表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/52

interval 「診療室にて」1

「喫煙は慎んでくれないか」

 苦々しげなその声に、窓辺にもたれた傭兵が、夜更けの庭から目を戻した。

 くわえた煙草を取り去って、床に落として踏みにじる。「──悪い。こうした場所は、不慣れでね」

 紫煙を吐いたそのシャツが、肩から黒く染まっている。若い女の血液で。

 踏みこんでくるなり傭兵は、室内の全員を追い出した。ひとりこの医師を除いて。

 寝台手前にたたずむ医師へと、傭兵はおもむろに足を運ぶ。「それで、怪我(けが)の状態は?」

「幸い、骨にまでは達していないが」

「出血は」

「止まっている。君がそう言っていた通りに」

 失血で弱ってはいるものの、脈も体温も正常だ、その旨医師はおもむろに告げ、いぶかしげに首を振る。「長らく医術に携わっているが、こんな症例は初めてだ。ここまで深い損傷というのに、他に異状が見られないとは」

「一つ()きたい。特異体質ということは」

「いや、そうした話は聞いていないが」

「だが、変だろう。明らかに、これは」

 医師は浅く嘆息し、寝台の患者を痛ましげに見やった。

「まったくだ」

 包帯を巻いた肩をさらして、黒髪の女がうつ伏せていた。

 横向きに伏せたその顔が、まつ毛を伏せて眠っている。鎮痛剤が効いているのか、寝顔は何事もなく穏やかだ。じっと見つめた視線を外し、傭兵は医師へと目を戻す。

「このことは口外無用に願いたい」

 同じく患者を見ていた医師が、あぜんと傭兵を見返した。「しかし、それでは、すぐにも支障が」

「照会には、こう答えろ。公爵夫人は(かす)り傷だと」

「──君は私に、嘘をつけというのかね」

 医師が憮然と、たまりかねたように顔をしかめた。

「いいかね、これほどの重傷なのだぞ。隠しおおせるはずがなかろう。そもそも私の立場では、そんな虚偽の──」

「礼はする。十分に」

 医師が面食らったように口をつぐんだ。

 戸惑い顔で顎をなで、壁に視線を泳がせる。日々盤石な医師のような者には、今の性急な申し出はいささか不躾であったろう。

 傭兵は構うことなく話を続ける。「死亡の際にも、公表はしばらく、さし控えてもらいたい」

「しばらく、というと?」

「事態が落ち着くまででいい。商都の騒動が決着し、次の統治者が決まるまで」

「しかし──」

「先生。あんたに迷惑はかけない」

 有無を言わせず、傭兵は迫る。

 しかし、と医師は尚も渋った。

「大勢が現場を見たはずだろう。広間にできた血溜まりを、それなら、どう説明すると」

「問題ない。警備の連中は動転していて、患部をじかに見た者はない。まして医術の心得がなければ、医師の言葉は絶対だ。つまり、誰にも、わかりはしない。あんたさえ(・・・・・)黙っていれば」

「しかし、広間からここまで運んだのなら、どれほど姿を目撃されたか──」

「問題ない。それについても抜かりはない」

「しかし──しかしだね。もし、旦那さまのお耳に入れば」

「──そいつは無用の心配だろ」

 思わず、というように苦笑いし、傭兵はおもむろに腕を組んだ。「当主が戻る保証はない。むしろ、生還は望み薄だ」

「──しかし」

 懸念材料をことごとく潰され、医師は苦虫かみつぶして鼻を鳴らす。「君は私に、隠蔽工作に加担しろ、と言うのかね」

「人聞きが悪いな、先生」

 傭兵は苦笑わらって壁にもたれた。

「俺は、公表を控えてくれ、と言っているだけだろう」

「従う義務はないと思うが」

「まだ、わかっていないようだな」

 肩で壁にもたれたままで、目だけを改めて振り向ける。

「これは要請じゃない。命令だ。クレスト領家とその治領は、現在、俺の指揮下にある。つまり、戦に関する全権を、俺は一任されている。そこには、あんたも含まれる」

「し、しかしだね君。それとこれとは話が──」

「悪いが先生、あんたと議論をする気はない。指示には、どうあっても(・・・・・・)従ってもらう」

 語気を強めて踏み出した相手に、医師はそそくさ目をそらす。

「なに。あんたが心配することはない。これについては、折を見て俺から報告する」

「──なぜ、そこまで」

「言ったろう。俺は全権を任されていると。この刃傷沙汰が表に出ては──外敵の侵入を許したとあれば、兵の士気にも差し障る」

 うつ伏せた患者に手を伸ばし、傭兵は背までの黒髪を払った。

 無造作な手つきで、彼女の耳下に手を当てる。彼女の脈と体温を、手ずから確認しているらしい。

 やがて、その手を引きあげて、枕にうつ伏せた寝顔を見つめた。

「あんた、これをどう思う。こいつが発現した途端、嘘のように出血が止んだ。背中の傷の周囲だけ、凍りつきでもしたように」

「──それは、なんの話かね」

 怪訝そうな顔つきで、医師が背後から覗きこんだ。「すまんが、私には一向に。今の、その"コイツ"というのは?」

 傭兵は虚をつかれたように口をつぐんだ。

 刹那戸惑ったように視線を揺らし、苦笑いして首を振る。「どうやら通じていなかった(・・・・・・・・)ようだな。──いや、いい。忘れてくれ」

 一転そっけなく肩を返し、寝台を離れて歩き出す。戸口へ向かう肩越しに、なおざりな調子で付け足した。「なるべく助けてやってくれ」

「どういう意味かね」

 憮然と医師は顔をしかめた。

「君に言われるまでもない。患者を助けるのが、私の務めだ」

「……そうだったな」

 含みのあるあざけり笑いで、傭兵は頬をゆがませた。

 いかつい革靴のかかとを鳴らして、静かな夜更けの部屋を突っ切る。

「後のことは、よろしく頼む」

 ふわり、と窓辺のカーテンを揺らして、診療室の扉が閉じた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ