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■星 03

本日二話連続更新です。(1/2)

 この村の朝は、早い。

 夜明け前から人々は働き始めている。

 自然、彼はまだ夜中と言っていい時間帯に、山道を降りていた。

 子供の頃から歩き慣れているとは言え、木々に月光を遮られ、足元は殆ど見えない。

 無事に駐車場に辿りつき、ほっと息をついたところで、ゆらりと人影が動いた。

「おはようございます。常基さん」

「……西園寺、さん」

 若き僧は、呆然として、余所者を見つめていた。


「どうして、こんなところに」

 西園寺は咥えていた煙草を携帯灰皿に放りこみながら、小さく笑った。

「ワシが生きてここにおるんが不思議ですか?」

「そんな、ことは」

 僅かに視線を逸らせる。

「山崎さんは車にいてはりますよ。外に停めてます」

 だが、その言葉に、全てを諦めた。

「……実夏が話したんですか。彼らのことも、私のことも」

「ちょっとだけです。貴方のことは、何も」

 驚いて、顔を上げる。

「何も? では、どうしてここに」

「山崎さんは車が運転できない。行きは男の車に乗っていたとしても、帰りの足が必要や。誰かが、迎えにいかんと。まあ、お父さんやて可能性もありましたけどね」

 どっちが寺から降りてくるか、は賭けだった、と、男は奇妙に無邪気な笑顔を作った。




 最初にあそこへ連れて行ったのは、私です。

 子供が死んだ、と連絡があったのが、四月の三日。それからずっと、実夏は泣くこともせずに呆然として暮らしていました。

 子供の脱ぎ捨てていた靴ひとつ、片づけられないままで。

 結婚指輪は夫の葬儀の時に取られてしまっていて、残された婚約指輪だけをつけて。

 家族の面影を少しでも残しておこうとして、それが痛々しくて、見ていられなかったのです。

 少しでも気晴らしになれば、と、そして、少しでも子供の想い出があるあの家と村から離れられれば、と思って、夜でも暖かくなった五月に、車で出かけました。

 私は女性を連れていったことはありませんでしたが、場所は知っていました。若い頃、先輩に、昼間に連れて行って貰っていたんです。

 いつか、好きな人ができたら一緒に来い、って笑っていました。


 あの日のことですが、細道に入ったところで、車がついてくるのが判ったんです。

 それまで、後ろからは来ていませんでしたから、対向車だったのでしょう。沢向こうのキャンプ場からドライブに来て、好奇心でついてきたのだと後から言われました。

 一応あの場所は私有地ですし、皆が大事にしているところでもありますから、途中でその日は諦めよう、ということになりました。

 柵があった場所、覚えていますか? ちょっと広い空き地が作ってあって、そこで向きを変えて帰ろう、と。相手にも理由を話して、戻ってもらおうと、車を停めて、私が降りて待っていました。

 乗っていたのは五人。

 まだ若い、大学生ぐらいの年齢なんじゃないでしょうか。

 全員が降りてきて、私の説明をへらへら笑いながら聞いていました。

 そのうちの一人が、私の車に乗っている実夏に気づいたのです。

 そちらに気をとられた時に、いきなり殴られました。

 地面に倒れて、一人、身体の上から座りこんできて、動けなくなったんです。

 残りの四人が、実夏を車から引き摺りだしました。

 実夏は、ずっと何をする気力もなく、あの時も叫ぶことも抵抗することもできなくて。

 私の声と、奴らの笑い声だけが、聞こえて。

 一人の男が、美香の服に手をかけた時、彼女の腕が、男の背中に回ったのが見えました。

 ただ、ぎゅっと、抱き締めただけなんです。

 そのまま、男は体から力が抜けて、実夏の上に倒れこみました。

 誰も、何が起こってるのか、判っていなかった。

 どうした、と。具合が悪いのか、と声をかける仲間もいましたが、実夏はただ、相手を抱き締め、頭を撫でてやっていました。

 やがて、その男は身を起こしました。身体に芯が入っていないようにぐらぐらと揺れ、目は左右が違う方向を向いて、口は開きっぱなし、立ち上がるのも、歩くのも難しい様子で。

 実夏は、ただ、言ったのです。

「さあ、いらっしゃい。子供たち」

 と。


 残りの奴らは、そこで逃げ出していれば救かったのでしょう。

 ですが、彼らはそれを悪ふざけだと思ったようでした。

 最初の男と実夏が、ひそひそと言葉を交わして、共に皆を驚かそうとしているのだと。

 男に手加減なしに殴られ、蹴られ、身動きできなくなった仲間を、実夏は次々に抱擁しました。

 三人がそうなってしまっては、残りの二人も、もう逃げられません。

 途中から、私を押さえつけていた男もいなくなっていたのですが、私は簡単に起き上がれなくなってしまっていました。

 地面に座り、周囲に縋りつくような形で男たちを侍らせた実夏の、名前を、呼ぶのが精一杯で。

 彼女は穏やかに笑んで、答えました。

「なあに? 常基さん」


 実夏が私を常基と認識していたから、私はああはならなかったのでしょう。


 朝日が昇る前に、彼らは、彼らであったものたちは、山の中へ姿を消していきました。

 それまでは、ほんの少しだけ、まだ生きているんじゃないか、ただの悪ふざけなんじゃないかと私も思っていたんですが。

 実夏とは、何も話しませんでした。今まで、ずっと。

 言葉にすれば、全てが決定的に終わってしまう気がしたんです。



 心当たり、ですか。

 ……うちの寺に、鬼子母神が祀られていることを覚えていらっしゃいますか?

 人の子を喰らう夜叉の娘であったのを、お釈迦様にわが子を隠され、諭されて改心し、母と子の守護者となった仏様です。

 こちらに戻ってからずっと、実夏は、あのお堂に参っていました。

 子供が健やかに育つようにと。

 祖父母に引き取られてからは、どうか健康で、無事であるようにと。

 亡くなったと知らされてからも、ずっと、ただ祈っていました。


 実夏に、鬼子母神が宿ったと思うのは、とんでもないことなのでしょうけど。




 一ヶ月ほどが経って、あれは夢か何かか、と私も思うようになってきました。

 沢向こうのキャンプ場に来ていた客だったので、こちらではあまり話題にもなりませんでしたし。

 その頃、茂樹さんが実夏に言い寄るようになってきたのです。

 彼は実夏が戻る数ヶ月前に結婚していて、この狭い村の中でうかつなことはしないだろうと思っていたのですが。

 それとは別に、私は彼の悩みも聞いていました。

 僧は、人々の相談に乗るのも、一つの仕事ではありますから。

 茂樹さんも、実夏が私の友人と結婚したことで、私と実夏の間に恋愛感情はない、と思っていたのでしょう。

 家族としての情があることは気づいていなかったのかどうか。

 ともあれ、彼の悩みは、家族のことでした。

 父親が酒を飲むと暴れることがある、と、もっと若い頃からよく愚痴られていました。

 中学生になった頃には、母親をかばって、彼が矢面に立っていたのです。

 実夏のところへちょくちょく寄るようになってから、その話は変わってきました。

 父親が憎かったし、母親は被害者だと思っていた。だけど、自分が父親に向かっていって殴られても、止めてはもらえなかった。

 後で手当てをして貰い、泣いて謝られるのを、可哀想だと思っていた。

 自分の後ろでただ震えているのを、母が痛い思いをしなければそれでいいと思っていた。

 結婚して、妻と母をかばうのは荷が重い。

 ふとした隙に、父の意識が二人に向かうと、母は妻の後ろに隠れている。

 父親への憎悪と、母親への不審感を、実夏がどう話したのか、慰めたのか、……煽りたてたのか、判りません。

 ただ、その夜、彼と二人で夜空を見に行くと、こっそり教えられたのです。


 行くかどうかは、ひどく悩みましたよ。……あらゆる意味で。

 ですが、意を決して、このぐらいの時間に追いかけました。もしも何事もなければ、戻ってくる車とどこかですれ違うだけでしょう。

 だけど、実夏は、あそこで、茂樹さんに膝枕をして、座っていました。

 ぴくりとも動かない彼の髪を丁寧に撫でて。

 そして、言ったのです。

「ねぇ常基さん。ここならきっと、子供たちも寂しくないわね」




 啓祐くんが実夏に言い寄ったとは、流石に私も思っていませんよ。

 彼の母親は、五歳ぐらいまでは生きておられましたから、子供を育てる実夏を、自分の母親と重ねてみていたのかもしれません。

 あの日は、少し大変でした。

 自転車で行ける場所は、車で行ける場所とは少し離れていて、途中から歩いていかないと駄目なんです。

 彼を背負って車まで戻って、茂樹さんたちのいる場所まで連れて行って、家に戻らなくてはならなかったので。

 自転車ですか? 実夏のものは、トランクに詰めこみました。閉められなくて、半分飛び出していましたけど。

 啓祐くんの自転車は、藪の中へ落としてきています。

 他の人たちの車は、柵の内側にある、使われてない納屋の中に入れてあります。処分するのは難しかったもので。


 この頃から、実夏は家の中の子供の痕跡を消そうとし始めました。

 死を看取ってやれなかった子供のことを忘れてしまいたかったのかと思いますが、本当のところは何とも……。




 駐在さんについては、実は、よく判りません。

 あまり、私たちに悩みを話す立場の方でもなかったので。

 将来結婚したら、奥さんに母親の役割を求めちゃいかんよ、と一度笑いながら言われました。母親、に関する話題はそれぐらいで。

 実夏とのかかわりは、特別なものはなかったと思うのですが。……子供のボールを、木から取ってやった、ですか?

 日誌に名前が書いてあった? 記述はない?

 木の下からボールを投げるよりも、梢よりも高い位置から落としてしまった方が、シチュエーションとしては納得できる、ですか。あの村で、山の中腹に住んでいるのは、実夏だけだ、と。

 細かいことを考えられるのですね。


 まあ、駐在さんの時も、それまでとさほど変わったことはしていません。

 彼らは私に向かってくることは一度もありませんでした。

 ただ、日が経つに連れて腐敗臭が凄くて、もしも誰かがあそこへ行ったら、気づいてしまうのではないかな、とは思っていましたが。

 村から、もう三人が失踪して、そんな気分ではないようなのが幸いしました。



「幸い、とは、確かに言い方が悪いですね。すみません」

 目を伏せて、常基は静かに謝罪した。

 しかし、すぐに真っ直ぐ相手を見据えてくる。

「実夏は、これからどうなってしまうのですか」

「とりあえず、一緒に来てもらいます。鑑識チームに連絡して、多分明日辺りから現場検証をしますから、お二人には立ち会って頂かないと。その後、どんな判断がくだされるか、ワシには判りません。人数が多すぎます」

 あえて厳しい口調で告げた。

「私も、ですよね」

「勿論です」

 常基は、長く、長く息をついて、そして深々と頭を下げた。



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