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6話7

 ぬるい風が、頬をなでた。

 身をかたくして目をつぶり、エレーンは耳をそば立てる。物音は聞こえないか。近づいてくる──

 足音が。

 ガラン……と、畜鈴の遠い音。

 どこかで梢がそよぐ音──。怪訝に思い、目をあけた。

 あの彼の姿がない。土間の向こうにいたはずなのに。消えた?──いや、土間の

 左だ。

 あの高い背が、戸口にあった。

 いつの間に移動したのか、靴脱ぎ場の仕切りの前。あの短剣は握ったままだ。もう片方のあいた手が、戸口の仕切りを払いのける。

 ぎゃっ、と人影が飛びのいた。

「……え」

 立ちはだかった背中の向こうに、すくんだような男の輪郭。

 ──人が、いる?

 抵抗しないとの意思表示か、両手をあげているようだ。きらり、と刃が夏日を弾く。その切っ先は

 男の腹。

 はっと息を飲み、目をみはった。

「だ、だめっ……やめて、ノッポ君っ……」

 制止はしたが、声が震えた。縮こまって声が出ない。けれど、彼には届いたはずだ。

 かすかだけれど、手応えがあった。背をそむけたシャツの肩が、ピクリと反応したような──。

 ぬるい風が吹きこんだ。

 戸口の野草が、微風にそよぐ。仕切りをあげた靴脱ぎ場が、午後の日ざしを浴びている。戸口の二人は動かない。

「無理ー」

 間延びした声がした。

 気負いのないウォードの声。だが、短剣の切っ先は突きつけたまま。

 ぎくしゃく人影が身じろいだ。自分の腹あたり、刃に目を落としたらしい。

「──あァ?」と、いぶかしげな男の声。

「もう無理ー」

 二人の間に、沈黙がおりた。

 やりとりが何かちぐはぐな上に、空気が強ばっているような──?

「なっ、なァ~んで、てめえがここにいるっ!?」

 たじろいだような声があがった。

 甲高く裏返った男の声音。どうも、どこかで聞いた気が……?

 戸口をふさいで立っていたウォードが、ようやく、のそりと身じろいだ。向かいの顔が露わになる。

「……え?」

 思わず、エレーンは顔をしかめた。バンザイで顔を引きつらせていたのは、羽根がついた大きな帽子。

 ツバの下の黒い縮れ毛。首にはジャラジャラ宝飾品。大昔の貴族のようなごてごて仰々しいあの衣装。あれって確か

「……。調達屋?」

 昼食時を取り仕切る、あの珍妙なちょびヒゲではないか。名前は確か──そう、ジャック。てか、なんでいつも、大仰な帽子を被っているのだハゲでもあるのか?

「もう無理ー。新しいのと替えてくれるー?」

「──たァくっ! またかよ、てめえはっ!」

 自棄やけを起こしたような剣幕で、調達屋が刀柄つかを引ったくった。

 ウォードの顔をねめつけながら、ゲルの仕切りを憮然と払い、ずかずか靴脱ぎ場に踏みこんでくる。

 細っこい貧相な足を片方ずつ膝にあげ、ぶつぶつ言いつつ靴を脱ぐ。「玄関あけたらいきなりウォードたァ、どんな悪い冗談だ。──たく! 脅かすんじゃねえよ。こちとらこれから、仕事にかからにゃなんねえのに、よ……?」

 忌々しげに戻したその目を「……んん?」と二度見ですがめ見る。

 ぴょん──っ! とバネ仕掛けのごとく飛びのいた。

 ぼとん、ぼとん、と背後の床に、ぶん投げた靴が落ちゆく中、半開きの口をわななかせる。

「なァ~んで、お前が起きている!?」

 びしっ、と指を突きつけられて、エレーンは口を尖らせた。

「……や。なんでって言われてもぉー」

 そっちの方こそ意味不明だ。むしろ、いきなり、なんたる言い草。てか、さっきウォードを制止したのに、聞いてなかったのかこのチョビひげ。

 何が不思議か調達屋は、あんぐり驚愕の顔で固まっている。

 と、すばやく視線を走らせた。

 今度はなんだ。何事だ。なんぞ探しものでもしてるのか?

 ぴた、と壁に両手両足で貼りつくと、そそそ……とすばやく上がりこんだ。


 格子のはまった壁際を、ウサギがカリカリ引っかいていた。

 天窓のあいた中央の土間には、夏陽がうららかに射している。ちなみに、あの後ウサギの奴は、ゆるんだ空気をちゃっかり読んで、とっとと膝から出て行った。

 手持ち無沙汰な体育座りで、エレーンは頬をひくつかせる。

(……みんな、そんなに暇なわけ?)

 見舞いが二人になっていた。

 お花を持ってきてくれたノッポ君、というならまだしも、見舞われる覚えなど一切ない、あの変てこりんな調達屋までもが、なぜだか、だらだら居座っているのだ。時折ちらちら見ているようだが、なんぞ、こっちに用でもあるのか?

 長い手足を床に投げ、ウォードは寝転び、昼寝の体勢。瞼を閉じたその肌は、意外にもつるんと、きめが細かい。

 薄い茶色の前髪のかかる彼の顔を盗み見て、エレーンは膝に突っ伏した。

「……なんだ」

 ぜんぜん平気じゃん。

 この青年ウォードについて、ケネルは散々脅していったが。

 確かにウォードは、腕利きの戦士なのだろう。今の身のこなしで十分わかった。建物の外の気配を読みとり、音もなく距離を詰め、戸口の仕切りを払った時には、相手に切っ先を突きつけていた。

 だが、ここは戦地ではない。それに、たぶん気に入られている。わざわざ見舞いに来てくれるほどに。

 かかえた膝にあごにのせ、むう、と口を尖らせる。

「……心配して損した」

 あくびをしているウォードの顔には、害意なんか、かけらもない。ケネルは意外と心配性だ。

「──あーあー。刃先がつぶれていやがる」

 しゃがれたような甲高い声は、中央の土間のかたわらで、あぐらをかいた調達屋だ。ウォードが渡した短剣を、ためつすがめつ(あらた)めている。

「やたらと何でも刻むからだぞ。──たく。ついこないだ、やったばっかの奴じゃねえかよ。まったくお前は毎度毎度……ぶつぶつ……」

「あたしも欲しいな、そういうの」

 もそもそエレーンは這い寄った。

「──あァ? 何に使うんだ、短刀なんざ」

「だから~。あたしも護身用っていうか?」

「必要ねえだろ、お前には」

 なあにが不足だ、あんな化けもん従えやがって……と、なぜかぶつぶつ聞こえたが?

 振り向きもしない縮れ毛の肩を、エレーンは笑って、パン──と叩く。「だって、恐いじゃないのよ色々と。だって、いるでしょー? 泥棒だとか悪い奴とかー。ほらあ、 か 弱 い 乙女としてはさあ~」

「……」

 こら、チョビひげ。なぜ、そこで返事をしない。

 顔をしかめた調達屋は、すがめ見ながら顔をあげた。

 じろじろ不躾に眺めまわしている。品定めでもするように。

 ぷい、とすげなくそっぽを向いた。

「だめだな」

 むっ、とエレーンは拳をにぎる。「えええーっ! なんでよー!」

「なんでもだ」

「みんなには、あげてるじゃん。いーでしょ、一個くらい増えてもさー。そんなケチケチしなくてもぉー」

「 だ め っ た ら 、だ め だ っ て ん だ っ ! ──たく。んなもん、うっかり渡してみろや。ケネルに何言われるか」

「あげるー」

 え? とエレーンは、右手の声を振りかえる。

 ウォードが床に寝転んだまま、ひょろ長い腕を伸ばしていた。その手にあるのは、検分中の(くだん)の短刀。つまり、これをプレゼントしてくれると?

「え、……あ、でもぉ~……」

 お古?

「どうぞー」

 だけど、刃がガタガタなんじゃ……?

 廃品みたいで躊躇するが、とはいえ彼のせっかくの好意だ。

「……あ、ありがとお」

 むげにしても角が立つ。

 受け取るだけ受け取ろうと、ぎこちない笑顔で手を伸ばす。

 忽然と、短刀が消え失せた。

「だめだと言ったろ。今さっきだ」

 かすめとったのは調達屋だ。舌打ちで顔をしかめている。

「むっ。ちょっと。どおしてよ」

「扱えやしねえよ、女子供じゃ。どうせ、すっ転んで、てめえの腹でも、ぶっ刺すのがオチだ」

「……むぅ。そんなに鈍くないもん」

 たぶん。

 刀柄つかがウォードに向くように、くるりと短刀を持ち替えて、パシン、とその手に叩き返す。

「手配はするが、すぐには無理だ。しばらく、こいつで我慢しな。──たく。バパは何してやがるんだ」

 こんな猛獣、野放しにしてよ~……などと妙な悪口が混じっているが?

「今、寝てるー」

「……。昼寝かよ」

 律儀に応じたウォードの応えに、調達屋はげんなり脱力した。

「たく。どいつもこいつも、たるんでいやがる。いくらカレリアがぬるいからって。アドはアドであの通りのザマだしなァ……」

「ねー、どうやってんの? 調達って」

 横から、エレーンは縮れ毛を覗く。

「ずっと不思議だな~って思ってたのよね~。鞄とか薬とか、すぐに届くし。こんな原っぱじゃ、お店なんかないのに。お弁当だってけっこう豪華で。それも毎日! 毎日よ?」

 あァん? と調達屋が面倒そうに舌打ちした。

 ちろ、と品定めの一瞥をくれる。そして、

「企業秘密だ」

 つーん、とつれなくそっぽを向いた。

 むっ? とエレーンは拳を握る。

 ふくれっ面で口をとがらせ、はたと気づいて膝を打つ。

 お祈りするように手を組んで、にんまり顔を振りあげた。

「でも、さすがに無理よねえ? かわいいランチボックスとかは~」

「──あ? なんだ。そんなことかよ」

 小馬鹿にしたように鼻を鳴らして、ふん、と調達屋は腕を組む。「なんだ、弁当の一つや二つ。俺にかかれば、朝飯前だぜ」

「すんごいっ! まじで?」

 んん? と調達屋がチラ見した。

 両手を腰に、そっくり返って、がはがは笑う。「なんでも言えや、この俺にっ! "依頼の品がこの世に在るなら、なんであろうが調達する"ってのが、この俺様のモットーだからな!」

「えー? なんでもぉ~?」

 語尾は疑わしげな疑問符で。

「たりめえだろ。俺を誰だと思っている。シャンバール屈指の"調達屋"といや、誰あろう、俺様のことだ。いいか? こちとら プ ロ なんだよ プ ロ っ !」

「ぃよっ! さっすが () () () () 調達屋っ!」

 片手を頬に、すかさず合いの手。

 ……んん? と調達屋が動きを止めた。若干何かが引っかかるようだ。

「あっ。んじゃねえ!──はい! はい! は~いっ!」

 首をひねるその肩を、ぱしぱし叩いて注意を引き、エレーンはがぜん、張り切って挙手。

「明日のご飯のことなんだけどお~、"特製さざなみ弁当"ね! あ、もちろん《かりん亭》特製の、十食限定プレミアムボックスよん?」

 ぎょっ、と調達屋が向き直った。

「てっ、てっ、てめえっ! その店どこにあるか知ってんのか! 《かりん亭》っていや、商都(・・)にある老舗しにせじゃねえかよ! 部隊こっちが今どこにいると──」

「 な ん で も 言 え って言わなかったぁー?」

「──ぅっ──ぐぅっ!?」

 ふるふる打ち震える調達屋を、含み笑いで、ちろ、と一瞥。

「できる、わよね?」

「──できるっ──に、決まってんだろっ!!!」

 調達屋はゲンコを握り、前のめりで、ぎりぎり歯ぎしり。

 卒倒しそうな勢いで。

 手足を伸ばして寝転がっていたウォードが、我関せずであくびした。

 意地悪な調達屋をやっつけて、エレーンは清々ご満悦。

 はっ、と鋭く息を飲んだ。

 ──この、感じ。

 どくん、どくん、と鼓動が息づく。

 ぴん、と引っぱられるような、この感じ──。

 覚えがある。かすかだけれど、確かにそこにある、この感覚。

 もろくも細いこの糸を、断ち切らぬようたぐり寄せ、見失わないよう息を殺して、じっと一点に意識を凝らす。

(……これ(・・)って)

 切なさで胸が詰まった。

 そわそわ膝を立て、立ちあがる。

 あわてて戸口に駆け寄った。仕切りをつかんで払いのけ、息せき切って外に出る。

 真夏の日ざしに目がくらんだ。

 さわり、と風が腕をなでる。

 おろした前髪かみがさらさら、なびく。

「──どこ?」

 見渡すかぎりの真夏の緑。

 歯噛みして視線を走らせる。「……どこにいるのっ!」

 いや、居場所は知って(・・・)いるはずだ。

 草海のおもてを波立たせ、ざわり、と夏風が吹きぬける。

 目が、一点に吸い寄せられる。

 なだらかに続く緑のかなた、長衣の遊牧民と談笑しながら、馬を引いて歩いてくる。

 熱い固まりが喉に込みあげ、矢も盾もたまらず駆け出した。

 十分すぎるほど分かっている。

 こちらに向かっていることは。

 ここで到着を待っていたって、もう、どれほどもかからない。でも、待ちすぎるほど待ったのだ。半日近くも離れていたのだ。

 もう一刻も待ちたくない!

 はだしの足裏が、夏草を蹴る。

 腕を振って走るにつれ、ぐんぐん人影が大きくなる。のんびり歩くあの姿が。

 あの革ジャンと黒髪が。

「──ケネルっ!」

 連れとの談笑を取り止めて、ふと、黒髪が振りかえる。

 目をみはったその顔めがけ、両手を広げて地を蹴った。


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