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5話4

「ほ、ほ~らね? ちょおっと痛くなくなってきた~、みたいな?」

 エレーンは引きつり笑顔で覗きこみ、せっせとファレスの腹をさすった。

 三白眼の仏頂面には、本音が正直に書いてある。(たった 十 秒 ぽっちでかよ)

 少しでも場を和ませようと、えへへ、とエレーンは笑みを作る。

「こうやってさするとね~、嘘みたいに痛みが消えるのぉ~。だからほらあ、治療すること "手当て"って言うでしょ~?」

「──適当なことをほざいてんじゃねえよ」

 わずらわしげに顔をしかめて、ファレスはうめいて軽く身じろぐ。

 だが、文句は言いつつ引きあげるつもりはないようで、大人しく寝床に横たわっている。普段と違って、いやに素直だ。いっそ気味が悪いほど。

 エレーンは密かに首をひねった。

(どーなってんの? あたしがお腹に触った途端……)

 ファレスの態度が急変した。

 迷子になっただけで叱りつけ、仲間を脅して金品まきあげ、隣のシートにいただけで即座に連れ戻して突き飛ばした、あの獰猛な男がだ。しつこくしたから諦めたのか?

 カンテラの炎がゆらめいた。

 夜風にばたばた布壁が騒ぎ、暗がりの壁で影絵が踊る。

 土間で爆ぜる炎の赤が、軽くしかめた整った顔を照らしていた。左の肩を上にした、硬く平らな横臥の腹を、エレーンはせっせと手の平でさする。

 土間の向こうで背を向けたケネルは、今度は本当に眠ったようで、身じろぎ一つしなかった。ファレスも目を閉じ、口をきかない。土間で、炎の爆ぜる音──。

 意識が静けさに溶けていく。摩擦でほんのり、手の平が熱を帯びてくる。しなやかな髪を敷布に広げ、ファレスは目を閉じ、横たわっている。

 未だわだかまる夢の余韻が、夜の静寂に混じりこみ、溜息の中に滑り出た。「……ねえ。あんたもやっぱり、平気だったりする?」

「なにが」

 ぎくり、とエレーンは硬直した。

(お、お、起きてた……!?)

 応えがあるとはよもや思わず、予期せぬ返事に、わたわたたじろぐ。ずっと目を閉じていたから、てっきり寝てしまったものとばかり──。

「あの、いや。だから、その~……平気なのかなって、ちょっと思って……」

 しどもど口を開いたかたわら、ふっと懸念が脳裏をよぎった。又そっけなくあしらわれたら? 大したことでもないように。「それだけのこと」と。二人が二人に言われたら、価値観の違いを突きつけられたら、それでもいだかずにいられるだろうか。決定的な不審を、彼らに。

「人を、殺したりとか、するの」

 めぐらした思考を追い越して、口からその先が滑り出ていた。

 横たわった肩越しに、ファレスは無言で一瞥をくれる。

「それを()いて、どうするつもりだ」

 ……え? とエレーンは面食らった。「──ど、どうって」

「なら、訊き方を変えてやる」

 ファレスが大儀そうに身を起こし、あぐらをかいて目を据えた。

「俺が平気だと答えても、まだ、そばにいられるか」

 エレーンは虚をつかれて言葉をのんだ。

 一拍遅れて、まざまざと悟る。そうか。そういうことなのだ。

 この彼らを頼った時点で、問いの答えは自ずと出ている。

 こうして誰かに寄り添えるのは、決して自分を殺めない、その前提があったればこそだ。平気で人を殺める輩に、人は決して寄り添いはしない。

 布壁がばたばた、音を立てた。

 原野をさらう夜風の音。炉火が絶え間なくぜる音。他に物音は聞こえない。

 気まずい沈黙が立ちこめる中、火影(ほかげ)が壁で怪しく踊る。

 横たわった横顔を、土間の炎が照らしていた。その炎を見やったまま、ファレスは背中を向け、口をきかない。

 エレーンは自分の不注意に辟易とする。

 他意なく漏らしたあやふやな懐疑は、隠しもった拒絶と疑心を露呈したも同然だった。つまり、彼らにしてみれば、不審を突きつけられたにも等しいことで──。

 彼らの世話になる以外、現状、別の選択肢はない。ならば、危うい感情は、もっと厳重に封じ込め、慎重に管理すべきだったのだ。うっかりするにも、ほどがある。

 ためらい、エレーンは顔を覗いた。「──ごめんね、怒った?」

「別に」

 ぶっきらぼうに、ファレスは応えた。たぶん、彼は知っていた。そう思う。

「あの、あたしを捜してたって、昼間ケネルにそう言われて──もしかして、心配した?」

 ファレスが柳眉をひそめて身じろいだ。

「断りもなく、いなくなるな。あんたを捜す手間が増える」

「……まだ、痛い? お腹」

「初めて殺したのは、八歳やっつの時だ」

 はっ、とエレーンは息を詰めた。

 横たわった端整な顔を、炎の揺らぎが照らしている。ずっと口をつぐんでいたのは、律儀に考えていたらしい。問いに対する応え方を。

 意外な一面を垣間みて、エレーンはどぎまぎ呟いた。「な、なんで、そんな小さい子が──」

 それにしても、八歳やっつというのは思いがけない。どこか投げやりな口調で、ファレスは続けた。

「女の代わりにされそうになってよ」

 え? とエレーンは面食らった。

「その頃、俺は、どさ回りの一座にいた」

 大儀そうに眉をひそめて、ファレスは軽く身じろいだ。

 

 その日も一座は興行を終えて、林道の隅に天幕を張り、大人たちは賭け事に興じていた。

 俺は別の天幕で、一人で何か考え事をしていた。昼にやり合った連中に、どんな仕返しをしてやろうか、そんなようなことだ。

 月の明るい静かな夜で、俺のいる天幕には、誰もこないはずだった。一座にガキは少ないし、大人は皆よそで集まっていたからな。

 だが、草を踏みしだく音がして、男がひとり入ってきた。初めは忘れ物でも取りに来たのかと思ったが、そうでないことは、すぐにわかった。

 そいつは、まっすぐ近づいてきた。むろん抵抗はしたんだが、八歳やっつのガキに、できる事など知れている。

 恐くて声も出なかった。もっとも助けを呼ぼうにも、どのみち宛てはなかったが。その頃には母親も死んでいたから、自力でどうにかするしかなかった。無我夢中で抗って、気づいた時には刺していた。

 ぐったりと動かない、そいつの重たい体を退けて、俺は天幕を飛び出した。

 闇に紛れて林を走り、夜の荒野を駆け抜けて、走って、走って、走ってよ。

 気づいた時には、夜の森をさまよっていた。(つる)で切って足は痛いわ、腹は減るわで泣きたくなった。とはいえ、一座には戻れない。

 戻るに戻れず、どこへも行けずで、真っ暗な森で途方に暮れた。だが、朝になっても、行くあてなんか、なくってよ。そうして何日か経った頃、ついに疲れて動けなくなって、大木の根に座りこんだ。獣の餌になることを覚悟して。

 だが、一眠りして目覚めると、俺はまだ生きていた。

 俺を保護したのは遊牧民で、事情も訊かずにかくまってくれた。

 そのまま俺は夏を越し、家畜の放牧の南下に合わせて、国境の森から隣国へ逃れた。一座と鉢合わせしないように。そして、いつしか、この稼業に紛れこんだ。

 

「──逃げて、逃げて、逃げて、よ」

 遠く思いを馳せるように、ファレスは吐息で呟いた。

 火影の踊る暗がりに、しばらく無言で目を凝らし、言葉の先をおもむろに続けた。

「俺は、あれで居場所を失くした。他人を手にかけるってのは、そういうことだ」

 

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