谷町四丁目
大阪府警察本部は、大阪城のお膝元にある。
周辺には官公庁が多く居を構え、オフィスビルが立ち並び、人の居住するマンションなどは比較的少ない傾向にあった。
その中にも、数少ないながらもぽつぽつと一軒家が混じっていたりする。
事件は、その中の一軒で発覚した。
現場が近づくにつれて、犬の吠え声が大きくなってくる。
西園寺四郎は、街路を走ってきた足を止めた。
手帳を見せて名乗ると、警備の警察官が敬礼し、通してくれる。
「おう、西園寺」
奥から声をかけられた。
「遅れてすんません。少年課に断り入れてきたんで」
「それで走ってきたんか。若いのぅ」
背中をばん、と叩いてくるのは、捜査一課の先輩、浅沼だ。
はあ、と答えると、吠え声が更に高まる。
門の奥からこちらを見た作業服の鑑識官が、眉を寄せた。
「相変わらず犬に嫌われてるな」
面白そうに、そうからかわれる。
実際は、嫌われているのではない。畏れられているのだ。
西園寺がいると、警察犬が仕事にならない、と、鑑識での彼の評判は最悪である。
「で、仏さんは?」
「奥や」
木造の門を抜けて、家屋に向かう。玄関の引き戸は木製の桟に型板ガラスが嵌めこまれている。ちょうど鍵のすぐ横のガラスが、一部割れていた。
「空き家になって、五年くらいらしい。ここの破片は見つかってへん。割りと前から出入りしとったんかもな」
少子高齢化が進み、昔ながらの古い木造住宅からは人がいなくなっている。この辺りなら、マンションなどに建て替えもできるだろうが。
放置された空き家は、ホームレスが住み着いたり、若者の溜まり場になったり、よからぬ目的に使われたりと、行政としては問題になりつつある。
だが。
「殺人事件までは起こして欲しぃないですね」
「全くや。しかも、府警本部とこんな目と鼻の先で」
浅沼が、顔をしかめる。
五十近い男の表情は、それだけでひどく迫力を増した。
「気張るで」
「はい!」
死体は、奥の方の部屋で発見された。
明け方に争うような物音が響いて、不審に思った近隣住民が、朝になってから様子を見に来たのだ。
「そん時に通報してくれたらええのに」
ぶつぶつと、浅沼はぼやく。
被害者は、二十代と見られる男。
グレイのスーツという、目立たない格好だ。ネクタイを締めてはいないが、この季節、クールビズの一環で珍しくはない。
「土足ですね」
死体は革靴を履いたままだ。
廃屋とは言え、畳の上なのに、と思う西園寺は結構年寄りくさい。
「外傷はなし。死斑が見られへんが、死後硬直は結構しとるんよ」
「時間は剖検待ちかね」
刑事と鑑識官が数人、話している。
部屋の隅にはカップ麺の容器などが、幾つもコンビニの袋に入っていた。
「水道やらガスやらは止められてるやろうから、コンビニで湯ぅ入れてきとったんやろ。後で近隣に聞き込みな」
西園寺の足元に、常人には感知できない獣が姿を見せた。鼻の頭に皺を寄せ、死体を警戒している。
警察犬が明らかな悲鳴を上げた。
「なんや、今日はいつもより酷いな」
呆れ顔で外を伺う浅沼から離れ、西園寺は廊下の端に屈みこんだ。
一摘みの、金色の短い毛束を手に取る。
ヒトの、毛髪ではない。
「せやから、誰かよこしてくれ」
一人になった僅かな時間に、西園寺は人目を避けて電話をかけていた。
「次郎の反応が、人の死体の時とは違っとった。何かあるかもしれん。あと、現場で、獣の毛も出とる。家ん中のあちこちに」
『それだけでは人員は割けられませんよ』
電話の先は、警視庁捜査零課。
人ならざるモノたちが絡む犯罪を扱う部署だ。
だが、職員の対応は冷たい。
この課は、慢性的な人手不足だ。
捜査官は普段配属されている部署での業務に勤しんでおり、任務がある時のみ零課として動く。
その任務も、迷宮入りとなった事件の中から更に厳選されるものが多い。
そうやって選別しなければ、〈不可知犯罪〉を判別できないのだ。
西園寺は、更に言い募る。
「ワシが担当になってもええんやな?」
電話の相手が、息を詰めた。
実は、捜査官は地元の事件には関われない。
これが、一番大きな特色だ。
単純に、捜査官はその能力を秘匿しており、配属先に知られては困ること、そして地元の術者との軋轢は避けたいことなどがその理由だ。
そして、現在判っているだけの情報では、死者は不審死でしかない。
見たところ目立った外傷もなく、死因を特定するには、司法解剖を待つことになる。
それまでは、事故、自殺、他殺、ひょっとすると病死までを考慮に入れている。
捜査一課が関わるのは、他殺の場合だ。
その場合は、必然的に西園寺はこの事件に関わらざるを得ない。
『……判りました。資料を見ましょう。判断して貰います』
警察内部の資料くらい、あそこは容易く手に入れられる。
少し気持ちを楽にして、西園寺は電話を切った。
捜査本部が立つかどうかは、死因が確定してからになる。
どのみち、身元が判るようなものを持っていなかったこともあり、刑事たちは周辺で被害者の目撃情報を探っていた。
西園寺と組んでいた浅沼の携帯が鳴る。
無造作に話していた男の顔が、曇っていった。
「どうかしたんですか」
眉を寄せて通話を終えた浅沼に、尋ねる。
「いや、剖検はちょっと遅れる。東京から医者が来るさかい、それに任せるらしいで」
「東京から?」
本部が動いたのだろうか。脅威的な早さだが。
「で、お前に出迎えと案内頼むってよ」
「判りました。新大阪です?」
西園寺は、捜査一課ではまだ若手だ。雑用は慣れている。
東京からだと、どれほど早くてもあと三時間はかかる筈だ。
西園寺はそう判断したのだが、浅沼は首を振り、右手の人差し指を頭上に向けた。
「……ホンマ無茶しよるな……」
大阪府警察本部の、屋上。
ヘリポートに着陸しようとする警視庁のヘリを眺めて、西園寺四郎はぼやいた。
扉が開き、身軽に飛び降りた男は、プロペラから巻き起こる風に白衣を翻弄されながら、片手を上げた。
「やあ、西園寺くん」
それは、捜査零課専属の技師。
一年の殆どを、本部の地下室から外へ出ない男。
[奇妙な錬金術師]と人の呼ぶ。
「……漆田」
お互い、呼びかけが聞こえた訳ではないのだろうが、漆田はいつものようにへらりと笑った。




