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6話4

 転げた地面で片膝をつき、ファレスは人影を振り仰ぐ。

 日ざしの逆光に立った人影、左の耳で赤いきらめき──。

「──あんた、か」

 拍子抜けして、詰めた息を吐き出した。

「なんだ、残念」

 壮年の男は小首をかしげて、にやりと笑う。

「もう少しで後ろがとれたのにな」

 日焼けした精悍なあご

 こざっぱり整えた短い髪。四十絡みの年恰好──。とっさに刀柄つかにかけた手を、ファレスは舌打ちまじりで引きあげる。「なんの用だ」

「ご挨拶だな」

 男はやれやれと腕を組んだ。「その"人嫌い" いい加減に直せよ。初心うぶな乙女でもあるまいに」

 一隊を率いる首長の一人、バパ。つくづくというように顔を見た。「お前さんは本当に、きれいな顔をしてるよな」

 すばやくファレスは飛びのいた。

 ぎろり、と鋭くねめつける。

「……。襲わねえって」

 バパは降参したように手をあげた。「まったく、相変わらずだな、お前さんは。そんなにピリピリ反応するから、ますます騒がれるんじゃねえのかよ」

「知ったことか」

「色めき立ってるぜ、取り巻きが。お近づきになる(・・・・・・・)チャンスだってよ」

 目線でいぶかしげに促すファレスに、バパは大仰に眉をあげる。

「"副長は今、弱っている"」

「──ばかばかしい」

 ファレスは辟易と吐き捨てた。「どこのどいつだ。そんなデマを流すのは──」

「具合はどうだい? 腹痛た(・・・)の」

「──。なんで、あんたが知ってんだ」

「押し倒されねえよう気をつけろよ?」

 苦々しく顔をしかめて、ファレスは木幹にもたれかかる。「さっさと言えよ。用件を」

「暇だろ。ちょっと付き合えよ」

 持ちあげたのは酒瓶とグラス。

「見りゃ、わかるだろ、仕事中だ」

「おいおい。身内の縄張りだぜ?」

 バパは呆れた口振りで見まわした。「なにも四六時中、見てなくってもよ」

 ちら、と思わせぶりに一瞥をくれる。

「そんなにあの子が心配か?」

 とっさに詰まり、ファレスはげんなり嘆息した。

「あんたは色恋の(そういう)話が本当に好きだな。そんなんじゃねえよ。知ってるだろうが、あれがどういう(・・・・)連中なのか。女と見れば、どれだけ浅ましく群がるか」

 懐から出した煙草をくわえ、顔をしかめて点火した。

「戦後の焼かれた街中には、輪姦まわされた女が転がっている。逃げる女をとっ捕まえちゃ、そこら中でばか騒ぎだ。しょっちゅう見てんだろうが、あんただってよ」

 そうした暴行や強姦は、戦後の町の日常だ。そこでは女は戦利品、そこそこ貴重な略奪品と同程度の価値しかない。ひいては傭兵稼業の日常だ。

 ファレスは苦々しく紫煙を吐いた。「今更つべこべ言う気はねえが、あれを野放しにするのは不都合だ」

「ほう」

 バパは驚いたように眉をあげる。「自分は例外だ、とでも言いたげだな」

「──あれと一緒にすんじゃねえ」

 ファレスは疎ましげに舌打ちする。

「行程中は酒色厳禁。近頃は気張るようないくさもない。それで体を持て余しゃ、目をつけるのは、あの客で決まりだ。まして、あの悪目立ちだ。連中も余計に面白がって──て、おい。なに開けてんだ」

「いや、じっくり聞こうと思ってさ」

「付き合わねえと言ったろうが。そもそも飲酒さけはご法度だろう。首長あんたが破って、どうすんだ」

「取り止めだろ、行程は」

 バパは向かいに腰をおろして、手酌でグラスに酒を注ぐ。「待機すなわち貴重な休日。精々骨休めしなくっちゃな」

 ファレスは憮然と、原野の果てを顎でさす。「暇つぶしなら、よそへ行けよ」

「追い払わなくてもいいだろう? そう邪険にしなさんなって。たまにはいいだろ、世間話も」

「言ったろうが。見張り中だ」

「なあ、気になっていたんだが」

 酒瓶の口を引きあげて、バパは顎でゲルをさす。

「見張りってんならお前さん、なんで、今ごろ 外 に いるんだ? 警護の時には、対象に張りついている(・・・・・・・)のが鉄則だろう」

 ぐっとファレスは返事に詰まった。

 眉をあげて揶揄する顔から、もそもそ決まり悪げに目をそらす。「──見回りがてら、ちょっと息抜きしていただけだろ。しょうもねえがいるからよ」

「うっかり押し倒しちまっちゃ(・・・・・・・・・)、コトだもんなあ?」

 殊更に声高にさえぎって、バパはゲルを振り向いた。

「しかも相手は、クレスト領家からの"預かりもの" カレリアの公爵夫人とくる。とはいえ、狭い一室に引きこもって朝から晩まで引っ付いていたんじゃ、理性を保つにも限度があるよな。さぞや、お前さんも悶々と──」

「何が言いたい!」

「まずくねえか? ケネルにれたら」

 しれっと、バパが横目で見た。

 ぐぐぐっ、とファレスは拳を握った。痛いところを突かれてしまい、せめて、ぎりぎり、歯ぎしりでバパを睨みつける。

「──勝手にしろ!」

「そうこなくっちゃな」

 してやったり、とバパは笑い、琥珀のグラスをもちあげた。


 さわさわ、風に梢がなびいた。

 果てない緑の草海が波打つ。木陰の柔らかな下草に、ごろりとバパは横になる。

 頭の下で手を組んで、ゆっくり空往く白い雲をながめやった。

「なんで動かねえんだろうな、ラトキエは」

 進軍の報が届いてから、すでに数日が経過していた。だが、未だに続報はない。つまり、ラトキエは膠着状態、トラビアへの第二陣は待機中ということになる。

「この期に及んで何をもたついているんだか。戦備の調達に手間どっているのか。それとも厭戦気分が蔓延して、身動きとれなくなったかな」

 大木にもたれてそれを聞き、ファレスは空に紫煙を吐いた。

 しばし無言で思案して、ほんのわずか目をすがめる。「──何か、起きてやがるな、ラトキエの内部で」

「まあ、いずれ動きはあるだろうがな。やられっ放しで引き下がりゃ、領民だって収まらない。領家の沽券にもかかわるし──いや、むしろ乗り気かラトキエは。ディールを叩くなら、又とない好機だ。なにせ大儀があるからな」

覇権なわばり争いに、大儀はねえよ」

 ファレスはぶっきらぼうに一蹴した。

「どれほど御託を並べようが、戦はしょせん、上の奴らが儲ける(・・・・・・・・)仕組みだ。儲けがなけりゃ、あんな手間をかける暇人はいねえ。まして、元手は他人の命だ」

「自分の懐が痛まないなら、嘘八百ならべてでも強行する、か」

「駆り出される領民ほうは、いい迷惑だぜ。蓄財の糧になれってんだからよ」

「それは重々承知でも、領民には打つ手がないな。金持ちに生まれなかったのが運のツキと、我が身の不幸を呪うしかないな」

 世の中ってのは、つくづく不公平にできてるねえ、と紫煙にぼやきを紛らせる。ふと、腕を立てて振りかえり、バパは眉を曇らせた。

「……無理(・・)だろうな、あの子の亭主は」

 青く広がる夏空の下、椀を伏せたような白壁が、のどかな日ざしを浴びていた。

 あの丸い屋根の下、部隊で預かるあの客が、今も休んでいるはずだ。領家の正妻、エレーン=クレスト。

「──たく。苦労知らずの御曹司ボンボンが」

 ファレスはもどかしげに舌打ちした。「分もわきまえねえで粋がるから、こんな目にあうんだ」

「それはそうと」

 よっ、とバパは身じろいで、横臥した頭を片手で支える。「今日はお前も休みなんじゃねえのかよ」

「──だからなんだ。悪いかよ」

「まさか。仕事熱心を咎めはしないさ。でもよ、契約が切れた途端、顧客を戦地に置き去りにした薄情者は誰だっけな」

 ちら、とあてつけがましく視線をくれた。

精が出る(・・・・)ねえ」

 ファレスは憮然と渋面を作る。「なに言ってやがる。誰のせいだ」

「なんだよ、俺のせいか?」

 心外そうにバパは見返す。「一体、俺が何をしたと?」

不届き者(ハエ)は主に、あんたの手下とこだぜ」

「ああ、それな」

 困ったもんだと顔をしかめて、短髪のこめかみを指で掻いた。「こっちも結構な手間なんだよな、いちいち木から下ろしてやるのは。できれば、やめてくんねえかなあ──」

「 あ ん た が しっかり監督しろよ! 手下が野営地ヤサを抜け出して、こっちに夜這いに来ねえようにっ!」

俺の隊(うち)では、隊員の行動については、各自の自主性に任せている。休憩中に何をしようが、そもそも自由だ。そうだろう?」

「放任するにも限度があるだろ」

「他人の素行まで面倒みきれん」

「面倒みろよ! あんた奴らの頭だろうが!」

「だってよ、言ってきくような連中かよ~?」

「きかせろよっ! ちったァ努力してから、そう言えよ! あんた、腐ってもかしらだろうが!」

「いや~。無理だって無理無理」

 バパはひらひら片手を振りやる。「どうせ、聞く耳もちゃしねえよ。大体あの子は、うちの娘でもねえんだし」

「たりめえだろっ! つか基準そこかよ!」

「俺に言われたって迷惑だ」

「 はた の 迷 惑 も 考 え ろ よ っ ! 」

 のらくらかわす飄々とした顔に、ファレスはわなわな拳をにぎる。

「──いやしねえって。あれに手を出す馬鹿なんぞ」

 たまりかねたように顔をしかめて、バパはやれやれと嘆息した。「相手は領家の正妻じゃねえかよ」

「とことん食えねえオヤジだな」

 じろり、とファレスはねめつけた。

「しらばっくれんな。とうに気づいてんだろ、あんただって」

 ちら、とバパは一瞥をくれた。

 だが、何を言うでもない。

「あんたの言う肩書きが、いつまで通用すると思っている。領主がくたばりゃ、あれは用済み、実権も領主の兄の方に移る。後ろ盾も跡取りもなけりゃ、弾き出されるのは時間の問題。つまり──」

「つまり、どう扱おうが(・・・・・・)苦情はこない(・・・・・・)どこからも(・・・・・)、か」

 晴れわたった空に向け、バパはぽっかり紫煙を吐く。「むしろ "領家の奥方"って付加価値つきだな。めったなことじゃお目にかかれねえレアもの(・・・・)だ」

「それに気づかねえほど間抜けぞろいかよ、部下どもは」

 バパは顔をしかめて足を組む。「──やれやれ、まったく面倒くせえな」

「あんな無防備な女一人、引っ張りこむのは簡単だ。数人で囲めば、一溜まりもない。てめえよりもでかい相手に、手足を押さえつけられる。てめえを貶めようとする相手から、下衆な思惑を突きつけられる。それがどれほど耐えがたい苦痛か、どれほど長く引きずる恐怖か、それをあんたは知らねえから、のうのうとほざいていられんだよ」

 ほう、とバパが目をみはった。

「発言の重みが、さすがに違うな。しょっちゅうケツを狙われてる奴は」

「──まじめに聞けよ! クソじじい!」

「だからって、ミノ虫(・・・)はやりすぎだろ?」

 バパは大儀そうに酒瓶を取りあげ、手酌でグラスに酒を注ぐ。「ちょっと見物に行ったくらいで、ぐるぐる巻きにして吊りやがって。第一ここは開戦国だぜ。兵隊つぶしちゃ、いざって時に困るだろう。俺は断固抗議する」

「手足は折ってねえし、口もきける。呼ぼうと思えば、助けも呼べる」

 ファレスは柳眉をしかめて紫煙を吐いた。

「この俺の目の前で、勝手な真似はさせねえよ。野放しじゃ、示しがつかねえだろ。──あんたも精々気をつけるこったな。てめえがミノ虫(・・・)にならねえように」

生憎(あいにく)、ガキは趣味じゃない」

「ガキじゃねえだろ、一応は」

「まだ足りてねえだろ色々と。肉付きだとか、色気だとかよ。女に一番肝心な──おい、なんだよ。怒ったのか?」

 呼びかけられて、ファレスはまたたく。

 手の煙草を落として踏み付け、憮然とバパから目をそらした。「別に」

 青草に寝転がったまま、バパはあっけにとられたように目をみはった。

「……ふーん。お前さんがね」

 新たな煙草を口にくわえて、ファレスは鬱陶しげに目をそらす。「──なんだよ」

「いや、珍しいこともあるもんだな、と思ってよ」

「何をぶつくさ言っていやがる。──おい、おっさん。そろそろ、そこらでやめとけよ。昼日中から飲んだくれたら、あの口やかましい()にどやされるぞ」

 足を組んだ爪先を揺らして、ぐい、とバパはグラスをあおった。「ザイなら、いねえよ。任務中」

「"任務"って、なんだよ」

「内緒。どうせ怒り出すに決まってるからな。まったく、よくも言ったもんだぜ。"この手(・・・)のことに理屈は要らない"」

「──なんだか知らねえが、ていよく"追っ払った"って話かよ。今日はどうも、のびのび寛いでいると思ったら。そんなに部下が 怖 い かよ」

 ぶらぶら揺らした足を止め、バパが心外そうに見返した。

「人聞きが悪いな。奴は俺の秘蔵子だぞ」

「奴も同じように思っていればいいがな」

「ちゃんと手は打ってあるさ。俺には愛弟子もいるんだよな」

「なんだ、()かよ、あのハゲは」

「──たく。つくづく、お前って奴は」

 バパは辟易としたように顔をしかめた。「お前は本当に人聞きが悪いな。弟子だと言ったろ一応は(・・・)

「どうせ、首根っこ押さえてんだろ?」

 先の「ザイ」に話を戻して、ちら、とファレスは一瞥をくれた。

 バパは不敵に笑って片目をつぶる。

「腐ってもかしらでね」

 ちなみに話題のその「ザイ」は、単身、敵陣に潜入し、なに食わぬ顔で戻るような男だ。敵のアジトを壊滅して。

「それはそうと」と仕切り直して、ファレスは野営地の方角に視線を投げた。

自分の部隊(ヤサ)ほったらかしで、いいのかよ」

 バパは投げやりに肩をすくめる。「ところが俺には、気のいい腹心もいるんだよな~」

「コルザか──あのおっさんなら仕切れるかもな。曲者ぞろいのあんたの部隊シマも」

「あの信望は相当なもんだぜ。まったく、うちは逸材ぞろいだ。──さあて、それじゃ退散するかな。痺れを切らした副長に、つまみ出されるその前に」

 残りを飲み干して腰をあげ、首をまわして伸びをした。「一人じゃ見張りも退屈だろ。誰かこっちに寄越そうか」

「ほっとけよ」

「暇つぶしの相手にはなるぞ?──ああ。奴ならいいだろ、セレスタン」

 ファレスは顔をしかめて舌打ちする。「なんで俺が、セレスタン(ハゲ)とつるまにゃなんねえんだ」

 バパは口をつぐんで夏雲をながめ、おもむろに振り向き、見おろした。

「ファレス。一人は楽しいか?」

 虚をつかれてファレスは詰まり、眉をしかめて目をそらした。

「──別に」



「……もー。ケネルのばかあ」

 置いてけぼりのゲルの中、エレーンはぶちぶち、やさぐれていた。

「あたし一人で、どうやって時間つぶせっていうのよ~。女男も消えるしさあ」

 ファレスはじろりと室内を覗くと、「外にいる」と言い置いて、さっさとゲルから出て行った。話し相手になるどころか、付き添う気すらないらしい。

「壁のひし形数えるのも、もう、いいかげん飽きたわよお~」

 床に突っ伏し、だんだん両手で絨毯を叩く。

 ふくれっつらで絨毯をむしって、ふと、戸口を振りかえる。

 ぎょっ、と顔がひきつった。「──あ、トマトの!」

「なにー?」

 窮屈そうに頭をかがめて、男は構わず戸口をくぐる。

「なにー。トマトって」

 ひょろりと高い背、長い手足。素足につっかけた街履きの布靴。

「あっ──あっ──う、ううん別にっ!」

 わたわた、エレーンは両手を振る。視線は戸口に釘づけだ。ふんわりとした薄茶の髪。うすらぼんやりと虚ろな眼差し。きれいな頬と、きれいなくるぶしの長い足指。皆が呼んでいた彼の名は──

(ど、ど、どうしよう……)

 ごくり、とエレーンは唾を飲んだ。彼には決して近寄らぬよう、ケネルから念を押されている。

 その当人、ウォードが、そこにいた。

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