■山村 02
石段が横手に向きを変える踊場から、逆方向へ向けて小道が延びていた。入口の左右に光悦寺垣が設えられ、世界を切り取っている。
その先にあるのは、小さな一軒屋だ。
「元々、祖父が隠居していた家なんです」
そう説明する女性は、山崎実夏と名乗った。
山の上にある寺の一人娘だそうだ。
建物の質素な外見とは裏腹に、屋内はひやりとした空気が満ちている。玄関のすぐ傍、弱い冷房のかかった部屋に通された。居間のようだ。
すぐに、冷えた緑茶に、冷たいおしぼりを添えて出すほどの気遣いを示されて、西園寺は恐縮する。
「お邪魔しまして、申し訳ない」
「いいえ。村の人でも、この石段は大変ですもの」
穏やかに笑んで、実夏は返す。
まだ若い。西園寺が今年二十五だから、やや歳上ぐらいだろう。
ほっそりとした身体を、飾り気のない白のシャツと薄い水色のタイトスカートに包んでいる。左手の薬指には、鈍い赤の宝石がついた指輪を嵌めていた。髪の長さは、肩にかかる程度だ。
「西園寺さんは、どうしてこんな辺鄙なところへ?」
最初に顔を合わせた折、既に身元は明かしている。
「ここ数ヶ月で、数人の失踪者が出ているのはご存知ですか」
僅かに瞳をかげらせて、実夏は頷いた。
失踪したのは、村の住民が三名。近隣の沢でキャンプをしていたレジャー客が五名。
どれも十代から三十代までの男性だ。
だが、それ以外に共通点や接点はない。
「駐在の村岡までいのうなってしもたから、ワシが捜査に来た訳ですわ」
簡単に告げると、女性は小さく微笑んだ。
「……何か?」
「いえ、すみません。西園寺さんは大阪のご出身ですか?」
「はい」
実夏の雰囲気が更に和らいだ。
「夫も、大阪だったんです。久しぶりに、大阪弁に触れたので、懐かしくて」
厳密には西園寺が喋るのは関西弁だ。
だが、そこには触れずに、刑事は別のことを問いかけた。
「久しぶり、ですか」
「はい。……夫は、昨年の春に、事故で亡くなってしまって」
「それは、……無神経なことを」
小さく頭を下げる。
未亡人は、いいえ、と小さく呟いた。
「それで、つまり、その、失踪事件について、何かご存知ではないですか?」
次いで取り繕って放った言葉に、実夏は数十秒考えこんだ。
「……いなくなった、というお話は伺いましたが、それ以上のことは何も。昨年こちらに戻ってから、あまり出歩かないものですから」
「そうですか」
「お力になれずにすみません」
「とんでもない。何か思い出されたらお知らせください」
汗も引いて、落ち着いた。そろそろ暇を切り出すと、実夏は共に行くという。
「私が一緒にいた方が、お話がしやすいと思いますから」
寺は彼女の実家である。西園寺は、ありがたくそれを受けた。
十数分、石段を登ってようやく山門をくぐる。
広い寺内には、本堂の他には小さな堂が二つ三つあるばかりだ。
地面に水を撒いていた男が、こちらに気づく。
「実夏さん」
不審そうな顔で、西園寺を見ながら近づいてくる。
「常基さん、こちら、警視庁の西園寺さん。茂樹さんたちがいなくなったのを調べに来られたの」
常基と呼ばれた男は、軽く驚いた顔になった。
年齢は二十代半ばから三十。紺色の作務衣から手足がにゅっと伸びていて、ひょろ長い印象を与える。髪は短く刈りこんでいるが、剃髪ではない。最近の僧侶には、結構多いが。
「西園寺です」
警察手帳を示し、軽く会釈する。男はまだ戸惑ったように、しかし目礼してきた。
「お話を伺えたら、と思いまして。お時間宜しいですか?」
「あ、はい。寺務所へどうぞ。住職もおりますので」
曖昧に、奥の方へ手を動かして、そう促した。
それは、木造の小さな建物だった。中にはスチール机やコピー機などが置かれていて、事務仕事のために使われているらしい。そして、冷房が効いている。
半袖シャツの、五十代ほどの男が奥から顔を出した。西園寺を認めて、きょとんとする。
再度、実夏が紹介すると、それは遠いところを、と労いながら応接セットへと通された。
男は住職の常照と名乗る。実夏の父親だ。
お茶を淹れようとする実夏に断って、そのまま同席して貰う。
「駒井茂樹さん、清水啓祐くん、そして駐在の村岡。ご存知ですか?」
「はい、勿論。駐在さんは、四年ほど前に着任されてからのおつきあいですが、村の住民は、生まれてからずっとですからな」
ここは、村で唯一の寺だ。住民とはそれは密接だろう。
「三人がいなくなる前、何か変わったことはありませんでしたか? 悩んでいる様子ですとか、不満に思っていることがあったとか」
西園寺の問いに、彼らは顔を見合わせた。
「特に、大きなことは……」
「啓祐くんは反抗期のようでしたが、暴力に訴えることはなかったようです。清水さんも、高校から親元を離れるのは仕方がないのかもしれない、と言っていましたし」
「茂樹さんは、昨年結婚したばかりですから」
「むしろ駐在さんは、こっちが何か困ってないかとよく顔を出してくれました。男手がないと言っても、父も常基さんもいるんですが」
口々に、心当たりはないと告げてくる。
「失礼ですが、常基さんはどのようなお立場で?」
「私の妹の息子です。実夏が嫁に行ってしまったので、跡継ぎとして来て貰っております」
住職がはきはきと答える。
「なるほど。それは大変ですな」
常基が、静かに首を振る。
「母が、敷地内で幼稚園を経営しておりますので、ここには幼い頃から親しんでおりました。高校も仏教系に進んだぐらいなので、跡継ぎでなくても寺に入ったと思いますよ」
「幼稚園ですか?」
問い返すと、三人が揃って頷いた。なるほど、家族と言ってもいいような雰囲気だ。
「裏の方に。と言っても、年々、子供は減っていますから、今は十人も預かっていませんけど」
「それでは、村の方々とは本当に子供の頃からのおつきあいですね。しかし、こんな高いところまで子供連れで通うのは大変そうや」
冗談ぽく言うと、僅かに笑みが浮かんだ。
「ここに比べれば、もう少し山の中腹にあります。道路も作ってあるので、大半は車で通われてますね」
小学校も、他の村にあるぐらいだ。車で三十分程度の近隣から幼児を預けに来たこともあるという。
きちんと整えられたつつじが、もこもこと丸い姿を見せている。
常基に、寺内をざっと案内して貰っていた。
「本堂に祀っております本尊は、薬師如来です。脇侍の日光菩薩と月光菩薩も共に。それから、向こうの堂の方に、十一面観音と鬼子母神が」
「鬼子母神?」
いきなり毛色の変わった名前が出てきて、面食らう。
「戦前に奉納されたのです。さほど有名な仏師ではなかったようですが。丁度、幼稚園を始めようとした頃で、鬼子母神は母と子を守護するものですからね」
西園寺がその辺りに疎いと思っているのだろう。簡単に説明してくる。
ぐるり、と周囲を一瞥した。高い木々に囲まれた山寺は、夏の日差しの中に白く晒されている。
「ところで、西園寺さんは宿の当てはおありですか? 狭いですが、宿坊もございますから、宜しければ」
礼儀正しい申し出に、苦笑する。
「大丈夫ですよ。駐在の家に泊まることになってますさかい」




