ちょっとの()ぁくらい、我慢せぇ。ワシ、煙草吸うてくるさかい」

 心得たように、次郎五郎は二人の男女の前に座った。

 ゆきが化け直して手錠を抜けようとすれば、攻撃するつもりだろう。

 睨みつける黒い背広の背中が、遠のいた。南側の手摺にもたれ、煙草に火をつけている。

「難儀だねぇ」

 同僚に視線を向けて軽く呟くと、今度は漆田がやってきた。

「怪我はない?」

 二人が、小さく頷く。

「落ち着いちゃってるね。朝方もだったな。相手の姿が見えないか、意識がなかったら対象だと認識できないのかな……」

 しげしげと、はなの様子を観察する。

「見逃して、貰えまへんか」

「駄目だよ」

 小さな希望に縋るような言葉は、すぐに拒まれる。

「君たち、話の途中でいなくなっただろ。そういうの、よくないよ。このまま逃げても、はなちゃんは解放されない」

「え?」

 軽く咎めるように告げられて、瞬く。

「〈契約〉をね、結んでいるんだ。今の場合は、他のホムンクルスを殺す、かな。殺し尽くすか、それから他の条件を果たすまでか、この子は〈契約〉に急かされ続ける」

「急かされる……」

 ずっと、やらなくてはならないことがあると、言っていた。

 それが。

「だから、創造主(メイカー)のところに行こう、って言ったんだよ。〈契約〉を書き換えれば、この子たちは解放されるから」

「そう……なん?」

「私はジャンルが違うけど、それくらいは知ってるよ。確かだ。……いいね?」

 ぽかんとするゆきと、きょとんとするはなを前に、漆田はにっこりと笑った。




「ところで、こっちの子の名前は? 33番? ミミちゃんかー。よし、ミミちゃんだね!」

「坊主とちゃうんか、そいつ……」

 一人盛り上がる漆田には、勿論、そんなことは水を差す要因にはならなかった。


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