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7話2

 遠巻きにした傭兵たちが、困惑顔で盗み見て、そそくさ通り過ぎていく。

 太くて毛深いその腕が、後ろ手をついて喫煙していた。

 シートについた無骨な手。蓬髪の下の眼光は、周囲を威嚇するかのように鋭い。

 馬から降りた昼休み。エレーンは首長アドルファスのシートにいた。

 報せを聞いて飛んできた首長は、一目で何事か察したようで、すぐにファレスを遠ざけた。そして、何も聞かずに付き添ってくれた。

 集合場所へは、彼の馬で首長と向かい、待機していた部隊と合流した。だが、アドルファスは他の者を近づけなかった。その間わずかに接触したのは、声をかけてきた短髪の首長くらいのもので、それさえ何事か耳打ちしただけだった。短髪の首長はうなずきながら、ちらとこちらを見やったが、特に声をかけるでもなく、連れとともに離れて行った。だから、今日は朝から未だに、ケネルと顔を合わせていない。

 ほとんど手付かずの弁当を、エレーンはうつろにながめやる。

 あの後ケネルは、まだ何か言っていたようだが、うまく意味を汲みとれなかった。のしかかった人影が恐ろしく、ただただ硬く目を閉じて、相手に合わせてうなずいていた。ケネルの不興を買わないように。何も考えず。何度も、何度も。

 一体どれくらい、そんなことをしていたろう。取り乱されて興醒めしたのか、やがてケネルは身を起こし、暗がりの寝床へ戻っていった。

 その後は寝つかれず、浅い眠りをさまよった。ようやくまどろみが訪れて、長い一夜が明けた頃には、ケネルの姿はもうなかった。

 隣でシートに足を投げた蓬髪の首長には気づかれぬよう、エレーンはそっと溜息をつく。

 落胆が寒々と胸を覆った。まさかケネルが、あんなことをするなんて。いや、初めから見誤っていたのかも知れない。あの彼の本性を──。

 はっと気づいて、頬をぬぐった。

「……あ、あの、アド」

 心もち声を落として、ぎこちなく隣に笑いかける。「その──ちょっと(・・・・)、行ってくるね」

 目線で、森の風道をさす。

「おう」とアドルファスは短く応え、顔をしかめて紫煙を吐いた。

 蓬髪に隠れた横顔は、昼の原野をながめている。用足しに行くことは伝わったはずだが、蓬髪の首長に動きはない。

 エレーンはためらいがちに腰をあげ、彼のシートをおずおず離れた。こんな所で泣き出せば、また首長を心配させてしまう。

 休憩に入る前に教えられた、西側の風道へと足を向けた。無神経なファレスのように、首長はずかずかついて来はしない。そして、やはり詮索しない。

 森の風道の入り口に立ち、のどかな樹海を、エレーンはながめる。

 ぬかるんだ広い土道が、森の奥へと伸びていた。真上に昇った陽を浴びて、昼の森は凪いでいる。

 休憩で立ち入れる領域は、用足しの際に支障があるため、男女でおおまかに分けられている。風道の東が男性の領域。緩衝地帯を中央に挟んで、その西側が女性の領域。それに配慮してアドルファスは、今日は西に寄せてシートを敷いた。風道付近を陣取って。

 この風道の西側には、誰もいないはずだった。彼らの立ち入りは禁じられている。ここなら、しばらく一人になれる。

 昼休憩のざわめきに背を向け、エレーンは足を踏み入れた。



「しばらく先導を頼めるか」

 樹海の木陰に寝そべったバパは、面食らって声を仰いだ。

 木幹の脇にもたれたのは、二十代後半の黒い頭髪、そして、静かに見据える落ち着いた双眸。いやしくも一隊を率いる首長に、こうも率直にものを言える若手は、部隊広しといえども限られる。

 バパは横目で彼を見る。「いいのか? こっちばかりが先頭で。向こうさんにもメンツがあるだろ。後方ばかりやらされちゃ、若いだって腐るしよ」

「先導隊は、部隊の命運を担っている」

 ケネルは言下に切り捨てて、休憩中の部隊をながめた。「急場に判断を誤れば、その(るいは総隊に及ぶ。小手先の情で危険にさらすわけにはいかない」

「ま、俺の方は構わねえが。──ああ。そうそう、こっちにきてたぜ」

 脱いだ上着を無造作に引き寄せ、バパはその懐を探った。

招待状(・・・)だ」

 差し出したのは、何かの書類だ。数枚重ねて畳まれた、三つ折りにした白い紙束。

「ま、確かにこのところ、ふさぎこんではいるようだしな」

 半袖の腕を軽く掻き、バパは木陰で休む人だかりをながめる。「どうしちまったんだか、アドの奴。放胆なあの男が、引きこもってるってんだから驚きだぜ」

「今に始まった話でもない」

 そっけなくケネルは応え、受けとった書類に目を通す。「アドルファスの様子が変なのは、客を斬った翌日からだ」

 バパは面食らって、ケネルを仰いだ。「──恐れ入ったぜ。よく見ているな。ずっと、あの子にかかりきりで、野営地ヤサには見向きもしなかったのによ」

 ケネルは軽く書類を畳み、バパの胸元へほうって返す。「時期尚早、却下だな」

「了解、俺の方で返事はしておく」

 バパは寝そべったまま身をよじり、拾ったそれを上着に戻す。「どのみち今は動けないしな。もうしばらく、かかりきりだろ」

 樹海の木陰は、昼のざわめきに満ちている。

 木陰に沿って広がった、休憩中の見慣れた部隊。平素と異なるところといえば、一面を覆う暗色に、ぽつんと明るい色彩が入り交じっていることか。

「あんた、副長の要請を蹴ったらしいじゃないか」

 頭の後ろで手を組んだまま、ちら、とバパは目だけを向ける。「──耳が早いな」

 ケネルが苦笑いして懐をさぐった。「意外だな。あんたでも気に食わないか、若造に指図されるのは」

「そんなみみっちいことは言わねえよ。だが、俺にも立場ってもんがあるからな」

「立場ね。しかし、随分と度胸がある。あの"ウェルギリウス"の要請を、まさか蹴る奴がいたとはな」

 火を点け、ケネルは一服する。

 のどかに凪いだ昼の草原、木の根で木漏れ日がゆれている。

 その短髪の耳元で、ピアスの赤がきらめいた。

「支障はねえだろ、突っぱねたところで。どうせ、ファレス(やつ)がかばうんだからよ」

 苦笑わらってケネルは紫煙を吐き、挑むような一瞥をくれた。

「あんた、知ってて(・・・・)煽ったな(・・・・)?」

 あの冷淡な副長には、意外にも律儀な一面がある。

 孤立無援の脱落兵を、拾いに行くのもこの男。一人で焦れてカリカリし、あげく単身乗りこんで、首根っこつかんで引きずり出してくる──行動を共にする彼らには、すでに馴染みの光景だ。まして、その目に止まった相手が、頼りないなら尚のこと。

 バパも煙草に点火して、煙たそうな顔で、火を振り消す。「えらい剣幕で帰って行ったよ」

「だろうな。あいつは客のこととなると、見境がなくなる」

 指で紫煙をくゆらせながら、くすり、とケネルは小さく笑う。あてつけがましく横目で見やった。「で、あんたは"協力しない"と」

「だったら俺に、こう言えってのか?」

 バパはおどけた仕草で手を広げる。

「"さあ、皆さん。お行儀よくして。お姫さんにちょっかい出しちゃいけませんよ"ってよ。──ばかばかしくて言えるかよ。俺は、ガキどもを引率しているわけじゃない。そんなことより、油を売ってていいのかよ」

 ケネルが怪訝そうな顔をした。

「だから、見に行かなくていいのかよ、姫さんの様子をさ」

「──ああ。今日は放免だ。アドルファスの所がいいんだそうだ」

 ほうり投げる口調でケネルは返し、やれやれと頭を掻く。「何を考えているんだか。あのわがままにも困ったものだ。まったく、俺にはさっぱりだ」

「俺には、お前の方がさっぱりだよ」

 面食らったようにケネルは見た。「──ひどい言われようだな」

 シートに寝転がったまま、バパは空に紫煙を吐く。「ケネル。俺はな。そういうの(・・・・・)は最低だと思っている」

「なんの話だ」

「お姫さんの話をしていたはずだろう?」

 ケネルは怪訝そうに思案をめぐらせ、思い当たったらしく顔をしかめた。「昨夜ゆうべの話か。別に大したことでもないだろ」

「……お前は時々、驚くほど鈍感になるな」

 バパは溜息まじりに脱力する。「うちのザイでも、お前ほど鈍くはなかろうによ。まったく、あの子もかわいそうにな」

 首長の嫌味に、ケネルは観念したように息を吐いた。「何がそんなに問題なんだ」

 向き直り、事情をかいつまんで説明する。

 言葉を挟まずバパは聞き、やがて「なるほどな」と嘆息した。「けどよ。それじゃ、逃げ出すのも道理だぜ」

 ケネルはやれやれと身じろいだ。「それにしても、まさか、あんたにつつかれるとはな。相変わらず事情通だな。そんな細かい話まで、一体どうやって仕入れるんだ」

「いいか、ケネル」

 バパは左肩を引き起こし、たまりかねた顔で片肘をついた。

「俺に押し倒されたら、お前どうする」

 む? とケネルが目を向けた。

「戦う」

「──。だから──そういうことじゃなくってよ」

 バパはげんなり額をつかむ。「たく。これだから野郎ってのは。その前にあるだろ、もう一段階」

「あるって何が?」

「だから。何がしかあるだろ、反応が。ほら、例えば"怯える"とかよ」

「俺は、別に怖くない」

「──だから!」

「冗談だ」

 くすり、とケネルが苦笑いした。「いや、珍しくムキになるから、あんたのやりとりを真似てみた」

「……冗談?……お前が、冗談……?」

 あぜん、とバパは絶句した。これが他の者なら驚きはしない。だが、相手はこのケネルだ。

「──どうかしたのか。今日はばかに上機嫌じゃないか」

 このケネルの冗談など、めったなことで聞けるものではない。

 何を思い出したのか、ケネルはくすくす笑っている。「いや、ちょっと、面白いものが見られたから。まったく、あの顔ったら、なかったな……」

「……。本当に、雪でも降るんじゃねえのかよ」

 ついにバパは、呆気にとられて固まった。ケネルのくすくす笑いなど、めったに拝める代物ではない。

「お前ら一体どうなってんだ? お前といい、ファレスといい……」

 あえぐ口調で首をひねる。かの副長も柄にもなく、夜更けの野営地に怒鳴りこんだばかりだ。

 バパはまじまじとケネルを見やり、だが、考えても無駄と悟ったか、降参したように首を振り、元いたシートに背を投げた。仰向けで寝転び、足をくむ。

「"俺の方で預かる"ってよ」

 声に、ケネルは振りかえる。

 誰の言葉かすぐに気づいて、苦々しく顔をしかめた。「──又か」

「あの分だと、本気だな」

 少し前にも、悶着があった。蓬髪の首長アドルファスが、意を決してねじ込んできたのだ。あの客を手元に置くと。自分の娘のようなものだから──。

 ケネルは軽く一蹴したが、まだ諦めていなかったらしい。

「いいのかよ」

 バパは思わせぶりに一瞥をくれる。

「ぶんられるぜ?」

 かの首長アドルファスの個人的な(・・・・)事情と経緯(・・・・・)は、短髪の首長も承知している。

 昼の原野がざわめいていた。

 木陰に陣取った傭兵の群れ。各々昼飯を広げている。今日は西側に陣取った群れが、首長アドルファスが率いる部隊だ。そして、木陰に広がる大所帯の、どこかに今もいるはずだ。話題にのぼった、あの二人が。

「──"俺の娘" か」

 ムキになって言い募ったアドルファスの言葉を反芻し、ケネルは苦々しげにながめやった。

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