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interval 「とある原野の昼下がり」

 緑かがやく草原に面した、大樹海の端はにぎわっていた。

 木陰にいるのは、六十名を越す傭兵部隊だ。馬を休ませ、休憩に入った大所帯は、中ほどで二つに分かれている。

 その少し離れた群れの狭間で、ひとり梢の木幹にもたれ、煙草をふかす男がいる。

 年の頃は三十前後、鍛錬をかさねた痩身だ。さらりと長めの薄茶の頭髪。前髪から覗く片目は鋭い。

 無言のその目は、目の前のひらけた草原にいる、部隊で預かる彼女の姿を捉えている。

 ひとり見据えるその肩に、どさり、と男の腕がかかった。

「お前はかしら一筋かと思ってた」

「気色の悪りィこと、ぬかすんじゃねえ」

 男の親しげな揶揄やゆ笑いを、茶髪は一蹴、けんもほろろ。その冷めた瞳には、わずかな揺らぎも見られない。

「気に食わないんじゃないの? あの隊長に(・・・)じゃれるのが」

「その言葉、そっくり返すぜ、セレスタン」

 セレスタンと呼ばれた黒いめがねの禿頭とくとうが、くわえ煙草で肩をすくめた。茶髪の態度はそっけないが、意に介したふうでもない。

 件の彼女が隊長におぶわれ、樹海から出てきたところだった。

 小柄な体格、背までの黒髪。領家の正妻、エレーン=クレスト。この男所帯の紅一点だ。かしましく華やかな異質さが、近ごろ注目の的でもある。

 セレスタンは賑わいをながめやり、黒めがねの頬で苦笑いする。「今度は足でもくじいたかな?」

 馬酔い、発熱、行程取り止め、毎日のように何かある。疾走中の首長の馬から、いきなり下りようとしたことも。

「まったく、隊長ももう少し、優しく扱ってやりゃいいものを。堅気の女の子なんだからさ」

 ぎゃあ! と女の雄叫びがあがった。

 怪訝に、セレスタンは目を戻す。

 ぎゃんぎゃん彼女がなじっていた。隊長ケネルにおぶわれた背中で。

 のけぞり、引きつり顔で指さしている。ピンと突きたてた指の先は、全力でつっぱった自分の足首──いや、彼女の茶色いブーツだろうか。

 その下には、全力でつっぱる彼女の両手で、ぐいぐい頭を押しやられ、のけぞりかえった隊長ケネル。

「……。押されてんな、隊長」

 あぜん、とセレスタンは口をあけ、くわえ煙草で苦笑いした。

「さしもの戦神も形なしだな。見ろよ、連中のあのツラを」

 木陰で休む一同が、あんぐり絶句でながめていた。

 それも無理からぬ話ではある。"戦神"と恐れられる総大将が、女の尻に敷かれたあげく、頭を叩かれているというのだから。ちなみに、頬の引っ掻き傷は、今しがたまで確かになかった。

「──傑作」

 拳の手を口に押しあて、セレスタンはくすくす笑い出す。「見ろよ、そうは拝めないぜ、あんな無様な隊長は」

「いいかげんに離れろ。鬱陶うっとうしい」

 茶髪がすげなく肩を揺すった。

 腕を乱暴に振り落とされ、だが、セレスタンに気にした様子はない。見越したようにあっさり引きあげ、空に向けて紫煙を吐いた。

「ああ、お仕事の最中だっけ?」

 事もなげに返しつつ、辺りに視線をめぐらせる。「相変わらず、愛想がないねえ」

 茶髪は嘆息、しらけ顔。「てめえはかしらか」

かしらにも言われた? 同じこと」

「節まで真似て当てこするんじゃねえ」

 野戦服の見慣れた部隊が、樹海の木陰で休んでいた。

 梢の下で飯を食う者。仲間とバカ話に興じる者。ひとり雑誌を読みふける者──

「毎日これじゃ、体がなまるな。まあ、平和でいいけどさ」

 昼のなごやかな光景を、苦笑いでセレスタンは見渡す。

 ふと、そこで目を止めた。群れの西端、その先だ。

 野戦服のざわめきの向こうに、あの見慣れた背があった。

 めずらしく一人きりで、ぶらぶら群れの外を歩いている。自隊の上役、首長バパ。付近の木陰はひっそりと無人で、その先に行ったところで「西の風道」があるきりだが──いや、

 その先の木陰に、意外な顔。

 こちらも、めずらしく一人きり。蓬髪の首長アドルファスだ。

 互いに相手を捉えたはずだが、どちらも声をかけるでもない。そうする間にも、二人の距離がいよいよ近づく。

 無言のまま、通りすぎた。

「──なぁに企んでんだか、部下に内緒で」

 くすり、とセレスタンは小さく笑う。

 すれ違いざま目配せした、二人の首長の顔つきは、思惑通り(・・・・)といったもの。

「仲がいいよな、なんだかんだ言っても」

 同格ということで、常に張りあう二隊であるが、その首長アドルファスとバパに、よくある腹の探りあいはない。片や剛健、片や知謀と、肌合いは異なる二人だが、どうやら馬が合うらしい。

 バパが通りすぎたその後も、木陰のアドルファスに動きはない。

 今しがたと変わることなく、件の客をながめている。蓬髪の眉間には深いしわ。いつものいかめしい風貌だ。

 だが、セレスタンは見逃さなかった。おもむろに木陰を出、自隊の群れへと歩く頬が、つかのま苦笑いにほころんだのを。今をさかのぼること半刻前、シートを訪れた隊長ケネルに、不意にアドルファスが殴りかかった場面を。

 首長が隊長を殴るなど、騒動になりかねない珍事中の珍事だ。他に目撃者がなかったことが幸いだったといえるだろう。もっとも、ケネルは拳を避けたし、みな昼休みで散っていた。人払いをしている首長の元に、のこのこ近寄る命知らず(まぬけ)もいない。

「──いくら、樹海の中ったってさ」

 セレスタンは一服、草原の客に目を戻す。

「場所くらい選べばいいのにな。あんなに姫さん泥だらけじゃ、よろしく(・・・・)やってきたのがバレバレじゃないの」

「──たく。気が知れねえ、あの女」

 茶髪がたまりかねたように嘆息した。「歴とした亭主がいるだろ」

「いいじゃないの、旅先なんだし。少しくらい羽を伸ばしたって。つか、どうしちゃったの? お前そんなに堅かったっけ」

 苦々しげな舌打ちを、セレスタンはやんわり、やりすごす。

 くわえ煙草で、一瞥をくれた。「大丈夫なの(・・・・・)? そんなんで」

「何が」

「ザイ。お前、わかってる? 自分が今、どんな顔をしているか」

「あいにく鏡の持ち合わせがなくてな」

「食い殺す気かよ。預かりものだぜ」

 一転、荒く一蹴し、「──なにかあった?」と口調を戻した。

「お前、あのと面識ないよな。領主に同行して(ついて)トラビア(むこう)に行ったし、片がついて戻った頃には、北カレリア戦(こっち)はとうに終わっていたし」

 指で紫煙をくゆらせて、探るような一瞥で問う。

「隊長が連れてきたあの姫さん、なんで、そんなに嫌ってんの」

「別に」

 ぶっきらぼうにザイは言い、面倒そうに顔をしかめた。

「ああいう尻軽は、いけ好かねえだけだ」




 ガア……と梢で鳥が鳴き、黒い翼が羽ばたいた。

 樹海を見渡す風道の枝で、ファレスは何気なくそれを見あげる。梢を蹴って鳥は飛び立ち、翼を広げて滑空している。黒い軌道が、空の彼方へ飛んでいく──

 顔を水流に突っ込みでもしたように、その光景がぐんにゃり(ゆが)んだ。

 一陣の風が吹くがごとく、別の像が滑りこむ。

 飛沫があがった。血しぶきだ。薄いベールが舞い降りたように二重写しになったのは、視界一面の鮮やかな赤。

 どくどく血液があふれていた。

 服の布地が濡れていく。女物の服と肩。背中を切り裂く真新しい傷。虫の息の青い顔。瞼を閉じたあの客の(・・・・)──

「──又かよ」

 ファレスは柳眉をしかめて舌打ちした。

 止めていた息を吐き出して、こわばった肩の力を抜く。喉に、ひどい渇きを覚える。

「先予見」と呼ばれる力だった。

 先々の出来事ことを予見する、異能と呼ばれる稀な能力ちからだ。周囲に他人を寄せ付けないのは、排除を怖れてひた隠しにしてきた、これを知られぬ為でもある。

 唐突に現れる幻像は、自分の未来の記憶であったり、他人が目にするそれであったり、無人の荒野の出来事だった。輪郭のあいまいな陽炎かげろうもあれば、鮮烈で具体的な場面もある。予知夢の形をとることもある。そのいずれにも言えるのは、十中八九実現する(・・・・)、ということだ。

 勘が鋭い、と周囲は評した。

 可能であれば、危機を回避し、利をもたらしてきたからだ。むろん客にも事あるごとに、帰郷するよう忠告した。だが、よせと言っても、彼女は聞かない。その理由は無論わかる。明日をも知れぬ自分の亭主が、敵陣トラビアに捕らわれているというのだ。

 とはいえ、確実に言えることは、このまま西に進むなら、無事では済まない(・・・・・・・・)、ということだ。

 日々、輪郭が鮮明になる。

 あの様子を見るかぎり、刀剣で斬られた傷だった。まさしく彼女は軍刀で斬られて負傷している。負傷の場所も「背中」で一致。ならぱ、あの幻影は、傷がひらく先触れか。

 だが、そうであるのなら、切り口の真新しさが腑に落ちない。クレスト領の公邸で、アドルファスが彼女を薙ぎ斬ったのは、北カレリア戦の最中だ。

 齟齬が生じた理由は不明だ。そして、それに至る経緯も。先予見とは、だしぬけに視界を遮るもので、特定の知りたい事項について予知できるというわけではない。

 見えた像は一場面のみ。そこで命を落とすのか、後のことは定かではないが、あの多量の出血では、もって半日が限度だろう。

 とはいえ、何らかの手を打てば、回避は可能であるかもしれない。

 胸でもやつく、いわゆる予感も、まるで憑き物が落ちたように、ふっと立ち消えることがある。しばしば、それを実感していた。何かの拍子に流れが変わった──時の進路が(・・・)変わった、と。

 回避可能な事柄がある──これまで見聞きした事例から、その感触をつかんでいる。

 排除すべき原因には、およその見当がついている。むろん他でもない、この部隊の連中だ。世間が眉をひそめるその手のことでも、歯牙にもかけずにやってのける。まして、知らない。あの客の負傷を。そんな輩が、怪我人を手荒に転がせば──。


 腰をかけた高枝から、ファレスは頓着なく飛び降りた。

 野戦に慣れた傭兵でさえ、怖気づくような高さだが、踏み切る足にためらいはない。

 ひっそり静かな樹海を歩き、集合場所に戻るべく、風道の出口へ足を向ける。

 当の彼女は今しがた、あのケネルに負ぶわれて、眼下の風道を戻ってきた。

 追尾して入った樹海の中で、不審者ネズミに襲われ、目を放したが、ケネルが保護して連れ戻したらしい。

 その間、森には、すでに特務が展開していた。

 不審者排除の指示でもあったか、射手に発破師、毒薬使いの顔まであった。人を食ったあの首長の、飄然とした顔が思い浮かぶ。

 手慣れた配備に舌を巻いた。やはり卒なく、抜かりがない。もっとも、特務だけでなく、ケネルまでもが居合わせた、理由と経緯は不明だが。

 確かに、妙な輩がうろついている。だが、あれは原因にはなり得ないだろう。客には目を光らせているし、接触しても、排除は容易い。ならば、やはり注意すべきは、素行の悪い連中で決まりか──

「よう」

 怪訝にファレスは振り向いた。

 道端からかかった親しげな声、その相手を確認する。

 風道の出口付近、左の木陰に姿があった。一人で煙草をふかしている。こざっぱりとした短い髪に、片耳だけの赤いピアス。思考の速さを思わせる、その茶色の瞳には、今日も企むような色がある。

「詫びでも入れにきたのかよ」

 足は止めずに、一瞥をくれた。

「悪さを働いた覚えはないがな」

 短髪は笑い 何食わぬ顔。木幹にもたれて眺めている。

 脳裏をよぎった当人だった。要請を蹴った首長バパ。そこにいるのは、むろん、偶然などではあるまい。

 上着の懐に嗜好品を探り、ファレスは苦虫かみつぶして足を向ける。「だったら、なんだ。用件は」

「いいのかよ」

「何が」

「だから、そっちはいいのかよ。あんなにケネルに引っついてるぜ?」

 お前の大事な姫さんが、と親指でさしたその先は、樹海の木陰で寛ぐ群れ、そのざわめきの西寄りだ。声を張りあげるから、すぐに分かる。いや、甲高い声が異質だからか。

 シートに寝そべったケネルの横で、弁当を広げて食っている。相変わらずのふくれっ面。だが、ケネルの真横に座った片手は、ケネルのシャツを握り締めて放さない。

 その様を視界に収めて、ファレスは隣の木幹にもたれた。

 煙草を抜き出し、口にくわえる。「何を勘違いしてんだか。(あれ)が誰と乳繰り合おうが、そんなことはどうでもいい」

 へえ? とバパが大仰な仕草で肩をすくめた。「あの子に近寄る連中を、ことごとく排除けてたくせしてよ」

「だから、あれは」

 ファレスは辟易と舌打ちする。「そんなんじゃねえって言ってんだろ。俺はただ──」

「ただ?」

 間髪容れずに促され、とっさにファレスは口ごもった。

 憮然と煙草に点火して、つかの間ためらい、柳眉をしかめて吐き捨てる。

「俺はただ、やり返せねえ弱い奴なら、寄ってたかって生贄まとにしようって、さもしい性根が気に食わねえだけだ」

 バパが拍子抜けしたように口をつぐんだ。

 悪戯っぽい笑みを引っこめ、煙草の手で、短髪を掻く。「案外まともなことも言うんだな。悪態でもつかれるかと思ったが。──ま、お前がいいなら、いいけどよ。だが、それでもまだ問題はあるが」

 くだけた態度から一転し、ちら、と真顔で目配せした。

「まずくねえか。さすがにあいつ(・・・)は」

「警告はしたぜ。奴には決して惚れるなと」

 マッチの燃えさしを振り消して、ファレスはぶっきらぼうに紫煙を吐く。「もっとも、あのトリ頭だ。言って聞かせるのは至難の業だが」

「似てるな、あの子(・・・)に」

 ちら、とバパが視線を送った。

 思わせぶりなその含みに、ファレスは苦虫かみつぶす。「──そうでも、ねえだろ」

「しかし、参ったよな、あの時には」

 構うことなくバパは続ける。「開戦さなかの戦場に、乗りこんで来るってんだから。しかも、でかい腹をかかえてよ」

 薄く紫煙がたゆたった。

 樹海の木陰に広がる部隊。辺りをつつむ昼のざわめき。

「……しばらくは、奴と暮らしていたっけな」

 ゆるく立ちのぼる紫煙の先に、ファレスは当時の記憶を辿る。「──たく。危なっかしいったら、ありゃしねえ。あん時ゃ、まじで驚いたぜ」

 戦場をうろつく彼女を見つけ、摘み出したのは、このファレスだ。

 ちら、とバパが横目で見た。「なんてったっけな、あの子の名前。やたらと元気で、威勢がよくて」

「──元気どころの話じゃねえだろ。やかましくてお節介で意地っ張りではねっかえりで」

「似てるな、あのお姫さんに」

 憮然とファレスは口をつぐんだ。

 木陰の客に目を戻し、その横顔で静かに言う。

「つまり、あんたは、喧嘩を売りにきたってか」

 彼女が迎えたむごたらしい最期(・・・・・・・・)は、首長も知っているはずだ。

「まさか。そいつは考えすぎだ」

 バパは首をまわして伸びをした。

「客はお前の領分だ。簡単に出し抜かれるとは思っちゃいない。──さてと。そろそろ退散するかな。ぶち切れた副長に、ミノ虫にして吊られる前に」

 軽い嫌みで目配せし、木陰のざわめきへ歩き出す。多くの部下や腹心が待つ、自分の群れに戻るのだろう。

「──何しに来たんだ、あのジジイ」

 ファレスは背中に毒づいた。いや、主旨は明白か──。低いざわめきを甲高くつんざく、あの嬌声に目を戻す。

 ケネルには悪い噂がある。

 そして、あの短髪の首長は、当時を知る証人の一人だ。

 そこだけひときわ華やかな、群れの中ほどをすがめ見た。

 警告をどう捉えたか、彼女は今日も嬉々として、ケネルにまとわりついている。いつにも増して無邪気な笑顔で。寝転がったその肩に、乗りかかって揺すっている。その目はケネルしか見ていない。誰が何を言ったとて、ケネルの声しか聞こえない。猪突猛進というのとも違う。常にケネルにしがみつくその手は、もっと、せっぱ詰まっている。

「──奴を、そんなに買いかぶるな」

 吐き出す紫煙に紛らせて、ファレスは苦々しくつぶやいた。

「あいつは何も厚意だけで、あんたを助けたわけじゃない」

 

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