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5話2

 影絵の踊るゲルの中、暖かい寝具に横たわっていた。

 枕にこめかみをすり付けて、ふさいだ気分で顔をゆがめる。重い余韻に朦朧としながら、エレーンはそっと二の腕をさすった。近頃、奇妙な夢ばかりみる。

 それは失ってしまった古い過去。どこかで聞いた昔語り。取り戻せないあの日の朝。記憶のかけらが混入し、伝え聞いた話が流れこみ、それらが混然一体となって、ゆがみ、ぐにぐにと溶け出して。

 空と海の果てのような、境のあいまいな光景は、時に陰鬱な灰色に沈み、時にひっそりと静謐をまとい、そして、時に鮮やかだ。

 晴れがましいほどの晴天の午後。

 ラトキエ領家の別棟はなれの光景。あのを失くしたあの朝の。

 冷たい風がなでていく、まだ浅い春だった。そう、あれは忘れもしない、あの娘の"旅立ち"の日の光景だ。

 あの狂おしいほどの後悔は、封じて閉じこめたはずなのに、なぜ、今になって夢に見る?──いや、心当たりはなくもない。いざなったのは、ケネルの言葉だ。眠りに落ちる直前に、あの不審がぶり返したから。

 必死で否定し続けてきた。ずっと押さえつけてきた。あれは何かの間違いだと。だってケネルは、そんな手合いにはとても見えない。

 けれど、光景を覚えている。夕日に照らされたあの顔を。耳が声を覚えている。

『 あの女とガキ、始末してやろうか 』

 だが、あれはサビーネの話だ。

 そう、一体なぜなのか。サビーネのことを考えると、決まってあのにすり代わってしまうのは。あの日失くしたあのアディーに。二人は全くの別人なのに。

 商都の娼館に囚われたアディーと、大陸北方にこもりきりのサビーネ、そんな両者に繋がりはなく、そもそも面識もないはずだ。それでも、なぜか──そう、なぜか自分の中では、自明のことのように繋がっている。

 金の枠を鈍く光らせ、カンテラの炎が揺らいでいた。

 ぼんやり開けた視界の先には、土間に座った黒髪の背中。あぐらをかいた膝の先には、鞘が無造作に置かれている。使い込まれた彼の短刀。おそらく幾度も他人を傷つけたろうその刃が。

 ケネルが、いる。

 するり、と言葉が、気づけば喉を通っていた。

「ケネルは平気? 人を殺したりするの……」

 土間で炎を見ていたその目が、ふと、肩越しに一瞥をくれた。

 はっ、とエレーンは我に返った。「ご、ごめんケネル! 変なこと()いて! 今のは忘れて──」

「そう思うか?」

 拍子抜けするほど淡々と、ケネルは背中で言葉を返した。

「──え? あ、あの……」

 しどもどエレーンは身を起こし、視線を避けて目をそらす。違う。非難しようとしたのではない。ただ否定して欲しかった。間違いであって欲しかったのだ、あの夕暮れに聞いた言葉は。

「物心ついた頃には、俺は戦地にいたからな」

 ケネルは土間へと身じろいで、かまへ焚き木を放りこむ。

「ぼさっとすればられるし、とどめを刺すのを怠れば、いつ又襲われるかわからない。だから息の根を止めておく。それだけのことだ」

 あぜん、とエレーンは言葉をなくした。

 ……それだけの(・・・・・)こと(・・)

 手が、軽くシーツを握る。

 喉が、急速に渇いていく。ならば、ケネルはやっぱり本気で──。

 あの夕暮れに聞いた言葉は。

「あんたに言っておくことがある」

 改まった口振りで言い置いて、ケネルが土間から立ちあがった。

 いぶかしげに視線を向けて、ぶらぶら、こちらにやって来る。

「昼に一部の隊員と、親しげにしていたようだが」

 あっさり話を変えられて、エレーンは面食らって顔を見た。「あ、う、うん。でも、親しげとか、それほどのことじゃ」

 咎めるような口振りに、思わずたじろいで肩を引く。馬での移動の時を除けば、たいてい別行動のこのケネルが、なぜ、そんなことまで知っているのか。

(──あっ! あいつか)

 はた、と理由に思い当たった。

(たくぅ! あんの女男~っ! ほんと、ろくなことしないんだから! まったく、あいつは毎度毎度ぉ~っ!)

 告げ口したのは、あのファレスに違いない。首長の馬に駆け寄ったあの時、木陰でケネルと話していた。きっと腹いせに言いつけたのだ、トランプしていた一件を。

「相手が首長なら構わない。だが、隊員との交流は自重しろ。特にウォードは要注意だ」

「まあ、ケネルがそう言うなら──あ、でも」

「なんだ。不服か」

「あ、ううん! そうじゃなくって──そういうことじゃなくって、あの……」

 しどもどエレーンは小首をかしげ、愛想笑いでうかがった。「ごめん。あの、誰だっけ、その人」

「──覚えてないのか?」

 ケネルが呆れたように見返した。

 溜息まじりに身をかがめ、あぐらで向かいに腰を下ろす。

「首長が詫びに来た晩に、引っぱりこまれたはずだろう、奴の頭を、あんたが叩いて。ファレスが連れてきた三人の内の一人、背の高い、若い方だ」

「……背が高くて、若い?」

 ケネルのあげた特徴を、エレーンは小首をかしげて復唱した。

 あの晩見た三人を、順繰りに思い浮かべる。土間の向かいに座っていたのは、仲良しになったあの首長、変な帽子の調達屋、そして、そう、もう一人。ずっと、ぼうっと眠たそうにしていた、一人だけ裸足(はだし)の──

 はた、とケネルに目を戻した。「あー、あの──。優しそうな顔だけど、なんていうか、ちょっと変わった──」

「ウォードには近寄るな」

 相手を特定したことを確認し、ケネルがおもむろに言い渡した。

「あいつが何を考えているのか、俺たちでも分からないことがある。今回は運よく遊びで済んだが、その気なら、首長から奪い返している」

「──。いやいや、まっさか」

 思わぬ言葉に一瞬つまり、エレーンは失笑して手を振った。「アドのが断然強いでしょ。あの人ひょろっと痩せてるし、全然力が違うって。アドとじゃ、そもそも体格が──」

「比較にならない」

 きっぱり、ケネルは斥けた。

「アドルファスも戦地では知られた猛者もさだが、それでも一人では無理だろう、あのウォードを押さえておくのは」

「──え? でも」

「いいか。肝に銘じておけ」

 問答無用でケネルは封じ、真顔で改めて目を向ける。

「ウォードには近寄るな。うかつに近寄れば、潰されるぞ」

「……は? 潰す?」

 ぽかん、とエレーンは見返した。とっさに意味が分からない。

 もしや、厚みのある人間の体を、文字通り"潰す"ということか? 卵やケーキや、真っ赤に熟れたトマトのように? いや、高々人間の腕力で、そんなことが可能だろうか。とはいえ、冗談を言っているようにも見えないし。

 ならば、やはり、トマトのように……?

 ケネルがそっけなく一瞥をくれた。

「あの時、奴が本気なら、あんたは今頃、ここには(・・・・)いない(・・・)

 ぐしゃりと潰れたトマトの赤が思い浮かんで、ぞっとエレーンは総毛立つ。

 どぎまぎしながら引きつり笑った。「……き、気をつけるわ~」

「本人に悪気はないようだが、だからこそ質が悪いとも言える」

「──あ、でも、また、急にキレたら」

「心配ない」

「だって、本気なら無理って、今ケネルが」

「俺とファレスは、奴の身柄を自由にできる」

 エレーンは怪訝に見返した。言わんとする意味が分からない。

 ケネルはそっけなく説明した。

処分(・・)できる、ということだ」

 いともあっさり告げられて、あぜんとエレーンは訊きかえす。「しょ、処分って……」

「それは、当人も了解している」

 ── そういう話か!

 思わずエレーンは乗り出して、ケネルの顔を凝視した。「さすがに、それはまずいでしょ。だってそれって、あの人の命を──」

「手に負えなければ、やむを得ない。それがウォードを引き受けた際の要件だ」

「で、でも、そんな、犬猫みたいに」

「あんたには関係ない」

「だけど!」

「これは、俺たちの問題だ」

 けんもほろろに突っぱねられて、呆気にとられて絶句した。

「……だ、だけど……そんなの……」

 ケネルの様子に変化はない。普段と変わらぬ静かな瞳。躊躇も気負いも、そこにはない。だが、彼の言っていることはつまり、配下にある他人の生死を、彼らが左右できる(・・・・・)、ということではないのか?

 視界の床の一点を、エレーンは愕然と凝視する。

『 あの時、奴が本気なら 』

 先の言葉が脳裏をよぎり、あの晩のケネルがよみがえった。こちらを捕らえたウォードを見、右肩を突き出し、腰を浮かせ──あの時、よじった体の陰になった、ケネルの利き手は(・・・・)どこにあった? 腰の短剣の上ではないのか?

 もしも、手を放さなければ、ケネルは彼を処分(・・)していた? あのさばけた短髪の首長が、絶妙のタイミングで呼びかけなければ、今頃ウォードという人は──

 ごくり、と唾を飲みこんだ。

 今更ながら、心が凍る。あの時、一歩間違えば、目の当たりにしていたかもしれないのだ。ケネルが彼を切り捨てる場面を。

 だが、彼らの決め事は極刑だ。高々一介の集団内で、そんなことが許されるのか?

 心が強く反発した。未知の秩序に混乱していた。見たこともない正義の形。それはひどく禍々(まがまが)しく、ひどくいびつで荒っぽい──。まったく思いも寄らなかったケネルの相貌かおに遭遇していた。唇の端が震え、わななく。

『 あの女とガキ、始末してやろうか 』

 どれほど無理に飲みこもうとも、押し流されない胸奥のシコリ。ぬぐい切れない一抹の不安。遠くかすかに鳴り続ける警鐘。

 暗然と身がすくむ。やはりケネルは、まるで異なる規律に従う、異なる価値観の持ち主なのか──?

 視界の端で、ケネルが動いた。

 あぐらのまま身をよじり、背後の暗がりを振り向いている。その先にあるのは、戸口の土間の靴脱ぎ場。

 内と外とを隔てる仕切りが、ばさり、と無造作に払われた。

 

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