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5話3

 ほの暗い灯火の中、軽くかがんで靴を脱ぎ、ずかずか人影があがりこむ。

 肩をすべるしなやかな髪。眼光鋭い、整った顔立ち。

「……な、なんだ、女男か」

 とっさに身構えていたエレーンは、脱力してへたり込んだ。「あのねー、来たなら来たで、ノックくらいするのがマナーってもん──」

「おう、ケネル。薬くれ、薬」

「そこの中だ」

 ケネルが顎でザックをさした。

「おう」とファレスは足を向け、壁からザックを取りあげる。「りィ。手持ちが切れちまってよ」

 むう、とエレーンは顔をゆがめた。二人して無視ってか?

 ザックを探って小瓶を取り出し、ファレスはこちら側の壁にある水瓶へと歩いていく。ビンから錠剤を振り出して、柄杓ひしゃくでコップにくみ出した水で、手の平のそれを飲み下す。

「なによー。どしたの。風邪でもひいたー?」

 整った顔をファレスはしかめて、返事をするのも億劫そうだ。「いいだろ、別に。なんだってよ」

腹痛はらいただ」

「──おい、ケネル」

 ファレスはわずらわしげに顔をしかめて、ケネルを舌打ちでたしなめる。「余計なことを言うんじゃねえよ」

「お前、しばらく、ここにいるだろ」

 構わずケネルは立ちあがり、土間を越えて南側へ歩いた。自分の荷物が置いてある、いわゆる、ケネルの方にあてがった"陣地"だ。

 ケネルは手早く寝具を敷くと、ごろりと横になって背を向けた。「あとを頼む」

「──あ?」

 ファレスが抗議をこめて舌打ちしたが、まるで取り合う気配はない。

 やむなくファレスは土間へと歩き、あぐらをかいて腰を下ろした。

 言われた通り、火の番をすることにしたらしい。エレーンはふくれっ面で枕をかかえる。

「なによ、あんた、お(なか)痛いのー?」

 天敵の顔を見ていたら、トランプの件を言いつけられた昼の恨みがぶり返し、ここぞとばかりに言ってやる。「やーねー、拾い食いでもしたんじゃないのぉ~? ほーんと意地汚いんだから~」

「ほっとけよ。余計なお世話だ」

 気だるげな背中で、ファレスは応える。だが、ぶっきらぼうだが険はなく、声の調子は落ち着いている。

 どう言い返してやろうかと待ち構えていたエレーンは、思わぬ反応に拍子抜けした。なぜだろう。昼には、ささいな事にもピリピリし、全身の毛を逆立てていたのに。

 肩の力が抜けたような喧嘩相手の穏やかな変化を、片隅で奇妙に思いつつ、そっぽを向いて攻撃を続ける。

「どうせ、いたんだ物でも食べたんでしょー? それであたって、お腹をこわ──」

 はた、とそこで口をつぐんだ。

 食べ物に"あた"って?

 "あたる"というこの言葉、昼にも誰かが言わなかったか?

 誰だっけ、と首をひねり、ぎょっと思い当たって振り向いた。

「も、もしかして、あのサンドイッチじゃ……」

 顔をゆがめて絶句でつぶやき、あわあわ膝ですり寄った。

「ね、そうなの? あたしが持ってきたサンドイッチ? それで、あんた、お腹こわして?」

 ケネルと交わしたやりとりが、今になって、ありありと浮かんだ。すぐにそれと特定したあの口振りから察するに、ファレスが腹を壊すのは毎度のことではなさそうだ。むしろ、このタイミングでの腹痛というなら、原因など他にあるまい。

 その事実を裏付けるように、ファレスは応えず、舌打ちする。

「ごめんっ! 女男!」

 がばっと正座で頭を下げた。

 冷や汗たらたら、ファレスの顔を盗み見る。

 土間の炎に照らされた頬が、あぐらの肩越しに振り向いた。そして

「おう」

 ……。あんがい素直だ。

 拍子抜けして、エレーンはひるむ。昼のあの様子では、過ちを認めて下出にでれば、鬼の首でもとったかのごとく咎め立てるかと思ったのに。

 特に言葉を続けるでもなく、ファレスは土間の炎をながめている。ねちねち嫌みを言うでもない。こだわりのかけらも、横顔にはない。すべて、今の一言で片付けたらしい。

 意外にもさばさばとした一面に、エレーンはたじろいで爪を噛む。「んもう、なんで早く言わないのよ……」

 なにか気分が落ち着かない。

「どうにもならねえだろ、言ったところで」

 ファレスが面倒そうに柳眉をしかめた。「なら、なんの意味もねえ。一度腹に収めたもんが、消えてなくなる訳でなし」

「でも、だからって」

 ならば、すべてを承知の上で、今日一日、口をつぐんでいたというのか? 不調や恨み言をおくびにも出さず。原因を作った張本人が、ずっと、すぐそばにいたのに。文句を言う機会なら、いくらでもあったはずなのに──。

 とっさに顔を振りあげた。

「こっ、こっち来てっ!」

 ファレスが怪訝そうに眉をしかめた。目線だけで理由を()く。

「いいから!」

 エレーンは口を引き結び、断固そちらに指をさす。その先には、毛布の寝乱れた自分の寝床。

 あァ? とファレスは顔をしかめ、気だるそうに背をそむけた。腰をあげる気はないらしい。

 すっく、とエレーンは立ちあがり、つかつかファレスに歩み寄った。床に突いた左の腕を、両手でつかんで引っぱりあげる。「来てってば! ねえっ!」

「──なにすんだコラ」

 たまりかねた顔で一瞥し、ファレスが邪険に腕を払った。

「俺に気安く触るんじゃねえ」

 低くすごまれ、とっさにひるむ。だが、気を取り直して腕をとる。「来てってば!」

 ファレスが疑い深げに目をすがめた。魂胆を見抜こうとでもいうように。整った顔のこめかみに、うっすら汗が浮いている。まだ薬が効かないのか。

「──たく。一体なんだってんだ」

 観念したように嘆息し、渋々といったていで腰をあげた。

 横臥で背を向けたケネルをうかがい、いかにも気怠そうに足を運ぶ。片手で腹をさりげなく押さえて。

 そそくさ寝床に先回りし、エレーンは正座でスタンバイ、ぶらぶらやって来たファレスの腕を、両手でつかんで引き降ろした。

 だが、片手を引っぱられたファレスの方は、軽く肩をかがめただけだ。全体重をかけて、エレーンはふんばる。「寝てっ、ここに!」

「いい度胸じゃねえかよ、見た目によらず」

 ファレスが呆れたように目を向けた。「そこにケネルがいるってのに。これから俺とやろう(・・・)ってか」

「そっ、そっ、そんなわけないでしょ! いいから早く寝なさいよっ!」

 ぎょっと目をむいて即刻否定し、ぐいっ、とエレーンは力任せに引っぱる。

 虚をつかれ、がくり、とファレスが膝を折った。

 勢いあまって、寝具の上にもつれ込む。

 首を振り、起きあがろうとするその肩を、エレーンはあわてて押さえこんだ。「あっ、だめ! 起きないでっ! そのままそのままっ!」

「──なにすんだ。どけよコラ」

「寝てってば!」

「たく。まさか、女に襲われるとはな」

 溜息まじりにファレスは押しのけ、強引に肩を引き起こした。「まったく、ヤキが回ったもんだぜ」

「さすったげるわよ! おなか!」

 張りついた肩からずり落ちてファレスの足に座りこみつつ、エレーンは必死で顔をあげた。確かに奴は、横暴で乱暴で大嫌いだが、だが、それでも、そうかといって、それなら何をしてもいい、ということにはならない。

 立ちあがりかけた動きを止めて、ファレスが「──あァ?」と振り向いた。

 整った顔が間近に迫り、ぎくり、とエレーンは後ずさる。「ほ、ほら、あの、お詫びっていうか? あ、だって、あんた、あたしのサンドイッチでお腹壊して……だから……」

「詫びだってんなら」

 ファレスが面倒そうに柳眉をひそめた。「子守歌でも歌えや」

「こ、こもり歌……?」

 ぽかん、とエレーンは見返した。予想だにせぬ要求だ。

「──なんでもねえよ」

 忌々しげにファレスは舌打ち、大儀そうに腰をあげる。

「あ、待って待って! ちょおっと待って!」

 あたふた追いすがって引きずり戻し、エレーンはわしわし乗りかかる。──逃すか! ここで引き下がっては女がすたる!

 床にぶつけた頭を一振り、ファレスが肩を引き起こした。

「いい加減にしろ! 腹が痛てえってんだよ、わかんねえのか」

 三白眼でやぶ睨みされ、ぎくり、とエレーンは硬直する。

「うっ……あっ……で、でもね? ほら、こうやってさすると、少しは楽に~……」

 えへえへ笑ってファレスの腹に手を伸ばし、しぶとく、さわさわ無理やりさする。

 整った顔立ちの柳眉をしかめて、ファレスは無言で見据えている。どうやら腹に据えかねた様子。ぶっちゃけ

 不 穏 だ 。

「あっ……えっとぉ……もうすぐ楽に……なるはずで……」

 本気の怒気をひしひし感じて、そろそろ手を引っ込める。「ご、ごめん女男。もうしないから……あ、やだ。怒っちゃってるぅ? もしかして」

「もうちょい右」

 うむ、とファレスがうなずいた。

 四つんばいの逃げ腰で硬直し、エレーンはぱちくりまなこをまたたく。

 ごろりとファレスが寝転がった。こちらに目を向け、顎先で促す。「しっかり、さすれよ?」

「……う、うん」

 て、お願いするのも命令口調か?

 豹変した天敵に、内心たじろぎ、目を白黒。あのファレスが目の前で、大人しく寝床に横たわっている……。ふと、土間の向かいを振り向いた。

 暗がりの先に目を凝らす。不意に何かが気になったのだ。

 目がかち合ったその刹那、ぱっ、と黒髪が突っ伏した。

 掛け布をつかんで、もそもそ向こう側に寝返りを打つ。「いや寝てましたから」の態を装って。

(──ちょ!?)

 エレーンはわなわなゲンコを握った。直前までそこにあったのは、へえ、と意外そうに見物する、頬杖ついたケネルの顔。

(なにあいつぅ!)

 やっぱりタヌキ寝入りか!? あのタヌキ! 


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