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6話6

【閲覧注意】

このページは「食肉」に関する不穏当な表現を含みます。

そうした事柄が苦手な方には、いく分表現を和らげた頁を別途ご用意しましたので「サイトの頁」でご覧くださいませ。

尚、物語の進行に影響はございません

 四つんばいで氷結し、エレーンは顔をゆがめて振り向いた。

「……み?」

 みどり、いろ?

 もそもそ床に尻を落として、我が身をきょろきょろ点検する。

 緑色とは一体何ぞや? 服のことか? いや、緑のものなど何もない。寝巻きは白だし、裸足はだしだし、リボンなんかもつけていないし。手荷物にも緑はない。革靴が緑のわけはない。だったら、どこから「緑」が出てきた? もしや、これって、

 下手な冗談?

「──そ、それで、その~」

 "緑"については聞かなかった振りで、エレーンはぎこちなく笑みを作った。「えっと、今日はどんなご用?」

 まさか「緑だ」って言いにきたのか?

 あー……、とウォードは天井を見、考えこむように口をつぐんだ。

 気怠そうに目を戻す。

「なんだっけー」

「あたしに訊くう?」

 しばし、二人して無言で停止。

 あー、そーか、とつぶやいて、ウォードは胸の隠しを探る。

 長い指でつまみ出したそれを、「これー」とこちらに突き出した。

「……あたしに?」

 ぽかん、とエレーンは向かいを見た。

 おそるおそる受けとったのは、黄色い草花、タンポポだ。体調を崩して寝込んだ所へ、花を持って訪れた──

 と、いうことは?

 あぜん、とウォードの顔を見た。「もしかして、お見舞い? このお花!」

「あのこに持ってってやんな」

「えっ?」

「って、バパがねー」

「……え゛?」

 顔をゆがめて固まった。

 なぜだろう。会話というのに、一々予測がつかないのは。

 まあ、それはそれとして「バパ」というこの名前、どこかで聞いたことがある。

「あー。あの、赤いピアスの」

 はた、と膝を打って、ウォードを見た。「何気にかっこいい首長のおじさん? それで、わざわざ来てくれたの?」

「暇だったしねー」

「そーゆーこと言う?」

 ふと、その存在を思い出し、壁の隅っこでもそもそ動く、茶色い毛皮を振り向いた。

「あ、じゃあ、もしかしてあのウサギ()も?」

 さぞや退屈しているだろうと、遊び相手まで連れてきたのか?──なんという細やかな気遣い。あのケネルやケネルやケネルには、真似のできない芸当だ。うるうる感涙で友を見る。「あ、ありが──」

「おいでー」とウォードがウサギを呼んだ。

 壁の匂いをかぎ回っていたウサギが、ぴくり、とたちどころに動きを止める。

 振り返ってウォードを認め、二歩動いて立ち止まり、足早に彼に近づいた。──て、ウサギの奴、実に素直だ。さっき抱こうとした時は、あんなに嫌がって跳ねまわったくせに。あ、さてはあれって

 女の子?

 柔らかそうな茶色い毛皮を、ウォードは難なく、片手で膝に抱きあげる。「どうするー? オレ、やってもいいけどー」

「……え?」

「あんた、どうせ、できないでしょー?」

 ウサギを抱いて向き直った。

「ここでさばくー? あー、下が汚れるかー」

 ぽかん、とエレーンは口をあけた。彼はなんの話をしている?

 長い耳を片手でつかまれ、ウサギはバタバタ、足を蹴り出し、暴れている。ふわふわ柔らかな毛皮の腹を、長い指でウォードがさした。

「焼く? 煮る? 炒めるー?」

「──た、食べる気!?」

 ぎょっとエレーンは後ずさった。

「だって肉でしょ」

「そ、それは、そうかもしんないけどもっ! けど、刃物で切ったら痛いでしょっ?」

「痛くないよう早く済ませる。だから、兎も大丈夫」

「……」

 大丈夫って言うのか、それ。

「で、でも、まだ生きてるし。なのに切るとか、そんなひどいこと──」

「きのう、弁当食わなかったー?」

「──え──なに? お弁当?」

 話の急変に面食らい、エレーンは目を白黒する。

「あったでしょー? あれにも鶏肉とりが」

「──そ、そうだけど──でも、あっちは鶏で、その子はウサギで」

「鶏はいいけど、兎はダメなのー?」

「それ、は──」

 鋭い指摘に、とっさにつまる。

「だ、だけど、そんな、生きてんのに──殺して食べるだなんて、そんなのちょっと──」

 頭をなでていたウサギから、ウォードがゆっくり目をあげた。

「だったら、あんたは、死骸を(・・・)食わずに生きていけるー?」

 ぎくり、と頬が強ばった。

 ざわり、ざわり、と嫌な感じに胸が騒ぐ。黒々とした(もや)が立ちこめ、落ち着かない気分で目をそらす。

 不意打ちで、意識させられた。

 都合の悪い現実を。本当は皆が知りながら、目をそむけてきた真実を。そう、そうだった。誰もが日々口にしているモノ(・・)は──

 たじろぎ、ウォードを盗み見た。

(……こ、この人って)

 頭の回転が鈍いのかと、正直、あなどってもいたけれど──。

 ぼう、としているかと思いきや、だしぬけに意表をついてくる。

 いつも気だるそうで眠たげな顔。どうでも良さげな間延びした物言い。感情の起伏に乏しい目。どんなに愛らしいものを見ても、どんなに綺麗なものを見ても、どんなに嫌なものを見ても、一切変わらないのだろう平坦な瞳。それでも誰より、事の核心を捉えている。

 人々があえて隔離してきた禁忌に属する不文律ことがらを、彼は容易くならしてしまう。そう、彼の言う通り、美麗な衣服で着飾っても、優れた作法を身につけても、どんな言い訳で繕っても、人は未だ、数ある捕食獣の一にすぎない──。

「──あの、やめにしない? そういうの」

 落ち着かない気分をもてあまし、エレーンはせかせか話を変えた。

「おなか別にすいてないし、この子とだって遊びたいし」

 鼻を動かすウサギの頭を、ウォードはゆっくりなでている。

「ね、そういうのはやめにしよ?」

 気のない素振りにたまりかね、エレーンはやきもき顔を覗く。「放してあげて? ノッポくん!」

「だれー?」

 はっ、として口を押さえた。

 それは、背の高い彼に付けた、こっそり呼んでいたあだ名だった。背高ノッポの「ノッポくん」

「ご、ごめんなさいっ! あたし、つい──!」

 エレーンはおろおろ、とっさに謝る。彼を軽んじたわけではないが、向こうにすれば、こっちはろくに知らない女。気分を害したに違いない。

 彼はいつも軽装で、緊張感のかけらもなくて、ケネル達のように物々しくないから、つい忘れてしまいそうになるが、彼も歴とした傭兵なのだ。腕力こそが至上と謳う男社会特有の矜持だってあるだろう。そう、蓬髪の首長が謝罪にきた晩も、急に激昂したではないか。大人げないほど些細な理由で。

 突如彼に引っぱりこまれたあの光景を思い出し、エレーンは背筋を凍らせる。

 不意をつかれたあの時は、猛獣につかみかかられたかのようだった。女子供に関係なく容赦なく向かってくる感じで。まして、ケネルのあの警告。もしも、また怒らせたりすれば──しかも、今日はケネルがいない。彼を止められる人が誰ひとり──。

 膝に置いたウサギの背を、ウォードはゆっくりなでている。感情のうかがえない、抑揚のない目を向けて。

 節くれ立った長い指が、ウサギの毛並みをゆっくりなでる。

 くり返し、くり返し。ゆっくりと、くり返し──。

「行きなー」

 あっさり、ウォードが手を放した。

 ぴょんぴょん飛び出した茶色いウサギには見向きもせずに、背を倒して、後ろ手をつく。

「あ、あの……?」

「いいよー」

 拍子抜けして、見返した。「──え」

「あんたはそう呼びたいんでしょ」

「……う、うん。ありがと」

 エレーンは呆けてへたりこむ。

 向かってくる様子は、ない。

「あ、あの、それでノッポくん。ウサギのことなんだけど──」

「あんたがいいなら、それでいいよー。あんたに食わせるために()ったんだし」

 すっかり興味が失せた様子で、ウサギにはもう目もくれない。

 ごろりと再び寝そべって、ひょろ長い足をウォードは組む。

 抑揚なく天井をながめ、裸足の爪先をぶらつかせた。「けど、あの人は、すぐ死ぬよー?」

「──え?」

 ぎょっ、とまたも固まった。今度はなんだ! 何事だ!? てか

「だ、誰のこと?」

「"おでこのお母さん"」

「……はい?」

 からかってるのか?

「アドから、あんた、かばってたでしょー?」

 かばった? 蓬髪の首長から?

「──ああ。それってサビーネの」

 あの晩の、領邸を襲撃した一件らしい。

「でも、なんで、そんな"死ぬ"とか」

「残り時間がもうないしー。本体がもういないから、何をしても変わらない」

 まるで訳がわからないながらも、黒々としたものが広がる。エレーンはどぎまぎ目をそらす。「な、なんでわかるのよ、そんなこと」

「わからないけどー」

「……え゛」

 やっぱり、この人、からかってる?

 そこはかとない敗北感に、どんよりとまみれる。気を張ってたのに、なんという気楽な返事。脱力しながら目を戻す。

 ぎくり、とエレーンは居すくんだ。

 尻もちをついて、へたりこみ、あわあわ壁まで後ずさる。

 気配を敏感に察したか、がりがり絨毯じゅうたんを引っかいていたウサギも、あわてふためいて飛んできた。膝に飛び込み、もぐりこむ。

(や、や、やっぱり、この人、)

 相手を凝視し、ごくりとエレーンはつばを飲む。

 あだ名つけたの怒ってたのかー!?

 でも、あだ名くらいで大人げない──いや。彼はそもそも、

 ──大人げなかったー!

 腹部に潜りこんだ柔らかな毛皮が、ぶるぶる小刻みに震えていた。

 その薄い皮膚の下、早鐘の鼓動を刻んでいる。

 天窓からの真昼の日ざしが、すっくと立ちあがった、彼の高い背を照らしていた。白いシャツの腕の先、その手が握っているものは──

『 あいつが何を考えているのか、俺たちでも分からないことがある 』

 己の鼓動が圧する脳裏を、ケネルのあの警告がよぎる。

『 ウォードには近寄るな。うかつに近寄れば── 』

 "潰されるぞ"

 震える毛皮を抱きしめて、エレーンはかたく目をつぶる。

 凪いだような昼の日ざしが、鈍くきらめきを弾いていた。

 ウォードが握った切っ先の。

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