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6話9

 るんるん絨毯じゅうたんに寝そべって、あけた紙箱を覗きこむ。

 むふふん! とエレーンはにまにま笑った。箱の中には、ふんわり丸い黄金こがね色が八つ。

「お、焼き菓子か。──どれ」

 横から出てきたその手を見咎め、ぺちり、と即座に引っ叩いた。

「あたしのよっ!」

 まなじり吊りあげ、すかさず菓子箱をひったくる。

 ファレスが舌打ちで顔をしかめた。「いいだろうがよ、一個くれえ。減るもんでもなし」

「減るでしょ!? いっこ! 確実に!」

 厳戒態勢でがなって威嚇。ファレスの手が届かない、体の後ろに、さささ──と隠す。

「あんた、これ、知らないの? ラデリアの銘菓なんだからね! 流花亭のやつなんだからあ!」

 菓子の箱を両手でかかえ、エレーンはにまにま、スリスリする。あの後ケネルは荷物を持って戻ったが、ここのキャンプの長に呼ばれ、腰を落ち着ける間もなく出て行った。以来、まだ戻ってこない。夕飯が届いて、皿が並び、もう、とうに食べ始めたというのに。

 ちなみに、出がけに渡されたこの箱を、一体なんぞやと開けてみたらば、中にはなんと、この銘菓が入っていた次第。早い話がケネルのおみやげ。しかし、流花亭の焼き菓子とは、ずいぶん奮発したものだ。あのタヌキ、意外と気前がいい。いつも、けんもほろろに無視するくせに。てか、あの大行列に並んだのか? しかめっ面のあのケネルが?──はた、と箱を二度見した。

「あっ!? ないっ!? 二個もないっ!?」

 いや、勝手に消えるわけがない。そんなことをする犯人は──

 ギッとエレーンは振り向いた。

「女男っ! いつの間にっ!」

「中々いけるな。芋か、この菓子」

「──あっ!? ちょっと!? あたしだって、まだ食べてないのにっ!」

 片手で菓子箱を確保しつつも、クッションをつかんで、ぶん投げる。

 ひょい、とファレスは、それをけた。口をもぐもぐさせながら、土間の向かいへ抜かりなく避難。

「ちょ──っ! 卑怯もんっ! 返しなさいよ女男っ! 返しなさいってば!」

 菓子箱かかえてなじりつつ、エレーンは手当たり次第に投げつける。

 でたらめな軌道で飛んでくるそれらを、ファレスは見もせず、事もなげにけた。残る一つも、口へともっていきながら。

「くっうぅぅ~っ!」

 エレーンはぎりぎり、向かいで地団太じだんだ。まるで当たらず、すんごく悔しい。

「いつも世話してやってんだろ。少しは返せよ」

「はああ? あんたがあ!? いつ! どこで! あたしのお世話をっ?」

「四六時中だろ。うめえな、この芋。にしても、あいつ、よく知ってたな」

 歩調をゆるめ、ファレスは不思議そうに首をかしげる。「隣国となりならともかく、カレリアにある菓子屋なんざ──」

 ふと、口をつぐみ、靴脱ぎ場の前で立ち止まった。

 バシン──と額に、渾身の一撃。

(……え゛?)

 ぼとり、と落ちたクッションを目で追い、ぽかん、とエレーンは目を返す。

「な、なんで、あんた、けないのよ……」

 おろおろ戸惑い、ファレスに文句。まさか、当たるとは思わなかったのだ。だって、簡単にけてたくせに。

 柳眉をしかめてファレスは舌打ち、菓子の残りを面倒そうに口に入れた。かたわらの仕切りを無造作にあける。

「な、なにか不手際でも……」

 誰かの声が、戸口でした。

 聞いたことのない、か細い声?

 ファレスが身じろぎ、戸口から退くと、小柄な女性が立っていた。四十くらいの年配の女性だ。あわてた顔で盆をかかえ、落ち着きがないその様子は、なぜか怯えているように見える。彼女もキャンプの人だろうか。いや、そんなことより──意外な思いで、女性を見返す。

(……いたんだ、女の人も)

 遊牧民のこうしたキャンプで、女性を見るのは初めてだった。どこでも姿を見なかったから、大陸を長らく移動する遊牧のような重労働は、男の仕事なのだろうと思っていた。

 女性の身成りは風変わりだ。町ではまず見かけない、分厚い生地のくたびれた上着に、丈の長い腰巻のようなスカート、どちらも傷み、古びている。

「なんでもねえよ。問題ない」

 ファレスが応答する声がした。

「悪りィな、まだだ。食い終わったら、下げるからよ」

 一語一語ゆっくりと、言い聞かせるような穏やかな物言い。

 盆を受けとって彼女を帰し、肩で押さえていた仕切りを戻した。大振りの盆を壁に立てかけ、ぶらぶらこちらに戻ってくる。

「なによ、ずいぶん優しいじゃないのよ。あたしの時とは違ってさ──」

 はた、とそこで我に返った。エレーンはわたわた、菓子を天敵から避難させる。「も、もう、あげないからね!」

「たく。食い意地はってんな」

「はああ!? 二個も 盗 っ た 人に言われたくないんですけどっ!」

 びしっと指さし、涙目で糾弾。

「もーっ! あたしのおみやげなのにぃー」

「みやげなら、半分は俺の取り分(もん)だろ」

「ケネルは あ た し に くれたんですぅー!? めったに食べられない銘菓やつなのに、二個いっぺんとか、ほんとまじで信じらんない! どうせなら、もっと味わって食べなさいよね。流花亭の甘芋の焼き菓子っていったら、いつもすんごい行列してて、ちょっとやそっとじゃ──!」

「まだ六つもあんじゃねえかよ」

「初めは 八 個 ありましたーっ!」

「そんなことより、さっさと飯を食っちまえ」

 えー……とエレーンは顔をゆがめ、口を尖らせて床を見た。ずらりと並んだ惣菜の皿。

「もう、いいや、そっちのご飯は。だって、あたし、おみやげあるし」

「飯は飯で、きちんと食え。済むまで菓子は没収だ」

 言うなりファレスが身をかがめ、むんずと箱を取りあげた。

 向かいに座り、横に置く。

「ちょっ!?──ずるい! あんた、自分は食べたくせに!」

「毒見だ」

「──どっ……」

 エレーンはあんぐり口をあけた。言うに事欠き毒見とは。一体なにを考えているのだ。ちなみに二個も食べたよね。

「はあ? あんた、なに言ってんの。ケネルが毒なんか盛るわけないでしょ」

「奴じゃねえ。異状はねえから、食っていい。ただし、飯 の 後 で だぞ」

 う゛っ、とエレーンは言葉に詰まった。

 ずらりと並んだ夕飯の皿を、口をとがらせ、むう、と見渡す。「……だから~。無理だってば、こんなにいっぱい。大体こんなの、一度に食べられる量じゃないでしょー?」

 ファレスは脇の菓子を一瞥、白けた顔で目を向けた。

「あっ? 違うから。そっちはほら、別腹だから!」

 うむ、ときっぱり、エレーンはうなずく。

 じっとり漂う、微妙な空気。

「──なに言ってやがる」

 ファレスが舌打ちで手を伸ばした。「まったく、わがままでしょうがねえな」

 皿をとりあげ、次々惣菜を口に入れる。黙々と。いつものしかめっ面で。

 そそそ、とエレーンは近づいた。

 奴の両手がふさがった隙に、目当ての菓子を奪取、回収。わたわた自席に逃げ戻る。

 ちら、と向かいをうかがった。

 ファレスは黙々と食べている。「うまい」でも「まずい」でもなく、大口あけて飯を運び、次の皿を取りあげて──咎めるつもりはないようだ。さては説得が効いたのか? うむ。甘いものは別腹! 常 識 だ !

 大事な菓子を確保して、ほっとエレーンは笑顔で安堵。

 先のやりとりが、ふとよぎり、戸口の暗がりを振り向いた。

 戸惑い、向かいを盗み見る。

 さっきファレスは、わざとけなかったように見えた。クッションが飛んでくるのが分かっていながら(・・・・・・・・)。でも、どうしてそんなことを? 仕切りの向こうに、あの人がいるのに気づいたから? 退けば、彼女に当たるから? つまり、ファレスは彼女を

 かばった(・・・・)

「……む?……ま、まさかね」

 エレーンは顔をゆがめて腕を組んだ。いや、奴に限って、それはない。そんな殊勝なわけがない。そんなきれいな心根じゃないのだ。確かに顔こそきれいだが、乱暴狼藉は言うに及ばず、これ幸いと仲間をカツアゲ、それのみならず、数百の兵を平気で爆殺、阿鼻叫喚の惨状を見ても、顔色ひとつ変えない奴だ。

 そうだ。絶対ありえない。血も涙もない冷血漢が、些細なことを気にするなんて。まして、相手は地味なおばさん。かわいい女子、というならまだしも。

「惚れるなよ」

 ぱちくり、エレーンは見返した。「……え゛?」

 何を言い出すこの男。

 あぐらで向かいに座ったファレスは、先と変わらず口を動かし、並んだ皿を片付けている。

「ケネルには惚れるな。わかったな」

「──。な、なによ、急に」

 虚をつかれ、エレーンはどぎまぎ言い返す。「あ、そっか──恋人いたんだ、ケネル」

 口をついたとっさの言葉に、思いもよらず動揺がひろがる。

「そういうことを言ってんじゃねえよ」

「──だけど、今、ケネルはだめって」

「あいつは──」

 ファレスは珍しく口ごもり、刹那、視線を泳がせた。

 眉をしかめて舌打ちし、どこか投げやりに吐き捨てる。「奴は、危ねえんだよ」

「……はあ? なにそれ」

 むっとエレーンは顔をしかめた。

「ちょっとお。どさくさに紛れて、ケネルの悪口言ってんじゃないわよ」

 そうだ。お前の方がよっぽど危険だ。大量虐殺したくせに。

 ファレスが拍子抜けしたように顔をあげた。

 だが、たちまち柳眉をしかめ、「とにかく!」と面倒そうに仕切り直して、食事の続きを再開する。「奴はだめだ。わかったな」

「──もー。だからー。あたしは別に」

「わかったな」

 エレーンは声を飲みこんだ。

 半分ひらいた口を閉じる。奴の言い草は理不尽だが、ここは是非とも否定すべき場面だが、言い募ることはできなかった。問答無用の一蹴は、それほど強い語気だったから。

 整った顔を少ししかめて、ファレスは黙々と食べている。

 いびつに凍りついて、部屋は沈黙。

 エレーンはもそもそ、居心地悪く身じろいだ。変なところで打ち切られ、なにか無性にもやもやする。さりとて話を蒸し返し、ムキになるのも、おかしいし──。

 気まずい思いで、そわそわ見まわす。急に不機嫌になるから、ファレス(こいつ)だ。しかも、なんでか、なにげに怖いし──。隅の暗がりで、仕切りが動いた。

「……あ?──あっ!」

 吸い寄せられるように腰を浮かせ、わたわた靴脱ぎ場に駆け寄った。

「女男があたしの食べたあ~!」

 仕切りをどけた革の上着に、天敵の悪事を言いつける。

「まったく、あんたは戻るなり──。本当にいつも、にぎやかだな」

 肌寒いほどの夜風と共に、ケネルが溜息まじりに入ってきた。ゲルの戸口の仕切りをおろし、靴を脱ぐべく身をかがめる。

「聞いて聞いてひどいのよ? もー。あの女男ってば、ケネルがいないのをいいことにぃ──」

 む……とケネルが、たまりかねたように顔を見た。

「重い。乗るな。背中を叩くな」

 短く苦情を連発されて、エレーンは口をとがらせた。

 やむなく、もそもそケネルから下りる。顔を見るなり追っ払われたが、なんの、今さら慣れっこだ。懲りることなくまとわりついて、もたもた左右から色々報告。

「ねー。聞いてる?ケネル。ほ ん と に 聞いてるぅー?  あ た し が もらったお菓子なのに、なのにあいつ勝手に盗ってぇー! それも二個も! 八個しかないのに、その内二個もよ! もー。まじで信じらんない! だって流花亭の奴なのよ? あそこの甘芋の焼き菓子っていったら、泣く子も黙る天下一品の──あ。そうだった。ケネルおみやげありがとね!」

 今更だったが、お礼を言う。

 靴を脱ぎ終え、革の上着を隅へとほうって、ケネルが横を通過した。「そういう物なら食えるんだろ」

「……え?」

 ぽかんと、エレーンは目で追った。なんだろう、今の言い方は。つまり、それを買うために、わざわざ(・・・・)足を運んだのか? 半日かけて街道まで。

 きゅ、と胸の奥が痛んで、エレーンはどぎまぎ立ち尽くす。自分の思わぬ反応に、対処できずに唇を噛む。

「──たく」

 飯を口へと運びつつ、ファレスがぶつぶつ顔をしかめた。

「考えなしに菓子なんぞやるから、ますます飯を食わなくなるんじゃねえかよ」

 ぱちくり、ケネルがファレスを見た。

 あっけにとられた絶句の顔は(オカンか、お前は──)と言っている。きれいに平らげた最後の皿を、ファレスは床へと放り投げる。「女には甘めえな、相変わらず」

「何も食わなきゃ、もたないだろう」

 シャツの懐を探りつつ、ケネルはそちらへ足を向ける。「食えないってんなら、仕方がない。食える物があるだけましだ。そんなことより、ファレス」

 あぐらで向かいに腰を下ろす。「お前、今まで、どこにいた」

「どこってのは、どういう意味だ」

 食後の煙草を、ファレスはくわえる。「ゲルの外で張ってたぞ、丸一日、片時も離れず。そりゃ中にはいなかったけどよ」

「ウォードがいたぞ」

 点火して一服し「……あ?」とケネルに目を戻した。「なに言ってんだ。あんなでかいを見過ごしたってか。ありえねえだろ」

「あら。きたわよー? ちょびヒゲも」

 エレーンもうなずき、ケネルに加勢。「なんでかわかんないけど、お見舞いだって、あたしの」

「見舞い? 調達屋が?」

「あと、それとノッポくんもね」

「──ウォードが、どうして──どうやって」

 ファレスは膝で紫煙をくゆらせ、いぶかしげに柳眉をしかめている。

 はっ、と顔を振りあげた。

あのジジイ(・・・・・)。どうりで居座ると思ったら」

 舌打ちして腰をあげ、足音も荒く戸口へ向かった。

 靴をとりあげ、足を突っ込む。

「──まったく食えねえジジイだぜ!」

 忌々しげに仕切りを払い、夜の原野へ出て行った。

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