1話6
ふと、ケネルが振り向いた。
見やった先は、東の出入口の靴脱ぎ場──直後、その布が払われた。
原野はすっかり夜闇に沈み、虫の音だけが静かに響く。四角く枠取られた夜景を背負い、直線的な男の輪郭。
足が、躊躇なく踏みこんだ。
壁に視線をめぐらせたのは、額で分けた長い髪。整った顔立ち、鋭い双眸。「ま、これだけ広けりゃ十分か」
炉火の揺らぎに照らされて、ケネルが怪訝そうに相手を見た。「どうした、ファレス。急用か」
「面倒事になる前に、片づけようと思ってよ」
何が注意を引いたのか、ファレスが湯呑みに一瞥をくれ、暗い戸外を顎でさした。
「不始末をしでかした当事者を、ヤサから全員引っ立ててきた」
炉火の揺らぎに照らされて、それぞれ、あぐらで腰を下ろした。
土間をはさんだ向こう側だ。
戸口で軽く頭をかがめ、ぞろぞろ屋内に入ってきたのは、馬群にいたらしき三人の男。
もっとも初めに戸口をくぐった、奇抜な風体の右端は、旅芸人か何からしいが。あれは舞台衣装だろうか。こんなに暗い屋内というのに羽根つき帽子を目深にかぶり、その広いつばの下から、黒い縮れ毛が覗いている。
向かいの三人の真ん中は、柔らかそうな薄茶の髪の、ひょろりと背の高い白いシャツ。あぐらをかいた長い足が大儀そうに身じろいで──て、え?
(……裸足?)
あの、硬そうな編みあげ靴で?
思わず、エレーンは靴脱ぎ場を見た。
土間の暗がりに散乱した靴──隅に寄せた旅用ブーツと、雑然と脱ぎ捨てた四人分の編みあげ靴、それらに交じって踵の潰れた布靴が、てんでばらばらに転がっている。
そういえば、彼は白シャツ一枚。上着を着こんだ周囲に比べ、いやに気楽な服装だ。むしろ、気温の下がった夜にこそ、あの革ジャンを着ればいいのに。「街の若者」という風情だが、宵の口というのに眠いのか、ぼんやりした顔であくびしている。
その左隣が、身じろいだ。
どっしりそこに座っているのは、風格のある年輩の男。隣にいるケネルより一まわり上の年恰好、四十半ばというところか。身形を構わない質らしく、伸ばし放題の蓬髪と、頬をおおう黒いひげ。どこか熊を思わせる野趣あふれる風貌は、いっそ山賊と言われても、すんなり納得するような──
(……え?)
蓬髪の顔を見直して、エレーンは密かに首をひねる。
(あの人どこかで見たような……?)
だが、どこで会ったのか。ああした荒くれた風貌は、町では、まず見かけない。傭兵団で面識があるのは、まだ、ケネルと女男くらい。顔に降りかかる黒い蓬髪、前髪から覗く鋭い双眸──
「──あっ!?」
小さく叫んで飛びあがり、わたわた四つんばいでケネルに隠れた。
戸口の横にもたれたファレスを、ぎりぎり歯ぎしりで睨めつける。
(あたしになんの恨みがあって!)
嫌がらせするにも、ほどがある。なんで、わざわざ連れてくるのだ。
忘れもしないあの男。
軍刀で背中を薙ぎ斬った、あの凶行に及んだ犯人ではないか!