第二部 模擬戦と監視 ― 異常適合率 ―
その日、模擬戦はいつもより重かった。
雲ひとつない空を模したドームの天井の下、光が濃く、空気が揺れている。
ユノは中央に立ち、銀色のリリースコードを構えた。呼吸を整え、指先をわずかに開く。
仮想敵は魔素の幻影で、形は不定。濃度が高まるほどに“意思”を持つように動く。
あくまで訓練だとわかっているのに、鼓動は自然と速くなっていた。
「ユノ・アマツキ、模擬戦プログラムA-3、開始」
電子音とともに、床に浮かんだ紋章が回転を始めた。魔素の粒子が霧のように集まり、人影を形づくる。
ユノは息を吐き、鍵を回す。
銀色の光が走り、周囲の空気が一瞬だけ静止した。
音が消え、色が止まり、そして世界が破裂する。
次の瞬間、光線が地面を裂き、幻影を貫いた。
観測モニターの針が振り切れた。
壁面に設置されたセンサーが連続で点滅し、アラート音が短く鳴る。
「出力値……規定の一・五倍。反応速度、平均の四倍です」
教官が呟く。
だがユノには、数字が遠くの言語のように響くだけだった。
彼女の世界にはまだ、残光が残っている。
空気の粒子ひとつひとつが脈打つように光り、ゆらめきながら消えていく。
その中で、リリースコードだけが静かに震えていた。
「ユノ、大丈夫? 顔色……真っ白だよ」
リオの声に、ユノはゆっくりと瞬きをした。
「……うん。平気。ただ、少し眩しかっただけ」
笑ってみせたが、頬がうまく動かない。
胸の奥に残る微かな疼き――まるで誰かが心臓の中で指を鳴らしたような感覚があった。
*
模擬戦が終わり、教官たちは長く沈黙していた。
端末を覗き込む一人の男性が、眉を寄せる。
「これ、記録装置の誤作動じゃないのか?」
「三台とも同じ数値だ。誤差はゼロだ」
「じゃあ、どう説明する? 魔素の反応率、百二十七パーセントだぞ。ありえん」
「適合率が一〇〇を超えるなんて……」
報告書のタイトル欄に、赤字で書かれる単語がひとつ増えた。
《異常適合率》。
その隣に、小さく書かれた注記。
《監視対象指定:レベルB。再検査要請。》
*
夕方の寮。
窓の外で鳥が鳴き、カーテンがゆるやかに揺れている。
訓練を終えたユノは、制服の襟を外してベッドに倒れ込んだ。
全身がだるい。
力を使いすぎた、という感覚ではない。
むしろ、体が“何かに吸われている”ような虚脱感だった。
ポケットの中でリリースコードが淡く光った。
指先で触れると、脈打つように光が瞬く。
呼吸を合わせると、その鼓動がわずかに重なった。
ユノは目を閉じ、息を整えた。
――そのとき、脳裏に誰かの声が過った。
《もっと使える。あなたなら、もっと遠くまで届く》
低い女の声。聞き覚えはない。
けれど、どこか懐かしい響きだった。
瞼を開くと、光はすでに消えている。
あたりは静かで、まるで最初から何もなかったようだった。
*
同じ頃、IMIAの本部・第七観測区。
薄暗い会議室に、データパネルの光だけが灯っていた。
壁面にはユノ・アマツキの適合データが並んでいる。
その中心に立つ灰野は、タブレットを静かに置いた。
「……想定より早いな。まだ十五歳だぞ」
対面に座るのは、黒いスーツの男。
無表情で、どこか飄々とした雰囲気。
――シロウ・エガワ。情報統括局の調査官。
「監視データを見ればわかる。これは偶然じゃない」
灰野の声には焦りが滲んでいた。
「出力の波形が、既存のどの魔法少女とも一致しない。まるで、“外からエネルギーを取り込んでる”みたいだ」
シロウは短く息を吐き、指で画面をなぞる。
波形のグラフが光の筋のように揺れた。
「……彼女、例の“セリア・ノイン”と同じ傾向を示してる。
ただし、数値はその五倍。これはもはや“個人”の枠を超えてる」
「つまり?」
「潜在的オーロラリアクター適合個体。正式に再分類する。上層部に報告を上げるよ」
「……そんなことをしたら、ユノが――」
「もう“ユノ”じゃないさ。あれは資源だ」
灰野は口を閉ざした。
指先がわずかに震える。
かつて指導官として、幼い彼女を見守ってきた時間の断片が脳裏に蘇る。
笑顔。訓練場での声。
その全てが、数値と管理項目の中に変換されていく。
シロウは席を立ち、ドアの前で振り返った。
「灰野。君は情に流されやすい。彼女を“少女”として見てるうちは、こっち側には立てないよ」
「……あなたたちは、何を守ってるんですか」
シロウは笑わなかった。
ただ一言だけ、淡々と答えた。
「世界だよ。方法は、問わないがね」
*
夜。
ユノは夢の中で走っていた。
果てしなく続く白い廊下。扉がいくつも並んでいる。
その一つ一つから、光が漏れている。
近づくたびに、耳の奥で誰かが囁く。
《返して》
《ここにいる》
《見てるんでしょう?》
扉を開けると、空だった。
足元に広がるのは鏡のような湖。
そこに浮かぶ、ひとつの鍵。
それはユノのリリースコードと同じ形をしていた。
彼女が手を伸ばすと、鍵は波紋を描いて沈んでいく。
その瞬間、遠くから声がした。
《君の力は、まだ“序章”にすぎない》
ユノは息をのんで目を覚ました。
額には冷たい汗。
時計の針は午前四時を指していた。
静寂。
ただ、窓の外の空に、虹色の靄がぼんやりと漂っている。
それがまるで、誰かの視線のように感じられた。
*
翌朝、訓練場に向かうと、いつもの空気が少し違っていた。
すれ違う仲間たちが、一瞬だけ視線を向けてくる。
何かを知っているような、知らないような。
リオが駆け寄ってきた。
「ユノ、なんかあったの? 昨日、教官たちがざわざわしてたよ」
「……知らない。特になにも」
そう答えながらも、胸の奥に冷たいものが広がる。
廊下の端にあるモニターに、訓練データの一覧が流れていた。
そこには自分の名前。
“適合率127%”の数字が、赤く点滅している。
――そして、その下に小さく。
《監視対象:A》。
ユノは無意識に息を止めた。
背中に、誰かの視線が刺さる。
振り向いても、そこには誰もいなかった。




