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■沢 01

 翌朝、西園寺は普段よりも早く行動を開始した。

 村岡の冷蔵庫から卵と食パンを失敬する。コーヒーはインスタントだったが、充分だ。

 手早く朝食を摂って、外へ出た。

 早朝の空気は、真夏だというのにやや肌寒い。ぶるり、と一つ身を震わせて、彼は車に乗りこんだ。


 しかし、そこここの畑で既に農作業を始めている住人を見つけ、内心舌を巻く。

 彼らにはこの程度の時間、早起きとも言えないのだろう。

「大変やな……」

 まずないだろうが、自分がここの駐在となったらどうしようか、と考えて、しかしすぐに思考を切り替えた。



 山道を走らせること、三十分ほど。

 渓流を臨むキャンプ場に、車は入っていった。


 真夏の、しかも夏休みの真ん中である。

 平日ではあったが、そこそこ利用客はいるようだった。

 ここではまだ眠っている者が多いらしく、人影は見られない。西園寺は、何となしに気持ちを持ち直させた。

「次郎五郎。九十郎」

 小さく呟く。

 昨夜のように、どこからともなく男の左右に二匹の犬が姿を現した。

「捜してきぃ」

 続けられた言葉に、ぱっと走り出し、それぞれ木々の間に姿を消した。

 彼の愛犬が何を見つけられるかに、この仕事はかかっていると言ってもいい。


 駐車場には、車が十台程度停まっていた。

 殺人事件であれば話は別だが、数ヶ月前に失踪者が五名出た程度では、ニュースにもならない。利用者は、そんな事件があったことを知りもしないのだろう。

 やがて、空気がざわめいてきた辺りで、場所を変えた。

 キャンプ場から出て少し道路を歩けば、渓流へと降りていく階段がある。朝からこちらに人は来るまい。

 古ぼけたコンクリート製の階段は、長い年月で石灰部分が磨耗し、骨材の砂利が顔を出している。川岸は大きめの石がごろごろしており、数メートル先で流れが水飛沫を上げていた。

 深い緑に覆われた山が、青空を背にそびえ立っている。

 暑くなりそうだ。



「すいませーん!」

 頭上から声が聞こえて、振り向いた。

 ガードレールから身を乗り出すようにして、一人の人間が手を大きく振っていた。

 西園寺が気づいたと見て、更に声を上げる。

「刑事さん、ですかー?」

 頷いたのが判ったのか、相手は小走りに階段を下りてくる。

 全身が見えたところで、おそらくまだ子供だろうと判断する。十代半ばぐらいの少女だ。身体にぴったりしたTシャツに、膝丈の短パンを履いている。短い髪が、一段降りるたびにふわふわと揺れた。

「どちらさん?」

 声を張り上げなくても聞こえる程度の距離になったところで、声をかける。少女は面白そうに笑みを浮かべた。

坂本(さかもと)香奈(かな)です。あの、東京から来た刑事さんですよね」

 実際は東京ではないが、まあ現在の所属はそうだ。無言で西園寺は頷く。

「啓祐がいなくなったことを調べてる、って聞いたので」

「ああ、清水啓祐くんの、友達?」

「ええ、まあ。学年は一つ下なんですけど」

 ということは中学二年生か。どちらかと言うとしっかりした顔つきをしている。

「何でここに来たん?」

「朝、駐在さんのおうちに行ったんだけど、車がなかったので。沢の方に行った、って聞いて、自転車で追っかけてきました」

「自転車?」

 車で三十分だ。自転車なら、一時間以上かかるだろう。舗装してあるとはいえ、山道でもある。

 だが、香奈は無意味に胸を張った。

「学校のある時は、中学まで毎日これぐらい通ってますから」

「凄いな」

 西園寺の素直な感嘆に、照れたようにえへへ、と笑う。

「それで? 何で、来たん?」

 重ねて尋ねると、少女は僅かに表情を引き締めた。

「啓祐、見つかりそうですか?」



 二人は、崖から張り出している木々が落とす影の中にいた。大き目の石にそれぞれ腰かけている。

「啓祐くんは未成年やし、どっかで補導される可能性は高いやろう。今夏休みで、警察もよぅ見てるから」

 大人の失踪者はそうはいかないが。

 香奈は、補導、と心配そうに呟く。

「彼の行くあてとか、心当たりある? ネットの友達がおるとか」

 今どきは、インターネットでちょっと喋ったぐらいの相手でも簡単に頼ることがある。家族はその方面の交友関係は把握しづらく、捜索は難しくなる一方だ。

「うーん。この辺、ケイタイは全然電波がこなくて。近所でパソコン持ってる人もいないんです。学校には二台あるけど、先生の許可がないと使えないの」

「健全やな……」

 ここは本当に二十一世紀か、と思いつつ、思案する。

「親戚の人やら先輩やら頼るんやったら、もう(うち)の人が一通り(はなし)通してるやろうしなぁ」

 まだ幼いうちに家出する少年少女たちは、大抵の場合は大人に食い物にされてしまう。むしろ知り合いの家に泊まるような家出ならば、割と短期間で帰ってきたりする。

 西園寺の知り合いには、義務教育が終わったその日に家出して、しっかり自活している少年がいたりするが、それは極めて稀少な例である。

 そもそも、啓祐は失踪時に書置きもなく、着の身着のままでいなくなっていた。貯金通帳は家にしまったままで、ここ数ヶ月預金を下ろした形跡もない。

 しかも、関連はともかく、この四ヶ月の間に近隣で八人の失踪者が出ているのだ。

 単純に家出だ、と考えられる要素はさほど多くない。

 とはいえ捜査中に、しかも目の前の少女にそれを漏らせる訳もない。

「おばさんの親戚の人かも」

 だが、思いがけない言葉が飛び出してきた。

「おばさん?」

「啓祐、小さい頃にお母さんが死んじゃってるんです。何か、お祖母さんとかとおじさんが仲が悪くて、殆ど連絡を取り合ってないって言ってました」

「なるほど」

 しかし家出という一大事だ。一報ぐらいは入れただろう。

 家出してきた孫の身柄を隠している、ということはあるかもしれないが。

「お父さん一人で育ててきたんか。大変やったろうなぁ」

 子供の立場ではなく、父親の立場で見てしまう辺り、西園寺もあまり若くはない。

「おじさんは殆ど一日お店にいるから、寂しいってことはなかっただろうけど。よく、うちでご飯食べたりしてましたよ。お母さんのご飯、美味しいんです」

「ええお母さんやねんな」

 笑みを浮かべて言うと、また照れたように笑う。




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