第一部 真相へ向かう
午後の陽が傾くと、病棟の廊下はまるで別世界のように静まり返った。
窓の外では風が雲を押し流し、遠くで夕立の気配がする。
白く磨かれた床は、空の色を映して淡い橙に染まっていた。
病室を出るとき、看護師に「十五分以内に戻ってくださいね」と言われた。
ユノは頷きながらも、どこか上の空だった。
医療棟の奥、集中治療区画——ICU。
そこに、戦場で共に戦った仲間たちが眠っている。
廊下のプレートに並ぶ名前の中に「レナ・フィーネ」「ミナト・アサクラ」という文字を見つけ、ユノの足が止まった。
「……レナ、ミナト……」
彼女たちは、あの灰色の戦場で最後まで並んで戦っていた。
レナは盾役として前衛に立ち、ミナトは支援魔法で全体を守った。
彼女たちがいなければ、ユノはあの“災厄”に立ち向かえなかったはずだ。
ガラスの向こう、面会禁止の赤いプレート。
カーテンの隙間からかすかに見える白いベッド。
呼吸器の管が並び、機械の音が淡く鳴っている。
「面会謝絶です」
背後から声をかけられ、振り返ると看護師が立っていた。
年上の女性で、笑顔は柔らかいが、どこか作り物のようだった。
「ごめんなさいね。彼女たちはまだ安静が必要なの」
「重いんですか?」
「ええ……魔力循環がうまくいっていないみたいで。少しでも刺激を与えると危険なの」
“魔力循環”。
その言葉が、どこか自分の体を刺すように重く響いた。
「私が……戦場で、なにか……?」
聞き返そうとしたが、看護師はそれ以上言葉を続けなかった。
ただ優しく頭を下げて、「お部屋に戻ってくださいね」と言った。
背を向けて歩き出すと、背後で機械のピッという音が一瞬だけ途切れた。
振り返ると、カーテンの影がかすかに揺れた気がした。
部屋に戻ると、白い点滴スタンドが光を反射している。
リリースコードは枕元のケースに入っていた。
銀色の表面に触れると、指先に微かな脈動を感じる。
(……あのときも、これが導いた)
砲撃を放つ直前、頭の中で“声”がした。
——放て、ユノ。
——この手で、終わらせろ。
その声がどこから来たのか、今も分からない。
ただ、その瞬間、全てが白に溶けていった。
ベッドに腰を下ろす。
病室の時計は午後十時を指していた。
窓の外では雨が降り始めている。ガラスを叩く音が規則的に響く。
(……みんな、目を覚ますかな)
呟きは、薄闇に吸い込まれて消えた。
静寂の中、廊下から声が聞こえた。
看護師二人の小さな話し声。
「……また一人、意識が戻らないって」
「え? 誰?」
「レナ・フィーネ。循環が止まってるらしいの」
「そんな……昨日まで安定してたのに」
「主任が言ってた。原因は“特異個体”かもしれないって」
「……あの子のこと?」
「静かに。壁に耳があるかもしれないから」
ユノの手から、ペンが転がり落ちた。
心臓が強く鳴る。
“特異個体”——。
誰のことを指しているのか、考えるまでもなかった。
真夜中、病棟は完全に眠りについた。
照明は落ち、非常灯だけが淡い緑の光を放っている。
ユノはベッドを抜け出し、点滴を外した。
体はまだ重いが、歩ける。
静まり返った廊下を、裸足で進む。
(研究区画……あの人たちがいた場所)
昼間、研究員たちは言っていた。
——あなたは枯渇していない。むしろ増えている。
それが事実なら、あの戦いのあとに“誰か”が枯渇したことになる。
レナも、ミナトも。
(どうして、私だけ……)
医療棟の突き当たりにあるセキュリティドアの前に立つ。
パネルが赤く点滅している。
IDカードも通行許可も持っていない。
それでも——行かなきゃいけない。
そう思った。
ポケットからリリースコードを取り出す。
銀の鍵が、淡く脈動している。
それをドアの読み取り機に近づけると、低い電子音が鳴った。
ピピッ——。
ランプが緑に変わり、ドアが滑らかに開いた。
「……どうして、開くの……?」
まるで、導かれるように。
リリースコードが、彼女の意思よりも先に動いているようだった。
研究棟の中は薄暗く、空調の低い唸りが響いていた。
ホログラムパネルが無人のまま点灯しており、機械の光が壁を青く染めている。
机には、散乱した資料。
誰かが慌てて去ったような形跡があった。
ユノは一番手前の端末に触れた。
画面が明るくなり、ファイルリストが現れる。
そこに見慣れた文字があった。
【対象個体:No.0167/ユノ・アマツキ】
指先が震える。
ファイルを開くと、黒い背景に白文字が浮かび上がる。
〈状態:安定〉
〈出力:測定不能〉
〈観測結果:対象、戦闘時に“収束現象”を確認〉
〈魔力流:外部吸引型〉
〈影響範囲:近接個体全域〉
〈備考:対象個体は周囲の魔法少女より自動的にエネルギーを吸収〉
「……吸収……?」
声が震える。喉が乾いている。
文字が光り、まるで彼女を嘲笑うようだった。
〈追記:AuroraLink計画・暫定適合体〉
〈目的:長期同調試験〉
〈備考:本個体は“世界防衛装置”として転用可能〉
スクロールするたびに、言葉の意味が重くのしかかる。
“世界防衛装置”——それは、人間ではない。
机に手をつき、息を荒げる。
「違う……私は……守ったのに……!」
涙が滲む。
床の冷たさが、足の裏から心臓まで染み込んでいくようだった。
画面の下部、最後の項目。
〈吸収対象:レナ・フィーネ(重度魔力低下)/ミナト・アサクラ(臨床安定待機)〉
その二つの名前を見た瞬間、心臓が止まるような感覚が走った。
(やっぱり……)
指先が震え、画面に涙が落ちた。
白い光が滲んで歪む。
「どうして、こんなことが書かれてるの……?」
背後で、扉の開く音がした。
ユノは振り返る。
そこに立っていたのは、黒のコートを羽織ったシロウ・エガワだった。
淡い照明に照らされ、その表情は読めない。
「……見てしまったか」
静かな声。だが、その奥には痛みのようなものが潜んでいた。
ユノは叫ぶように問い詰めた。
「これはなに!? 私が、みんなから奪ってるって……!」
「落ち着け、ユノ」
「落ち着けるわけないっ……! 私が、レナたちを……!」
シロウは黙って歩み寄り、端末のスイッチを切った。
画面が暗くなり、研究室が一瞬にして闇に沈む。
その中で、彼の声だけが淡く響いた。
「……お前は、奪ってなどいない」
「……え?」
「奪っているのは、“お前に組み込まれたもの”だ」
ユノは息を飲んだ。
その意味を理解するには、少し時間が必要だった。
だが、シロウの目を見て、嘘ではないと分かった。
「詳しい話は、ここではできない。……ついて来い」
シロウはそう言い、扉の向こうへ歩き出した。
ユノは胸にリリースコードを握りしめながら、その背中を追った。
研究室の照明がひとつずつ消え、
ただ、最後に残ったホログラムだけが光を放っていた。
そこに浮かぶ最終行。
〈プロジェクト名:AuroraLink計画〉
〈対象:ユノ・アマツキ〉
〈状態:起動準備完了〉




