2話1
震えあがってそらした視線が、膝先の床をさまよった。
膝が小刻みに震え出し、エレーンは唾を飲みくだす。これは一体どういうこと? あの晩領邸を襲撃した、あの三人が集合している。わざわざ、ここに呼び集め、一体何を始めようというのか──。
ばさり、と戸口で音がして、人影がせかせか戸口をくぐった。
「すまん。遅れた」
編みあげの靴を脱いでいるのは、こざっぱりと短い頭髪の男。ケネルと同じく革の重たそうな上着を着ている。
絨毯にあがり、向かって右に足を進め、蓬髪の手前で腰を下ろす。
「ルーダの所で、話しこんでしまってな」
何気なく呼びかけた一声で、にわかに場が華やいだ。
よどみを払う快活な声。暗く沈んだ室内が、見る間に活気を取り戻す。
あぜん、とエレーンは面食らった。
(な、何者? あの人……)
蓬髪と同じく年配で、表情豊かな精悍な顔立ち。左の耳には赤いピアス。若者がつけるような装飾品だが、はつらつとした雰囲気に不思議と似合う。
「首長のバパだ。部隊の一隊を統率している」
ケネルの声に、え? と瞬く。「バパ」というこの名前──
あ、と思い出して、そちらを見た。昼の移動時、馬群で何度かこの名を聞いた。馬速を落とすよう頼む都度、ファレスが馬群の前へと呼びかけ──。ならば、先導していたはあの人か。「首長」というのは耳馴染みがないが、部門の責任者ということだろうか。
言われてみれば、うなずけた。ただそこにいるだけで、人の上に立つような一角の人物とたちどころに分かる。
中央の土間の炉火を囲んで、今、七人が座していた。
東にあたる建物の戸口に、戸枠にもたれた副長ファレス、その左に短髪の首長。戸口の右手にケネルと自分、その向かいの南には、件の三人の襲撃犯──大きな帽子の"旅芸人" と、何事にも関心がなさそうな白いシャツの眠たげな青年、そして、山賊のようなあの蓬髪。そちらを見やって、ケネルが続ける。
「向かって右からジャック、ウォード、アドルファス。アドルファスもバパと同じく、別の一隊を率いる首長だ」
「──ね、ねえ、ケネル」
おどおどケネルの袖を引き、エレーンは蓬髪を盗み見る。「これって一体──」
「そこにいるアドルファスが、あんたを斬った当人だ。その件で話があるらしい」
ケネルの目配せであぐらを崩し、ぬっと蓬髪が立ちあがった。
ケネルの腕を引っぱって、あわてて盾にする間にも、戸口側に土間をまわって、つかつか無造作にやってくる。
どさり、と目の前であぐらをかいた。
「すまなかったな、あの時は。詫びが遅くなっちまって」
ざらりと嗄れた重い声。
顔にかかる蓬髪の下、凄みのある双眸をあげた。「──で?」
エレーンはびくびく小首をかしげ、助けを求めてケネルを見る。だが、ケネルはこちらに一瞥もくれない。
「だから経過は。体はどんな按配なんだ」
じれったそうに蓬髪が促す。
愛想笑いで、はあ、と応えて、エレーンはもじもじうつむいた。「えっと、もうそんなには……」
「どうした」
ケネルがたまりかけたように嘆息した。「傷が痛むんじゃなかったのか」
「あっ!? ちょっ──!?」
なんでバラすかな!?このタヌキ!?
斬った本人を前にして、それでは、あまりにあてつけがましい。てか、そんなことして怒ったらどうする!
「煮るなり焼くなり、どうとでも。どんな償いでもするからよ」
野太い声で、蓬髪が促す。困惑しきりで、ケネルを見た。「──だけど」
「好きにしろ」
ぶっきらぼうに、ケネルは返す。
「あんたは、この件の被害者だ。やり返す権利が、あんたにはある」
「そっ、そんなこと急に言われても」
うろたえ、エレーンはうつむいた。だって、これって──
(制裁、ってことじゃん)
事は責任重大だ。
先の説明から察するに、相手は組織の上部の人間。その沽券に関わる処罰など、そんな重荷は負いかねる。いや、絶対そんなものには関わりたくない。
ちらちらケネルをうかがうが、口を引き結んで険しい顔つき。いくら待っても何も言ってくれそうにない。困っているのは、わかるだろうに。おろおろ一同を盗み見た。誰か、助け舟を出してくれないだろうか──。
はたと戸口で目を止めた。そうだ、あの人がいるではないか。
不思議な存在感のある、それでいて気さくそうなあの首長。この場で一番年長そうだし、そつなく収めてくれるんじゃ──。
すがる思いで目を凝らす。
ゆらめく灯火に照らされて、首長は成り行きをながめている。さすがに深刻そうな顔つきで──
え? と面食らって見返した。
(……どゆこと?)
そう、一体どういうわけだ。愉しげに眉をあげているのは。
気づいたようで首長と目が合い、エレーンは情けなく眉を下げた。(お願い、バパさん!)と念を送り、おろおろ身振りで拝み倒す。
首長が苦笑いして腕を組んだ。
あぐらのまま軽く乗り出し、すばやく片目をつぶってみせる。
(──は?)
頭の切れそうな茶色の瞳が、じっと見つめて顎をしゃくる。して、そのココロは──?
"自分でやってみな"
うぐ、と絶句で顔をゆがめた。ちなみに、ただの目配せ一つで、意思を伝えるとか、すごいスキルだ。
あっさり手を払われて、正座の膝にうなだれた。つまり、この案件は、最年長の首長でさえも、口出しできない、ということか。てか、そんな大ごと、よもや 丸 投 げ してくれようとは。
あんがい無責任なケネルを睨み、どんより気鬱に目を戻す。
(……どうしよ、この先)
たくましい腕を膝に置き、蓬髪は依然睨んでいる。いや、元がいかめしい顔だから、そんなふうに見えるのか。
木組みのほの暗い丸壁で、窯の火影が不気味に踊る。
カンテラに灯る、ほのかな炎。誰も口をひらかない。
「──あ、あのぉ~」
何気ない呼びかけが、思いがけないほど、か細く響いた。
予期せず注目を集めてしまい、居心地悪くもそもそうつむく。「あ、あの、もういいから。お詫びだとか償いだとか」
置き物のごとく動かなかった、蓬髪が濃い眉をわずかにひそめた。
黒いひげの頬をゆがめ、拍子抜けしたように身じろぐ。「いいわけあるか。そんな怪我負わされて」
「や、だけど──」
「自分でできなきゃ、好きな所へ突き出しゃいいだろ、詰め所でもどこでも」
「す、するわけないでしょ、そんなこと!」
思わず、むっとして言い返した。
とたん蓬髪と目が合って、あたふたケネルに逃げ隠れる。
「い、言ったでしょ。みんな身内も同然って」
いぶかるように顔をしかめて、蓬髪が頬のひげをなでた。
意図を見極めるように据えた視線を、溜息まじりに、ふい、とそらす。
「……そうかい」
ジジ……と小さな音を立て、炎が灯心を焼いていく。
壁で、火影が怪しくうごめく。これで話はついたはずだが、誰もその場を動かない。
エレーンはそわそわ唇を噛み、向かいの蓬髪を盗み見た。
じっと腕を組んでいる。苦い顔で黙りこんだまま──
思いがけず、胸がざわめく。
こんな様を見ていると、胸の奥がかき乱される。山賊みたいなあんなひげ面、似ても似つかぬはずなのに、なぜ、こんなにも重なるのか。灰色にかすれた古い記憶と。あの日に失くした
あの父と。
「や、やっぱ、いい?」
気づけば、顔を振りあげていた。
「だって、これじゃ、キリないし。だから──」
エレーンはそわそわ立ちあがり、向かいに視線をめぐらせる。
「あ、そっちの二人も、こっち来て」
土間の向かいで見ていた二人が──羽根つき帽子と白シャツが、呼ばれて怪訝そうに見返した。
それでも大儀そうにあぐらを崩し、立ちあがって、やってくる。無言で戸口側に土間をまわり、蓬髪の左右に腰をおろす。
「あ、もっと寄って。届かないから。──さっ。みんな、用意はいーい?」
下っ腹に力を入れて、エレーンは三人を見渡した。
握った利き手に、はあっと息を吹きかける。
「んもうっ! 痛いじゃないのよっ!」
ゴン、ゴン、ゴンっ──と不穏な音が、連続してとどろいた。
思わず手を振り、エレーンは涙目。
(──ぅっ、くぅ~っ! この石頭どもぉっ!)
だが、今は構っちゃられない。
おくびにも出さずに振りかえり、腰に手を当て仁王立ち。
「はい、これで全部おしまい! これでおあいこ! 恨みっこなし! そういうことで、一つよろし(く──)」
ぐい、と強く引っぱられた。
たたらを踏んで、何かに突っ込む。
とっさにあげた視界の片隅、一同、弾かれたように振り向いた。
炉火をさえぎり、上から顔を見おろている。ガラス玉のように虚ろな瞳が。
手を付き、あわてて身を起こす。いや、起こそうとした。
動かない。体が。
腕を強くつかまれている。あの、ひょろりとした白シャツだ。
ほんの一瞬の出来事だった。あんなに眠たげだったのに、どれだけ素早く動いたというのか。
ごくり、とエレーンは唾を飲む。思いもよらないこの事態。もしや、これは──
(裏目に出たかー!?)
膝でのけぞった体勢で、わたわた白シャツを押しのけた。だが、やはりビクともしない。顔に降りかかる前髪の向こうで、いやに無機質な瞳が見おろす。
まさかの誤算に、エレーンは顔を引きつらせた。
(な、な、何する気っ!?)
こんな、みんなが見ている前で!