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4話8

 とくとく胸が、鼓動を刻んだ。あわただしく。苦しいほどに。

 意識が遠のきそうなほど、呼吸が浅く、速くなる。ケネルが心配してくれている──? 

 すっ、と手の平が額を離れた。

「探しにきたぞ」

「……え。なにが」

 夢見心地で、訊きかえす。

 呆れたように、ケネルは見やった。「だからファレスの話だろう。あんたの世話係の」

「……世話、係?」

 あぜん、とエレーンは絶句した。「──て、あの女男があ!? あたしの、ってこと!?」

「言わなかったか?」

「言わなかったっ!」

 間髪容れずに言い返し、ぶんぶん首を横に振る。そうとも言わなかったとも! 一言たりとも! どうりで、いつも、いるはずだ。

「そう、だったか?」

 ケネルは首をかしげている。本当に忘れていたようだ。

「血相変えて探していたぞ。あんたが消えた、と端から端まで見てまわって。何度も森に出入りして」

 あの男が珍しい事もあるものだ、とくすくす横顔で苦笑わらっている。

 思わぬ話を聞かされて、エレーンは呆然とまたたいた。「……あたし、すぐお隣にいたけど。てか、なんで、そんなに探すわけ?」

「なんでって、あんた──当たり前だろう」

 ケネルが面食らった顔で口ごもった。

 口を開きかけて、その先をためらい、結局、持て余しように舌打ちした。

「それはファレス本人に訊け。とにかく、あまり世話をかけるな。そうでなくても副長は、常に多忙を極めている」

「……ふーん」

 淡々とした声を聞きながら、エレーンは気だるくうつ伏せた。少し熱のこもった頬を、立てた膝に押しつける。

 話をするかたわらを、風がやわらかく往きすぎた。

 風が草海をなでていく。膝に伏せた前髪が、さらさら風に舞いあがる。風に吹かれて、目を閉じた。耳に届くは小鳥のさえずり、草の鳴る音、草海のざわめき。

 頬に当たる顔横の髪が、ぽかぽかと暖かい。うららかな日ざしが、うずくまった肩を包んでいる──。

 眠い。とても。

 ……そうか、さっき飲み直した鎮痛剤だ。たぶん、それが、効きすぎている……

 

 

 ぼんやりあけた目の前で、青い草がゆれていた。

 頬に何か、膝ではない感触がある。なんだろう、これは。タオルの生地──?

 座っていたはずなのに、手は膝をかかえていない。手足がどこかに投げ出されている。怪我をした左肩が上。頭は丸めたタオルの上。一体いつから眠っていたのか──

 肌寒さは感じなかった。体に何かかかっている?

 どこにいるのか一瞬わからず、ぼやけた薄目で確認すると、それは衣服のようだった。見覚えのある、ずっしり重たい革の上着。

 視線をめぐらせ、目を凝らせば、原野をながめるケネルの横顔が隣にある。とっさに起きようとしたけれど、体に力が入らない。指の先さえ動かない。金縛りにでもあったように。

 瞼が重くて、目を開けていられない。──でも、大丈夫。ケネルがいるから。

 ケネルのそばは安心する。ケネルがそこにいるだけで。ケネルの気配を感じるだけで。

 気だるさに負けて、瞼を閉じた。なぜ、ケネルには分からないのだろう。ケネルの顔が見えないと不安で。気配が少し遠のくだけで、無性にそばに帰りたくなって。

 首長の馬から戻った時に「なぜ」とケネルは尋ねたけれど、なぜ、ケネルには分からないのだろう。

 あたしはただ、帰りたかった(・・・・・・)だけ。

 昔からいた元の場所に。自分が本来あるべき場所に。  

 一刻も早く。

 

 声が、届いた。

 けれど、意味は分からない。

 目を開けようと(あらが)うが、瞼は次第に閉じていく。

 頬に、柔らかな何かがかすった。ケネルがこちらにかがみこむ気配。両脇の下に手を入れて、肩の上へと抱えあげる。

 ふっ、と爪先が浮きあがった。

 奇妙で不思議な浮遊感。手足がぶらぶら、変な感じ。宙を漂っているような──この感覚を知っている。泥土に埋もれた遠い記憶。そう、同じだ、あの(・・)時と。

 胸が潰れるような痛みと共に、疼くような郷愁が広がる。確信が、不意に走った。

 だから(・・・)、ケネルは落とさない。

 だから(・・・)、もう心配いらない。

 胸に安堵が広がって、辛うじて残った抗いが、溶けるように抜け落ちた。

 周囲をじりじり取り巻いていた闇が、あっという間に引きずりこむ。蒸発するように意識が霧散し、感覚が急速に遠のいていく。抵抗のしようもなかった。意識が混沌に溶けていく。

 辛うじて残った微かな意識の片隅で、ケネルの体温を感じている。ゆったり波打つ、この鼓動は誰のもの? 自分の? それとも彼の鼓動?

 たぶんケネルは、今、草原を歩いている。あの重そうな編みあげ靴で。確実に。ゆっくりと。いつもより慎重な足どりで。

 緑の原野をながめやる、あの横顔が思い浮かぶ。──ねえ、なぜ怒らないの? 自分の服を汚されたのに。そう、いつだって、おかしいのだ。いつだって、何かがおかしい(・・・・)

 もうすっかり手放しで、全てを任せてしまいたいのに、踏み切る足にためらいが残る。いつでも胸の奥深く、不審が埋火うずみびのようにくすぶっている。だって、理由が分からない。

 事の初めから、そうだった。

 ディールに領土を急襲されて天幕群に駆けこんだあの時、なぜ、ケネル達はあの部屋で、あらかじめ待機していたの? 一面識もなかったこちらを、なぜ、見返りもなく助けてくれたの?

 なぜ、そんなに良くしてくれるの?

 なぜ、あの時あんなこと言ったの?

 

 

『 あの女とガキ、始末してやろうか 』



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