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俺の小説を食べる何かに、名前をつけた  作者: 九条 蓮夜


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第6話 比喩という橋

 翌朝、字義との会話が行き詰まった。


 俺が尋ねると、字義は答える。だが「答え」の形をしていないことが多かった。

 俺の問いと字義の返答の間には、常に翻訳の断層がある。

 俺が言語で思考し、言語で問いかけるのに対して、字義は概念の塊として応答してくる。それを俺が受け取り、脳が必死で言語に変換する。変換の過程でどれだけ歪んでいるか、確かめる方法がない。


 例えば、こんなやり取りがあった。


「お前には仲間がいるか」


 来た概念を、俺は翻訳した。


「……多い、数えられない、場所が違う、同じではない」


 個体として独立しているのか、群れとして機能しているのか、それすら分からなかった。「同じではない」が「それぞれ異なる個体だ」という意味なのか、「お前とは違う種類の存在だ」という意味なのか。

 俺の言語の粒度が粗すぎて、字義の実態を掬い取れない。


 三十分格闘して、俺は別のアプローチを試みた。

 作家の本能が言った。直接聞くな。比喩で包め。


「お前は、川か? 一本の川として流れているのか、無数の水滴として散っているのか」


 沈黙が変わった。

 質の違う沈黙だった。何かが、引っかかった手応え。


 概念が来た。

 今度は輪郭が鮮明だった。


「……川じゃない。川になれる水だ。今は俺の傍にいるから、川のふりをしてる」


 光が激しく揺れた。

 正確に伝わった、という確信があった。


「……比喩が効くのか、お前には」


 ――言葉、固い。比喩、柔らかい。入ってくる。


「固い言葉と柔らかい言葉の違いは何だ」


 ――固い言葉は一つの意味しか持たない。柔らかい言葉は、たくさんの意味が重なっている。重なりの中に、俺の言葉に近いものがある。


 俺はメモ帳に書き留めた。

 概念語は固い。比喩は柔らかい。

 だから字義には、抽象的な問いより、具体的なイメージを使った問いの方が届く。


「じゃあ聞き方を変える。お前の仲間は、夜空の星か、それとも砂浜の砂か」


 即答だった。


 ――砂。踏まれても、形が変わっても、砂のまま。


「数えられないくらい、たくさんいる」


 ――そう。そして、お前たちも砂と同じだ。


 俺は手が止まった。


「俺たちも?」


 ――人間も、たくさんいる。俺たちから見れば、区別がつかない。だが、お前は光が違う。濃くて、形がある。砂の中に、宝石が混じっているみたいに。


 褒められている、と気づくのに数秒かかった。

 照れくさいとか、嬉しいとか、そういう感情が来る前に、別の感情が来た。

 この表現を、使いたい。

 砂の中の宝石。砂の中の光。そのイメージで、書けることがある。


「……お前、俺の書くものを読んで、どう感じてるんだ。美味い以外の言葉で」


 長い沈黙があった。

 字義がまた俺の語彙を漁っている気配がした。

 概念が、ゆっくりと来た。


「……お前の書くものは、俺の知らない場所に連れていく。俺は億年、ここにいた。動かなかった。でも、お前の書くものを読むと、俺が行ったことのない場所に、行ける気がする」


 俺は画面から目を上げた。

 六畳の部屋の、染みだらけの天井。

 そこに漂う青白い光。


「物語が好きか、お前は」


 光が揺れた。

 揺れ方が、これまでと違った。

 大きく、長く、まるで頷くように。


 俺は目を閉じた。

 作家として、三十年間ずっと問われ続けてきた問いがある。

 誰かに何かを届けたくて書いているのか、それとも自分のために書いているのか。

 答えは分からなかった。

 今も、分からない。

 ただ、億年生きてきた何かが、俺の書いた物語を読んで「行ったことのない場所に行ける気がした」と言っている。

 その事実だけが、今この瞬間、俺の脳に焼きついた。


 高田への嘘のことを思い出した。

 原稿の続きを書かなければならない。

 だが、書くための燃料が、少し補給された気がした。


          ◇


 夕方、スマートフォンに見知らぬ番号から着信があった。

 出ると、無言だった。

 三秒ほどして、電話は切れた。

 発信元の番号を検索しても、何も出てこなかった。

 気のせいだろうと思った。


 だが、着信のあった時刻に、部屋の青白い光が一瞬、揺れた。

 揺れ方が、字義のそれとは違った。

 警戒、と俺が名付けるなら、そういう揺れ方だった。

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