前哨-NOデリカシー女と絡まれ男
山城穂奈美は、オフィスに戻って来た。
忘れ物をしたからだ。
守衛の人から、まだ1人残ってるのがいると言われた。
オフィスのドアから中を覗くと、5年先輩の橘陽貴が、まだPCに向かって作業している。
いや、よく見ると、座っているだけか?キーボードにも、マウスにも、手は触れていない。
気が抜けたような様子で、PC画面を見つめている。
何やってんだ?と穂奈美は思ったが、橘陽貴に関する、ある噂を思い出した。
「先輩、まだ居たんですか?」
「えっ、なに?」
陽貴は、慌てて振り向く。
橘陽貴の印象では、山城穂奈美は、明るい性格で、頭の回転も早く、仕事をテキパキこなす、デキる後輩だ。
しかし、陽貴には、何故か後輩と思えないような態度で接してくることもあり、正直、苦手なタイプだった。
「忘れ物です。」
「大変だね。」
「まだ、やって行くんですか?」
「月曜までには、終わらせておきたいからな。」
「大変すね。」
穂奈美は、自分の机の引き出しから、シルバーのバングルを取り出し、バックに入れた。それから、陽貴に近づき、PC画面を覗き込んでくる。
陽貴は、来週のプレゼンの資料を作っている。
「かなり出来てるんじゃないですか?」
「いや、なんか、パッとしないっていうか・・・。」
穂奈美は、陽貴の後ろの席に座り、背中合わせに椅子を近づけた。
「ふーん。いつもパッとしないじゃないですか。」
こういう感じが、陽貴は苦手だった。
「忘れ物、見つかったんなら帰れば。」
「はい、帰りまーす。」
穂奈美は、帰らずに座ったままでいる。
陽貴は振り返って、怪訝な表情で穂奈美を見るが、すぐに向き直って、作業を続ける。
「先輩。彼女さんと別れたって、本当ですか?」
「は?」
陽貴は驚いて、思わず後ろを振り返り、穂奈美を見た。
穂奈美も振り返り、陽貴の椅子の背もたれをガッと掴む。
「マジなんすか?」
「別に関係無いよね?」
「あっ、マジなんすね。」
「めちゃくちゃプライベートだと思うんだけど。」
穂奈美は、嬉しそうに笑った。
獲物を見つけた、といった眼つきだ。
「先輩、バレバレなんですよ。みんな、噂してますよ。」
「みんな?」
「うちの部署の女子全員です。」
「全員?」
「そうですよ。全員です。」
「ヒマなのかよ。」
「みんな、そういうの大好きですからね。情報収集抜かりないですよ。」
「・・偉いよ。素晴らしい。」
「恐れ入りますぅ。」
褒めてないけどという感じで、穂奈美を見返す。
「俺、誰にも言ってないけど?」
「いつ別れたんですか?」
「いや、何で分かるの?」
「あからさまに、落ち込んでたじゃないですか。分かり易いんですよ。で、いつ別れたんですか?」
「いつでもいいだろ。」
「隠す程のことでもないじゃないですか。」
「どうせそれで、また、みんなで話しするんだろ?」
「そうですよ。話題を提供してください。」
穂奈美は、ニヤニヤが止まらない。
陽貴も、黙ったところで、追求の手が止まるとも思えなかったので、正直に言うことにする。
「1ヶ月くらい前だな。」
「何で別れたんですか?」
「もう、どうでもいいだろう?プライベートだよ。いい加減にしろよ。」
「先輩。面倒かけさせないで下さいよ。」
「さっきからずっと失礼なんだけど。」
「じゃあ、みんなには言いませんから、教えて下さいよ。」
陽貴は、みんな知っていると言われて、困惑したが、それ以上に、穂奈美が興味を示していることが、奇妙に思えた。
「理由は・・・よく分からな」
「ああっ、待ってください。当てます。」
「えっ。」
「あれじゃないですか?彼女さんの言うことばっかり聞いてたんじゃないですか?」
「ばっかりっていうか、彼女なんだから。どこに行きたいって言われれば、一緒に行くし、あれが食べたいって言われれば、食べに行くし、欲しい物があるって言われれば、買ってあげるでしょう?」
「はあ、言われればって・・。それなんすよね。先輩らしい。そんな感じですよね。」
「何が?」
「私も嫌かもです。」
「何で?」
「じゃ、私帰ります。頑張ってください。」
「えっ?ちょっと待って。どういうこと?」
「帰れって言いましたよね?」
「理由。分かんの?」
「本当の理由は、分からないですよ。あくまで想像です。」
「想像かよ。」
「でも、当たってるような気がしますよ。」
「何だそれ。」
「じゃ、理由。分かってるんですか?」
「いや・・・。」
「分かったとして、どうするんですか?ヨリ戻んないですよ。」
「まあ、そうだよな。」
「そうですよ。」
「・・・そうだよな。」
「理由なんて、分かんない方が良いですよ。」
「理由が分からないと、直しようがないだろう?」
「直したところで、どうにもならないですよ。それに、分かっちゃったら、否定出来ませんから。」
「でもなあ、・・・延々と考えちゃうんだよな。」
「ムダっすね。」
「分かってるよ。」
陽貴と穂奈美は、近い部署で、たまに話す事もあるが、プライベートな内容の話は初めてだった。
「何かあった?」
「なんですか、それ。」
「普段と全然違うじゃん。おかしいなぁ。」
「何、分かった感じになってんですか?」
「別れたとか?俺と同じで。」
「それって、セクハラですよ。」
「はあ?人の事、散々イジっておいて?」
「先輩って、イジられキャラじゃないですか。あれっ、知らなかったんですか?」
「ずっと、ショックなことばかり、言われてるんだけど。」
「愛されてんですよ。」
「そう言えば許されると思ってないか?」
「細かい事気にするの、良くないですよ。」
「分かってると思うけど、フラれて、傷ついて、落ち込んで、仕事が手につかない状況なんですけど。」
「分かりますぅ。辛いですね。」
「明らかに絡んでるよな、酔っ払ってんのか?」
「失礼だなぁ。それ、失礼ですよ。」
「マジで、帰れよ。」
「嫌です。手伝いますよ。」
「マジで?じゃあ、そうだな。えーと・・。」
「嘘でぇす。」
「本当に帰ってくれ。」
「怒らないで下さいよ。」
「もういいよ。話したくない。」
陽貴は、少し語気を強めた。
少しだけ間が空いた。
穂奈美は、じっと陽貴を見つめた。
「なんだよ。」
「私も先輩と同じです。・・別れました。」
「えっ、本当に。・・・やっぱり。」
「やっぱりって何ですか?」
「なんとなく、テンションがおかしいから・・。」
「今、ざまぁ、って思いましたね。」
「思ってないよ。」
「本当ですか?」
「何で別れたの?」
「自分だって、聞くじゃないですか。」
「いや、まあ・・・。」
「・・・いたんですよ。女が。」
「えっ、何、二股?浮気?」
「何、嬉しそうにしてんですか。」
「いや、してないって。」
いつも強気で、口数も多い穂奈美ではあったが、この異常に絡んでくる感じは、普通じゃなかった。
「・・・それはでも、きついなぁ。」
「フォローしてくれなくていいですよ。」
「大丈夫なのか?。」
「大丈夫ですよ。・・・元々、長く付き合ってたわけでもないし。」
陽貴は、言葉が出てこなかった。
穂奈美の口調に、つい面白がってしまったが、悲しくないはずがない。
「・・・・」
「やめて下さいよ。何か言って下さいよ。もう、言わなきゃ良かった。ちょっと言い過ぎたかなって思って・・・。」
「無理すんなよ。」
「無理してません。ショックも受けてません。腹は立ちましたけど・・。」
「無理してんなぁ。」
「・・・男って、何でそうなんですか?浮気しないとダメなんですか?そのために生きてんですか?」
「・・・それで、俺に絡んでたのか。」
穂奈美は、驚いたような顔をして、初めて黙った。
あんな男、こっちから捨ててやった、はずだった。
一瞬、陽貴を、きつい眼で睨んだが、すぐ目を逸らす。
「ちっ。」
「舌打ちすんな。彼氏の前でも、そんな感じなのかよ」
「そんなんだから、浮気されるんだって思ってますよね?」
「そんなふうに思ってない。」
「絶対思ってますよ。」
「思ってないよ。」
「・・・どうでもいいです。」
「何にしても、別れるのはきついよな。誰にも、どうすることもできないよ。」
「分かってますよ。」
「慰められても、無くなるわけじゃないし。」
「はいはい。」
「解決は出来ないから、忘れるしかない。」
「先輩はフラれたかもしれませんけど、私はフッた方ですよ。」
「実質、変わらないと思うけど。」
「・・・もう、分かってますよ。先輩と同じっていうのが嫌なんです。・・・あーあ、なんか良いこと無いかな。」
「そんな簡単に、良いことなんてあるわけないだろ。」
「いちいち、言い返さないで下さい。」
少しの沈黙になる。
結局、こんな話しをしたところで、何の解決にもならない。
不毛過ぎる。
それでも、
「ダラダラ喋ってたら疲れたよ。」
「話してたら、どうでもよくなってきました。」
「・・・少しはマシになった?」
「何ですかそれ?」
「別に・・・」
穂奈美も、妙な疲労感を感じていた。同時に、女友達に元カレの愚痴を言った時とは、違う感覚があった。
「・・・多少は。」
「飯でも行くか?」
「奢ってくれるんですか?」
「えーっ、俺も傷ついてる側なんだけど。」
「じゃ、行かないっす。」
「あそっ。じゃあ、お疲れ。」
「お疲れ様です。」
穂奈美は、オフィスを出ていく。
陽貴も、PCの電源を落とした。
背もたれに寄りかかり、天井を見上げた。
穂奈美の言葉を思い出す。
『理由なんて、分かんない方が良いですよ。』
本当は、そうなんだろう。考えたって仕方のないことだろう。
(そう思えれば、楽なんだよな。)
突然、ドアが開いた。穂奈美が戻って来た。
「また何かあったら、話、聞いてあげますよ。」
(なんで上から目線?)
「要らないです。結構です。」
「はあ?せっかく・・・。バーカ。」
ドアを勢いよく閉めて、穂奈美は走って出て行った。
「早く帰れ!・・子供かよ。」
ドアに向かって言うが、聞こえてはいないだろう。
陽貴も、オフィスを出ていく。
夜が更けても、周りのビルには、まだ明かりが灯る窓が多くある。
陽貴は、疲れたように、少し息を吐いた。




