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7話5

 ぎょっ、とエレーンは後ずさった。

な」

 ぐい、と男が手を引いて、ザックの方へと歩き出す。

「保護してやるよ。帰り道がわかんねえんだろ?」

「──あっ、はい。助かります」

 恐縮して頭を下げつつ、エレーンは胸をなで下ろした。辺りに詳しい人のようだ。これでなんとか森から出られる。突然手をつかまれた時には驚いたが。

「あ、あの、ありがとうございます。ご親切にどうも」

「いいってことよ。困った時はお互い様だ」

 つかまれた手をさりげなく引き抜こうとしながらも、たたらを踏んでエレーンは歩く。「あ、あの。この辺りの方なんですか?」

「ま、そんなところだな」

「あの、でも、こんな深い森で何を?──あ、猟師さんとか」

「──ああ。そうだ」

 考え事でもしているのか、男の返事はわずらわしげだ。辺りを忙しなく窺いながら、ぐいぐい痛いくらいの力で引っ張っていく。

 エレーンはたじろぎ、盗み見た。無頓着なきらいはあるが、悪い人ではなさそうだ。ただ、気分を害しているのかも知れない。こちらのような外部の輩に、大事な仕事場を荒らされてたまるか、といったところか。相手の困惑など意にも介さぬ、ずんぐりとした後ろ姿。温かくて柔らかい、見知らぬ男の手の感触──。

「あの、自分で歩けますから、手は──」

 鋭く、男が口笛を吹いた。

 呆気にとられて、エレーンは固まる。

 がさり、と左の茂みが鳴った。

 がさがさ藪を掻き分ける音。何かの気配が、こちらに近づく。

「おう」と男が頭を出した。

 今度は中年の痩せぎすだ。左頬に大きな傷痕。衣服はやはり薄汚れている。

 頬傷は周囲に一瞥をくれ、小太りに視線を振り向ける。「戻ったか、あいつら」

「いんや。まだだ。けどよ」

 小太りの男はにんまり笑い、肩越しにこちらを顎でさす。「見ろよ、兄貴。拾いもんだぜ」

「はあ? てめえ、何やってんだ」

 兄弟なのか呼称なのか"兄貴"と呼ばれた頬傷は、組んだ腕を苛々と叩く。「そんなもんは後だ、後! 仕事が先だろ、仕事がよ!」

「けどよ。俺がせっかく──」

「まったくお前は、何度言やぁ、わかるんだ。女なんかにうつつを抜かしている場合かよ」

「──あ、あの、すみません。お忙しいところ」

 たまりかねて割りこむと、頬傷がふと振り向いた。目をすがめ、じろじろ怪訝そうに顔を見ている。あわててエレーンはお愛想笑い。

「あ、あのっ、猟師さん、なんですよね?」

 あ? と頬傷が顔をしかめた。

 ふい、とよそに目をそらし、言葉を交わすのも面倒だと言わんばかりに、ぶっきらぼうに言い捨てる。「──まあ、そんなようなもんだ」

「──え?」

 なんとなく引っかかる言い方だ。だが、それを尋ねている暇はなかった。

「たく。どこ行ったんだ、連中は!」

 腹立たしげに頬傷は罵り、憮然とあからさまに顔をしかめる。「これじゃ、身動きがとれねえじゃねえかよ!」

 口にくわえて点けかけた煙草を、忌々しげに踏みにじっている。血走った鋭い眼光。険を含んだ刺々しい口調。

 エレーンは戸惑って口をつぐんだ。猟師というのは、こうも猛々しいものなのか。寡黙で実直という印象があったが。

「だから言わんこっちゃねえ! 勝手に消えて、一言もなしかよ!」

「まあまあ、兄貴」

「ふざけやがって! こっちの面が割れでもしたら、やりにくくなるってのに!」

 こちらのことなどそっちのけで、二人は言い合いを始めている。小太りが取り成しているが、苛立った頬傷は耳を貸さない。

「そうカリカリすんなよ兄貴。すぐ戻るって、連中も」

「抜け駆けしたんじゃねえのかよ!」

 毒づく頬傷は、険しい顔だ。

「だから嫌だと言ったんだ。どこの馬の骨とも知れねえ、得体の知れねえ連中と組むのは!」

 苛々と足を踏み、辺りを見まわし、歩きまわり、

 ふと、足を止めた。

「……そういや、なんでいるんだ? こんな樹海ところに」

 探るように目を据える。

「何だ、あんた」

 詰問調にたじろいで、エレーンはぎこちなく首をかしげた。「えっと、あの──何って言われても──」

 今の立場が脳裏をよぎるが、まさか名乗れるはずもない。クレスト領家の正夫人などと。ならば、正直に「連れ」だと言おうか。草原で休んでいる傭兵部隊の。だが、それも、あの彼らとの関係と、事情を説明するのが難しい──

「──いや、まてよ」

 つぶやいたのは頬傷だった。

「二十代半ばの小柄な女。背までの黒髪……?」

 思い当たったように顔をあげ、つかつか大股でザックに歩く。小太りが腰かけていたあのザックだ。手を突っ込んで中を漁り、拳で何かをつかみ出す。

 振り広げたのは、四つ折りにした白い紙。

 ふっと、違和感が胸をよぎった。あの光沢は上質紙だ。使用する者は限られる。すなわち領邸関係者と、いわゆる貴族階級だ。領邸勤めをしていた頃は、毎日のように目にしたものだが、庶民が普段使いするには、あれではいささか高価すぎる──。

「──やっぱりか」

 文面を一読、頬傷はつぶやく。

「なんだよ、兄貴。やっぱりって」

 つかんだ手首を引きずって、小太りも怪訝そうに紙面を覗く。頬傷が訝しげに目を向けた。

「まさか、こんな所でお目にかかれるとはな」

 ぎくり、とエレーンは凍りついた。

(……ばれた? 身元が)

 商都に行く旨、部屋に書き置きは残したはずだが、姿を消した事にあわてて、領邸が捜索の触れを出したのか? 保護して屋敷に連れ戻すために。だが、この二人の反応は──

 おろおろエレーンは唇を噛む。

「誘拐」の語が頭をよぎった。万一ここでさらわれでもしたら、それこそ大変なことになる。粗忽そうな小太りはともかく、頬傷はなんとなく剣呑だ。

 うまい言い訳を考えていると、頬傷が小太りに目配せした。

「見ろ、例の手配書の」

 エレーンは耳を疑った。

 ──手配書?

 思わぬ言葉に目をみはる。誓って悪事など働いていない。ならば、誰かと

 ──間違われている?

「あ、あの! 違います! あたしは何も──」

「乗り換えるか」

 釈明する暇もなく、頬傷が紙面を指で弾いた。

「これを足がかりにすりゃ、うまいクチにありつけるかもしれねえ。それに、小耳に挟んだんだが」

 計算高そうな目つきで目配せ、思案げに顎をつかむ。

「あっちにゃ、相当ヤバい賞金首が交じってるってはなしだ。──なに。これだって、十分わりがいい。ここでうまく取り入っときゃ、守衛なんてもアリかもしれねえ。何より、現物がここにある」

「ち、違いますあたし! お尋ね者じゃ──!」

「なら、なんで樹海にいた。人目を憚って隠れてたんだろうが」

「──べ、別にあたしは隠れてたわけじゃ」

「いいじゃねえかよ、なんだって」

 辟易と顔をしかめて、小太りがじれったそうに遮った。

 どこかせかせかと振りかえる。「腐るほどいるだろ、そんな女は。どうせ、そこらの、集落の小娘かなんかだろうさ」

「こんな僻地に、村なんか(・・・・)あるか(・・・)

 え、とエレーンは目を見開く。土地の者ではなかったのか?

(……どういうこと?)

 付近の者でないのなら、なぜ、そんな嘘をつく。ならば、猟師というのも嘘か? ならばどうして、こんな深い樹海にいるのだ。手首に温かい人肌を感じた。小太りは手を放さない。

 話の齟齬に気がつかないのか、小太りは夢中になって、せっついている。

「なあなあ兄貴、構わねえだろ? 突き出す前によ、ちょっとくらいは(・・・・・・・・)

 その意を察して背筋が凍る。

 とっさに、その手に噛みついた。

 不意を突かれ、手を振った小太りを、エレーンは突き飛ばして、走り出す。

「──なにすんだ!? このアマっ!」

 小太りの怒号と駆け出す足音。

 後も見ずにエレーンは駆けた。


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