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■沢 03

 やがて卓に並べられたのは、冷やし中華と副菜が幾つかという昼食だった。

 色鮮やかな色彩に、少し目を見張る。

「これ、トマトもキュウリも茄子もベーコンも、うちで採れたんだよ」

 得意そうに香奈が指差す。

「凄いな。ベーコンも?」

 野菜程度なら、畑がそこここにあるから推測はできる。だが、この山の中で、養豚をしているとは思わなかった。

 すると、母親がそれは違うと笑う。

「息子が、燻製に嵌ってしまって。お肉は買ったものですけど、小屋で色々作るんです。木材とか自分で切り出してきたりしてねぇ」

「ははぁ」

 感心した声に気をよくしたのか、さあどうぞ、と勧められる。

 なるほど、娘が自慢するだけあって、野菜も料理も美味いものだった。食の都、大阪で生まれ育った西園寺が素直にそう告げると、嬉しそうに母子(おやこ)は笑う。

 そのまま、当たり障りのない世間話をしつつ、食事を終える。

「啓祐くん、どんな感じですか?」

 食後に麦茶を注ぎながら、母親が心配そうな顔で尋ねた。

先刻(さっき)も娘さんに話しましたけど、この辺りにおらんのやったら、どっかで補導されるのを待つしかないでしょう。親戚や知り合いをあたってはみますが」

 しかし事件に関わっていなければ、さほど熱意を持って捜索は行われない。

「そうですか……。元気でいればいいんですが」

「啓祐くんは、そないにここが嫌やったんですか?」

 西園寺の問いに、母親は小さく笑った。

「若いうちは、一度や二度はそういうことを思うもんです。実際、仕事を捜して出て行った人も何人もいますし。ここに残るのは、理由がある者ばっかりですよ。他で仕事が探せないとか、両親を置いていけないとか、好きな人がいるからとか」

「好きな人、ですか」

 ちょっとぴんとこなくて、呟く。

「ここだけの話ですが、茂樹くん。あの人、実夏ちゃんのこと好きだったんですよ」

「えぇっ!」

 驚いて大声を上げたのは、香奈だ。

「静かにしなさい。その辺でぺらぺら喋ったら駄目よ」

 叱りつける母親の前で、西園寺も少々面食らっている。

「じゃあ、親御さんが()うてはったんは……」

「あら、でも何もなかったんですよ。実夏ちゃんはねぇ、あの年頃の男の子たちにとってはアイドルだったから。みんなの初恋だったんです」

 彼らからは一回りほど年かさである母親は、微笑ましそうにころころと笑う。

「でも、お寺のお嬢さんだし、常基さんもいるし。十代ぐらいまでは、殆ど、彼が婿に入るだろうと思われてて、誰も面と向かってアタックとかしなかったんですよ」

「そうでしたか。でも、確か山崎実夏さんの旦那さんは、大阪の人やって聞きましたけど」

 それそれ、と、大きく手を振る。

「確かね、常基さんの高校のお友達だとかで。夏休みとかに遊びに来たのが馴れ初めだったみたいね。実夏ちゃんが短大を卒業したら、すぐお嫁に行っちゃったから、未練がましく地元に残ってた茂樹くんたちが悔しがったのなんのって」

「駒井茂樹さんと(なん)かあったりしたんですか」

 ちょっと小気味よさそうに続けるのに、問いかける。慌てて、母親は首を振った。

「いえいえ。茂樹くんは別に。ただ、あの子二年前の冬に結婚したんですよ。隣村の、頼子ちゃんと。茂樹くんのご両親は、何ていうか、ちょっと難しい人たちでね。苦労してるなぁ、って思ってたんだけど。それで、その何ヶ月かあとに実夏ちゃんが戻ってきて。茂樹くんたら、ちょくちょくそこに顔を出すんですよ。何か不自由はないか、って。住職さんもご健在で常基さんもいるのに、あるわけないじゃないですかねぇ」

 結構嫌いだったらしい。

「それでいきなり何も言わずにいなくなったでしょう。あの家に残されて、頼子ちゃん大変だなぁ、って思ってて」

「あそこのおじさん、お酒飲んだらうるさいもんねぇ」

 興味津々で聞いていた香奈が、顔をしかめて同意する。

「山崎さんがここにいる、ゆうことは、別に手に手を取って逃避行やった訳ではない、と。失踪する理由にはならんですなぁ」

 むしろそれだけを考えれば、初恋の君が帰ってきたこの地を離れたくはないだろう。

「駐在の村岡は、どんな奴でしたか」

 西園寺は話を変える。

「真面目ないい方でしたよ。三十五歳って言ってましたか。前の駐在さんはご家族と一緒でしたけど、お一人だったんですよ。何か、奥様と離婚したとかどうとか」

 田舎の情報収集能力は実に侮れない。

「まあこの村は殆ど揉め事もないから、のんびりしたものですけど。親子喧嘩を止めたりとか、子供がボールを木にひっかけたのを取ってくれたりとか」

 駐在の評判は、今のところ、総じて悪くはなかった。




 午後をまだ幾らか回ったばかりの陽光は、酷く眩しい。

 汗を額に滲ませながら、西園寺は道を歩いていた。

 木陰に入ったことで息をつき、上方を見上げる。

「おや。こんにちは」

 石段のずっと上の方で、常基がほうきを持って立っていた。


「こんにちは。この石段、全部掃除しはるんですか」

 前日に上まで(のぼ)ったが、一体何段あったか、数えたくもない。

「土が溜まったり、木の葉が落ちますので、毎日やってるんですよ」

「それはえらいことでしょうなぁ」

「これも修行のうちです。石段が壊れてしまうこともありますから、点検も兼ねていますし」

 方言である『えらい』を、誤解もせずに受け入れる。大阪の友人がいた、というから、慣れているのだろう。

「お仕事の方はどんな調子ですか」

「ぼちぼち……とは、いきませんわ」

 べたべたな関西弁に、修行僧は小さく笑みを浮かべた。西園寺は、常基のいる辺りよりも数段下まで上って、立ち止まる。

「厄介な事件に巻きこまれたならともかく、今のところそういう形跡はありません。聞いて回っても、初恋がどうとか、秘密のデートスポットがあるとか、そういうことばかりで」

「ああ。秘密、でもないんですよ」

 ぽつりと返されて、首を傾げる。

「この村の男には、代々伝わっている場所です。自転車で途中まで行って、その後で山道を登った先にあるのが一つ。車が使えない若い頃には、重宝するんですよ。それから、車で舗装されてない山道を進んだ先にあるのがもう一つ。これは、立ち入り禁止の柵があったりするのですが、実は所有者が村の者なので、荒らさなければと大目に見てもらっています。木がまばらで、星空と、遠くの街並みの夜景が一緒に見えるらしい。女の子には連れていくまで内緒なので、まあ秘密とは言えますかね。うっかり鉢合わせしないように、酷く気を遣うようですよ」

 面白そうに、懐かしげに話してくる。

「常基さんは、行かれたことないんですか?」

 が、そう尋ねたところで顔を引き締めた。

「私は……、機会がなかったので」

「山崎さんとも?」

「実夏さんとは、そういう関係ではありません。彼女は、家族というか、妹のようなものです。結婚相手は私の友人でしたし」

「では、山崎さんも、そこへ行ったことはない?」

「ええ……多分。何か?」

 流石に訝しそうな目になってくる。西園寺は人懐こい笑みを浮かべた。

「この辺の夜空でも凄い星やったのに、もっと凄いとこってどうなんやろう、と思っただけですよ。星空と夜景かぁ。そら、ロマンチックやなぁ」

「西園寺さんも連れて来たい人が?」

「機会と相手がおったら、ですけどね」

 常基は納得はしてないのだろうが、会話に乗ってくる。

「山崎さんと言えば、お子さんがいらっしゃるとか」

 だが、次いで放った言葉に、さっと顔色を変えた。

「それは……」

 口から零れた言葉に気づいて唇を引き結ぶと、慌てて周囲の様子を伺った。ほうきを手放し、西園寺の腕を握る。

「こっちへ」

 早足で石段を下る常基に、西園寺は無抵抗で従った。


「どこで、そのことを?」

 常基が足を止めたのは、石段を降りきって十メートルほど離れたところだった。先ほどいた場所は、石段を上った最初の踊場に近い。……実夏の、住まいに近い。

「まあ、話のついでにそこここで」

 口を濁すと、しばらく睨みつけられた。が、やがて、ふい、と視線を逸らせる。

 いや、周囲の様子を伺っているようだ。

「……子供のことは、あまり口にしないで貰えますか。実夏は、ようやくおちついてきたところなので」

「旦那さんのご実家にいるとか。春先からって、結構長いですよね」

 あからさまに話題にしたくない、という態度なのを、あっさりと突破する。

「友人は、亡くなるには若すぎました。私も、幾人かお見送りを経験していますが、子供が先にいくなんて、親の嘆きは相当なものです。一人息子で溺愛気味だったこともあって、ご両親には辛い思いをされていると思います」

「お子さんがここにいないことは、失踪とは全く関係ないものですね?」

 刑事の質問に、男はきょとんとした顔を向けた。

「え。あ、そちらを心配されていたんですか?」

「ワシは仕事で来てますから」

 一見生真面目な答えに、常基は肩の力を抜く。

「全然、関係ありませんよ。一周忌は二月で、最初に茂樹さんが失踪したのは六月でした」

「五月です。キャンプ場で、行楽客が」

 遮られて、少しむっとしたようだ。

 感情が、揺れやすくなっている。

「……それでも、三ヶ月も違います。一周忌の時に、二人を駅まで送ったのは私です。帰りに迎えに行ったのも。向こうの実家を出る時に、実夏から子供を置いてくることになった、とがっかりした声で電話があったんです。この辺りでの失踪事件と関係なんてありませんよ」

「送迎を、貴方が。山崎さんは、運転免許は?」

「持っていません。……何か、関係が?」

 更に不審そうに、続けられる。

 にやりと笑って、見返した。

「何でも訊くんがワシらの仕事ですよ」


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