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7話8

 とうに戦さのないこの国で、傭兵稼業の実際を、実感するのは難しい。

 命のやりとりを糧とする者には、珍しいことでもないかもしれない。それでも、あの日のケネルの姿が、日の当たる明るい窓辺で、仲間とたたずむあの姿が、心を捕らえて放さない。

『 俺が行く 』

 あの一言で、すべてが変わった。

 あの言葉がなかったら、今頃ここにはいなかった。ノースカレリアは陥落し、他領に接収されていた。自分も薄暗い一室で監禁されていたかもしれない。

 ディール急襲の混乱のさなか、孤立無援のただ中で、ケネルは手を差し伸べてくれた。怒り狂った市民を押さえ、街に芸妓団の人員を配し、傭兵たちを自ら指揮して、渦中に身を投じてくれた。見返りなど何もないのに、敗色濃厚を知りながら、突然部屋に飛びこんだ見知らぬ女の困窮を見かねて。

 無口であっても、すべきはする。

 ぶっきらぼうでも、計らってくれる。必要なものを過不足なく整え、なるべくより良く収まるように。それがあの「ケネル」だった。だから、像が結べない。二つのかおが重ならない。あの夕焼けの街道で、彼がほうった投げやりな言葉と、よく知る頼もしい横顔が。


 ケネルが面食らった顔で動きを止めた。

 記憶を呼び戻すような間があった。

 身じろぎ、空へと視線をそらし、顔をしかめて息を吐く。「それが、ずっと訊きたかったことか」

「うん」

 きっぱりエレーンはうなずいた。そらすことなく目を据える。

 訝しげな色に瞳に浮かべて、ケネルは量りかねた顔。

 苦々しげに目をそらした。「なんで、あんたに、そんなことまで、報告しなけりゃならないんだ」

「ほ、報告だなんて」

 エレーンはあわてて目をみはった。

「お願い、ケネル。今度はあたし、ちゃんと聞くから」

 いつも、何も見なかった振りで、心のほつれを誤魔化してきた。

 幽鬼となって一人歩きを始めた、あの夕暮れの言霊に怯え、ずっと確かめることができずにいた。ケネルに対して感じるもやもや、手放しでは寄り添えないもどかしさ、そうしたものの正体を。もやつく不審の実体を。 

 わだかまりを解く鍵は、意外にも近くに転がっていた。

「人を殺して平気なのか」と、迂闊にもファレスに訊いた時、彼が寄越したあの返事だ。

『 俺が平気だと答えても、まだ、そばに(・・・)いられるか(・・・・・)

 まさに、そういうことなのだ。

 隣の相手を信用できるか──それは何より大事なこと。土台が揺らげば、全てがぐらつく。

 ケネルが名を挙げたサビーネは、おそらくケネルとは面識のない、こちらと似たような年頃の娘だ。彼女がケネルに何をしたというのでもあるまい。無力で無害な罪のない娘。そんな相手の暗殺を、ケネルは事もなげにもちかけた。だが、それは煎じ詰めれば、つまりは、こういうことではないのか。

 この風向きが一たび変われば、ケネルはその同じ刃で、


 ──こちらをも(・・・・・)平気で(・・・)手にかける(・・・・・)


 機会は二度と訪れない。

 本当の彼を知りたいならば、これがまさしく最後の機会だ。

 今こそ、意図を訊かねばならない。

 起因となったあの言葉の。あの夕焼けの街道で、ケネルが不意に投げつけた──


『 あの女とガキ、始末してやろうか 』


 森が、聞き耳を立てるように静まった。

 ゆるい風が髪先をさらい、すべての音が、しん、となくなる。

 したたるような緑につつまれ、あのケネルが、そこにいた。不思議と緑に溶けこむ姿は、神聖な狩人を見るようだ。深い瞳に迷いはない。

 終わりの時が、近づいていた。

 今、この時にも、着実に。ゆるく握った手がうずいた。遠ざかる影を追いかけて、すがり付いてしまいたくなる。

 苔むした大樹の葉先から、雨のなごりの雫が落ちる。

「あの日は、ディールとの(いくさ)の初日で」

 ケネルが大儀そうに口を開いた。

「予想をはるかに上まわる、千を越える軍勢だった。それでもなんとか押し戻し、あの街道に引きあげた頃には、日が西に傾いていた。事後の処理で多忙を極め、皆一様に疲弊していた。それは俺も同様だ。そして、俺は、猛烈に──」

「──え」

 あわててエレーンは口を押さえた。不意に入り交じった荒い語感に、つい反応してしまった。「あ、あの、水をさすつもりは──」

 ちら、とケネルは一瞥をくれ、だが、構わず先を続けた。

「あの時俺は、猛烈に腹が減っていた」

 意味するところが、とっさに分からず、ぽかん、とエレーンはまたたいた。

 ……"はら"?

「だから、空腹だったんだ、猛烈に」

 顔をしかめ、ケネルはわずらわしげに嘆息する。

「こっちは三十、対する敵は千二百。およそ四十倍の兵力だぞ。ファレスの機転で九百にまで減りはしたが、それでも、まだ三十倍、ひっきりなしの乱闘だ。しかも、武器は木刀で──」

「え? なんで木刀なんかで──」

「あんたが言ったんだろう。"殺すな"と」

 呆れたような目を向けられ、「……あ」とエレーンは息を呑む。

 そうだった。そして、夕焼けの街道を、大勢の軍服が連行されていったではないか。

「殺していいなら、後腐れなく斬り捨てられる。だが、生け捕りにするとなると、殴って昏倒させるしかない。しかも一発で仕留めなければ、手間が一々煩雑になる。早い話がきりがない。だが、それはそれで力加減が難しい。相手は死に物狂いの素人だ。でたらめに真剣を振り回す奴と、手加減しながら格闘してみろ。どれだけ体力を消耗するか」

 あてつけがましくケネルは嘆息。

「あんたのお陰で、総員、疲労困憊だ。だが、戦に不慣れな連中は、得てして突拍子もないことを思いつく。何を仕掛けてくるか分からないから、さっさと飯を食って体を休め、急場に備える必要があった。そこへ、あんたがやって来て、案の定いつまでも、まとわりついた。その後のことは、あんたも知る通りだ」

「ちょ、ちょっと待って、ケネル。つまり、なに?」

 あぜん、とエレーンはケネルを見る。

「あの時ケネルは、早くご飯が食べたくて──でも、あたしが邪魔をしたから、あたしのことを追い払おうと──つまり、あの時ああ言ったのは、あたしを追い払うための──」

 口実(・・)ってこと?

 思わず浮かせた膝立ちが、へなへな地面にくずおれた。

 頭がまだ追いつかず、のろのろ地面に目を伏せる。ケネルからの返事はなかった。訂正する気はないらしい。つまり、これが答えのすべて──。

 膝先の緑の輪郭が、みるみるにじみ、ぼやけていく。

「……なんで、そんなに無神経なの?」

 唇がふるえ、肩がふるえ、指先が震える。

 うつむいたままかぶりを振り、エレーンは顔を振りあげた。

「どれだけあたしが悩んだと思うの? どれだけあたしが怖かったと思うの! ケネルが適当にそんなこと言うから──ケネルがいきなり、あんなことするから!」

 一人ぼっちで生きてきた。

 親は二人で逝ってしまった。商売(がたき)には餌食(えじき)にされた。やっと心を通わせたアディーは、病であっけなく世を去った。友もみんな散り散りになった。奈落の底から救い上げ、包みこんでくれたダドリーは、サビーネと子供に盗られてしまった。いつ、また一人になるかと、怯えながら生きてきた。

 助けてくれたこの彼を、信じたいと思っていた。唯一の味方だと思っていた。心の底から願っていたのだ。拭いきれない根深い不審が、常に心でわだかまっていても。

 戦々恐々としていたのだ。

 常に平静なあの顔の裏に、もう一つの「別の顔」を、熾烈で猛々しい本性を、隠しているのではあるまいか。時おり垣間見える荒っぽさこそ、偽らざる素顔ではないのか──。いつ、それが発現するかと、いつも顔色をうかがっていた。なのに、ケネルは平気な顔で──

 やるせない憤懣が堰を切った。

「なんで、そんなに鈍いわけ!? なんで、そんなに大雑把なのよっ! なんで考えてみないのよ! そんなこと言われたら、あたしがどれだけ──!」

 呆気にとられたケネルの顔が、あふれ出た涙でみるみる霞む。

「わかったふうなこと言ってるけど、ケネル、ちっともわかってない! みんながみんな強くはないの! ケネルみたいに強くないの! ケネルは強いから、わかんないのよ!」

 初めてケネルがたじろいだ。「……わ、悪い」

「悪いじゃないわよケネルのばかっ! ケネルなんか──ケネルなんか──ケネルなんか大っ──!」

 はっとして、言葉を呑む。

 どぎまぎ視線を泳がせた。

 一拍遅れて、背筋が凍る。強い戒めが、胸を突いた。その先は言ってはいけない(・・・・・・・・)。決して口にしてはいけない言葉だ。

 黒々と渦をまく、悔悟の螺旋が苦く広がる。軽く噛んだ唇が震えた。言葉を失い、ひとり密かに狼狽する。

「……ひどい。ケネル」

 なすすべもなくうつむいて、ただ草をむしって嗚咽した。

 とめどなく涙があふれ、次々頬を伝って落ちる。昂ぶった気持ちのやり場がない。

 向かいの木根に腰を降ろして、ケネルは紫煙をくゆらせている。視界に入るのは靴先だけで、困っているのか、怒っているのか、表情までは定かではない。だが、そこで泣いているのに、なだめに来るでも、慰めるでもない。

 耳に、渓流の音が戻った。

 手をついた野草の葉先で、まだらになった木漏れ日がゆれる。しっとり湿った森の冷気。高く覆いかぶさる青い梢。空の高みを飛び去る影、響きわたる甲高い鳥声──。 

「ああ言えば、あんたは逃げると思った」

 耳に届いたその声は、意外なほど落ち着いていた。

 エレーンは顔をゆがめて唇を噛む。「もし、あたしが頼んでいたら、どうするつもりだったのよ」

「あの話は、成約しない」

「どうしてよ」

「費用はどうする。妾殺しに要する金を、あんたの領主が出すと思うか?」

 ……あ、とエレーンは息を詰めた。

 思いもしない切り口だった。だが、ケネルにすれば当然だ。これほどの仕事を受けながら無報酬など考えられない。

 ケネルが煙草を打ち捨てて、靴裏で踏み消し、立ちあがった。

 木陰を後にし、歩き出す。

「嫁いで間もないあんたには、領邸の金は自由にならない。手持ちの金も、さほどない。資金はどこからも工面できない」

 目の前まで来て膝を折り、正面から目線を合わせた。

「だから、あんたが蒸し返すまで、正直すっかり忘れていた」

「……な!?」

 エレーンは絶句で見返した。あれだけ詰って非難した、その応えがそれだというのか。

 普段通りの面持ちだった。すっかり平静を取り戻し、なんの感情も読み取れない。あんなに悩み苦しんだというのに、原因を作った当人は、それさえ、すっかり忘れていた(・・・・・)──

「──ひどい! ケネル!」

 顔をゆがめ、たまらず身をひるがえす。

 逃れようとしたその肩が、ぐい、とすぐさまつかまれた。

「それに、どうせ、気に留めたところで」

 その手をケネルは引き戻し、構わず強引に言葉を接ぐ。

 間近に引き据え、目を見据えた。

「どのみち、あんたの依頼はない(・・)

 かたくななシコリが弾け飛び、心の闇へと霧散した。

 エレーンは目をみはって凝視する。

「だろ?」

 念押しするその顔を、言葉もなく、ただただ見つめる。ケネルは信じてくれていた。自分でさえも疑いを抱いた、こんなにも覚束ないこの心を。

 迷いのないケネルの瞳。そして、最も欲しかった言葉──。

 しゃがみこんだ腰を上げ、ケネルがかがんで片手を出した。

「ほら、こい。戻るぞ」

 よく知るケネルの手のひらだった。

 集合地へ向かう草原で、手をつないで歩いてくれた、馬の高い背に乗せてくれた、深い谷底に落ちかかったところを、寸でのところで助けてくれた──。

 胸の底が、あたたかくなる。

 ケネルはちゃんと見ていてくれた。自分を認めてくれていた。ケネルの確かな人柄を、自分は信じなかった(・・・・・・)のに──。

 軽くひらいたその五指が、みるみるにじみ、ぼやけていく。

 ぽろぽろ涙が頬を伝って、もう我慢できなかった。

 少しかがんだケネルの首に、両手で思いきり、しがみついた。

 

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