表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/52

4話7

「──だあってえ~」

 なめらかな振動に揺られて、エレーンはふくれっつらで寄りかかった。「だあってアドに悪くない? すんごく腕が痛いのに」

「わかった」

「それでも絶対、嫌とか言わないと思うのよ? だってほら。アドってああいう人じゃない? なのに、あたしが寄っかかったらアドの腕がまた痛く──」

「わかった、もういい」

「あっ! あとねー。それとそれとぉー」

「なんだ」

「えとねー、あとねー、それからねー」

「なんだ」

「……もしかして怒ってるぅ?」

「だから、なんだっ!」

 もたれた肩にのけぞって、エレーンはケネルを振り仰ぐ。

「まだ速くない? みんな走るの」

 怒気や憤懣ふんまん、諦めやらを、ぐぐぐ──と諸々押し殺し、ケネルが大きく嘆息した。

 伴走している長髪の連れに、顔をしかめて片手を振る。

 ファレスは端正な顔を辟易とゆがめ、「又かよ」と舌打ちで手綱をさばいた。

 疾走する馬群を縫って、先頭のいる前へと出ていく。

 やがて、馬群は減速し、ゆるやかに風を切る程度に落ち着いた。

 エレーンはにんまり会心の笑みで、仏頂面のケネルにもたれる。これでよし。

 

 あの後、馬は前脚立ち、空を掻いて暴れたが、落馬は危うく免れた。馬の手綱を操る間にも、首長がしっかりかかえてくれていたからだ。

 急停止したにもかかわらず、周囲を走る数多あまたの馬は、首長の馬を辛くもかわし、追突することもなく、左右に避けて通り過ぎていった。

 それから程なく、大分先で停止した群れから、ケネルが単騎で駆けつけた。

 首長の馬にしがみつき、エレーンはわしわし自力で降りると、あっけにとられた首長を仰いだ。そして、

「ごめんねアド。やっぱ戻るね?」

 絶句で固まったケネルを指さし「あっちに戻る」ときっぱり宣言、「ねー。早く乗っけてよー」と当然のごとくケネルに催促。「ねー。みんな待ってるよー?」

 馬上のケネルは額をつかんで、しぱし、わなわなと打ち震えていたが、

 はー……と諦めたような溜息をついて「ほら、こい」と腕を伸ばした。

 そして、元の配置に戻った次第。

 

「──勝手に降りようとしなくても」

 馬群の中央を疾走しつつ、ケネルが呆れ顔で嘆息した。

「戻るなら戻ると、一言いえば済むことだろう。事故にならなかったから良かったものの、騎手が首長でなかったら、あんた落馬していたぞ」

「だあって、しょうがないでしょー? こっちに帰りたくなっちゃったんだもん」

「まったく、何を子供じみたことを。悪ふざけにも限度がある。なぜ、そんな無茶をするんだ」

 むっ、とエレーンは言葉に詰まった。

 もどかしい思いで、唇をかむ。「……。だから、無茶とかじゃ」

 むう、と口を尖らせて、手綱をとるケネルの胴に、むぎゅう、と力いっぱいしがみついた。

 ケネルが驚いて見返したが、ぷい、とそっぽを向いてやる。

 言い分ならば、ないではない。でも、それをケネルに言っても、きっと彼には分からない。それが分かるから、これ以上は言えない。

 不快な感じに、心が荒んだ。心がカリカリ、引っかかれているような心地。ケネルは「なぜ」と説教するが、むしろ、なぜ分からない。こんなにも当たり前の(・・・・・)ことなのに。

 額におろした髪がなびいて、ふわり、と向かい風に包まれる。

 目を閉じれば、馬と、ケネルと、一体になる。

 なぜだろう、風が優しい。ケネルといると、こんなにも。

 風に分け入り、なめらかに進む。果てなく続く緑の大地を。

 やはり、ここは心地いい。ケネルの馬は居心地がいい。静かに走るし、話もできる。それに──

「……うぷ」

 とっさにこらえて顔をゆがめ、ケネルの肩にうつ伏せた。

 進行方向を見ていたケネルが、……ん? と気づいて懐を覗く。

「おい、どうした。今度はなんだ」

 怪訝そうな視線から逃れて、エレーンは更に潜りこむ。こんな時になんて無謀な。がくがく肩を揺するとは。

 だが、避けられれば気になるのが人情というもの、異変の原因を確かめようと、ケネルはますます覗きこむ。

「──ま、まて!」

 ぎくり、とその顔が強ばった。

「まて! まだだ! 持ちこたえろっ!」

 

 

 とん、と水筒がかたわらに置かれた。

「気が済むまで吐いたら、口をすすげ。──ああ、痛み止めも飲み直せよ」

 少し離れた木幹にもたれ、ファレスは立ちのぼる紫煙をながめている。

 高い梢の切れ目から、青い空が覗いていた。

 純白にかがやく夏雲が、ゆっくり北へ移動している。

 ツイ──と鳥が翼を広げ、緑梢の間を横切った。うずくまっていた大木の根から、エレーンはようやく立ちあがる。

「もう戻れ」

 ファレスが苦々しげに紫煙を吐いた。

 手の煙草を足元に落とし、分厚い靴裏で踏みにじる。「無理だろ土台、その調子ザマじゃ。北方ここらはまだ涼しいが、南下につれて暑さも増す」

「──でも、あたし、行かないと」

「誰もあんたを責めやしねえよ、今ここで引き返したところで」

 見越したように言葉をほうられ、エレーンはしどもど目を伏せる。「──そ、そういうことじゃ、ないんだけど」

「開戦中だぞ、トラビア(あっち)は今」

 返事に構わずファレスは続け、腕を組んで木陰にもたれた。

「まさに戦の真っ最中だ。こっちの陣営にいるならまだしも、向こうにいる捕虜になんぞ、そう易々と会えるもんかよ」

「だけど、せめて」

「あんたみたいな素人が、見物に行く場所じゃねえ」

 ファレスは事あるごとに「帰れ」と促す。この旅の初めから、トラビア行きに反対だ。

 確かに彼の立場なら、世話の焼ける女など、足手まとい以外の何者でもないだろうが。

「用があるなら、代理を立てろ。やりようなんざ、幾らでもあるだろ」

「──でも、代理っていうのは、なんか、ちょっと違う感じで」

「なぜ、そうも頑迷に言い張る」

 幹で腕を組んだまま、ファレスが辟易とした顔で嘆息した。

「なんぞ訳でもあるのかよ、てめえで行かなきゃならねえ理由が」

 呆れ果てた視線から、エレーンはしどもど目をそらす。「──べ、別に、そんなものは」

 ファレスは納得いかないらしく、柳眉をひそめて探るように見ている。

 勘の鋭さに困惑しながら、エレーンはそそくさ目をそらす。「で、でも、あたしは行くから、トラビアに。誰がなんと言おうとも」

「そうかよ」

 言っても無駄と悟ったか、ファレスがぞんざいに吐き捨てた。

「領主もさぞや、本望だろうぜ」

 

 大地を蹴立てる轟音を残して、荒くれた馬の一団が、原野の彼方へ駆け去った。

 群れに先行して馬を駆り、ファレスもひとり、起伏の向こうに消え入った。

 樹海の木陰を渡り歩いて、ケネルは適当な場所でシートを広げた。

 腰を下ろして足を投げ、誰もいなくなった野っ原を、後ろ手をついて眺めている。

 しばしエレーンはためらって、おずおず隣に腰を降ろし、小さくなって膝をかかえた。「……ごめんなさい」

「何がだ」

 原野をながめた横顔が応えた。

「行程を中止したことか。それとも首長を、落馬させそうになったことか」

 エレーンはおろおろ顔をゆがめ、唇の端を軽く噛んだ。「──ごめん。服、汚しちゃって」

「あんたが謝ることはない」

 ケネルがおもむろに振り向いた。

「体調不良は今朝からか」

「──え?……あ、ううん。──朝はなんとも、ないと思う、たぶん」

「不都合があれば、すぐに言え。どれほど具合が悪くても、俺には不調など知る由もない。いいな」

「……う、うん」

 問答無用で押し切られ、エレーンはたじろぎ、うなずいた。それにしても、

(もー。なんで、すぐに命令するかな~……)

 ここは威張りんぼが多くて困る。主にケネルとファレスのことだが。

 そう、ケネルについては言うに及ばず、さっきも森で、あのファレスとやり合って──今日一日のやりとりを、思い出すだけでうんざりした。迷子になっただけで叱られて、隣と遊んでいただけで乱暴にシートに転ばされ、今もたちまち言い合いになり──しかも、奴には関係ないくせに。こちらがそんなに気に食わないなら、初めから、こっちに来なきゃいいのに。どっと疲れて、膝にくったりうつ伏せて──

 すっ、と手の平が、前髪の下に滑りこんだ。

 とっさにエレーンは息を詰め、緊張に肩を強ばらせる。

(な、な、なに? この手はなにっ!?)

 誰もいない、こんな所で。

 ケネルが座った体勢で身をよじり、真顔で覗きこんでいる。

 頭に血がのぼって混乱した。

 内心あわあわ動転し、密かに目を泳がせる。

「──熱があるな」

 ケネルの大きな手の平が、額を包みこんでいる。

「あまり、心配かけるなよ」

 え……とエレーンは息を呑んだ。

 間近に迫ったその顔に、どきん、と心臓が跳びはねて、ケネルをどぎまぎ凝視する。どういう意味?

 今のは一体、どういう意味? 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ