堺筋本町
会議を終えて病院に戻ると、漆田は所在なげにロビーに座っていた。
「西園寺くん、遅い。私は昼食抜きで仕事してたんだからね」
むくれた顔で見上げられる。
「悪い。で、どうやった」
拙速に結果を求める男に溜め息をつく。
「君の睨んだ通りだよ。大阪府警の捜査は打ち切りだ。そろそろ上から連絡がきてる頃だね。続きは何か食べながらでもいいだろう?」
珍しく懇願するような声に、西園寺は苦笑した。
鉄板の上に、油を撒く。油引きを使うところも多いが、ここはプラスチックの容器から垂らすタイプだ。異物が入らないし、鉄板からの熱が移らないから酸化しづらい。
コテで大まかに油を広げると、アルミの小ぶりのボウルの中身を手際よく掻き混ぜる。
微塵切りのキャベツ、ネギ、どろりとしたタネ。卵のオレンジ色をした黄身が破れ、それらに絡められていく。
ざっくりと混ぜた生地を熱された鉄板の上にぼとりと落とす。その瞬間、じゅわ、と微かな音と香ばしい香りが立ち上った。
それを適当に二つの円形にまとめると、別皿の豚バラ肉を上面に並べた。
「もうちょい待ちぃ」
目の前で、感心したような顔をしている漆田に言い渡す。
とにかく早くできるもの、と、注文して出されたモロキュウをつつきながら、男は頷いた。
流石に白衣はトランクにしまわれている。
西園寺が東京からの客人を連れてきたのは、ちょっと気取ったお好み焼き屋だ。個室になっていて、自分で焼くことができるから、密談には向いている。
まあ、この二人のどちらでも、盗み聞きを防ぐことはできるのだが。
「で?」
促されて、漆田は箸を置いた。
「結果を言えば、あれは人じゃない。服を脱がしていたら判っただろうけど、臍がなかった。胃の作りも、固形物を消化できない感じだ。見た目よりも筋肉が強くて、並の刃物じゃ通らない。おそらく、生後一、二ヶ月」
ふうん、と、西園寺は返す。
「なんだい、いきなりやる気がなくなったみたいに」
「実際なくなっとるからな。死んだんが人間やないんやったら、他殺やろうが事故死やろうが、こっちの法には引っかからん。ワシらの仕事やあらへん」
西園寺は、よ、と両手に持ったコテでお好み焼きをひっくり返した。薄い狐色になった表面で、じゅうじゅうと油が小さな泡を弾けさせている。
「もういい?」
「まだや。あと二回ひっくり返す」
無慈悲な言葉に、唇を尖らせる。
「まあ、でも来てくれて助かったわ。おおきに」
薄く笑ってそう告げる西園寺に、漆田はにこりと笑みを返した。
「君の仕事じゃなくても、私の仕事なんだ。アレの回収命令が出てる。手伝ってくれるよね?」
「……は?」
「ホムンクルスって、知ってる?」
漆田の投げかけた言葉に、眉を寄せた。
「ワシの守備範囲外やな」
「そうだね。ざっくり言うと、人の手で作り出された人間だ。人工授精とかクローンとか、そんな可愛らしい手段じゃない。神が創り出したものを人の手で再現しようとする、錬金術の術だよ」
「ぱっと見ぃ、人間やったけどな」
あの廃屋で見つかった死体がそうなのだろう、と察して呟く。
「うん、割と良くできてた。で、問題なのは、無許可でそんなことされたら困るってことなんだよ」
「許可制なんかい」
「何代も続く術師なら、記録は残ってるし、こっちに対しても協力的だ。問題は、ぽっと出のはぐれでね。こっちの存在を知らないならともかく、知っていても甘く見ていて、好き放題やってる奴もいる」
困ったものだ、と、体制側の錬金術師はぼやく。
「それで、無許可の術師をとっ捕まえるんか?」
「他のホムンクルスの回収もだ。一体で済む訳がない。あの死体の死因は、失血死だった。体内に、殆ど血液が残ってない」
「失血死? 現場には血痕の一つもあらへんかったで」
死体には、死斑が殆ど出ていなかった。
死斑とは、心臓が停止し、体内を循環しなくなった血液が、重力に従って体の下部に溜まり、あざのようになって体表に現れる現象だ。その量で、死後経過した時間や、死体が動かされたかどうかを判断する。
死因が大量失血ならば、殺害後に死体を移動させたのか。西園寺はそう思ったのだが。
「先刻言っただろう。死体は、固形物は消化できなさそうだった、って」
「……まさか」
嫌な予感に、眉を寄せる。
「あれだけの体積の血液を、目立つほどの穴も空けずに吸い上げきるだけの肺活量は、大したものだと思わないか?」
焼きあがったお好み焼きに、ソースを塗る。上からマヨネーズを一匙落とした。
次いで、細かく削られた鰹節と、青海苔をぱらりとかける。
鉄板の火は切っているのに、熱気で鰹節がゆらゆらと踊った。
「おお……」
「お待ちどうさん」
感嘆の声を上げる漆田に促す。
無言で半分ほどを食べたところで、今度は漆田が水を向けてきた。
「それで、そっちの会議はどうだった?」
「ああ。あの空家には、ちょくちょく人が出入りしとったらしい。金髪の若い男と女の目撃例がある。明け方に戻ってきて夕方に出ていきよるらしい。ただ、近所づきあいが薄くなっとるから、注意しとる者もおらんかった」
世知辛い世の中や、と、刑事はぼやく。
「金髪の男女ねぇ」
「どっちも、一人の時しか見られてない。二人一緒にいたことはなかった。……まあ、目撃情報がないだけかもしれんけど」
「歯にモノが挟まってるような言い方だね」
漆田が右手をくるん、と回転させる。
「何か心当たりがあるんだろう?」
「コテで人を指すのやめぃ。……獣っぽい毛ぇが、家ん中に落ちとった。一部屋だけやのぅて、家全体に。せやのに、糞の痕跡はどこにもない。野生の獣やないんやろうな、って」
「ペットかい?」
「そんなオチやったら、わざわざ本部に連絡するか」
西園寺が眉を寄せる。
「だろうね。その毛で普通のDNA鑑定をしようとしたら、対象を検出できなかった」
あっさりと漆田が同意する。
「……この状況で、辞令なし、通常装備で事件に当たれってか?」
「人を派遣できなくてね。ほら、今、祭りの時期だから」
「あー……」
半ば諦めた心持ちで呻く。
「西園寺くんは、お祭りは?」
「うちは祖父さんの代で大阪に出てきたからな。本家がやっとるやろ」
生まれも育ちも大阪だが、血筋の違いはどうにもならない。
そういう世界に、彼は生きている。
夕焼けが空を滲ませる頃、二人は死体発見現場に立っていた。
「まあ、ワシも、昼間ちょっと次郎を走らせてみたんやけど」
ぐるりと周辺を見回して、西園寺が口を開く。
朝には封鎖されていた門は、今は痕跡もない。
『殺人事件』でなければ、現場を保存する必要はないからだ。
「生命が一つ消えた時点で、そこには穢れが溢れ返る。そん時、他に何かがおったら、浴びせられた穢れの跡をつけるんは、カラーボールより簡単や。実際、何かが西に向かって行った跡がある。けど」
「けど?」
「途中で、ぷっつりと消えよった」
苦々しい顔の男をよそに、漆田はふむ、と呟く。
「君の犬神を撒くモノがいるとはね」
「持ち上げんなや。キモい」
肩を竦め、西園寺は歩き出した。
「ワシも今まで手ぇ離されへんかったしな。ちょっと行ってみようや」
さほど高くもないビルや、街区を一ブロックほど使った公園。
それらに囲まれた辺りで、痕跡はふっつりと途切れてしまっていた。
銀色の犬神は、四方へ走り出しては尻尾を落として戻ってくる。
「この辺で、穢れを落とすこととかできないかな?」
錬金術師が軽く呟く。
「禊するんやったら、北に川があるけど、ちっと遠いな。今まで向かってた方向と違うし」
そもそも、川は深い。船着き場はあるが、全身を浸からせるのは危険だ。
しゃがみこみ、うなだれる犬神を撫でてやる。
微笑ましげに漆田が見ているのは無視した。
「うちの流儀なら、教会とかいう手もあるけど」
「教会? 神社……か。せや!」
鋭く身を起こして、黒衣の男は大股で歩き出す。
大通りを横断し、他よりも間口が広い建物に近づく。
歩道から少し引っこんだところから、コンクリート製の階段が奥へと続いていた。歩道に立つ高さからは、その先は見通せない。
「ここは?」
「神社や。若宮商工稲荷」
隣の建物は大阪商工会議所。商売繁盛を祈願して、稲荷神社が企業の敷地内に建てられることは珍しくない。まして、商工会議所ならば。
歩道から、一歩踏みこもうとして。
空気が、ばちん、と、爆ぜた。
『立ち入るではないわ、穢らわしい』
ゆらり、と、まだ熱気を孕んだ空気が揺れる。
目を丸くする漆田を、自嘲気味に西園寺は振り向いた。
「な。こないな嫌われっぷりやったら、存在を覚えてへんのも無理ないやろ」
『暴言は聞かなかったことにしてやる。貴様と貴様の薄汚い使役の踏むを許された地は、この場所にはないのだ。とっとと立ち去れ、下衆が!』
「煽るなぁ……」
姿の見えない声の主が罵声を放つのに、漆田は呆れて呟く。
「入らへんさかい、話だけ訊かせてぇや。今朝方、ここに、それこそえらい穢れた奴が来ぇへんかったか?」
その問いには、沈黙が帰ってくる。
「……次郎五郎。九十郎」
主の呼びかけに応え、両脇に白銀と漆黒の犬神が顕現した。
「存分に、遊ばせたってもええんやで?」
「うわあえげつない」
ぱちぱちと後ろで小さく拍手する男は再度無視する。
『……その、探しておるやつをどうするつもりか』
「保護する」
ためらいなく、西園寺は返した。
「そいつは、えらいヤバいことに関わってしもたらしい。警視庁捜査零課が、総本山と結んだ契約、あんたが知らん訳もないやろ。今は、ちぃと個人的な好き嫌いは避けといてぇや」
ふぅ、と、小さく空気が揺れる。
『……確かに、明け方に穢れを祓ってやったものがいる。眷属の誼でな』
「誰や」
『京よりやって来た、余所者と娘よ。ゆきだ』




