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不可知犯罪捜査官 西園寺四郎  作者: 水浅葱ゆきねこ
狐よ踊れ

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26/32

松屋町

 そこは、またしても古びた木造一戸建てだった。

「こうゆうとこ、好きなんかな」

 贅沢な、と呟いて玄関の引き戸を無造作に開ける。

 靴を脱ごうかと思うが、廃屋は埃やゴミ、危険物が落ちていることが多い。怪我をする可能性があるため、そのまま上がりこむことにする。ペン型のライトを取り出して、足元を照らした。

 廊下の先、扉の隙間から、ぼんやりと光が漏れている。

 特に構えることもなく、扉を開けると。

 修羅場が展開していた。


「あんた、何のつもりで……」

「ごたごた言わないで、タオル濡らしてきて! 西園寺くん、どっかで氷と経口補水液買ってきて!」

「いきなり何の騒ぎや」

「でもこの家、水道通ってへんし」

「は? ああもう、これだから動物霊は!」

「あんた今何()うた?」

「あ、そこはワシもちょっとツッこみたい」

「君たちなんでそう緊迫感がないの!」

「自分らが騒いでるだけやろ……」

 呆れた西園寺の言葉に、漆田は一度深呼吸した。

「この子。熱中症になりかけてる」


(なん)やて?」

「当然だろう。この真夏の大阪に、冷房もない家にいたんじゃ、夜だろうが屋内だろうが熱中症にもなるよ。判ったら早く買ってきて」

 西園寺が、苛立つ漆田に、手にしたビニール袋を差し出す。

「ゆきが先刻(さっき)落としてった奴や。アイスとかあんで」

「ないよりましかな……。飲み物、お茶は駄目。せめて水……か、そのジュースでいいや」

 ペットボトルの蓋を開けて、ぐったりしている少女の唇に寄せた。ぼんやりと目を開けて、しかし何口かを飲みこんでいく。

 続いて漆田は、袋入りの棒アイスをそのまま少女の首の後ろにあてがい、そっと床に下ろした。

「ここにおれよ、ゆき」

 一転して真面目な表情になった西園寺に念押しされて、毒気の抜けた顔でゆきが頷く。刑事はそのまま家を出ていった。残った男の命じた買い出しに行くようだ。

「ねっちゅー……って?」

 漆田は、駄目だしをした緑茶のペットボトルを、少女の首筋に添える。ぎろり、と、険しい視線をゆきに向けた。

「夜の仕事をしてるのに、その程度、話題にもならないのかい?」

「客の話やなんて、すごーいとか()うとったら何とかなるもんやし」

「大物にはなれないね」

 金を稼ぐためにのし上がる、と公言しているゆきは、またむっとする。

「簡単に言えば、暑くて脱水症状を起こしてるんだよ。水分が足りなくて、体温が上がって、血流が低下する。死ぬことだって、あるんだ」

「死ぬ!?」

 しかし、漆田の説明に、血の気が引いた。

「……大丈夫だよ。少しジュースを飲んだし、冷やして塩分を補給してやれば」

 漆田の口調が少し和らぐ。が、それに気づくことなく、ゆきは傍に座った。

「でも、今日とか、そないに暑ぅなかったのに……」

「君は、精神生命体だ。現世の熱に、そんなに敏感だとは思わないね。まして〈狐〉なら、熱には強いだろう。……この子は、一応実存生命体だから、体温は人並みなんだ。人の身に、真夏の都会は実際のところ辛いよ」


 ホムンクルスは、人造人間だ。

 人間ではない。だが、幽霊や妖怪などの、概念としての、精神的な存在とは違う。

 ゆきが今ひとつ納得していないのを見て取って、漆田は片手でゆきの手を取った。

「私は、君に触っている。だけど、君は本当は触られているわけではない。君は人に化けているんだから、私は触っているように思わされている、化かされている状態なんだよ」

 そんなことを言われても、掴まれている感覚は、ゆきにもある。

「よぅ判らへん……」

 漆田は、困惑する青年に、軽く笑いかけた。

「君の感覚と、人間のものとはかなり違うんだ、ってことに気をつけていればいい。君がこの先、人の世界で生きていくつもりならね」



 西園寺が買い出しから帰り、漆田の処置が済むと、少女の具合はかなりよくなったようだった。目を開いて、三人の男を見上げている。

「吐き気はしない? 目眩は?」

「はきけ……?」

 きょとんとして繰り返すのに、苦笑する。

「嫌な感じはしないかい? 身体を起こせる?」

 頷いて上体を起こすのを見守った。

「思ってたんとちょっと(ちゃ)うな」

 西園寺が呟く。

「きっと、この子も生まれたてみたいなものなんだろうしね。話を聞くのは、大変そうだ。彼がいてくれてよかった」

「彼?」

 問い返したのは、ゆきだ。西園寺は苦い顔になっている。

「昨日の明け方。自分のねぐら(ヤサ)で何が起きたんか、きっちり話して貰うで」

「え、や、うちらは何も」

「別にそれで(なん)か処分する訳やない。あの仏さんも、その子も、お前も、全員ワシが護ったる相手やないからな」

「冷血や……」

 不満げな表情になったものの、ゆきは納得したらしい。眉を寄せたまま、口を開く。




 彼女に会ったのは、昨日の早朝だった。

 ゆきは仕事を終え、松屋町(まっちゃまち)の辺りをふらふらと歩いていた。

 この近辺は、卸問屋の町だ。それも、人形や玩具、菓子などの。人々が起き始めるのは遅い。

 この時間に殆ど人影はなく、あまり人目を引きたくないゆきには都合のいい町だった。

 そんな町の、路地裏に彼女はいたのだ。


「だいじょうぶぅ?」

 間延びした声に、がさ、とゴミ袋が動く。

 紙類が詰まって軽いそれは、簡単に地面に落ちた。

 びくり、と身を竦めたのは、一人の少女。

 艶のある黒髪は、背中の中ほどまでの長さ。切り揃えられた前髪の下の瞳はつぶらで。黒いひらひらのワンピースが、肌の白さときめ細かさを強調している。

 ひと目で、心が惹きつけられた。

「……おねえさん……?」

 訝しげに声をかけられて、我に返る。

 ていうか声も可愛い。

「どしたん? 怪我しとるん?」

 あえて明るく訊いてみる。

 おずおずと、縮めていた左足が伸ばされた。

 ふくらはぎに、すっぱりと切れた痕がある。流れ出した血液が固まりかけて、ぷくりと膨らんでいた。

「あー。これは痛かったなぁ」

 ハンドバッグの中から、小さなプラスチックの容器を取り出す。旅行にコスメを容れていくようなそれには、実は秘伝の薬が詰められていた。

 薬指でそっと肌に延ばしていく。傷に触れられて痛むのか、僅かに眉を寄せていた少女が、すぐに顔をほころばせた。

「もう、(いた)ないやろ」

「うん!」

 満面の笑みを浮かべ、立ち上がる。

「どないしたん、あの傷。誰かに切られたん?」

「負けてないよ! まだ!」

 ものすごくずれた答えが返ってきた。

「おうちには? 帰れるん?」

「……帰れない」

 落とされた細い肩に手を乗せた。

「せやったら、うちに()ぃさ」

 彼女が追われてるなら、この辺りは見つかるかもしれない。谷町四丁目(たによん)なら、府警も近いし、抑止力にはなるだろう。

 そう考えて、ゆきは隠れ家の一つに少女を連れこんだ。



 人の住んでいない一軒家が、ゆきのねぐらだ。

 数日前にふらりと寄ったから、さほど埃は気にならない。

 畳の部屋が珍しいのか、畳の上に座った少女はきょろきょろと周囲を見回している。

「うちは、ゆき」

「ゆき」

 名前を教えると、嬉しげに笑った。

「あんたは……」

 少女の名前を訊こうとして、言葉を止めた。

 ねぐらに辿り着いて、五分も経っていない。

 そんな状態で、部屋の入り口は見知らぬ男に塞がれていた。


「……なんや、あんた」

 少女を庇う形で、膝を立てる。

 ゆきに比べて、少しばかりがっしりした体格の男だ。グレイのスーツを着て、奇妙に無表情な顔を向けてくる。素足が、ぺたり、と音を立てた。

「どけ」

 短く告げて、ゆきの肩に手をかけた。

 押しのけられるだけの力を、堪えられると思っていた。

 だが、男の力はその予測を遥かに超えた。

 一瞬で壁まで放り投げられる。

「っ!」

 息を飲んで、衝撃に耐えた。

 立ち上がりかけた姿勢の少女に、男が一歩近寄る。

 そのまま、少女は男の脛に飛びついた。

 引き倒そうとしたようだが、腕力と体重差で、それは叶わない。

 男が自由な方の脚で少女の腹を蹴りつけた。激痛に、思わず手を離してしまう。

 激しく咳きこむ少女を、男は冷たく見下ろす。踏みつけようとしてか、片足を上げた。

「やめろ……!」

 そこに、ゆきが後ろから飛びかかった。背丈はさほど変わらない。難なく腕を首に回し、後ろに引き倒そうとする。

 女の力など、と侮っていたのだろうか。

 しかし、ゆきの、()の力は、その予想を超えた。

「う……!?」

 男が僅かによろめく。

「そのまま!」

 片足を上げた姿勢の、軸足に少女がしがみついた。

 とうとう男の身体が、大きな音を立てて畳の上に落ちる。

「ぐぇ!」

 ゆきの肉体を挟んで。

「はなさないで!」

 思わず緩みかけた腕で、慌てて首を固定する。

 次の一瞬。少女は、その細い指を、男の足の裏に突き刺した。

 視界の利かないゆきの鼻腔に、つん、と血の臭いが感じられた。

 そして、男の身体が、びくりと緊張するのが。

 振り払われまい、と、両足を男の胴体にぐるりと回す。

 間髪を容れず、指を抜いた少女が、その傷口に噛みつくように唇を寄せた。

「う……!」

 男が、足をばたつかせて暴れる。数度、それが少女の身体にぶつかるが、彼女は身を離さなかった。

 ほんの数秒。

 男の身体から力が抜けていく。

 だらり、と首が垂れ下がってきて、ゆきは怖々と腕をほどいた。

「ちょお、あんた……?」

 見開かれた瞳は、もう何も映してはいない。

「え……?」

 男の身体の下から抜け出して、指先を首筋に這わせた。

 脈拍は、全く感じられない。

 呆然としていたところで、視界の隅でごそりと何かが動いて、総毛立つ。

 が、身構えた先にいたのは、身を起こした少女だった。

「あ……」

「おにいさん……?」

 きょとん、として、少女は尋ねた。

 そう言えば男を止めようとして、女に化けている姿から、男に変化したのだった。

「いや、それはどうでもええわ。とにかく、ここから逃げるえ!」

 この隠れ家は、大阪府警本部に近すぎる。

 不安ばかりが大きくなって、ゆきは少女と共に再び街路を行くことになった。




「殺人幇助と死体遺棄か……」

 西園寺が眉間に皺を刻んで呟く。

「なるほどねぇ。明け方に血液を摂取していたから、熱中症はさほど酷くなかったのか」

 漆田が、一人納得したように頷く。

「あれ、でも、あの死体は靴を履いてたよね?」

 続いて、ふと思いついたように問いかけた。

 検死が始まる前に、死体から衣類は全て脱がされている。資料で読んだのだろう。

「ああ、それは、うちが履かせた。なんとなく、傷が見えへん方がええかな、て」

「……現場の保存もできてへんのか……」

「い、いややわぁ、西園寺はん、そんな怖いお顔しはって」

 ゆきが愛想笑いをするが、西園寺はじろりと睨み返す。

「今回は、まあ犯罪にはならへんけど。でも、それは結果論や。次に(なん)かに巻きこまれたら、手を出さんと警察に連絡せぇ」

「……気ぃつけます……」

 反論もしたかっただろうが、おとなしくゆきはそう返した。

「さて、それでどうするんや、漆田」

 その返事に満足したか、西園寺は水を向ける。

「とりあえずその子の保護はできたから、後は創造者(メイカー)を突き止めないと」

「ちょ、ちょお待って。保護?」

 慌てて口を挟むゆきを、男たちは揃って不思議そうに見返した。

「うん」

「おう」

「返事短すぎへん!?」

 黒いスーツの男は肩を竦める。

「その子は、人間やない。自分のことや、薄々判っとったんやろ」

「それは……まあ」

 正直、それが何の問題になっているのかなど判らないが。

「せやけど、その子は、自分らみたいに、年月(としつき)を重ねて、知識を増やしていったもんやない。……ゆきは、ちょっとばっか阿呆やけど」

「何をいきなりいけず()うてくれはりますの?」

 流石にちょっと頭に来て、突っかかる。

 だって、この子の前で。

 ちらりと視線を流した先の少女は、きょとんとした顔だったが。

「ともかく、そんな、力と頭脳の釣り合いが取れてない奴を野放しにはできへん。せやけど、まだ学習してへんだけやから、処理してお終い、ともいかへん。せやから、本部で保護することになって……」

 西園寺が、不自然に言葉を宙に浮かせる。

 そして、その場にいた四人のうち三人が、一瞬で一方へ向けて身構えた。

「え?」

 取り残されて、漆田が呟く。


 ぎし、ぎし、と、規則正しく、部屋の外の廊下が軋んでいた。


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