太左衛門橋
「そもそも、本部は、以前から軽く情報を掴んではいたんだよ」
前夜、死体の検死をした病院に戻ってきて、漆田はそう告げた。
「情報って、何の」
場所は会議室を借りた。長机の上に、どさりと段ボール箱を置く。
中に入っているのは、幾つものジッパー付プラスティック袋だ。現場の遺留品を集めたものだった。
今回は、初めのうちは殺人だと断定できなかったことで、あまり作業は進んでいない。集めた遺留品の量は、これでも多くない方だ。
無造作に、漆田はその袋を掴み出す。
「よからぬことを試している錬金術師が、西にいるってね」
遺留品の中から、必要なものを選り分ける。
「獣の毛は要らない。検出できないからね。被害者のものも、不明になるだろうけど、肉眼じゃ見分けがつかないからなぁ」
「何を見つけたいん」
「被害者でも、狐でもない、第三者の生体遺留品。先刻、神社で娘が一緒だった、って言ってただろ」
「判った。金髪は? 除外か?」
「第三者が金髪の可能性もあるから、取っといて。関係ない人間の遺留品もあるだろうから、これはもう虱潰しに当たるしかないよ」
一晩かかるかもね、と呟いて、漆田は、トランクの中から幾つかの小さな機械を取り出した。
「それで、遺留品から『生存しているホムンクルス』のデータを選り分けて、その子を追跡してきたって訳さ」
漆田は涼しい顔で、大変だった、と嘯く。
「遺留品で? 犬神に臭いでも嗅がせたん?」
「自分に言われるとムカつくからやめぇ」
眉を寄せて、西園寺が凄む。
「もっと科学的なやり方だよ」
漆田は、テーブルに携帯式電話に似た機械を置く。
「これが、生体GPS受信装置『追跡くん 3.26』! データの読みこみの精度を以前より上げて、あと、地図を3D表示に対応させたんだ」
「根本的なとこで科学的なんかそれ」
錬金術という理論の上で動く機械に、西園寺は胡散臭げな視線を注ぐ。
「そう邪険にしないでよ。元々、錬金術は科学の発展の礎になっているんだから。つまり、はなちゃんの髪の毛から得られたデータが、君たちのところまで導いてくれたってことだね」
「はなちゃん?」
男の説明を聞いていた三人の声が重なる。
「先刻、護送した子が『87番』って呼んでただろう。だから、はなちゃん」
漆田は、得意げに少女を見つめる。
「お前にしたらまともなネーミングやな」
「酷いな」
国家公務員たちが言い合っている前で、残りの二人が顔を見合わせた。
「はな」
「はな?」
「気に入った?」
「うん。ちょっと、ゆきとにてる」
ふふ、と少女は嬉しげに笑う。
「じゃあ、そんなところでいいかな」
空気が和んだところで、漆田が切り上げかける。
が。
「待ちぃ。あんた、保護とか処分とか言うてはったやろ。あれ、なに」
ゆきはごまかされなかった。
「専門的な話になるから、退屈かと思って」
「聞いてから決める」
譲らないゆきに、男は溜め息を漏らした。
「ホムンクルスの製造方法っていうのは、実はもう結構確立されてる。成功率は、高くもなく低くもなく、ってところだ。じゃあ、次に目指すところは、バリエーションを増やすことになる」
「バリエーション?」
眉を寄せて、ゆきが繰り返す。
「普通の人間と同じに造るだけは芸がないからね。人間にはできない方向に特化させる。用途は様々だよ。人の欲望に、際限はない。……その子は」
ひょい、と、気軽にはなを指差す。
「戦闘、暗殺用だ」
「え……」
「同じホムンクルスとは言え、大の男をためらいなく殺してしまったんだろう? 先刻の女の子にも、殺意を隠そうとしなかった。二人共ね」
ミックスジュースをとっくに飲み干してしまったはなは、漆田の声を聞いているのかどうかもわからない。
ふらふらと視線を喫茶店の中にさまよわせている。
「ホムンクルスを造ること自体は、現行法で禁じられてはいない。だけど、それで人を害そうとするなら、止めなくてはならない。獣しか撃たないからって、無許可で猟銃を所持はできないだろ?」
喩えとしては色々と引っかかる物言いに、ゆきは眉間の皺を深くする。
「処分、て」
「まだ決定してる訳じゃない。けど、野放しにはできないから、まずは保護が最優先だね」
「だめ」
か細い声が、遮る。
「はなちゃん?」
「わたし、やることがあるの。あと二人、ころさないと」
「はな!」
咎めるようなゆきを、西園寺が睨みつけて制する。
「それは誰?」
漆田が、柔らかな声で尋ねる。
「きょうだい」
「そうか。君を入れて、五人いるのかな?」
こくん、と少女は頷く。
「五人兄弟かいな」
何か嫌なことを思い出したかのように、刑事は渋い顔になる。
「でも、あとの二人は、君の知らないところで殺されちゃったかもしれないよね。どこにいるか、判るの?」
「わたしは、ちょっとわかりにくいんだって……。33番とかは、すぐわかるって言ってたけど」
「じゃあ、知ってる人に聞きに行こうか」
「しってるひと?」
漆田の声は、あくまで穏やかで、優しく、少女を誘導する。
「創造主のところだよ」
「あのっ……!」
がた、と椅子を揺らしたゆきに、はなはきょとんとして瞬いた。
「なんだい?」
「えっと、あの、もう出るんやったら、ちょっとはばかりさんに行っといた方がええかな、て」
「はば……?」
不審そうに返す漆田に、ちょっと慌てる。
「ええと、あれ、お手洗い」
「ああ、うん。そうだね」
気まずげに説明する。あっさりと、漆田は頷いた。
はなの手を取って、ゆきが立ち上がる。
「お前が一緒に行くんか」
西園寺が僅かに眉を寄せた。
「こうゆう時の為に、うちをおなごにしはったんやろ?」
「語弊のある言い方やめぇ」
更に深く眉を寄せて、片手を振った。
二人が店の奥に消えてから、煙草を取りだす。
しばらく無言で、紫煙をくゆらせた。
一本吸い切ったところで、視線を転じる。
「遅いな」
「混んでるのかな」
「そんなに客おらんやろ」
時間帯のせいなのだが、少しばかり酷い理由を言って、西園寺は腰を上げた。
木製の扉を、軽く叩く。
「ゆき?」
返事はない。
「おい、ゆき。どないした」
もう一度叩き、ドアノブを握った。当然、内側から鍵がかかっている。
身を翻し、厨房に半身を入れた。
「すんません。トイレって、他に出口ある?」
「そんなわけないやろ。ちっこい窓はあるけど」
店主の呆れ声を受けて、男は素早く店の出入口に向かった。外に出ると、店の横の、細い通路を入っていく。
壁に開いていたのは、幅が三十センチほどの窓だ。少し高い位置にあるそれを覗きこむ。
中は見事に無人だった。
悪態をつきながら、店内に戻る。
「漆田! 逃げよった」
「おやまあ」
呑気に、連れの男は呟く。
「出口はなかったんだろう?」
「窓はちっこいけど、あの子やったらぎりぎり通れる。ゆきは、それこそ化け直したらええ」
なるほどね、と呟いて、漆田はテーブルに置きっ放しだった機械を手に取る。
ある意味、彼らが余裕を見せていたのは、この機械があるからだった。
「……あれ?」
しかし、僅かな違和感に、操作しようとした手を止める。
「どないした」
「うん。これ……」
漆田は、シャツの胸ポケットから、細いボールペンのようなものを摘み出し、『追跡くん 3.26』をちょん、とつついた。
次の瞬間、掌の上からはらりと一枚の木の葉が落ちる。
「なに……?」
「古風だねぇ」
しみじみと感想を述べる漆田をよそに、西園寺はすぐさま次の手を打つ。
「九十郎!」
虚空より姿を見せた漆黒の犬神は、すぅ、と壁をすり抜けて街路へと躍り出た。
「ホンマにとことん舐めよってからに……」
代金を払い、二人も店の外に出る。
「大体、十分くらい出遅れたかな」
「九十郎は脚が早い。追いつける」
断固として言い切って、大股で歩きだす。
方向は、西。
「地下鉄乗るんやったら、日本橋でええんやけど」
徒歩で逃げては、やがて追いつかれることは向こうも判っている筈だ。一番近い市営地下鉄の駅は、ここから北にある。
「タクシーとかバスは?」
「車やったら、九十郎のが速い」
肩を竦め、遅れ気味の漆田を振り返る。彼は大阪の歩行者の速度についていけていない。……おそらく、東京のものにも。
「引きこもりすぎや」
「悪いね」
飄々とした顔で謝る。
それに鼻を鳴らしたところで、西園寺はふと真顔になった。
「痕跡が消えた……?」
「また、稲荷神社にお願いしたのかな?」
漆田の推測に、首を振る。
「今回は死人は出てへん。そないな非常時でもなかったら、地元のやつはゆきみたいな他所者に関わらへんやろ」
「だとすると、単純に、臭いを消した?」
軽く出てくる漆田の推測を、一蹴せずに西園寺は考慮する。
「水場……、道頓堀か!」
大阪市内を流れる道頓堀川の一部分が、通称道頓堀と呼ばれており、そこは大阪の中でも一大観光地となっている。
江戸時代には歌舞伎を始めとした芝居小屋や飲食店が軒を連ね、人々を誘っていた。
現在は、どちらかと言えば飲食店の多い繁華街だ。
しかし流石に、まだ店が開き始めたかどうか、というこの時間帯では、観光客は多くない。
他に比べると細い橋を渡り、数年前に整備された川岸の遊歩道へ駆け下りた。
視線の先に、心なしか面目なさそうな犬神が佇んでいる。
そこには、太左衛門橋船着場があった。
「すまん。十分くらい前に、ここに、長い髪の女の子を連れた、金髪の、女……か、男か来ぇへんかったか?」
乗りこむのを待っている客の列の整理をしている係員に、警察手帳を突きつけるようにして尋ねる。
「え、さあ……。おかげさんで観光客とか多いんで、いちいち覚えてないですよ」
若い係員は、同年代の西園寺にあっさりと返す。
折しも、係留された水上バスは満員になって、出航を待っている。
「これ、どこに行くん?」
生まれも育ちも大阪だが、実は水上バスには乗ったことはない。
これは、ほぼ観光客向けのものだ。
西園寺の問いかけに、係員は上流に顔を向けた。
「次が大阪城港で、終点です。それから戻ってきて、湊町船着場まで行って、また終点」
ここは、三つある乗り場の真ん中なのだ。下流の乗り場である湊町は、さほど遠くない。
船に乗って臭跡を消しても、陸に上がった時点で、ここからでも犬神は再度それを捉えることができる。そちらに向かう利点はないだろう。ならば。
「大阪城か」
不穏に、眉を寄せる。
大阪城の近くには、一番最初の殺害現場があり、大阪府警察本部がある。
「犯人は現場に戻るのかな」
途中から置いて行かれた漆田が、マイペースに追いついてきて呟く。
「舐めくさりよって、あのイヌ科が……」
軋むような声で、西園寺が呻く。
「変な面子は捨てておきなよ。どうする?」
「どのみち、自分はあれを放っとかへんのやろ。追うで」
「わぁあ……」
ずっと静かで、やや感情の起伏が少ないはなが、今は目を輝かせていた。
ゆきと二人で乗っているのは、水上バス。出航直前の船にぎりぎり滑りこんだのだ。
同じ船に乗った観光客は、皆笑顔であちこちを指差し、写真を撮っている。はなの様子は、さほど目立たない。
「すごい、ゆき! お水、たくさん!」
はなが、手を水面に伸ばそうとする。
鈍いエンジン音が響く船の幅は二メートルほど。三人がけの背もたれのない長椅子が、進行方向を向いて並べられていた。ところどころ列が歪んでいるのは、床に固定されていないからだ。船べりに低い柵はあるが、船には屋根も壁もない。
「あかん、危ないで」
そっと、その華奢な身体を抱きとめた。
「すごいねぇ……。お水も、お空も、おっきい」
引き寄せられたはなは、ゆきを見上げながら感嘆の声を漏らす。
「空?」
思えば、出会ってからずっと、彼女は町中を隠れるように移動していたのだ。
川幅の広さは、空を仰ぎ見ることを可能にさせた。
しかし、もうすぐ航路は高速道路の下を進んでいくことになる。
「もっと広いとこ、見よか」
小さく微笑んで、ゆきは囁いた。




