Y軸で雨宿り
お昼に降っていた雨は上がったらしく、建物に打ちつけられていた雨の音は静まった。カーテンは閉めたまま。外に置いてある洗濯機の中には、選択したままの服があり焦るが、体温で暖められたベッドから出ることはそれよりも嫌なことだった。
玄関の戸を開ける。雨上がりの太陽は普段より何倍も輝いていて、そこら中にある蒸発しきれていない水たちを照らす。扉の先に、水たまりがあった。そこには僕が映っていた。屋根から一滴、その水たまりに水が落ちた。そこに映る僕はぐわんと揺れて、歪んで、原形をとどめきれずに、揺れる。その瞬間は、僕は僕でなくなって、歪んだ姿になっている。第三者から見れば、ただ水たまりを見ている人間にすぎないのだろうけれど、僕の目で僕のことは見れなくて、いったい何が僕は歪んでいないんだと決めつけられるのだろう。水たまりはありのままの僕を映し出しているはずで、歪みが「屋根から落ちた水滴」という外部からのアクセスだとしても、水たまりに映る僕が歪めば、僕は歪む。歪むそのとき、現実なんてものはなくなる。
水たまりに映る僕はだんだん元の形に戻って、やがて、歪んでいないころの僕に戻った。僕は台所に立ち寄って、包丁を取り出した。水滴ひとつで僕が歪んでしまうというなら、水たまりに包丁を落とせば、その包丁は僕に傷を与えそうだ。
映るのは真実かい水たまり。君が僕のことをしっかりと映してくれるなら、僕を殺すことだって簡単なことだ。現実は。さぁ。
手から放たれた包丁は水たまりに落とされた。僕の心臓をめがけて、垂直に、深く刺さるように高いところから。水たまりはぐわんと揺れた。包丁は横たわって、水たまりに映っているはずの僕を覆い隠した。なんで隠すんだい? 僕は刺されているはずだろう?
水は呼応しない。水たまりの波紋はだんだんなくなっていって、静かに、包丁だけがそこにあった。僕は包丁に守られている。今、たった今。この包丁をどかしたとき。そのとき僕は血を噴き出してその場でもがき苦しむかもしれない。
僕はなんだか、そこから動くことができなくなった。どう転んでも、いい結果になる気がしなかった。救われないとはこういうことか、象徴的なこの顛末が存在しうるのは、この先生きていくうえで、それに直面するかもしれない。
はやく、はやく包丁をどかして安心させて。
そうしたら、また雨が降り始めた。僕は包丁を眺めながら、雨宿りしながら包丁を拾う。




