表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/52

5話1

 熱を出して寝ていたのだ。

 あの(・・)自宅の、子供部屋で。

 そろそろ聞こえてくるはずだ。軽く床をするスリッパの音。ぱたぱた、ぱたぱた──

 少し忙しないその音は、廊下を横切り、階段をあがって

『 あらあら。なにを泣いているの? 』

 ふわり、と甘い、あの香り。

 横たわった肩の下、するり、と手が滑りこむ。

 慣れた手つきで抱きあげて、しっかり背中を包みこむ。

『 はいはい。いらっしゃい。わたしの大事なお姫さま 』

 待って待って待ちわびた白い手。

 待ちわびた母のぬくもり。

  

『 ……いつの間にか、重くなったな 』

 困ったような苦笑いで、つむぎ出された懐かしいあの声。

 いつも穏やかなその声は、一段、また一段と、ゆっくり階段をあがっていく。腕に抱いた宝物を取り落としたりせぬように。

 ごめんね。本当は起きていた。

 でも、とても眠たくて、だから気づかない振りをしたの。

 居心地のよい腕の中、宙に投げた爪先がゆらゆら。

 階段を一段のぼるたび、体がゆれて、少し恐い。でも、大丈夫。落としたりしない。

 大きなこの手は、信頼できる。がっしりと頑丈で、そのまま任せておいていい。

 大切に、大切に運んでくれる。

 守ってくれる父のぬくもり。

 

 知っていた。これは夢。

 二度と取り戻せない、遠いぬくもり──。

 

 

 

『 あんたじゃ、ここから出られない 』

 向かいの森から目を戻し《どくろ亭》の主が紫煙を吐いた。


 ここには昔、風変わりな連中が住んでいた。

 白い肌に青い髪、めったに姿を現さず、狩猟で生計を立てていた。その明らかに異種族の、独特で神秘的な風貌から、近隣の者は連中を「風の民」とも「エルフ」とも呼んだ。

 連中は実際、妖術のようなものも操ったし、森の奥まった場所への侵入路に、結界のようなものを張っていた。つまり、彼らは森に近寄ろうとする人々を、都度ことごとく追い払っていたのだ。

 それでも付近の住民は、連中と上手くやっていた。入口付近の鳥獣を狩ったり、木の実を拾う程度のことなら、連中も大目に見たからだ。街道に現れた連中には、店主は物を売ってやったし、物々交換にも応じてやった。

 青い髪の連中は、森と同化、共存し、鳥獣とも共棲していた。万事において支障はなかった。あの戦が起きるまでは。

 

 昔、あの森で戦があった。

 今では理由も定かでない、どうしようもなく下らん戦だ。それでも戦で大勢が死んだ。もう二十年も前の話だ。

 青い髪の民族は、森に押し寄せた軍隊に、森ごと焼かれて全滅した。

 だが、当時の結界は、主不在のまま残っている。だから、森に立ち入る者たちは、今でも戻ってこられない。

 

 あの森には意志がある。

 忌まわしい記憶を封じこめ、今でも人間を許していない。未だに怒りを宿している。だから、もう、あの森は、何人たりとも受け入れない。

 

 

 

 白を散らして、早咲きの桜が舞いあがる。

 雪のような花びらが、あたりを白く埋めつくす。

 涙にかすむ青い空から、それは、ゆっくり落ちてきて、

 地上で仰ぐ者たちを、ふわり、とやさしく包みこむ。

 髪に。肩に。さし伸べた手の平に。

 軽い花びらが、ひんやり、とまる。労わるように、慰めるように。

 あの()の存在そのものの軽さで。

 

 無数に舞う花片から、淡く霧が立ちのぼる。

 白く抜け出て、宙にただよい、天の高みへ還っていく。あの娘の砕け散った魂が。

 

 魂の抜け殻が、肩に、髪に、ふわり、ととまる。

 役割を終えた欠片かけらたち。白く滅びた、もろい残骸。かすかに温かい軽い灰。

 それは、とてもはかなくて

 それは、とても優しくて

 ゆっくり、ゆっくり、降り積もる。

 終わることなく、尽きることなく、後から、後から、落ちてきて──

 

 葬送の鐘が、鳴り響いた。

 ふと、振り向いた肩先を、一陣の風が吹き抜ける。

 舞いあがった白い花片が、天の果てから落ちてきて

 


病床の隣に置かれた椅子、治る見込みのない病、子供のように細い手足、盆の上の水さしとグラス、見つめるまなざし、あいたままの空の薬包、大量の汗と激しい痙攣

 


 がらん、ごろん、と鐘が鳴る。

 彼女の死を悼むように。世界の喪失を嘆くように

 


叩きつける寒い風、舞い散る桜吹雪、離れから追い立てる若き主、泣けないエルノア、姿を消したラルッカ、顔をしかめて佇むダドリー、黒服の葬列、夕暮れの鎮魂の丘、あたりに立ちこめる死の匂い

 

 

 がらん、ごろん、と鐘が鳴る。狂おしいほどの警鐘が。

 無数の淡い抜け殻が、渦を巻いて舞い狂う。

 後から、後から、蒼い天から降り落ちて──

 


夏休み、蝉の声、雨の日の田舎道、煙草の先で崩れた灰、ほの暗い昼の宿、昼日に沈むカウンター、日ざしに暖まった店の裏口、ひっくり返った片方だけのサンダル


 落ちて

 

 

 

 落ちて

 

 

 

 

 

 墜ちて、いくよ……

 

 

 

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ