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7話3

 ぬかるみのしぶきを飛び散らせ、黒頭が顔から突っこんだ。

 振りあげた後頭部の首根っこを、すかさずファレスは押さえつける。

「もう一度訊く。お前の仲間はこいつだけか」

「──く、くそっ!」

 茶色く濁った水たまりに鼻の先をつけられて、黒頭は全力で抗っている。だが、背中に膝で乗られては、押しのけるのは難しい。

「……こ、こいつだけだよ」

 水気でむせて激しく咳きこみ、黒頭が渋々口を割った。

「部隊を狙う目的は」

 黒頭は憎々しげに睨みつけ、かたくなに口をつぐんでいる。不貞腐った顔つきだ。

 ぐい、とファレスは、その首根っこを再びつかむ。

 顔を水面に押しつけられ、飛びのくようにして黒頭が暴れた。だが、ファレスは容赦しない。

「さっさと吐けよ。水たまりで溺死したいか」

 同じやりとりをくり返し、黒頭は噎せつつ顔をあげた。

「お……お……お宝だよ……」

「──お宝だ?」

 ファレスは面食らって顔をしかめた。「──一体どんなおとぎ話だ。もう少し、まともな嘘をつけ」

「ほ、本当ですってっ!」

 ころりと黒頭が態度を変えた。

 白けた顔のファレスの足に、必死の形相ですがりつく。「あんたらの所にあるっていうから、俺らも一口乗っかろうと──」

「お宝な」

 ファレスは拍子抜けして嘆息した。つまりは物盗り、こそ泥もどき。だが、原野にいるのは傭兵の部隊だ。そんな他愛ない理由は、ついぞ聞かない。

 傭兵稼業をしていれば、この手の襲撃は珍しくもないが、その目的の大半は、王家が支払う懸賞金だ。

 手配書に載った一部の者には、一生遊んで暮らせるほどの莫大な賞金が掛かっている。隣国は長らく、王家と都市同盟が対立しており、同盟を膝下に置きたい王家とすれば、同盟の主力たる傭兵隊には一方ならぬ恨みがあるのだ。

 だが、部隊の警戒も厳重で、襲撃者を捕らえれば、牽制、見せしめの意味も含めて、手荒な(・・・)手段をとることも辞さない。つまり、多少の財貨狙いでは、とてもではないが割に合わない。狙う方も命がけとなれば、こうも無邪気にじゃれつきはしない。

「う、う、嘘じゃねえよ! 旦那!」

 口角泡を飛ばして、黒頭がまくし立てる。

「近頃もっぱらの噂なんだよ! あんたらが、どえらい宝を持ってるって!」

 意地も矜持もかなぐり捨てて、今や完全に媚び笑いだ。「なんでも、たいそうなお宝だって話じゃねえか。だってよ、どんな望みも叶うとかいう夢のい──」

「わかった」

「旦那!」

「もういい。事情はわかった」

 すがりつく黒頭を一蹴し、ファレスは木根に目を向けた。茶髪がぐったりとうずくまっている。同時に襲いかかってきた黒頭の仲間だ。

 まだ歩ける黒頭は、引きずり起こして襟首つかみ、脳震盪で伸びている茶髪は、肩に担ぎあげて泥道を運ぶ。

 獣道の下草を、ぶ厚い靴で掻き分けて、この樹海の東端へ進む。

 鬱蒼と草木の生い茂る進行方向に目を向けて、ファレスは軽く舌打ちした。「傭兵団が持ち歩く宝」とは夢見がちな空想をしたものだ。おそらく身形のせいだろう。戦のないこの国では、こうした野戦服は珍しい。そこから想像が広がって、盗賊もどきと混同し、あらぬ噂を発生せしめ──。

 だが、少し考えれば、わかりそうなものだ。わざわざ危険にさらしてまで、誰が金目の物など持ち歩くというのか。金塊を積んだ荷馬車の護衛というならまだしも。なぜ「お宝」などという突飛な噂が蔓延したのか──

「おい、起きろ。いつまで呑気に寝ている気だ」

 東の端に辿りついたところで、茶髪を蹴り飛ばして叩き起こした。

 泥だらけでへたり込む、見るも無残な二匹の襲撃者ネズミを、値踏みの視線でファレスは見おろす。

「泳ぎは得意か」

 二人はおどおど、互いの顔を見合わせる。

「お前たちは運がいい。骨の一本も折れちゃいねえし、命に関わる大怪我でもねえ。そこらの岩礁で気長に待てば、漁船の一そうも通りかかる」

 ぽかん、とネズミは呆けている。

 まだ事情の飲みこめぬ二人の首根っこを両手でつかみ、次々ファレスはぶん投げた。大陸東端の切り立った断崖。その下で待ち受ける、白く砕ける外海の波頭へ。

「オーサーによろしくな」

 背を向けて歩き出した直後、二つの派手な水音があがった。



「……なあに?」

 風道の脇で見つけた"それ"に、エレーンはそっと微笑みかけた。

 鼻をひくつかせて見つめていたのは、茶色い毛皮の小さな野ウサギ。

 珍しいことではなかった。一人になると、どうしたわけか、小鳥やウサギなどの小動物が、こうして決まってやってくるのだ。気づくと、物陰からうかがっている。そんなに余所者が珍しいのだろうか。

 驚かせないよう、ゆっくりと、ウサギに手を差し伸べる。

 すばやく毛皮がひるがえった。

 じっと見つめていた今しがたから一転、飛びのき、あわてて茂みに消える。

 がさがさ遠のく茂みを見送り、エレーンはしゃがみかけた腰を伸ばした。

 淡い緑の梢の下、そっと浅く息をつく。ささやかな関心の糸が切れ、ねじ伏せた想いがふくらんでいく。

 さわさわ、木立が風に鳴った。

 昼の夏日に照らされて、風道はのどかに凪いでいる。長く息を吐き出して、エレーンは木立の高みを仰いだ。

「帰ろう、ノースカレリアに」

 口にしてみたその声は、他人のそれのように乾いて落ちた。

 風にそよぐ梢の向こうに、夏の日ざしがきらめいている。

「だって、もう──」

 言葉の先は、木立に溶けた。

 森はひっそりと静まりかえり、ちらちら木漏れ日がゆれている。

 集合場所に戻ったら、蓬髪の首長にお願いしよう。近くの街まで送ってほしいと。たぶん、快く引き受けてくれる。ケネルの方には首長から、その旨伝えてもらえばいい。──いや、自分の口から言うべきか。もう、旅は取り止めると。これまでのお礼も言わないと。でも、ケネルと顔を合わせるのは……

 ひとつ浅く嘆息し、誰もいない風道に踏み出す。

 さりげなく背伸びして、背伸びして、背伸びして、背伸びして、彼らの世界を覗いてきた。彼らについて行けるよう。なるべく理解するように。

 ケネルの荒っぽい一面を見るたび、あのファレスのきつい目で、忌々しげに睨まれるたび、逃げようとする足を叱咤して、泣かないように、くじけぬように、いつも顔をあげてきた。

 けれど、ゆうべの一件で、ごまかしで築いた堤防が、ついに決壊してしまった。

 ケネルはまぎれもなく"傭兵"だった。

 そもそも、まるで違うのだ。これまで街でつきあってきた、そつのない男友達とは。あのゆうべの一件で、それがはっきりわかってしまった。ケネルとはしょせん

 ──住む世界が違う、と。

 鋭く胸に痛みが走り、エレーンは思わず顔をしかめた。

 重たいものが一気に抜け落ち、漠たる空虚がひろがる中、胸の奥がキリキリ痛む。けれど、こんな思いもおしまいだ。あの領邸の一室に戻れば、もう二度と会うこともない。そして、平坦な日々に戻る。なんの不足もない、安全な。誰も粗雑に扱わない。誰にも怒鳴られないし、突き飛ばされない。あのケネルとも、もう、さよなら──

「……え?」

 息をつめ、あわてて頬をぬぐった。

 エレーンは戸惑い、首をかしげる。なぜ、泣いているのだろう。なぜ、胸が苦しいのだろう。どうしても涙が

 止まらない。

 それは際限なくあふれ出て、ぽろぽろ、ぽろぽろ頬を伝って。ぬぐっても、ぬぐっても、こぼれ落ちて。ぽろぽろ、ぽろぽろ。ぽろぽろ、ぽろぽろ──

 足から力が抜け落ちて、こらえきれずに、うずくまった。それでも、まだ色褪せないのだ。彼を頼った戦の日々が。あの隣に戻りたい願いが。

 まだ、心は抗って、あの彼を信じている。助力の要請を拒まれた天幕群の一室で、少し面倒くさそうに、それでも手を差し伸べてくれた、あれがケネルの本当のかおだと。

 なのに、いつも、あの声が、壁となって立ちはだかる。

『 あの女とガキ、始末してやろうか 』

 膝に額をすりつけて、エレーンは嗚咽を押しこめる。

「……ケネルの、ばか」

 もう、ケネルと、いられない。


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