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■星 01

 夕方に、家の外に出る。

 日暮れの兆候は、まだ淡い。

 十数分、煙草を吸いながら立っていると、予想した通りに相手は現れた。

「刑事さん」

 僅かに驚いたように、声をかけてくる。

「駒井さん」

 駒井頼子は、手に紙袋を持っていた。

「もうええて()うたのに」

 小さく笑った西園寺に、思わず、といった風に頼子も顔をほころばせる。

「主人のこともありますけど、駐在さんにはお世話になってましたから」

 今夜の夕食と、昨日貰ったタッパーウェアを交換する。

「ワシは、明日の午前中にはここを発ちますさかい。これはどうしましょう。お返しに上がった方が?」

「そ……そうなんですか? ずっといてくださるのだと」

「代わりの駐在は近々配属される筈です。捜索も、まだ続けられますよ」

 西園寺の仕事は、どうなるか判らないが。

 頼子は視線を落とし、その細い肩を縮める。

「お世話に、て()うのは、どういった?」

 だが、続けて尋ねられた言葉に、びくりと顔を上げた。

「いえ、その、特には」

「村岡がつけていた日誌がありました。月にニ、三回、駒井さんのお宅へ呼び出されてたそうですね」

 滑らかに続けられて、女性はおどおどと視線を逸らせた。

義父(ちち)が、その、お酒を飲むと暴れることがあって。主人がそれに応じて騒ぎが酷くなったことが、数回……」

「茂樹さんが失踪してからも、何度か呼ばれてますね」

 ぎゅ、と、紙袋の取っ手を握り締める。

「駒井頼子さん。暴力は、貴女に向かってませんか?」

「いいえ!」

 ぶんぶんと、頭を振った。首の筋が、薄く浮いている。

 小さく、吐息を漏らす。

「旦那さんがおらへんようになって、もう二ヶ月や。ご実家に戻っても、ええ頃合とちゃいます?」

 一転して、軽く西園寺は告げた。

 ぽかんとした顔で、頼子は見上げてくる。

「でも、そんな、私は嫁いだ身ですから……」

「気晴らし程度でも、ええやないですか。ご実家、遠くはないんでしょ? 車の免許は持ってはります?」

「はい、車なら十五分ぐらいで。でも、……都会の人って、そんな簡単に実家に戻るんですか?」

 探るような物言いに、笑ってみせる。

「実家が遠かったら、まあそんな頻繁ではないやろうけど。少なくとも、盆か正月には戻るんとちゃいますかね。ワシは独り身やけど、同僚とかが奥さんの実家に行くとか、よぅ()うてましたよ」

「そう……ですか」

 視線を、ふらふらとさまよわせる。

 が、じきに真っ直ぐに一度目を合わせて、深く頭を下げた。

「お気遣いありがとうございます。タッパーは、朝、この玄関先にでも置いておいてくださったら、明日のうちに取りに来ます」

「こちらこそ、おおきに。昨日のご飯も、美味しかったですよ」

 顔を上げた頼子は、笑っていた。




 居間で、煙草を吸う。

 静かだ。

 テレビは点けない。

 昨夜、ニュースでも見るかと点けてみて、NHKの他には民放が二局しか映らないことに驚愕したが、まあそのせいではない。

 紫煙を、長く吹き上げる。


 どれほどの時間が過ぎただろうか。


 静寂の中に、インターホンが、鳴った。


「……いきなりドア開けられるんかと思ってましたわ」

 玄関の外には、山崎実夏が微笑みながら立っていた。



「西園寺さんは、明日帰られるのですって?」

「誰から聞きましたん?」

 にこやかに問いかけてくる女性は、変わらない。

 薄い水色で花模様が描かれたシャツは、襟元がぎりぎり鎖骨が見える程度の深さだ。そして、紺色の、膝下までのフレアスカート。手には、白の透けるようなショールをかけていた。左手の薬指には、楕円形の暗赤色の石の指輪。薄化粧に、淡いピンクの口紅。

 決して派手ではないはずなのだ。清楚と言ってもいい。

 だが、この村の中では、確かに垢抜けていると見えるだろう。

「水野さんの奥様から。私のところにお話がくる頃には、もう村の人みんな知ってると思いますけど」

「……凄いなぁ、ホンマ……」

 水野という家には行った覚えがない。

 田舎の情報伝達の速さは本当に桁違いだ。

「まあ、いつまでもここにおっても、見つけられる訳やないんで。明日には県警に引き継いで帰る予定です」

「そうなんですか。大阪の方と久しぶりに会えて、懐かしかったのですけど。寂しくなりますね」

 残念そうに告げて、そして、実夏はやや身を乗り出した。

「ねぇ、西園寺さん。帰る前に、秘密の場所に行きませんか?」




 黒光りするボンネットが、街灯の光を反射する。

 西園寺の車は、山道を走っていた。コンクリートで固められた山肌が、視界の隅から灰色の姿をせり出してきている。

 谷川にかかる橋を、一つ越えた。

「この辺りは、まだ村の中ですか?」

「ええ」

 カーナビの画面に注意しつつ進む。

「もう少しです。次の次のカーブを曲がったところで、左手に空き地があるのでその奥へ進んで」

 実夏が告げるが、カーナビの画面にはそれらしい道はない。

 しかし、その言葉通りに、舗装されていない、砂利の多い空き地が現れた。

 ゆっくりと車を入れていくと、なるほど木々の下に、ぽっかりと空間が空いている。

「これは、進んでええんですか?」

 流石に、知らない道、しかも街灯もない道へ夜間に入っていく度胸はそうそうない。

「幅は広いですし、周りに崖はありませんから大丈夫ですよ」

 あっさりと返されるが、免許を持っていない人間の「大丈夫」は、あまり当てにならない。

「……ゆっくり行きましょう」

 おそらく、こんな時間、こんなわき道に後続車も来るまい。

 ヘッドライトの光だけを頼りに、(わだち)のくっきりと残る道を進む。

 途中、フェンスが続く場所があったが、道は遮られていなかった。その奥の方に、納屋だろうか、平屋の建物が一つ二つ暗い影となって建っていた。

 がたがたと、揺れながら十数分ほど走っただろうか。

 前方の木々がまばらになり、月の光がぼんやりと差しこんでくるようになった。


 そして車は、男女は、ぽっかりと開いた土地へと入りこむ。



 多少の予測はしていたが、西園寺は息を飲んだ。

 目の前は、下り斜面に面していた。木々や山のような、遮るもののない夜空は一面に広がり、煌く星々を(たた)えている。

 そして眼下には、遠くの街の夜景が、白く、赤く、光を滲ませていた。

 大阪の街で、そのただ中からの夜景は幾らでも見た。

 神戸の山の手から、街を見下ろす夜景も、見たことはある。

 だが、この、迫り来るような星空の下では、初めてだ。

 これだけ星が見えるということは、つまり人工的な光の威力はさほど大きくないということでもある。

 対比的に、自然の巨大さと、人の卑小さとを思い知らされてしまいそうだ。

「……凄いもんやな……」

 流石に言葉を詰まらせる男の胸元に、そっと白い手が這った。



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