■山村 03
駐在の村岡が住んでいたのは、二階建ての家だった。
広い庭には、パトカーが駐車されたままになっている。その横には、西園寺が乗ってきた車が停められていた。
玄関の鍵を開けて、入りこむ。
夕暮れが近く、流石に玄関から奥は暗い。
家の中は、今日着いた直後にざっと見て回っていた。男の一人暮らしで、さほど物は置いていない。
冷蔵庫の中には、賞味期限が五日前に切れた牛乳、卵、肉、野菜など。
寝室のベッドの上には、読みかけらしき文庫本が二冊置かれていた。
「身辺整理はなし。前もって決めてたようには思えんからなぁ。衝動的に逃げたんか、それとも予測もせんと拉致られたんか」
村岡との連絡が途切れたのは、十五日前だ。それ以前にもこの村や周辺での行方不明者届が頻繁に出されていたこともあり、県警の対応は迅速だったと言ってもいい。すぐに数名の捜査員が現地入りしている。
しかし、やはり揉め事があったなどの証言は得られず、やがて事件性が低いと判断された。
表向きには。
通常、西園寺が所属する課の人員が派遣されるまでには、事件発生後、数ヶ月から数年の時間がかかることが多い。ある程度、彼らでなくては解決できない事件だという確証を得なくては動けないのだ。
今回西園寺が短期間でここへ来たのは、やはり、警察官が行方不明である、という点が大きい。
彼でも何も掴めなければ、単純な失踪事件として処理が行われることになるだろう。
背後で、玄関の扉が、がたがたと揺れた。
「うぉ!?」
不意を衝かれて、奇声を上げる。
それが聞こえたのか、音はすぐに止んだ。
「あの、刑事さん? いらっしゃいます?」
そして、外から女性の声が細く聞こえてくる。
「お、あ、ああ」
まだちょっと動揺しながら、用心しつつ扉を開く。
外には、戸惑った表情の若い女性が立っていた。夕闇が迫っているせいか、顔色が悪い。
「あの、駒井です」
名乗りに記憶を探れば、昼間に話を聞いた際、ひっそりと同席していた女性だ。
「どないしました、こんなとこに」
何か情報でも、と思ったが、彼女は手にした紙袋を持ち上げた。
「お夕飯を。食べるもの、ないんじゃないかと思って、その、お義母さんが持っていってって」
開いて見せると、タッパーウェアが三つほど重なっていた。
「あ、気ぃ遣ぅて貰て、すんません。けど、勤務中やさかい、頂く訳には」
とりあえず断るが、確か頼子と呼ばれた女性はきょとんとして見返してきた。
「でも、駐在さんは受け取ってましたよ」
地域に根ざす駐在員は、まあそういうこともある。
ちょっと考えて、あまり固辞するのもまずいか、と考え直した。
「せやったら、今日は頂きますわ。どうもおおきに。けど、明日からは無理せんといてください。ここ、まだ食料もありますから、自分で作れますよって」
「でも、駐在さん、いなくなって結構長いですよね。悪くなってませんか?」
心配そうな顔に、怯む。確かに冷蔵庫に入っているとはいえ、真夏に二週間も放置は少々怖い。
「店が何もない訳やないし。何とかします」
紙袋を受け取り、おおきに、と繰り返すと、どうやら納得したらしい。
まっすぐに目を見つめてくる。
「茂樹さんを。……主人を、どうかよろしくお願いします」
「最善は尽くします」
ゆっくりと自宅へと戻っていく、細い後姿を見送る。
新婚、と言っていたか。
小さく溜息をついて、西園寺は扉を閉め、しっかりと鍵をかけ直した。
陽がとっぷりと暮れてから、外へ出る。
地元ではまだまだ宵の口という時間だが、この山村は静まりかえっていた。
夜気は、昼間の熱をじんわりと孕んでいる。
ぬるく弱い風に吹かれ、無言で西園寺は周囲を見渡した。
ぽつり、ぽつり、と、家の灯りが見て取れる。
山頂を見上げる。そちらは、月と星の光を背に、べったりと黒く闇に切り取られていた。
火をつけたばかりの煙草を指に挟んだまま、じっと立ち尽くす。
「次郎五郎。九十郎」
小さく呟いた瞬間、男の周囲の闇が変化した。
カーテンを通して漏れるぼんやりとした明かりに、白銀の、漆黒の艶が映える。
それはすぐに西園寺の足元にまとわりついてきた。
薄い笑みを浮かべ、煙草を咥えると両手を延ばし、よしよしと呟きながらその頭を撫でる。
二匹の犬は、嬉しげにその手を受け入れていた。
「さてと。ちょお散歩でも行こか」
ふらり、と脚を道路へ向ける。たっ、と、次郎五郎と九十郎は軽い足取りでその先に立つ。
月明かりで、何となく周囲は伺える。夜の田舎道を、西園寺はゆっくりと歩いていった。




